聖騎士の盾


 針のように細い月が浮かぶ、星のない夜だった。
 風の音に混じり、町外れの荒れ野に荷車の音が響く。
 車に結び付けられた松明は強風に曝され今にも消えんばかりだ。
 荷車を引くのは擦り切れた服を着、疲れ果てた表情の農夫。
 汗にまみれた重苦しい表情で先を見据え、ひたすら前に進んでゆく。
 荷台には頭からすっぽりと白い布を被り身を隠した人間が、膝を立てて静かに座って居た。
 どちらも口一つ聞かない。
 やがて一行は枝を広げた巨大なブナの木の前に到着し、止まった。
 その背後からは鬱蒼とした森が広がっている。
 ハアハアと激しく呼吸する農夫の背後で、荷車の上に居た者がゆっくりと地面に降り立った。立ち上がると、細身だが長身であることが分かる。
 じゃり、と長靴が地面を踏み締める音が立ち、その脚が躊躇することもなく森に向かって歩き始めた。
「ほ……本当に、よかったんですかい……お一人でこんな……」
 荷車の持ち主が強張る表情で話しかけた瞬間、

 グオオオオオ……

 まるで地鳴りのような、人とも獣ともつかない声がごく近い場所から空気を震わせた。
「……ひいっ……!」
 農夫が恐れをなし、荷車を放って一目散に反対方向へ走り出す。
 その後ろ姿があっという間に小さくなり、元来た道なき道へと消えていった。
「……」
 だが、残された人物の方は動揺するでもなく、声の方向を探るように前を見つめている。
 その足が再び一歩づつ、森へと歩みを進め始めた。
『……百姓……オンナ……女ヲ……モッテキタのか……』
 ハァー、ハァーとせわしない息遣いが近づいてくる。
『オンナガホシイ……ンナのニク……喰ウう……』
 ポタッ、ポタッと液体のこぼれる音。
 ――やがてそれは、松明の赤々と燃える灯火の元に姿を現した。
 影は屈強な人のように見える。
 しかし、その容貌は人間というには余りにも大きく、そして醜悪だ。
 頭の左右に角が、顔には飴色の濡れた毛が生え、鼻の骨格は突き出て、目は丸く横に付き、爛々としている。
 左右に大きく裂けた唇からダラダラと唾液をこぼしているその顔貌は、怒れる牡牛そのままだ。
 奇妙なのは、その牡牛が二本の脚で歩き、あまつさえ、立派な鎖帷子くさりかたびらと、鉄の甲冑を身に着けていることである。
 異常な程筋骨が発達した腕がいかにも窮屈そうにその両側から飛び出し、筋の浮いた手の先には黒く鋭い爪が生えている。
『……ウガァァアアアッ』
 3メートル程もある牛頭の怪物が雄たけびを上げ、佇む白いローブの人物に巨大な両腕で掴みかかる。
「――エルカーズの哀れな兵士。俺にはお前の気持ちが痛い程分かる……」
 つぶやくような声と共に白い布がばさりと風に飛び、異形の男の頭に被さった。
 銀白色の甲冑を身に着けた、若い端正な青年の顔が露わになる。
『オンナじゃ……ナイ……オンナ……ダマサレタ……喰ウ……!!』
 怪物は躍起になって布を引き裂き、怒りも露わにドスドスと地面を踏み鳴らした。
「動くな。今俺がお前の呪いを絶ってやるから」
 その声はあくまでも優しい響きを伴っている。
 青年は後ろ首で清廉に刈った黒髪を風に靡かせ、腰に佩いた大剣をスラリと鞘から引き抜いた。
 化け物の腕がその左側から音を立てて繰り出されるが、柳のようにスイと避ける。
 さらに、勢い余って地面に頭から倒れた牛男の背中を長靴で踏み抑えると、彼は相手の甲冑の隙間にねじ込むように、その後ろ首に大剣を突き立てた。
『ギャアアアアアーッ』
 断末魔が森に響き、眠っていたカラス達が驚いてギャアギャアと声をあげながら一斉に飛び立つ。
 怪物の背中から足をどけると、青年は一度大きく息を吸い、化け物の身から剣を引き抜いた。
 白皙の頬にどす黒い血が飛び、こびりつく。
「人間の血……」
 ひざまずき、まるで友人の死を悼むように、彼はそっと怪物の背中に手をあてた。
 不思議なことにその死体は先ほどよりも一回り小さくなっている。
 そっと助け起こすように骸を上向かせると、醜悪な怪物の顔は消え失せ、どこか頼りない容貌の、とび色の髪の青年が眠るように目を閉じて死んでいた。
「……神の御許に帰り、安らかに眠れ」
 指を組んで目を閉じ、祈りを捧げる。
 カラス達がその周囲を飛び回り、しばらく騒ぎは収まらなかった。


 翌日太陽が高くなった頃、森にほど近いヴォーダンの村に青年は姿を現した。
 井戸で水を汲み、鎧と剣から血を洗い落としている青年の姿を見て、村人達は驚きと畏怖の目で彼を取り囲んだ。
「だ、旦那! 無事だったんですかい。あんな化け物の所へ行ったのに」
 駆け寄って一番に話しかけたのは、昨夜一人逃げ出したこの村の農夫だ。
「この通りだ。昨日は酷いじゃないか、俺を一人にして」
 青年は屈託なく微笑み、同時に村人が彼を見る目も和らいだ。
 ――どうやら、「憑りつかれて」帰ってきた訳でもなさそうだ――、と。
「さぁ、約束通り、森の怪物を退治した。宿を貸してもらえないか」
 農夫が何度も頷く。
「お安い御用で。兄が宿屋をやっておりますので、そこへご案内します。――それにしても騎士殿、どうかお名前を」
 その言葉に、青年がどこか寂し気に微笑んだ。
「騎士ではない。今はただの傭兵だ……。俺の名はレオン。レオン・アーベル」
「アーベル様。どうぞこちらへ」
 農夫と青年は、連れ立って井戸を後にした。


 日が暮れかかると、宿屋の一階の酒場に大勢の村人が集まり、酒盛りを開き始めた。
 ヴォーダンの村を苦しめていた森の人食い牛が死んだ――という噂はすでに村中に広まっていた。
 エールの入った木製のジョッキが酌み交わされ、リュートの奏でる陽気な音楽が熱っぽい空気を満たす。
 暖炉の火に一番近い場所では、村人達がレオンを囲み、口々に彼を讃えていた。
「――騎士様さえいて下されば、エルカーズからやってくる悪魔など怖くありませんや」
 すっかり酔っぱらった農夫がエールを片手に、薄い亜麻布のシャツとズボンに着替えたレオンの肩を気安げに抱く。
 対角の椅子に座っていた村の長老が、噛みしめるように話し始めた。
「本当に、ずっと、できるだけ長く……この村に居て頂きたいものです。この村はエルカーズに一番近い。我々も、いつかこの村を捨てねばならんかと思っていたところだ……」
「隣国エルカーズは、王が悪魔に取りつかれて久しいからな……」
 レオンが頷くと、長老は首を振って項垂れた。
「憑りつかれたというか……、あれはもう、王が悪魔そのものに……とって代わられたのです」
「あの牛頭の男も、もとは人間の姿だったのだ……」
 痛ましい場面を思い出すように眉根を寄せ、レオンは形のいい唇を開いた。
「あの者を神の御許に送っても、また別の者が現れる。元を絶たない限り」
 沈んだ口調でそう言った彼の肩を、背後から急に白い腕が抱きしめた。
 胸元も露わな淫らな装いの女がレオンの頭の上で喋り出す。
「あんた達、ハンサムな騎士様を独り占めしてるんじゃあないよ。ねえ騎士様、もし良かったら、今夜のお世話をさせてくれない? あたし達の恩人だもの。タダでサービスするよ」
 宿で客を漁っている娼婦の大胆な誘いに、レオンの白い顔がかあっと赤くなった。
「は、離してくれ…とても申し訳ないが、」
 意外そうに両手を離した女に目も合わさぬまま、自分の身を守るようにマントを掻き寄せる。
「俺は、神に誓いを立てていて、女性とそういうことをしたことがないんだ。だから」
 農夫がキョトンとして彼を見つめた。
「そんなに強くて、お若くてハンサムなのに? 女を知らねえんです?」
「きゃぁ! そんなことを聞いたら、益々サービスしてあげたくなっちゃうわ。良いじゃないの、神様に内緒で一度くらい! 女の柔肌を知らずに死ぬなんて後悔するわよ」
 娼婦の目が肉食獣のような輝きを帯び、レオンの鍛え上げられた体躯を上から下まで視線で舐め回した。
「いや本当に……気持ちだけで結構だ……」
 言葉で拒絶しても女はいたずらに彼の後ろ髪に触れ、身体を押し付けて来る。
「こんなに逞しい体つきなのに、まるで絹糸のような黒髪……肌も私よりツヤツヤ。こんな若い身空で坊さんみたいな誓いを立てちまうなんて、騎士様、あなた一体お幾つ? まさか18や19ではないだろうし」
 がたんと音を立ててレオンは椅子から立ち上がった。
「その、昨夜は徹夜で疲れたから、もう寝かせて貰えないか。朝までは絶対に誰も入ってこないようにして貰えるとありがたい……っ」


 ギシギシと音を立てながら、レオンは宿屋の階段を登った。
 並んだ部屋のうち割り当てられた1番端の個室に入り、扉を閉めてほっと息をつく。
 暖炉の炎だけが明るく燃えている薄暗い部屋の中で、レオンは粗末なベッドの上にそっと腰を下ろした。
 この地も長くは居られない。なるべく早く旅立たねば……。
 そんな風に思いながら窓の方をそっと見上げる。
 ――そういえば今日は新月の夜だ。
 それを悟った瞬間、視界の端で何かが動く。
 暖炉の火が作る自身の影から、黒い液状の物体がドクドクと湧き出し始めているのをレオンは見た。
「……っ」
 剣の柄に手を掛け、身構えた。
 黒い液体はドロドロと練り上げられてあっという間に人のような姿になり、女のようにも見える白い美しい顔が最後に形作られる。
 それは、レオンよりも長身の、黒々としたローブを纏った氷のような美貌の青年の姿になった。
 一見人間と変わりないように見えるが、かがやく銀の髪が腰まで届き、左右の耳の上からは山羊のような曲がったツノが生えている。
「アビゴール・カイン……この、悪魔め」
 レオンが苦々しく呟くと、彼は唇を歪ませて微笑した。
「……お前は毎回律儀にそう呼んでくれるな。普通にカインと呼べよ」
 美青年はいかにも親しげにそう言うと、そっとレオンに近付いてきた。
「久々の逢瀬だな?」
 レオンが剣を抜き放ち、身を守るように構えた。
 だが相手はそれを全く意に介さない。
「神に誓いを立てていて、女としたことがない……か」
 艶めいた赤い唇からクックっと酷薄な笑い声が漏れる。
「俺は今でも……神に忠誠を誓っている……っ」
 言い返すにはどこか弱さのある声で言い、レオンがカインを睨み上げた。
「身も心も?……どれ、俺の敬虔な聖騎士様のお身体を確かめてみるか」
 銀の髪が煌めき、気付けば悪魔がレオンの背後に回っていた。
 力強い両腕が、まるで恋人を抱くように優しく肩を抱きしめる。
 同時に黒いローブの間から先の尖った尾がしゅるりと飛び出し、レオンの太腿に巻き付いた。
「……!」
 腿の内側に小さな痛みが幾つも走る。
 震える両手から剣が滑り落ち、足元でゴトッと低い音が響いた。
「……血の匂いがする。お前、また父上の……王のしもべを殺したな」
 うなじに唇を埋め、チュ、と音を立てて口付ける音が狭い部屋に響く。
「……っ、あの憐れな兵士は、エルカーズ王国の人間の兵士だ……悪魔の下僕などではない……!」
「悪魔、か。俺たちはエルカーズ人の『神』だって言ってんだろ。自分達の崇める神とは違うからと言って差別は感心しねえな」
 レオンが激昂しても、相手はどこ吹く風という調子でうそぶいた。
「お前達の唯一神は雲の上から降りてこねえが、俺たちは地上にいて人間に力を貸すことが出来る。俺がお前に百年以上の生をくれてやったように――よっぽどご利益あんだろ」
「望んだ訳では……っ」
 青ざめた両手がゆっくりとレオンのシャツを脱がせていく。
 既に血管を甘い毒が回り始めているのか、下肢が熱っぽく疼き始めていた。
 これ以上抵抗すればなぶられる時間が長くなるだけだ――。
 経験から来る諦めが自制心を蕩かしてゆく。
「俺がお前に掛けている『呪い』がどんなものなのか、奴らにばらしてやろうか……。高潔な騎士様が隣国の王に宿る『悪魔』の息子に取り憑かれていると知ったら、この村の連中はどう思うかな」
「やめてくれ……」
 首を振り、レオンは振り向いて悪魔の方を向き、ヘイゼルの瞳を閉じた。
「お前の、望む通りに……っ」


 ――この世界における一時代前に、一人の勇猛な剣士が歴史の表舞台から忽然と姿を消した。
 名はレオン・アーベル。
 長身と均整の取れた体格に恵まれ、短く切り揃えた黒髪とあどけない美貌を持つ青年。
 彼はその潔癖で朴訥とした性格に反し、若くして大陸一の剣士と謳われ、戦場では鬼神の如き強さを発揮した。
 デンメルング聖騎士団に所属し、敵襲となれば民を守る為、縦横無尽に馬を駆り大剣を振るう。最大の脅威は、勝利のためには邪神崇拝や悪魔との契約も辞さないと言われる大国エルカーズ。
 ところが、その隣国との最大にして最後の決戦の最中、剣士レオンの消息は突然に途切れた。
 殺されたのか、それとも怖気づいて逃げてしまったのか――。


 時は百年程前の新月の夜にさかのぼる。
 南の小王国タルダンとエルカーズ王国の国境近く、岩と砂に覆われ、生きて動くものなどどこにも見えない荒涼とした大地。
 その岩肌にへばりつくように三百余りの野営の天幕が並んでいた。
 騎士と従士たちは近日襲来するであろう敵の大軍勢に備え、皆幕屋の中で寝静まっていた。
 外では幾つもの松明の火がパチパチと音を立て、風に揺れている。
 ひと際明るいのは野営地の中央に立つ、聖騎士団総長の大きな天幕の前だ。
 その入り口に、ひっそりと近づくものがあった。
「失礼。見廻りが終了したのですが、総長にご報告申し上げたいことがございます」
 外に立ったまま小声で呼び掛けるのは、歩哨の従士である。
 中で反応したのは、総長の簡易ベッドの前で軍装のまま座って休んでいた副官の騎士だった。
「総長はお休みになられている。俺が聞こう」
 彼は天幕の布を揚げ、冷たい夜風の吹く外へと出た。
 星明かりがまだうら若い彼の白い肌を益々蒼く照らす。
「ヘル・アーベル……」
 従士が少し動揺した様子で彼の端正な顔をみつめた。
「何があった?」
 名を呼ばれた騎士、レオン・アーベルが問いただすと、相手はいかにも言いにくそうに口を開いた。
「実は……その……女を……天幕に連れ込んでいるものが」
「女?」
 眉を顰め、レオンは聞き返した。
 聖騎士団は誓いを立てた騎士とその下で働く従士、それに後方を担う修道士達で成り立っている。
 男性のみで構成され、入団後は結婚はおろか女と交わることなく、貞節を保つ。
 レオンのように幼くして団に入ったものは特に、シミひとつない純潔を保ち続けている者ばかりである。
 団規に違反するものは罰し、罪の重いものは処刑せねばならない。
「総長を起こすまでもない。俺が行く」
 レオンは少し憂鬱な気分で総長のテントを離れ、歩哨と共にテントの間を歩き始めた。
 禁欲は若い男には酷なことだ。自分が内々に処分すれば、肉体的には酷い罰を受けずに済むだろう。
 それにしてもこんな砂漠のような場所で、一体どうやって女が紛れ込んだのか。
 娼館のある町中での掟破りならまだ分かるが。
 少し奇妙に思いながらも、天幕の間を従士について歩く内に、怪しい息遣いと声が、風にのって微かに耳に届いた。


 ――ッ、ア……っァ……もっと……ぉ


 裏返った甲高い喘ぎ声。
 レオンの頬が無意識にかっと赤く染まる。
 思わず足が止まってしまい、従士が困惑したような顔でこちらを振り返った。
「だ、……大丈夫だ」
 頷き、ふーっと大きく息をついて心を落ち着ける。
 ――何を見ても動揺しない。
 心の中で自分に言い聞かせて、レオンは更に面妖な声の出所に近づいた。
「ここ、は――」
 行き着いた場所に仰天した。
 自身と同じく、少年の頃から騎士団に所属している幼馴染の親友の騎士、アレクスの天幕だ。
「……」
 あいつが、あの男が、まさかそんな。
 だが、声は確かに中から聞こえてくる。
 レオンは唇をキリと結び、歩哨の横を追い越して天幕の入口をバサリと開けた。
「何をしている!」
 だが、その時彼が見たのは――想像したものとは全く別の光景だった。
 まず目に入ったのは、中で灯った蝋燭の炎に照らされて輝く、長い見事な銀色の髪だった。
 黒いローブを着た悪魔的な美貌の女性が顔をすっと上げ、こちらを見て大胆不敵に微笑む。
 その下で逞しい両脚を開いている、短く刈り込んだ金髪の親友は、全裸を見られているというのにこちらに気付きもしない。
「……!?」
 一瞬の後、女と思ったのは頭に怪異な角を生やした男性だと気付いた。
 体躯がレオンよりも大きく、また彼の体を包む黒いローブの間から凶悪な大きさのペニスがちらちらと見え、それが親友の尻を深々と貫いている。
 ――女のものと思っていた甲高い声は、犯されているアレクスの物だった。
「っあ……っ!!」
 心底驚き腰が抜けそうになる程動揺するが、気力でその場に踏みとどまって剣を抜いた。
「こ……の悪魔……!! その男から離れろ!」
 従士は腰が抜けてしまったのか、その場にへたり込んでしまっている。
「悪魔……、エルカーズの悪魔だ……」
 悪魔と呼ばれた男は、気分を害したように眉を顰めると、自分が犯している騎士の中からずるりと男性器を抜いた。
「……ァあぁっ……抜かないでくれ……、……欲しい……もっと……中に」
 アレクスはレオン達の姿が全く見えていないのか、整った顔立ちに涙を流し、脚を広げたままヒクヒクと身体を震わせている。
「――全く空気の読めねぇ奴らだ。本人はああ言ってるのに」
 ローブの下で衣服を整えた男が、低く艶のある声であざ笑った。
「失せろ……! アレクスをこちらに渡せ!」
 剣を持ったままにじり寄るレオンを、男の血色の瞳がじっと見据える。
「……お前……」
 悪魔の表情からふっと笑みが消えた。
 その長い腕がローブから出て、ぼんやりしている全裸の騎士の腕をゆっくりと引き上げて立たせ、黒い衣装の中に隠すように抱き上げる。
「この男は貰って行く。――返してほしかったら、ここから二里、北東にある城にお前が一人で来い……レオン・アーベル」
 何故か男に名で呼ばれ、レオンは驚愕した。
「なぜ俺の名を知っている……!?」
 問いに答えることなく、黒い炎が天幕を焼き尽くす勢いで巻き上がり、悪魔と親友はもろともに姿を消した。


 友を助けに行くと言うレオンに、従士は当然のごとく反対した。
「エルカーズの罠です。北東に二里と言えば、すでに彼らの領地ですよ。大体、アレクス様はもう誘惑に負けて破倫している。助けに行く理由などありません」
「いや……俺には行かなくてはならない理由がある……」
 夜明け前の空の下、レオンは馬に鞍を載せながら首を振った。
 ――つい数日前、本陣での作戦会議の後で、アレクスと2人きりになったことがある。
 その時、彼は自分に愛を告白したのだ。
 ……気持ちをずっと墓場まで持っていくつもりだったが、戦場で死ぬ前に言いたい、ずっと前からお前を愛している、と。
 レオンは当然ながらその場で彼の言葉を拒絶した。
 ――お前、何を言っているのか分かっているのか? 自分たちは神に仕える騎士だ。
 男同士で情を交わし、交わるなどということは恐ろしい罪になるんだぞ。
 もう二度とそんなことは言ってくれるな。
 俺はお前を罰したくはない――。
 たしなめた自分を、彼は深く傷ついた表情で受け入れた。
 ――分かった、悪かった。もう二度とこんな罪深いことは口にしない。こんな気持ちが存在したことさえ忘れよう……。
 そう言った。
 騎士としての高潔さを何よりも優先し、彼の心を完膚なきまでに打ち砕いたのは自分だ。アレクスがその隙を悪魔に襲われたのだとしたら……それは自分の責任かもしれない。
 レオンは聖騎士団の白銀色の鎧を身に着けると、止める従士を押し切る形で、1人馬を駆って陣営を抜けた。
 悪魔は城が北東にあると言っていたが、地図にはそのような印はない。
 老いた修道士に聞いたところでは、昔は確かにそこに城があったが、既に半世紀前に焼き尽くされ今は廃墟のみのはずということだった。
 しかし、その場所しか手掛かりはない。
 冷たく乾燥した風に耐えながら荒地を進み続けると、数時間でそれらしき影が地平線の向こうに見え始めた。
 岩をそのまま削って土台とし、空を切り取るように複数の尖塔が立った、黒々とした古城。建築様式は粗削りで、ひと昔前のもののように見える。
「……エルカーズの古城か……」
 敵陣を調べさせた時の斥候の報告にも無かったが、城は確かに目の前に存在していた。
 正門と思われる場所に近づくため、坂になっている岩の道を駆け上がっていく。
 やがて道はどんどん狭くなり、落とし格子の門が目の前に現れた。
 馬を降り、格子の向こうを覗くが、見張りも誰もいない。
「謀られたか……」
 眉を顰め、他の入り口を探そうと馬の手綱を引き寄せた瞬間、錆びた鉄を削るような鈍い音が響き、ひとりでに落とし格子が上がった。
「面妖な……」
 どういう仕組みなのか全く分からない。
 馬を引きながら慎重に中へ入ろうとした瞬間、ミシっと天井に上がった格子が音を立てた。
「! ……何っ……!?」
 レオンは馬から離れ、倒れこむように前のめりになった。
 馬が大きな嘶きを上げて前脚を跳ね上げる。
 両者の間に、ズンと音を立てて鉄格子が突き立った。
「どうどう! 大丈夫だ、そこに待っていろ……!」
 興奮して暴れる馬を格子越しに落ち着かせ、自身も振り向いて城の尖塔を見上げる。
 空が黒々と不穏に曇り、今にも雨が降り出しそうだった。
 引き返せない以上、先に進むしかない。
 城の正面の大扉に向かい、更に歩いて行く。
 レオンは張り出したアーチの下を潜り、焼け焦げたような跡のある古く背の高い扉の前まで辿り着いた。
 悪魔の像の浮き彫りが施された大きな木製の扉は、手で簡単に押し開けることが出来た。
 中はやはり真っ暗だ。
 荒れて何年も放置されたような内装の廊下の途中までが、外光に照らされてかすかに分かる。
「アレクス! どこだ!」
 叫び、一歩、二歩と慎重に足を進める。
 体が全て城の中に入った途端、背後で扉がひとりでにバンと閉まった。
 廊下に取り付けられた燭台に、順々に青い光が灯ってゆく。
 なんという術だろう。
 こんな力を持つものを味方に付けているエルカーズ王国を、レオンは心底恐ろしいと感じた。
 どうすることもできず、光が一つ一つ移動していくのに合わせて長い廊下へ歩いてゆく。
 やがてたどり着いたのは、美しい金の細工の施された白い扉の前だった。
「……遅かったな」
 低く艶のある声と共に、目の前で扉が開く。
 シャンデリアの光が眩しく差し込み、レオンは思わず目を細めた。深緑色の絨毯と、ゴブラン織のカーテン。
 中は、城主用に作られた豪華な寝室のようだった。
 天蓋付きのベッドの横――床の上に一つの棺が置かれ、男が1人、そこに横たわっている。
 遠目にもそれが親友だと気付き、レオンは彼の元へ駆け寄った。
「アレクス……!」
 真っ白な葬送着を着せられているアレクスの肩を抱き起こし、力の限り揺さぶる。
「アレクス、起きろ!」
 だが、その手は力なくだらりと垂れ、彼は目を覚まさなかった。
「アレクス……?」
 親友の胸に手を当て、呼吸を確かめる。
 肋骨は全く上下せず、鼓動もなかった。
「……アレ……クス……」
 絶望する騎士の背後から、密かに誰かが近づいて来る。
 それは衣擦れの音をさせ、レオンの傍に静かに立った。
「残念だったな。――そいつはもう、自ら命を絶った」
 青白い顔の銀髪の悪魔が現れ、どこかレオンを責めるような口調でそう言った。
「……っ……はっ……」
 ヘーゼルの瞳から、とめどなく涙が溢れる。
「自ら命を……!? 自死は神に背く大罪だ……!! そんなことを、こいつがする訳がない……っ!!」
「この男もそう言っていた。だから、俺が命を吸ってやった。こいつの望み通りに……おそらく俺がやらなくても――」
「嘘をつけ!! お前が殺したんだろう……!?」
 レオンは棺からヨロヨロと離れて立ち、腰の剣を引き抜いた。
「……アレクスの仇……!」
 切っ先を構えて相手の懐に飛び込み、剣を前に突き出す。
 悪魔の胸にそれが吸い込まれた時、確かに手応えはあった。――はずなのに、相手は悠然と、冷たい赤い瞳でこちらを見下ろしている。
「お綺麗な聖騎士殿、殺したのは俺じゃねえよ。……お前だ」
 描いたような美しい眉を顰め、悪魔は憮然として言った。
「お……れ……?」
「そうだ」
 悪魔は容赦のない口調でそう言い、話し始めた。
「数日前、この男の強い欲望が俺をあの場所に引き寄せた。戦地で死ぬ前に、好きな男とヤり――結ばれたかったっていう、こいつの気持ちに同情して、俺は応えてやった訳だ」
 レオンの体がギクリと震えた。握っていた柄から手を離し、一歩後ずさる。
 剣は確かに胸に刺さっているのに、血は一滴も垂れていない。
「俺は交わった人間に心地よい幻を見せてやることも出来る。この人間は幸せの絶頂だったはずだぜ、昨日お前が、天幕に入って来て邪魔するまでは」
 自分の胸に刺さった剣を、まるで小さな棘でも抜くように抜き捨て、悪魔はこちらを見た。
「俺が……!?」
「そうだ。この人間はあの時、幻の中で『お前』に抱かれてた。……本当は抱く方が良かったみてえだが、生憎俺は入れられてやる趣味はねえからな」
「なんという……汚らわしい真似を……」
 胃の腑から突き上げるような吐き気を催し、レオンは床に膝をついた。
「汚らわしい? お綺麗な聖騎士殿、この男はその『汚らわしい』欲望を満たしている最中を本物のお前に見られて、正気に戻った途端、耐えられなかったんだよ。お前さえこなきゃ、戦死する前にいい夢見れた、ってぐらいで済んだだろうに」
「嘘だ……嘘、だ……っ、お前のような悪魔の言うことなんて……っ」
 この男は悪魔だ。だからきっと嘘をついている。そう思いたかった。
 だが相手の言うことが正しい事を、誰よりも自分は知っている気がした。
 自分もアレクスも高潔な騎士だ。もし自分が同じ立場なら――恐らく、命があることに耐えられない。
「嘘? お前なぁ、本当に――潔癖というよりも、ガチガチの頑固者だな。大体、俺を悪魔なんて呼ぶんじゃねえ。エルカーズの主神バアルの息子、アビゴール・カイン様だ。せめて名前で呼べ」
 カインと名乗った悪魔は呆れたように羽織っていた黒いローブを床に脱ぎ捨てた。
 中に着ている銀糸で見事な刺繍を施した詰襟の服は、エルカーズの軍隊の礼装をさらに豪奢にしたようなもので、ぴったりと彼の長身に合っている。
「お前のような奴には口で言ってもどうにもならねえな……。――お前も、この憐れな男の気持ちを味わってみろ」
 悪魔が酷薄な微笑みを浮かべて近づいて来る。
 同時に、レオンが身に着けていた白銀の甲冑を留めていた金具や紐が一斉に破壊され、前後に音を立てて落ちた。
「っ……!?……」
 驚きで声も出ない。
 近づいてくるのは、一見とてつもなく美しい人間。だが頭には角があり、その背後からはトカゲのような長く細い尾が伸びて、ゆらゆらと蠢いている。
 本人は神だと言うが、これほど生々しい肉体と、醜悪な部位を併せ持つ神がいる訳がない。
 剣を失い、親友の死への悲しみと恐怖の戦慄が体を支配する。
 気力を失ってへたり込んでいるレオンの傍まで来ると、悪魔は跪いてその背中と膝を掬い上げ、軽々と持ち上げた。
「……!?」
 力強い腕にしっかりと抱き上げられ、頬が逞しい胸に触れる。
(――、あ、温かい……!?)
 その青白い肌に、きちんと温度があることに驚いた。
 返り血や、怪我をした味方を運ぶ時以外に他人の体温を感じたのも久々だった。
 恐怖と同時に謎の陶酔が体内に湧くのを奇妙に感じていると、悪魔の手がレオンの体をベッドの上に放った。
 途端、天蓋についているカーテンが一斉に降りて閉まる。
 レオンは暗くなったベッドの上で腰をにじらせながら後ずさった。
 悪魔はベッドに片膝を落とした姿勢から微動だにしない。それなのに、そのトカゲのような白い尾だけが蛇のように布の上を這って近づいてきた。
「ひっ……」
 レオンが本能的な嫌悪を感じて体をのけぞらせる。
 だがそれは瞬く間に内腿に巻き付き、ズボンの上からがっちりとしがみつくように脚を縛めた。
「うぁっ、離せ……っ!」
「暴れんな。怖がってたら入るもんも入らねえ。命までとりゃしねえよ、少し俺の血を入れてやるだけだ」
 ブルブルと震える内腿に、無数の針のような小さな痛みが走った。
 そこから何かが流れ込み、途端に――まるで魂の一部が抜けていくかのように、目の前の悪魔に対する恐怖心と警戒心が心の中から消えていく。
 全身の震えが止まり、幾らか落ち着いた。怖いものは怖いが、どこか感覚がぼんやりとして、逃げようとする気が起こらない。
 親友への罪悪感、死体をそのままにして逃げ出すことは出来ないという義務感、それともやはり悪魔の術か――自分でも理由がよく分からないまま、レオンは悪魔の前で抵抗を止めた。
「――脱いで、全裸になれ」
 突然に命令される。
 ――嫌だ。ありえないと思うのに、抵抗する気力を奪われているレオンは素直にその言葉に従っていた。
 全裸を誰かに見せたことなど一度もない。
 冷や汗で張り付くシャツを脱ぎ、濡れた胸筋を見せる。
 鍛え抜いた彫刻のような腹筋と白い肌に悪魔の視線が吸い付く。
 一枚一枚脱いでベッドの上掛けに落として行くにつれ、羞恥心が高まり、最後下着一枚になった時には、まるで拷問を受けているような錯覚に陥った。
「……っ」
 顔を真っ赤にしてそむけながら、手がどうしても股布を留めてる紐を引けないでいると、カインがベッドを軋ませて近づき、レオンの体をどっと押し倒した。
 耳元に唇を寄せられ、吹き込むように囁かれる。
「普通そこまで恥ずかしがるか……? その様子だと自慰もしたことねぇよな。分かるか、ほら、自分でする……オナニー」
 あまりにも直接的に聞かれ、耳まで真っ赤にして首を振る。
「子供扱いするな、自涜は知ってる……っ! だが、そんな罪深いことは……許されないという意味で……習ったんだ……っ」
 耳元で淫猥な単語をまくしたてられる余りの辱めに、体の内側がドクドクと脈打つように疼き、耐えきれずに顔を両手で覆う。
「……勘弁してくれ、耳に息が……おかしくなりそうだ……っ」
 距離が近すぎる。熱い息にも、耳朶に微かに唇が触れている感触にもゾクゾクして耐えられない。
 物心ついた時から、興味を持つのも罪だと言われ、ずっと蓋をしてきた恥ずべきもの。
 それを無理やり目の前にぶら下げられる、耐えがたい恥ずかしさ。
 更に何故か甘い陶酔が混じるのが尚、恐ろしい――。
「――潔癖のくせに変にそそるなぁ、お前……あいつに同情するぜ」
 舌がぬるっと耳穴に挿入され、中を舐め回される。
 音と異物感に悲鳴をあげている内に、下着を素早く取り去られた。
「……!? 」
「――はっ、さすが新品。剥けてねえ上にすっげえ綺麗な色」
 言葉に視線を下にすると、とても信じ難い光景が目に飛び込んだ。
 悪魔の長い指が、物心ついてから誰にも触らせた事のない秘部に触れている。
「や、やめろ……っ! そんな場所に触れるな……っ」
「うるせえ」
 手の平がまだ柔らかなそこの皮膚に纏い付き、ゆっくりと上下し始める。
 初めての他人の手の感触。
「……あっ」
 喉から甘い呻きが漏れ、思わず口を片手で塞ぐ。
 悪魔と触れている箇所が全て熱い。全てから、蜜のような疼きが流れ込んでくる。
 もっともっと、肌を触れさせたい。この悪魔に両脚を絡めて、触れている部分を最大限に増やしたい……。
(何故そんな罪深いことを考えている!? 悪魔に心まで服従するな!)
 心の中の理性が抗う。
 それなのに、その悪魔――カインの手の中でその場所はどんどん充血してゆく。
 勃起して、ドロドロの透明な涙を流して、媚を売っている。
 こんな気持ちいいことは生まれて初めてだ、だから、もっとして欲しいと……。
「お前なあ、可愛い息子を放って置きすぎだぞ。ほら、ここ、所どころ皮がくっついちまってるじゃねえか」
「あうぅ……っ!」
 括れの部分をトントンと指先で叩かれ、電流が流れたように腰が跳ね上がる。
「安心しろ、痛くねえように大人にしてやる」
 しゅるっと音がして、蛇のような尾が腿から離れる。
 悪魔の手が屹立した陰茎をがっちりと掴み、痛いほど皮が引っ張られている頭頂部をぐっと真上に向けられた。
「何を……っ!」
 動くことも出来ない状態で、亀頭にカインの白い尾の先端が近づく。
 あと少しで触れる、という所まで来た所で、その先端から細い針が飛び出た。
「ひいっ……」
 敏感な粘膜を針を刺されるという、根源的な恐怖に真っ青になる。
「おい、萎えるな。剥けねえだろが」
 悪魔がずけずけと勝手なことを言い、乱暴にペニスを扱いた。
 だが、レオンは次々と起こるショックに茫然自失状態で、最早体の感覚が脳に届かない。
「仕方ねえな」
 カインは舌打ちし、背中を支えるようにレオンの上半身を引き上げた。
「!? ……ん……っ」
 怯えるように開いた震える唇を、強引な接吻が襲う。
 唇に対する接触は勿論、その先に起きたことが清純な騎士には信じられなかった。
 長い舌がぬるりと唇の内側に入ってきて、戸惑っている自分の舌に絡みつき、愛撫するように吸う。
 熱の塊のような粘膜の器官が、ざらりとした味蕾を擦り合わせ、滑らかな上顎を擽り、敏感な歯列の付け根を辿って、喉奥に唾液を流し込む。
 まるで甘美な味を、初めての赤子に教え込むように丁寧に、悪魔の舌がレオンの唇に口付けの快楽を教え込んで行く。
「……ん……う……」
 徐々にまた恐怖が後退し、触れている場所から融けるようなキスの性感をより深く受け入れる為に、レオンは目を閉じた。
 いつの間にかまた勃起していたペニスの根元に、細い針を刺されたような感覚走る。
 しかし騎士はビクンと腰を震わせただけで口付けに集中した。
 どれほど長く口付けをしていたのか――その内に、悪魔の方から唐突に唇を離された。
 濡れた唇をだらしなく開いたまま、レオンは戸惑いの表情を浮かべる。
 悪魔のキスに、溺れていた――その事実にやっと我に帰った瞬間、相手はニヤと笑って囁いた。
「痛みも、全部ヨくなってるから、動くなよ」
 言葉と同時に、握られていた陰茎の皮が一気に強く引き下ろされた。
「っああ……! そ、んな、無理やり……うアアァっ!」
 痛みとも快楽ともつかない電流が体の前面を駆け上り、全身がガクガクと震える。恐る恐る下を見ると、皮と亀頭の癒着している場所に血が滲み、ポタポタと零れ落ちているのが見えた。
 続いてまた何度も小刻みに皮膚を引っ張られ、ぺりぺりと細かい部分を剥がされる感触が続く。
 むごいことをされている。なのに、体に感じるのは快しかない。恥辱すらも、震える程気持ちいい――。
 あまりにも背徳的な悦びに恐れを為し、両目から涙が溢れた。
 自分はこんなことをされて、喜ぶような人間だったのか。
 だがもっと残酷な屈辱の瞬間がその後にも待っていた。
「ほら、お姫様、お前も見たことのねぇ場所が出てきたぜ」
 言われてぎくりとした。
 見まいと思うのに、視線はもう一度自分の哀れな秘部へと向かう。
 被っていた皮膚は完全にくびれの下まで引き下ろされていた。癒着していた場所――少量の出血と、溢れるように垂れた先走りの下に、白く浮いているものが見える。
「流石に、溜まってんな」
 耳元に唇を寄せ、からかう様な口調で悪魔が言った。
「……っっ!!」
 頭が爆発しそうな屈辱感だった。
 耳まで真っ赤になり、血が出そうな程唇を噛む。
 神に仕える為に、体の全ての部分を隅々まで清浄に保つように教えられ、それを日々全うしていた。
 そんな自分の中に汚れた場所があり、しかもそこにずっと溜まっていた澱を他人に知られたという事実に、今すぐ死んでしまいたい程の気持ちになる。
 しかも、心はそれほどの屈辱と絶望を味わっているのに、まだそれは喜々として熱をたぎらせ、悪魔の手に馴染んでいる――。
「……っ、もう、ダメだ、……死にたい……っ」
 悪魔の軍服の肩に額を預け、ついにレオンは声を上げて泣き出してしまった。
「大げさだな。どうってことねぇだろ」
 粗暴な口ぶりとは違い、慰めるように背中を優しく撫でられ、ますます顔中が涙でぐしゃぐしゃになる。
 ――誰かの前で泣いたのも、物心ついてから初めてのことだった。
 なぜこの悪魔の前では、自分の知らない自分ばかりを曝け出してしまうのだろう。
 止まらない涙をそのままに、力強い腕が再びベッドにレオンを横たえる。
「ほら、舐めてやるから大人しくしてろ」
 頬の雫を優しく舐めとられ、ひく、と喉をしゃくり上げながらレオンは瞼を見開いた。
「……え……?」
 何をされるのか分からずきょとんとしている内に、カインの美しい顔が自分の下半身の方へ沈む。
「……は……っう……っ!?」
 見惚れるほど綺麗なその唇が、汚れも血もそのままのレオンのペニスを先端から飲み込んでゆく――。
「ァあああっ、やめ、やめろ……っ!!」
 温かい舌が、今初めて外気に曝された敏感すぎる亀頭の周囲を、ぐるりと這う。
 目の奥に火花が散り、胃がえずきそうな程の淫猥な感覚がこみ上げる。
 舐めた。舐め取られた……っ。
 想像を絶する辱めに茫然としたまま、それでも無抵抗にその場所を舐られ続ける。
 包むように口づけられて、ゾクゾクと慄きが走る双球を。
 吸われ、辿られると震えるほど悦び、舌に懐いてしまう陰茎を。
 ヒリヒリと痛い程感じてしまう亀頭を。
 ぱくぱくと淫らに痙攣しながら、とめどない涎をこぼし続ける鈴口を……。
 裏返った喘ぎ声が、乾ききった自分の唇からずっと毀れている。
 もっと。もう少しで何かが溢れる。もう少しで――。
 ブルブルと下肢の震えが止まらなくなる。
 やがて、溜まり切った水が堰を切って溢れ出すように、初めての絶頂が訪れた。
「ァ……!? あっ!! アッ……!!」
 それを促すように、カインの唇が扱き立てるようにペニスを吸引する。
「ァあ!! す、うなァ……っ!! そ、そこ、が、お、おかしくなって……っ!」
 悪魔の銀髪を指で握りながら、ビクンビクンと派手に痙攣を繰り返した。
 それはまるで、肉体の裏表が次々とひっくり返っていくような感覚。
 浮遊感の中で、濃い精液をカインの唇の中に残さず吐き切っていく。
 しばらく余韻は続き、胸を上下させてどうにか呼吸を繰り返している内に、やがて収まった。
 体と感覚が少しずつ元に戻っていくにつれ、絶望がじわじわと足元から襲って来る。
 自分の体は、今を境に永遠に、汚れてしまったという確信が。
「……っ、い……、いっそ殺してくれ……っ、お願いだ……っ」
 ぐったりと嘆いているレオンに、全てを飲み下して顔を上げた悪魔がふーっと溜息をついた。
「舐められてイッたくらいで泣き言言ってる場合か。……お前への罰は、まだ始まってねぇんだよ」
 カインが舌なめずりしながら、自分の黒い詰襟を留めている金具を外す。
 青白い皮膚に視線が吸い寄せられ、レオンは一瞬嘆くのさえ忘れた。
 豪奢な軍服がベッドの下に脱ぎ落される。
 目の前で悪魔が見せた裸身は、今まで見たどんな屈強な戦士も及ばない程の完璧な肉体だった。
 悪魔とはいえ、他人の体に魅せられたのは初めてだ。
 全裸になった相手を見て、改めてカインの体の造りの異様さに目を見張る。
 古代の神を模した大理石の像のような発達した筋肉と、その腰の付け根から直接に生えている先端の細い、長い尾。
 艶のある長い銀髪と、その生え際から伸びる太く曲線を描く角。
 異形だが、絶妙なバランスで共存しているそれらの造形は、心を奪われるほど妖艶で美しかった。
 しかし――その脚の付け根の勃起した性器に視線が走った途端、レオンはうっと呼吸を詰まらせた。
 形も大きさも自分とは全く違う。
 屹立しているとはいえ、陰茎部分が太く逞しく、先端が特に凶悪な程、カリが張り出している。
 目にした瞬間に思い出した。
 昨日天幕に踏み込んだ時に、アレクスの引き締まった尻を、この凶器が丸ごと貫いていたことを。
(――罰、というのは……)
 思い当たり、ゾッと血の気が引いた。
 それしか考えられない。
 アレクスが隣にいるのに。自分も、昨日の彼のように、同じように――まるで娼婦のように尻を犯される――。
「か、カイン、」
 思わず相手の名を呼び、懇願していた。
「お、お願いだ……あ、あれだけは許してくれ……っ」
 はらはらと涙を流しながらおびえている騎士に、カインは無情に首を横に振った。
「自分だけ気持ちよくなって終われると思ったのか?」
 その両手が哀れな騎士の両膝を掴む。レオンは渾身の力でそれを閉じていたが、全く歯が立たず、徐々に膝が左右のシーツにつくほどに、大きく太ももを開かされた。
 両手ががっちりと二つの膝をベッドに押し付けている間に、主人に忠実な白い尾がしゅっと間に入ってきて、細い先端がレオンの尻の後孔をトン、トンと擽る。
「……ひ……こ、こわい……っ」
 相手に訴える言葉が、まるで子供に返ってしまったように心細い口調になってしまう。
「安心しろ。痛くねえから――」
 悪魔の唇が降ってきて、レオンの発達した胸筋に口付けを始めた。
 肌の色との境目がぼんやりとした、薄紅色に色づく乳首に唇が触れ、整った歯列がそれをやんやりと甘噛みし、刺激を与える。
「っ……はぁう……っ」
 そこにもたらされる淫らな痺れに無意識に腰が浮くと、まるで狙っていたかのようにカインの尻尾がアヌスの襞の中に浅く潜り込んできた。
「あ――っ、そん……な所……っ、抜いてくれ、か、カイン……っ」
「お前、俺に命令する権利があると思ってんのか。――まぁ、すぐに抜いて欲しくなくなるだろうが」
 充血して色味を増した乳首をざらりと舐め上げ、カインがさらに尾を奥に進める。
「あっ、あっ!」
 太い部分が一気にアヌスを拡げ、襞が紅く開きヒクヒクと収縮しながらを尾を食みはじめた。
「いやらしい穴がもうオネダリしてるぜ」
 ヌルル……と尾が引かれ、ズプ、とまた奥まで挿入される。
 まるで生き物のような動きで内側の粘膜を探って擽られ、むずがゆいような、切ないような性感に腰が悶えるのを止められない。
「あう、うはぁ……っ」
 気が付けばカインの両手は膝から離れている。
 レオンは自ら膝を大きく広げ、踵で支えるように尻を浮かせて、悪魔の尾のもたらす快感に自らを差し出していた。
「あぁ……っ、も、おかしくなる……っ」
 尾の先端が内臓深く潜り、またチク、チクと奥を優しく柔らかに刺す。
「……!? い、ま……何を……」
 痛くはない。だが、すぐに異変が起きた。後孔が収斂する度に、トロトロと粘ついた液体が奥から分泌され、こぼれ始めたのだ。
「……っ、なん、か、出て……っ何……っ」
「お前が自分で出してる」
 描いたような眉を上げ、さも当然のように悪魔が言った。
「お、俺がっ……!? じ、自分、で……っ!?」
「――お前の内臓の血管に少し細工した。女みたいにトロットロになった方がお互い気持ちいいだろ」
 ズップ、と益々激しく尾が尻の中深くを突いてくる。
 それが出入りする度に、ヌラヌラと光る体液を纏つかせているのを、レオンは信じ難い感情で見た。
(俺の……こんな場所が、女にされて……っ)
 叫びたいほど恥ずかしい。なのに、膝を限界まで開いて自らベットリと濡らした尻穴を差し出し、白く長い尾に内側を好きに弄ばせるのを止めることが出来ない。
「あァっ……はああっ……っ」
 気持ちいい。ただひたすらに。今までのことも、これからのことも考えられない程。
 そして、放置されているペニスが切ない。
 カインの掌は、レオンの汗ばんだ髪や額をゆっくりと撫でている。
 優しい手つきだが、まるで焦らされているようだ。
 無意識に自らの手が、ペニスに伸びた。
(俺は……一体、何をしようと……)
 理性が一瞬動きかけたが、罪悪感と飢えの狭間で、それは用を成さなかった。
 ドロドロの後孔を深く浅く抜き差しされながら、痛いほど勃っている性器に触れる。
 慄きながらその皮膚を僅かに指先で擦ると、蜜が流れ出るような性感が尻の奥と連動した。
「ッあ、はあぁ……ッ!」
 一度それを味わえば、もう、止められなかった。
 絶対にしないと神に誓っていたのに――、生まれて初めて禁を破ることが、今は余りにも気持ち良すぎた。
 ぎこちない指で、不器用に茎を根元から何度もしごく。
「はあっ、いい……っ、っあ」
「上手だ、レオン……指の腹を使え、もっと速く――ストップ、ゆっくり……剥いた所は触るなよ」
 優しく名前を囁かれ、淫らな指示が下る。
「すげえ感じ方してんな。こっちもズブズブだ」
 尻穴の中をグルリと尾が回転する。
 ヌチャッと猥褻な水音が盛大に響き、恥ずかしさに一層感度が増す。
「もう一度、イキたいか?」
 問われて、何度も頷く。
 カインの唇が柔らかく唇に押し付けられ、そしてその手が、拙い初めての自慰をする手を上から包むように握った。
「ほら、こうするんだ。ちゃんと覚えろ」
 先走りを絡め、より大きなストロークで扱かれ始めて、甘い悲鳴が止まらない。
 同時に尻の中奥深く突き刺さっているものは、レオンの中の小さな核心の器官を探り当て、そこをグイグイとねじ上げる。
「あァァっ! うぁァッ!」
「イク時はイクって言え」
「くはあっ……、い、イク……っイクう……っ」
 ついに淫らな言葉を自ら口にし始めた騎士に、悪魔が愉悦の表情を浮かべた。
「――とろっとろのメス穴と、俺が大人にしてやったチンポと、どっちでイキそうなのか、言ってみろ」
「……わ、わからな……どっちも……っ、あっイク、い、くっ……!!」
 先ほどよりも更に強い絶頂が下腹を駆け上がり、爪の先まで強い緊張が走る。
 ドプ、と下腹に精液がはね飛び、同時にギュウっとアヌスが強く収縮して、ポタポタと体液が後孔から垂れ落ちた。
「はっ……あ……っ」
「っ! いってえよ、ンな締めんな。尻尾も感覚あんだぞ俺はっ」
 眉を顰め、カインが勢いよく尻尾を引き抜く。
 体液が長く糸を引き、自分の淫らさをまた見せつけられた。
 それすらももう、堕ちる所まで堕ちたこの状態では、背徳的な快感の一つでしかない。
「カイ、ン……っ……」
 後孔が、だらしなく開ききったままヒクンと震え、物欲しげに内側の肉をうねらせた。
「清純な聖騎士様も、こうなるとすっかりメス犬だな」
 揶揄するように笑い、悪魔の両手がぐいとレオンの両脚を高く持ち上げた。
 凶暴に滾っている怒張の先端が、濡れそぼった穴にぐっと押し付けられる。
「ァ……あ……!?」
 透明なとろみを纏った襞が亀頭でメリメリと開かれてゆく。
 所々で引っかかりがあるものの、レオンがそこを何度か淫らに開いたり閉じたりする内に、ついにはペニスの先端部分がすべて、徐々に呑み込まれ始めた。
「あ――……っ、入って……る……」
 自分の体の中にこんなモノが入る余地があったことが信じられない。
 確かに孔は限界までギチギチに拡げられ、異物感も恐ろしい程ある。
 だが、先ほど尾を抜かれた時の喪失感に比べれば、今こうして体が繋がってゆくのが、嬉しい――とさえ感じている。
 長い陰茎が少しずつ引き締まった尻の中に納まってゆく。
 そして、あの尾でさんざん弄ばれた蜜の根源に、その先端がギュウ……っと押し付けられた。
「ァああ……っ! そこ……っ! そこが……っ」
「ンなねだらなくても、お前の中がすげぇうねるから分かる」
 悪魔は少しずつ息を上げながら、徐々にそこを擦り上げる動きを速めていく。
「はァ……っ、あ……、あ、つい……っ」
 尾の細い先端で刺激されていた時とは比べ物にならない。
 大きな熱の塊に乱暴に突き上げられて、もはやペニスに触れなくても、恐ろしい程の充足感で下半身が痺れる。
「あァあ………し、ぬ……こ、んな……」
 これが女の悦びなのだとしたら、何という罪深い快楽なのだろう。
 素早く出し入れされる度にズチュズチュと体液が飛び散り、もはやもう何も考えられなくなる。
「っまた、イク……っ、中っ、気持ちいい……、カイン、いく……っ」
「ああ、いいぜ。……『悪魔』のチンポでケツの穴ドロドロにして、よがり狂ってイけ……」
 耳元に囁かれた瞬間、すぐにレオンは三度目の絶頂を迎えた。
「ァ……あ……! あ――」
 ペニスの先からこぼれ出る精液は既にもう、枯れかけている。
 けれど、絶頂を感じている中枢である尻の中は、今までで一番強烈な快楽を学び、そして貪り始めていた。
 奥が熱く熟んでヒクヒク痙攣しつづけ、まるで突かれる度にイキ続けているような感覚が止まらない。
 そこが独自の意志を持ったように、カインのペニスをひたすら味わい、離すまいと吸い付き、激しい律動をねだり続ける――。
 同時に胸の奥に、奇妙に温かいものが湧き上がった。
 それは、誰かと熱い皮膚を合わせ、結合し、体液を通わせる、性感とはまた違った所にある根源的な幸福感だった。
「か……っ、カイ……ん……」
 まるで赤子のように両手を広げて訴える。
「……き、キス……を……」
 悪魔はその腕を肩に絡ませるように上体を密着させ、望み通りに唇を重ねてくれた。
「……ン……っ」
 誰かに強くしがみつき、そして同時に抱きしめられる、その熱を感じるだけで何故か涙があふれて止まらない。
(――アレクス、お前はこれが欲しかったのか――)
 心に突然確信が湧いて、レオンは濡れそぼった瞼を見開いた。
 俺もお前も、孤児だった。
 母の温かい胸も、父の力強い腕も知らない。
 大人は剣や作法や掟を教えてくれても、愛や抱擁やキスは教えてくれなかった。
 そういうものがあると知った時は、それが永遠に手に入らないと知った時でもあった。
 恋も結婚も家族も望むことが出来ないと分かった時、自分にとって心の拠り所は神だけだった。一心に神に仕えてさえいれば、何もかもに対して無感動になれた。
 肉体的苦痛や、仲間の死などの精神的苦痛に対しても。
 だがアレクスにとって心の支えは――……。
 異常な爛熟を迎えている肉体をよそに、意識は少しずつ遠のいてゆく。
 気付けば悪魔が、自分の中で多量の熱い精を吐いている。
 中も外も汚された今、自分は完全に神の寵愛を失ってしまうだろう。
 一体、この先どうして生きればいいのか分からない。
 だが心配する必要はない。
 自分もきっと、この淫猥な儀式の後、悪魔に命を吸われて果てるのだろうから――。
(アレ……クス……)
 地獄でもうすぐ再会するであろう、友に呼びかけた。
 瞼を閉じ、レオンは暗い世界に堕ちていった。



 ……どのくらい、眠っていたのだろう――。


   ――どこか遠くで、馬の嘶きが聞こえた。
 風もひょうひょうと寂し気に鳴っている。
 ひどく寒く、そして体中が痛い。
 死んでも肉体的な苦痛に苛まれるということが、レオンには意外だった。
 疲れ果てている。もっと目を閉じていたい……。
 だが、頬を何か濡れたものがビチャビチャとこすっている。
「……っ、……?」
 片目を開けた。
 大きく崩れたレンガ壁と荒廃した原野がぼんやりと視界に霞む。
 濡れたもの――と思ったのは、自分が聖騎士団の本陣から乗ってきた栗色の馬の舌だった。
「……っ!」
 バネのように上半身を素早く起こし目を見開く。
 砂埃だらけの顔を左右に振ってあたりを見回すと、大きな、焼け焦げたがれきの塊があちこちに散乱した巨大な廃墟が広がっていた。
 ――城が、ない。
 混乱の中で砂まみれの手を突いて、フラフラと立ち上がる。
 体に触れると、服はおろか、鎧までもきちんと全て身に着けていた。
「……夢……?」
 あの城はどこへ行ってしまったのだろう。
 悪魔も、アレクスの遺体も。
 何もかも消え失せてしまった。
「アレクス……!!」
 風の音に対抗するように呼び、周囲を歩いて回る。
 だが、すぐに腰がガクンと落ち、膝をついた。
 尻穴から何か、どろりとしたものがこぼれて下着が濡れる感覚が広がったのだ。
(夢――じゃ……な……い……)
 夢であってくれればまだ――マシだったのに。
「カイン……!!」
 まるで迷子になった子供のように動揺で涙が溢れた。
「カインどこにいる……!」
 体を翻しながら、西へ東へ、狂ったように叫ぶ。
 取り残された馬が不安に嘶きながらその姿を見つめている。
「カイン……っ!! 俺は……」
 レオンは両手を地面につき、砂を握りしめた。
 自分が死に追いやった親友の遺体は消え、もはや共に帰ることも弔うことも不可能だ。
 そしてこの身に残されたのは、この先二度とぬぐい去ることは出来ない、淫らな悪魔の足跡。
 何よりも恐ろしい罰――。
「……俺は、この先……どうしたらいいんだ……」



 野戦用の暗い天幕の中を照らす、たった一つの蝋燭の炎。
 その光が、床几に腰かけている初老の男の深い皺を浮き立たせている。
 纏った重厚な鎧、顎全体に短い髭の生えた歴戦の戦士らしい厳しい顔つきと、白髪まじりの短髪。
 男がその瞼の落ちくぼんだ眼光の鋭い眼で、目の前の自分をじっと射止めるように見据えている。
 将来、自分の位を譲るつもりだった若い側近を。
 ――砂埃だらけの鎧を身に着けたレオン・アーベルは今、真っ青な顔色で所在なくそこに立たされていた。
 男はずっと黙っていたが、やがて重い口を開いて言葉を発した。
「……。それでお前は、アレクスに憑いた悪魔を追ったというのだな」
「……。はい、総長……」
 レオンは聖騎士団を率いる総長――自らが一番傍に仕えている男に、尋問を受けていた。
「アレクスに憑いていた悪魔はあの晩歩哨だった従士も確かに見ている。悪魔はお前の名前を呼び、自分の城に来るように言ったと」
「……その通りです」
「なぜ悪魔はお前の名を知っていた」
「それは……分かりません」
 声が震えるのをどうにか抑えて答える。
 ――冷たい針のむしろに立たされているような気分だった。
 あの荒野に一人残されて、レオンは結局、辱めを受けた体を抱え、団に帰ることしか出来なかった。
 神の教えに背くので自害することは出来ない。
 破倫したまま、罰せられることを恐れて団から逃げることも、どうしても出来なかった。――物心ついた時から既にいたこの場所以外で、生きていく方法を知らなかったのだ。
 自縄自縛に陥った挙句、馬に乗り古巣に帰ってくることを選ぶしかなかった。
 そしてレオンを待っていたのは予想通りの結果だ。
「同朋の中には、アレクスと共に、お前もが悪魔と契約を交わしたと噂する者もいるようだ」
「……断じてそんなことはありません!」
 レオンは首を振って強く否定した。
 返事に無反応のまま、総長が質問を続ける。
「話をもとに戻そう。お前は悪魔の城に行ったのか」
「……はい。一人で行きました」
「なぜ一人で行った。従士を連れていくべきでは無かったのか」
「……。アレクスは親友です。自分が一人で行くべきだと思いました……」
「答えになっていない」
 厳しい口調で断言され、レオンは視線を落とした。
 アレクスとの間にあったことを言う訳にはいかない。
 これ以上、死んでしまった彼の恥を明かしたくはなかった。
「一人で行って、アレクスは見つかったのか」
「は……い。彼は、既に死んでいました」
「なぜ」
「……」
 すぐに答えることが出来なかった。
 悪魔の言っていた言葉が耳を掠める。
 ――『お綺麗な聖騎士殿、殺したのは俺じゃねぇよ。……お前だ』
 彼を悪魔の手に落とすことになったのも、命を落とさせることになったのも、全てのきっかけは自分だ。
 だがそれを正直に全て話すことになれば、自分が受けた辱めについても触れることになる。それだけは――どうしても出来なかった。
「彼は……悪魔に命を吸われ、殺されていました」
 嘘ではない。そう自分に言い聞かせ言葉を紡ぐ。
「死体だけでも連れて帰りたかったのですが、悪魔の妨害に遭い……。仇を討つことも出来ず、戻りました……」
 唇と手が小刻みに震えている。
 目の前の男の鋭い眼光を、どうしても見返すことが出来ない。
 無理もない。
 今まで嘘というものをついたことが無かった。
 隠さなければならない真実など持ったことも無かった。
 だが今は違う――。
(俺はまた、神を裏切っている……)
 そのうしろめたさで胃が裏返りそうだった。
 顔は真っ青になり、脂汗が額に浮かぶ。
 帰ってすぐに仲間達に捕らえられたので、体は悪魔に犯された時のまま洗ってすらいない。
 自分が唾棄すべき汚物になったような不快感に、立っているのもやっとの状態だった。
「……」
 総長が床几から立ち上がる。
 レオンも長身だが、総長も同じくらい身の丈がある。視線の高さが同じになり、レオンは思わず息を呑んだ。
 ごつごつと節の立った相手の手が伸びてきて、レオンの汚れた頬に触れる。
「レオン。お前は嘘をついている」
 厳しい父親の口調で総長は言った。
「私には分かる。お前がまだ幼児だった頃からずっと見ているのだから」
 抑えていた震えが止まらなくなった。
 今にも泣きだしてしまいそうな衝動にかられ、必死で喉にこみ上げるものを呑み込む。
 やはり、どうしても――嘘をついたままでいることは自分には出来ない。
 無理だ。
「本当は何があった。言ってみろ」
 もう、これ以上は自分の中にあるものを抑えておくことは出来なかった。
 うまく息を吸うことが出来ず、何度も声を途切れさせながら――レオンは呻くように言葉を絞りだした。
「……っ……自分は……悪魔と……。……姦淫、しました……」


 真実を告白したレオンを待ち受けていたのは、悲惨な運命だった。
 仲間達に寄ってたかって服も鎧も全て剥がされ全裸にされ、野外に吹きさらされた、罪人用の移動式の檻の中に閉じ込められた。
 同胞たちに裸に剥かれている最中、修道士たちがやってきて、茫然としている自分の体を色々と調べていたような気がする。
 彼らはレオンの体内に残った精液を採取し、悪魔との契約の証拠を握ったと喜々としていた。
 酷い屈辱だったが、もう何もかも全てがどうでも良かった。
 真実を告白した後、総長は自分をひどく汚らわしいものを見るような眼で見た挙句、背中を見せて無言で去っていった。
 自分はもう彼の視界にすら入ることの出来ない人間になってしまったのだ。
 いずれ約束されていた地位も、自分の居場所も失った。
 悪魔を怨めるものなら怨みたかったが、何故かそんな気が起きなかった。
 ――全ては自分のせい。元々自罰的な性格もあるのかもしれないが、そうとしか思えなかった。
 自分は元々神に仕えるのに相応しい人間ではなかった。
 今は、横になることすらできない檻の中、だらりと垂れた両の手首に鉄枷をはめられ、水と腐りかけたパンだけでかろうじて生きながらえている、虫けらのような存在だ。
(カイン……)
 あの幻の城での出来事から、もう3日経つ。
 空腹と不快感の中、泥と汚物だらけの檻で鉄格子にぼんやりと凭れていると、まとまったことは何一つ考えられない。
 靄のかかったような頭の中で、何故かあの悪魔にもう一度逢いたいと思った。
 こんなに酷い姿でも、あの悪魔ならきっと「どうってことねぇ」と言ってくれるかもしれない。
 また出会ったら、あの温かい腕で抱きしめてくれるだろうか。
 ……キスを、くれるだろうか。
 今のレオンに思い出すことが出来るぬくもりは人のものでも神のものでもない、悪魔のそれだけだった。
 自分が今まで仕えてきた神の手は、温かいのか冷たいのかすら分からないままだ。
 ――そんな自分の考えが外に漏れてしまっていたのだろうか。
 顔見知りの従士が天幕の向こうからやってきた。
 態度や言葉が粗暴で、昔から敢えてあまり関わらなかった小太りの中年男だ。
 赤毛であごひげをぐるりと生やしているその従士は、ニヤニヤとしながら鉄格子ごしにレオンの裸身をジロジロと眺めた。
「悪魔のチンポはそんなに美味かったのか? 聖騎士様が聞いて笑わせるな」
 辱めに反応する気力すらない。
 ただ目を反らし、俯いて体を縮こまらせる。
 檻をガンと強く蹴られ、むき出しの背中に衝撃が走った。
「明日エルカーズとの決戦に出発する前に、お前は火あぶりになるんだ。せいぜい悪魔に助けを求めるがいいさ」
 吐き捨てるように言い、赤毛の従士が去っていく足音が聞こえた。
 ――火あぶり。
 何度かその処刑方法で殺される人間を見たことがある。
 異端者を、魂も肉体も完全に消滅させる為に選ばれる恐ろしい刑。
 煙と炎に悶え苦しむ罪人の姿……。
 自分は本当にそれほどのことをしたのだろうか? アレクスも?  考えても分からない。
 ……ただ温もりを求めることさえも、罪なのだろうか……。
 疲労の限界を超え、レオンはうつらうつらと浅い眠りに落ちていった。
 朦朧とした意識の中で、夢を見る。
 あの美貌の悪魔が、銀髪を靡かせながら天幕の間をこちらに向かって歩いてくるのだ。
 レオンは檻の中で立ち上がり、彼に叫んで訴えた。
「……カイン!」
 だが悪魔の足はずっと手前で止まってしまい、傍には来ない。
 遠くに佇んだまま、カインの美しい唇が開いて言った。
「お前の望みを叶えてやる」
 その言葉に、胸が苦しい程高鳴った。
 だが、肝心の自分の「望み」というのが何なのか分からない。
「望み? 望みって、なんだ」
 必死で聞き返したが、悪魔は答えてくれなかった。
 不思議な響きを持った言葉を再び紡がれる。
「死んだ友の分もその望みを背負い、お前が心から愛するものから愛を得よ。それまでは、泥をすすってでも生きろ。――それが神の助力と引き換えにお前の背負う宿命」
「愛、……宿命?」
 相手の言っている意味が分からず絶望する。
「愛って、なんだ」
 だが、カインは嘲笑するように微笑むばかりだ。
 生きろとは、目の前に死しかないこの状況で、一体何を言っているのか。
 さっぱり意味が分からない。
 カインが黒いローブを翻して背中を向け、足早に去っていく。
「カイン! 待ってくれ、カイン! 俺を殺してくれ――」
 この状況で望むことなんてそれだけに決まっている。
 なのに何故、最初に彼の顔をみた時にそれを言わなかったのだろう。
 抱きしめて欲しいと思ってしまった――から、か。



 ――短い夢は、馬の高い嘶きの声で破られた。
 ハッと瞳を開くと、夜のはずなのに周囲が騒がしく、空が不審なほど明るい。
「……?」
 左右に首を振って檻の外を見回せば、あたりは見渡す限り、炎に包まれていた。
 天幕が火矢で燃え上がり、あちこちで戦闘が起こっている。
 戦っているのは揃いの白銀の鎧を身に着ける間もなかったらしい同胞達と、エルカーズの武装兵だ。
 剣戟の音と、同朋の悲鳴が絶え間なく鼓膜を刺す。
「奇襲……」
 汚れた頬を炎の明かりに照らされながら、レオンは愕然としてつぶやいた。
 エルカーズの大軍勢はまだ荒野の向こうにいると思っていた。だが、別動部隊が密かにこの陣に近付いて到着し、火を放ったのだ。

 かといって、今のレオンには戦うことも逃げることも出来ない。
 ただ茫然と死んでいく仲間を傍観することしか――。
(神は……、我々を見捨てたのか……)
 瞳に炎を映し、皮膚が破れそうな程強く鉄格子を掴む。
 地獄のような光景に体をガタガタと震わせていると、今まさに聖騎士団の一人を殺したばかりの一人のエルカーズ人が、遂にこちらに気付いた。
「……!」
 黒ひげを生やした男が、血の付いた剣を手に大股でずんずんとこちらへ近づいてくる。
 返り血を浴びた恐ろしい形相で、目の前に立った男に、レオンは固唾をのんだ。
「――お前、エルカーズ人か」
 エルカーズ人の言葉でそう問われた。
 服を全く身に着けていないせいで、相手は自分のことを仲間の捕虜だと思ったらしい。
 大陸で使われている言語は、聖騎士団の中で一通り全て習っている。
 殺されずに済む――一瞬の希望が見え、レオンは目を見開いた。
「っ……」
 それから自分がとった行動は、自分でも信じられなかった。
「そうだ」
 相手と同じ言葉でそう答え、檻を閉じている鉄鎖の錠前を視線で指す。
 目の前の兵士は無言で剣を振り上げ、ガン!と錠前を破壊した。
 檻全体に震えるような衝撃が走り、反動で、ギイと錆びた音を立てて扉が開いた。
(――これも)
 手首を縛めている手枷を差し出し、次いで剣が振り下ろされ、両手首を繋いでいる金具が鈍い音を立てて破壊される。
 相手の兵士はすぐに踵を返し、逃げまどっている修道士たちを血祭りに上げる為に去っていく。
 その後ろ姿を見送り、レオンはなるべく人目につかぬように檻を抜け出した。
 だがこの姿のままでは逃げられない。
 倒れて死んでいるエルカーズ人の兵士から、無我夢中で服を奪う。
 鎧を外し、襟の詰まった独特の服装を引き剥がしながら、夢に出てきた悪魔のことを思い出した。
 ――泥をすすってでも生きろ。
 自分の命を長らえる為に嘘をつき、敵とはいえ死人から服を剥がすなど、今までの自分では考えられない。
 本来はここで踏みとどまり、仲間と共に躯となるべきなのに。
 だが自分の内側から湧いて来る謎の衝動が、それを自分に許さなかった。
 すぐそばで戦っている仲間達をよそに、黒いジャケットを肩に掛けるように羽織り、素肌に直接ズボンをはいて、裸足のまま馬を繋いでいる場所へとひた走る。
 良心が痛んだが、飢えと疲労で極限状態の今のレオンに、他人を助ける力はもう残っていなかった。
 広大な野営地は、もうほとんどが炎に包まれ敵の手に落ちている。
 馬が必要だ。――早く早く、逃げなければ。
 でも、どこへ……。
 息を激しく切らせながら炎の上がる天幕の横を突っ切った時、突然何かに足元を掬われた。
「っあ……!?」
 ドサリと顎から地面に転げ、地に伏す。
 起き上がろうとしたが、腕を立てようとして体が潰れてしまった。
 ほとんど何も食べていないせいで四肢に力が入らない。炎の熱と渇きで、喉もカラカラだ。
 かろうじて首だけを持ち上げ背後を見ると、レオンを転ばせたのは、あの赤毛の中年従士だった。
「逃げるつもりか、この、悪魔憑きめ……!!」
 白目を血走らせ、炎を反射してオレンジ色にギラギラと光る剣を両手に握り、従士が襲って来る。
 反射的にレオンは体を横転して仰向けになり、攻撃を紙一重で避けた。
 不快な金属音と共に鈍い振動が地面から伝わる。
「敵の服など着て! お前はエルカーズと通じていたんだろう!! こうなったのは全部お前のせいだ!!」
 怒りに満ちた言葉と共に、何度も、何度も剣がレオンに振り下ろされる。
 右に左に転がりどうにか避けていたが、ついには体力が尽き、ざっくりと左肩に鋭い鋼の刃が入った。
「――――っ……!!」
 皮膚と肉と骨を同時に切断される、衝撃と痛みに声も出ない。
「はは……は……」
 醜い顔にサディスティックな笑みを浮かべ、従士はとどめを刺す為にズッと音を立てて剣をレオンの体から抜いた。
 赤い血が噴き出し、地面を濡らしていく。
 体温が瞬時に下がり始める。恐らく致命的な血管を断たれたに違いない。
 霞んでゆく世界に全てを諦め、目を閉じて死を覚悟した。
 だが――。
 従士が何故か、すぐに剣を振り下ろそうとしない。
「お前……一体、なんだ、その体……」
 瞼を開くと、赤毛の従士は真っ青な顔で自分を見下ろしている。
 ――体?  何を言われているのか分からなかったが、レオンはこの一瞬の隙に、全ての力を振り絞って相手の向こう脛を足の甲で払った。
「ギャッ」
 間抜けな叫びをあげて倒れ伏す相手に瞬時に馬乗りになり、必死で剣を奪う。
 右手と左手で柄を持ち、相手の背中から正確に心臓を狙い、一撃でズンと突き刺した。
 一瞬で従士の動きが止まる。
「――……」
 突き立った剣を杖のようにして、レオンはふらりと立ち上がり、そして気付いた。
 なぜだろう。確かに剣を刺され酷い痛みがあったのに、今はそれがない。
 腕を動かすのに致命的な場所、肩腱板のあたりを刺されたはずだ。なのに両腕とも難なく動いている。
 傷があるはずの左肩に手を触れた。
 汚れているが、すべらかな肌が触れる。服は破れているが肉にも骨にも異常はない。
 ドクンドクンと心臓が強く高鳴った。
「……俺の体……どうなって……」
 昔聞いたことがある。
 悪魔と契約した者の中には、体を刺されても傷つかなくなる者がいると――。
 自分には本当に、悪魔が憑いている?
 あの城で悪魔と姦淫したからか。
 それとも――さっきの夢が、夢ではなかったとしたら。


『――死んだ友の分もその望みを背負い、お前が心から愛するものから愛を得よ。それまでは、泥をすすってでも生きろ。――それが神の助力と引き換えにお前の背負う宿命』


 悪魔の言葉が耳にこだまする。
 ――お前が真の望みを叶えるまで、お前は決して死ぬことは出来ない……。
 言葉の意味するところの余りの恐ろしさに愕然としながら、それでも足は馬の繋がれている場所へとひた走る。
 気配を察したのか、愛馬の方も繋がれていたロープを引きちぎり、炎を飛び越えながらこちらへと駆けて来るのが見えた。
「来い!!」
 叫び、ほとんど飛び乗るようにしてすれ違った馬の腹にしがみつく。
 鞍も鐙もない。
 ただ両腕と両脚に渾身の力を込めて、馬の背によじ登り、たてがみを掴む。
「行け!」
 馬の腹を蹴り、敵の服を纏ったまま、炎と混乱の夜の戦場を猛スピードで駆け抜ける。
 どこを目指せばいいのかは分からない。
 誰も助けてはくれない。
 自分にかけられた悪魔の呪いのほかは。
 それでも、レオンは強い眼差しで行く手を見つめ、今までとは違う、新しい生に向かって前進をし始めた。


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