聖騎士の盾


 翌朝太陽が昇り、気が付けば、やはりカインはどこにもいなかった。
 二度目の交わりから、彼とは夜にしか会ったことがない。
 長い独りきりの生活の中で、カインだけがまるで古い友人かのようにごく気まぐれにやって来てはレオンを辱しめ、犯して去っていく。
 特に闇が深くなる新月の時は比較的よくやって来た。
 もしかしたら彼に関する全てが自分の見る淫らな悪夢で、あの悪魔はこの世に実在しない幻なのではないかとすら思う。
 そんな風に考えてしまうくらい、近頃、一人になった時のレオンは堪え難いほど孤独だった。
 エルカーズに行くにしても、もし一人でも誰か志を共にする連れがいれば、どんなに良かっただろうと思う。
 カインは仕方がないが、例えばアレクスのような、気心の知れた人間が側に居てくれたなら――。
 しかしそれは叶わぬ望みだった。
 今までの旅で同行者が全く居なかった訳ではない。
 ある国の傭兵の集団に入り込み、一兵士として生活していた事もある。
 しかしこの体のことがバレてしまうと、すぐに不穏な噂を立てられ、とてもそこには居られなくなってしまった。
 たまたま暫くの間上手くいっていた時には、カインと性交しているのを人に見られ、その夜の内に逃亡せざるを得ない事になったこともあった。
 恐らくあれはわざと見せつけたのだと思う――何故かよく分からないが、何かにつけて彼はレオンが他人と慣れ合うことを嫌うのだ。
 人にあんな姿を見られるなど、以前なら死んでしまいたい程の屈辱のはずだ。なのに、あまりに長い時を過ごすと鈍感になってしまうのか、恐ろしいことに自分は今も生きている。
 けれど、そろそろ疲れてきた。
 何しろ心は老人と同じだけの時間を超えている。
 悪魔以外と深く交わることもないから、その間胸を割って話したのはカインだけ。
 当然だが結婚もせず、子も作らず、友人も一人もいない。知り合いも皆死んだか、死に掛けの老人で、自分だと名乗って会いに行くことも叶わない。
 ひたすら怪物と戦い続けて、いつ来るのか分からない悪魔と交わって快楽に溺れる、ただそれだけの人生を百年――。
 だからこそ、この長年の戦いに区切りを付けたい。
 レオンはその思いだけを執念に変えて、生きる柱としていた。


 カインと過ごした夜が明けた後、レオンは宿屋を出ると、ヴォーダンの村で馬と古いエルカーズの地図、その他長旅に必要な食料や日用品を調達した。
 森へ入りエルカーズへ向かうと話すと、長老は随分心配してくれ、農夫たちは別れを惜しんでくれた。
 こんな束の間の心の交流が、今までどれほど自分を救ってくれただろう。
 彼らの為にも恐怖の日々を終わらせたいと決意を新たにする。
 長旅では馬の負担になる重い鎧は村人に預け、レオンは軽装の旅装束であの森の入口へと再び向かった。
 荒れ野に馬を走らせ、エルカーズの北側の国境の森が見えて来る。
 森には多くの魔物化したエルカーズ人達がうろついていると噂で、普通の人間なら誰も近づかない場所だ。
 昔、通商が盛んだった時代の名残で、森の中には旧い街道が通っているという。
 その街道跡に出ることが出来れば、それを辿り、王都ヴァーリまで数週間で辿りつくことが出来るはずだ。
 行きがけ、レオンはあの牛頭の男を殺したブナの大木の下に立った。
 元に戻った男の死体はあの時、木の根元に埋めてある。
 そこへ祈りを捧げた後、レオンはその背後に広がる暗い森へ視線を送った。
 村に近い場所はあの死んだ男の縄張りだったのか、昼間の内は特に魔物の気配はない。
 馬に跨り直し、木々の間に分け入ってゆく。
 ひやりとした空気が頬を撫で、太陽の木漏れ日が足元に落ちる。
 森はただ静かだ。
 馬の踏む朽木の下から這い出る虫の気配、獣や鳥達の動く音はするが、人らしきものの姿は全く見かけない。
 慣れた孤独を噛みしめながら唇を引き結び、馬を休み休み歩かせていると、そのうちすっかりあたりが暗くなってきた。
 レオンは日が沈み切る前に、馬を休め、乾いた枝を集め始めた。
 少し開けた場所を探し、集めた薪に火打ち石と火口を使って炎を起こす。
 こうしたことも慣れたものだ。
 一人きりで乾燥したパンと固い干し肉を噛んで味気ない夕食を終わらせ、馬につないだ荷物から毛布を取り出す。
 枯葉を集めてその上に布を敷くと、具合のいいベッドになった。
 まだ寒さが厳しくない今の季節の内に決断出来たことに自己満足し、その上に横になって目を閉じる。
 だが、なかなか眠りにつくことが出来なかった。
 ――昨夜久々にカインと一緒に居たせいだろうか。
 閉じた瞼の裏で、彼の胸の温かさや、髪を撫でる手や、そんなものばかり思い出してしまう。
 この地獄のような孤独に自分を陥れたうえに、決してレオンの志を理解しようとしない冷酷な相手のことを、何故大切な旅の初日に思い出してしまうのだろう。
 自分が情けなくて堪らなかった。
 こんな弱い人間が、一体これから王都へ行って何が出来るというのだろう。
 けれどもう後戻りは出来ない。
 焚火がパチパチと乾いた音を立てている。
 夜行性の危険な動物は炎を避ける。もしも二人以上いれば交代で火の番をすることが出来るが、レオンは一人で、浅い眠りを細切れにとりながら危険な夜を過ごすしかない。
 悶々としたまま永遠のようにも思える長い時間が過ぎてゆく。
 それでも肉体に溜まった疲労のお陰で、ようやく眠気に襲われ始めた頃――。
 獣の吠えるような声が微かに耳に届き、レオンはビクリとして体を起き上がらせた。
 それは幾つも重なっているように聞こえ、しかも野生の獣のそれとは明らかに異なっている。
 ――魔物。
 確信し、繋いでいる馬の傍へと移動した。
 馬は気配で危険を察知しているのか、落ち着かない様子で首を何度も振って鼻を鳴らしている。
「どう、どう……大丈夫だ。俺が守ってやる」
 腰に佩いた剣を抜き、襲撃に備える。
 やがて、前方の木々の間から獰猛な唸りを伴った大きな影が見え隠れし始めた。
(来る……)
 固唾を呑み、馬を繋いでいる大木に背を守るように預ける。
『……オレダヂ……ナワバリ……入ル……ゴロス……』
 ほとんど聞き取ることの出来ないエルカーズの言葉が耳に届く。
 構えた瞬間、暗闇から葉擦れの音を立てて二匹の魔物が同時に飛び出し、レオンを襲った。
 木枝の間から落ちる星明かりで一瞬見えたその化け物の風体は、狼の頭を持ち、体はエルカーズの下級兵士の装束を纏った人狼だ。
 理性はとうに失っているのか剣などは持っておらず、こちらの肉に噛みつこうと次々と飛びかかって来る。
 レオンは素早く反応して左右から来る攻撃を除け、相手の急所を冷静に見極めた。
 一匹目は首元を袈裟懸けに切り、二匹目は胸を刺し貫く。
 凄まじい叫び声がほぼ同時に上がり、足元に人狼が重なるように倒れた。
 あたりが一瞬シンと静かになる。
 若い青年の姿になった2つの死体に痛ましい気持ちになり、意識を取られる。その瞬間、背後から肩を鋭い爪の生えた大きな手で掴まれ、羽交い絞めにされた。
「……っ!!」
 背後に獣の生臭い息が吹きかけられ、肉には爪の食い込む強い痛みが走る。 間髪入れずに鳩尾に肘鉄を食らわせたが、剛毛と硬い筋肉に覆われた体躯は怯まない。
『グオオオッ!!』
 人狼は短く吠えながら巨大な裂けた口を広げ、レオンの右腕に深く噛み付いた。
「うぐっ……!!」
 ブチブチと筋の切られる音と悲惨な痛みに、筋肉まで達する傷だと分かった。
 ――ここまで深いと、すぐには治らない。
 悟ると同時に剣が手から地面に落ちる。
 狼は痛みに喘ぐレオンの体をうつ伏せに引き倒し、その上に馬乗りになった。
 更にまだほかにも仲間がいるのか、別方向からも低い唸り声が聞こえて来る。
(まずい、首筋をやられる――)
 絶体絶命を悟ったその瞬間。
 ドッ、という謎の音と共に、背中に乗っていた人狼が声もなく体の上に倒れてきた。
「!?」
 魔物の下から這い出して見れば、その左の背――心臓の位置に、長い矢が深々と刺さっている。
 驚く間もなく、よく通る若い男の声が耳に飛んできた。
「――風下に走れ!」
 事態が把握できないままレオンは左手で剣を取って立ち上がり、声の通り、焚火の炎の揺れる方向へ向かって全速力で走った。
 唸りが追って来る気配はあったが、木々の間の闇を抜けている内に少しずつそれが消えていく。
 足を止める頃には、シーンとした静寂だけが最後に残った。
「……」
 ハッハッという自分の激しい呼吸だけが空気を震わせている。
 ――あの声は、一体。
 馬を置いてきてしまった事に気付き、レオンは慎重に今来た道を再び戻り始めた。
 遠くに自分の焚いた炎が微かに見える。
 そこへ近づいていくと、足元に自分を追いかけていた人狼と思しき死体を見つけた。
 既に人間の男性に戻っているが、やはり背中に矢が刺さっている。
 レオンはその矢を掴み、力を込めて引き抜いた。
 目を凝らして見てみると、末端の矢羽の装飾が独特で、エルカーズの軍隊が使っているものだと分かった。
「エルカーズ人……?」
 警戒し、周囲を見回す。
 その場に留まり、背の高い茂みを見つけて抜き身の剣を持ったまま身を隠した。
 そのまま隠れていると、やがて自分の馬のものではない蹄の音が、少しずつ近づいてくるのが聞こえた。
 腕の傷はもう癒えている。戦おう思えば戦うことが出来るだろう。
 緊張感に心臓を高鳴らせていると、やがて目の前に、夜目にも目立つ葦毛の馬に乗った、一人の長身の男が現れた。
 星明かりに輝く、肩で切り揃えた色の濃い金髪。
 若く凛々しい顔立ちは非常に整っているものの、眉がしっかりと濃く健康的で、男性的な魅力に満ちていた。
 洋弓と矢筒を背に負い、その服装はエルカーズの襟の詰まった衣装で、旅装束と思われる地味な色合だったが、所どころに金糸で入った刺繍が高貴な印象を与えている。
 青年は馬上で唇を開き、張りのある美しい声で呼びかけてきた。
「隠れているのなら、出てくるが良い。私は人間だ」
 今まで聞いたことも無いほど高貴なエルカーズ語の発音。
 恐らく、身分の高いエルカーズ人だろう。
 出ていけば捕まるかもしれない。だが、相手は命の恩人だ。
 意を決し、レオンは剣をソードベルトに収めて立ち上がった。
 茂みの外へ足を踏み出し、相手の前へと姿を現す。
 レオンの姿を見た男は、どこか固い表情でこちらを一瞥すると、ひらりと馬を降りて目の前に近付いてきた。
「大丈夫だったか」
 至近距離になると、男の瞳が明るい緑であることに気付く。
 レオンは拙いエルカーズ語で応えた。
「助けてくれたのは貴公か? 礼を言う」
 目を逸らさずにそう答えると、相手は外国人であることを悟ったのか、流暢な大陸の共通語に言葉を変えて話しかけてきた。
「申し遅れたな。私の名はオスカー・フォン・タールベルク。エルカーズ人の亡命貴族だ。お前の名は」
 レオンが普段使い慣れている言葉で聞く発音も非常に美しく、生粋のエルカーズ人とは思えない。貴族という出自も嘘ではないだろうと思えた。
「俺は、レオン・アーベル……傭兵だ」
 正直に本名を名乗ると、途端に男の表情が曇った。
「傭兵だと。――傭兵風情がなぜこんな危険な場所にいる」
 青年の態度が急に尊大になり、威圧するように声が低くなった。
 返事に窮する内に目の前に立ちふさがるように相手が身体を近づけて来る。
 整った顔立ちに似合わず彼の体格はがっしりとしていて、背がレオンよりも高い。
 ――カインと同じくらいあるかもしれない、と密かに胸の内で思った。
「一体何が目的だ。どうせつまらぬことなら無駄に死体を増やすだけだ、早く帰れ」
 オスカーが片眉を上げて更に詰問する。
 その酷く高圧的な物言いに反発心を煽られ、レオンは腹を立てた。
 見た目は同じくらいの年齢かもしれないが、こちらの方が大分年上だという自負もある。
「俺は理由があってここにいる。余計な心配は無用だ!」
 憤りのまま噛みつくように言い返した。
 急に敵対心を露わにしてきた『傭兵風情』に、オスカーという名の男がムッと片眉を上げる。
 命の恩人ということも忘れ、レオンは更に相手を詰った。
「大体、亡命貴族だと? 国を逃げた貴族のお前こそ、何故まだこのエルカーズにいる」
 オスカーが呆れたような顔をして一歩下がり、苛立つような溜息をつく。
「何故私がそんなことをお前に話す必要がある。分からん奴だな」
「お前が先に俺に聞いてきたんだろう!」
 どうしてか感情が収まらず、乱暴に言葉を返す。
 その態度に若者も次第に怒気をあらわにし、形の良い太い眉を吊り上げた。
「――無礼な口を聞く輩め。帰らぬというなら、無理矢理にでも帰る気にさせてやろうか」
 オスカーは長い蜜色の前髪を払い、金属の擦れる音と共に腰の剣を抜いた。
 その立ち居振る舞いの美しさに一瞬目を奪われかけながらも、レオンもまた剣を引き抜いて応戦する。
「それはこちらのセリフだ!」
 挑発する言葉も終わらぬ内に、相手が剣の切っ先を素早く間合いに打ち込んで来た。
「おっと」
 ひらりと右に身軽にかわし、瞬時に反撃に移る。
 レオンはオスカーの脇腹を狙い剣を払ったが、それは相手の素早い剣さばきで跳ね返された。
 続いて振り下ろすような剣戟がレオンを襲う。
 刃で受け止めたその攻撃の余りの重さに、ビリビリと両腕が痺れた。
(強い! この男……!)
 一瞬で悟り、レオンは震撼した。――決して認めたくはないが、百年実戦で鍛えてきた自分と同じくらいの腕を、この育ちの良さそうな若者は持っている。
 殆ど超人的とも言える才能。
 正常な人間相手に剣で切り結ぶのは久々で、しかも自分と互角の腕となるとこの百年で全く経験がない。
 剣の当たる高い金属音を響かせながら火花を散らし、何度も相手の隙を突こうとする。
 が、互いに一歩も譲らず、幾度も剣を重ねるだけで時間が過ぎてゆく。
 体力を消耗し激しく息を上げながら、レオンは自分が高揚と深い喜悦を感じていることに気付き始めた。
 カインとのセックス以外ではほとんど感じることが無かった、血の沸くような生の実感が体の隅々にまで溢れる。
 いつの間にか楽しむような気持で、レオンは額に玉のような汗を吹きながら、諦めず何度も剣を打ち込んだ。
 既に、一体この決闘が何を元に始まったのかも忘れ果てていた。
 ただ闘う為だけに無心に剣を振るいながら、疲労の為に一瞬相手の剣に皮膚を裂かれ掛けた時、ハッとした。
 ――かすり傷でも負えば、自分のこの体の異常が青年に悟られる。
 そう思った途端腕が重くなり、思う様に大胆に動けなくなった。
 こうなっては、自分の方が圧倒的に不利だ。
 剣を弾かれて取り落とし、仰のいてバランスを崩した瞬間に刃が首筋ギリギリに突き付けられる。
「――参った!」
 戦いを終わらせる合図として、記憶の限り使ったことの無かった単語をレオンは口にした。
 蜜色の髪をすっかり乱したオスカーの動きも止まり、しばらくの間互いの呼吸音だけが交錯する。
 レオンは相手に目配せし、焚火の方へ行こうと誘った。
 若い剣士も息を切らせながら頷き、置いてきた葦毛の馬を引いてくる。
 焚火の傍では、奇跡的に命の助かった馬が嘶きながら待っており、レオンは安堵した。
 火を挟んで向かいに座ると、さっきまで剣を交えていたオスカーがどこか親し気な表情で話しかけて来る。
「強いな、レオン……どこで剣を覚えた」
 名前を呼ばれ、才能ある者にそう言われて悪い気のする人間はいない。
 レオンは無意識に、朗らかな笑みを作った。
 こんな風に心から笑うことが出来たのは一体何年ぶりだろう。
「俺は元、騎士団に居たので、そこで。だがこんな風に負けたことは一度もない。そちらこそ、恐ろしい程の才能だ」
 侮辱されたことは忘れ、素直に相手を褒めたたえてしまう。
 オスカーの方もそれは同じなのか、彼も柔らかな口調で言葉を返してきた。
「エルカーズの貴族としての嗜みだ。私の家系は代々将軍を出しているからな……」
 やはり、相当に高貴な家の出という訳らしい。
 しかしその貴公子が供も連れず、何故このような危険な森に一人でいるのかはやはり少し気になる。
「それほどの身分の貴公がこんな場所にいるのは相当な訳ありなのだろうが、俺もどうしても譲れない理由があってここにいる。どうか、見逃してくれ」
 レオンは単刀直入にそう切り出した。
 一方オスカーは今の闘いで既にレオンを帰らせるのを半ば諦めてしまったのか、あっさりと頷いた。
「お互いに譲らないのなら仕方がない。お前はどこへ行こうとしているのだ」
 随分と率直な質問をされ、レオンは一瞬躊躇したが、すぐに正直に答えた。
「王都ヴァーリだ」
 その言葉に、貴公子は驚いたように目を見張った。
「……お前も王都に行こうとしているのか……」
 呟くように漏れたその言葉に、今度はレオンが驚く番だった。
「お前も……?」
「私もヴァーリへ行こうとしている所だ。奇遇だな」
 さらりと言われ、レオンは訝しんだ。
「……亡命貴族が首都に戻るなど、正気の沙汰ではないぞ」
 だがオスカーは平然と首を振った。
「そうかもしれないが、私にはどうしてもヴァーリでやらなければならない事があるのだ。どんな危険を冒してでもな」
 そして、今度は反撃とばかりにレオンのことに話を移してきた。
「さっきの魔物との闘いを遠目に見ていたが、お前の戦い方は実に危なっかしい。剣の腕はあるのだろうが、過信しすぎだ。まるで、敵から攻撃を受けるのを前提にしているような酷い動き方だったぞ」
 指摘されて心臓が跳ね上がった。
 確かに――カインの守りを体に受ける以前と、自分の戦い方は変わっているかもしれない。
 ちょっとのことでは死なないことを前提とすれば、早く戦いを終わらせる為、避けられるものに対しても避ける気を無くす場面もある。
 さっきも敵に気付いた時にとりあえず一旦逃げていれば、相手の正確な数を確認することも出来たかもしれない……。
 ――こんな百も年下の若者に指摘されて初めて気づくとは。
 焚火に顔を照らされながら、微かに頬が赤くなる。
 そんなレオンの反応を待つことなく、オスカーは言葉を続けた。
「ここは元、私の一門の領地だ。これ以上罪なき者の血で汚したくはない。だから――」
 もう勝手に決めたとばかり、彼は明るい緑色の瞳でレオンをじっと見据えて華やかに微笑んだ。
「――共にヴァーリへ行こう」
「……っ、なんだと……?」
 驚きの余り絶句してしまう。
 あれほど連れが欲しいと思っていたが、こうして強引に物事を決められると反発心しか生まれない。
「勝手に決めるなっ、俺は一人でいく! 目的地が同じだからと言って、一緒に行かねばならない法などない」
 レオンは憮然としてそう言い放ち、火の前から立ち上がった。
「殺されかけていたくせに何を生意気なことを言う。さあ、落ち着いたなら行くぞ。馬に乗れ」
 ――何という強引な男だろう。まるでどこかの誰かを思い出すようだ。
 レオンは土を掛けて素早く火を消し、栗毛の馬を呼び寄せてさっさと荷物を背負わせた。
 オスカーが体勢を整える前にさっさと先へ急ごうと、馬の背に飛び乗り、腹を蹴って先を行く。
「おい、待て」
 相手もすぐに馬に乗り背後に追ってきたので、スピードを出来るだけ上げ、木々の間の複雑な道を選んで撒こうと努力した。
 しかし青年も乗馬の手練れなのか、どんなに早く進んでもピッタリと後ろをついて来る。
(何なんだ、この男は……!?)
 暫くは無視していたが、そのうちにレオンもついに根負けしていた。
 声を掛けるでもなく馬を並べて進み始めると、森の夜が明け始め、東側から白い光が差し込んでくる。
 眩しく明るい太陽の下で見たオスカーの姿に、レオンは目を見張った。
 均整のとれた肢体に、光を放つように輝く蜜色の髪。豊かな草原を思わせる暖かい緑色の瞳は、一度視線を合わせれば意識が吸い込まれてしまいそうになる。
 彼の纏う空気の清らかな煌めきは、神や天使というのはもしかしたらこんな姿をしているのではないか――と一瞬思ってしまう程だった。
「さあ、王都へ向かおう」
 明るく迷いのない口調でオスカーが森の奥深くを指差す。
 レオンはこれ以上、同行は嫌だと言い続けることは出来なくなっていた。


 ――その日一日中馬を進め、始まったばかりの二人旅に再び夜が訪れた。
 焚き火が、暗く寂しい森の中を暖かなオレンジ色に照らし出している。
 炎の周囲には金属の三脚が立てられ、その真ん中に銅鍋が吊るされていた。
 中には良い匂いのする赤色の液体がグツグツと煮えていて、その前に陣取った金髪の青年が、時折腕を伸ばして長い匙でその中をかき混ぜている。
 レオンは不思議な気持ちでそれをじっと眺めていた。
(……この男、本当に貴族なのか)
 レオンは料理をした事が殆どない。ロキで修道士をやっていた頃に少し手伝った程度だ。
 聖騎士の時代はそういったことは従士と修道士達の役目だった。
 貴族となれば、そんな些末なことは勿論する必要がないはずだ。
 オスカーがこちらの怪訝な視線に気付き、優雅に微笑みながら眼差しを返してきた。
「どうした。お前の分もあるぞ」
 レオンは顔を真っ赤にしてブルブルと首を振った。
「いっ、いらん。俺は自分の分の食料はある」
 そんなに物欲しそうな顔に見えたのだろうか。
 気恥ずかしくなり、視線を合わせづらくなる。
「まあ、そう言うな。……私が料理をするのはおかしいか?」
 黙って頷くと、彼は可笑しそうに声を上げて笑った。
「はは。亡命貴族の生活というのも大変なんだぞ。頼るアテにたどり着くまでは、農夫のフリをして軍隊の目をやり過ごしたり、狩りで食料を調達したり、まあ色々あったのさ。――ほら」
 薄い木の器にスープが入れられ、火の脇から手渡される。
 鼻先に近付けるととても良い匂いがして、レオンは素直にそれに唇を付けた。
「……!! ……っ!?」
 予想外にも、舌と喉をビリビリ刺激する辛みのある液体に焼かれ、一瞬で酷くむせてしまう。
「どうした」
 心配そうな顔で見つめられ、眉をハの字に寄せて訴えた。
「辛かったっ……う、美味いけれど」
「はっはっは。エルカーズの郷土料理だ。この辺りは冷えるだろう? 体が温まっていいぞ。慣れろ」
 そう言われ、再び少しずつスープを口にする。
 ちゃんと覚悟して飲めば、飲めない程でもない。
 一口ずつ胃に流し込んでいくと、確かに体がポカポカと温まってきた。
 町で宿に泊まっている時などはともかく、一人旅の時にこんな風に温かいものを口にしたのは初めてだ。
 意外と器用で準備のいいオスカーに、レオンは思わず尊敬の眼差しを送った。
「育ちのいい貴族様かと思ったが、意外と苦労しているんだな」
「私などまだ苦労している内には入らん」
 フッとオスカーが真面目な表情になる。
「さあ、もう寝るぞ。私が火の番をしているから、先に眠るがいい」
 その申し出に一瞬驚き、レオンはすまさそうに聞き返した。
「……いいのか?」
「ああ、後で交代して貰うがな。昨夜は色々あってろくに眠っていないのだろう?」
「それはお前も同じだろう」
「私はまだ眠くはならないから大丈夫だ」
 青年がにっこりと人の良い笑顔を浮かべる。
 正直昼間から頭痛がするほどの眠気に襲われていたので、気遣いは有り難かった。
「悪いな……礼を言う」
 枯葉の上に敷いた毛布に身を横たえ、目を閉じる。
 体がとても温かく、そして心も同じくらいに温かで、安らいでいた。
 誰かにこんな風にいたわって貰うことが、ここまで嬉しく落ち着くものだったとは――。
 レオンは目を閉じてすぐに、深い眠りに落ちていった。
 ――そして、夢を見た。
 何故かはわからないが、カインが横たわっている自分のすぐ傍にいて、髪を優しく撫でてくれている。
(お前……口ではあんなことを言って、来てくれたのか?)
 嬉しくなって思わず話しかけようとするが、眠気が酷くて起き上がることが出来ない。
(カイン……)
 心の中で切なく呼びかけると、それだけは相手に届いたのか、額に口づけされた。
 カインが静かに立ち上がり、背中を見せて木々の向こうに立ち去っていく。
(待ってくれ……)
 叫びたい気持でその後ろ姿に念じる。
「カイン……!」
 起きると、もう夜がすっかり明けていた。
 カインの姿は勿論なく、その代わりに、輝くような金髪の貴公子が自分の顔を覗き込んでいる。
「どうかしたか? うなされていたぞ」
 聞かれて、レオンは驚いてがばりと飛び起きた。
「……! 俺は朝まで寝てしまったのか! 悪い……っ」
 細切れに起きる習慣がついていると思っていたので油断していた。まさか一晩中ぐっすり寝てしまうとは――。
 だが、オスカーは怒った様子もなく、座ったまま両腕を上げて伸びをしている。
「よく眠れたのなら、良かったではないか。私は片目を閉じて半分寝ていたから、全く問題ない。気にするな」
 悪戯っぽくパチンとウィンクをされ、レオンはますます恐縮し言い募った。
「今度からはちゃんと起こしてくれ……! 起きるから」
「そうだな、今度からは。……実を言うと、お前の寝顔が余りに可愛すぎて、起こすことが出来なかったのだ」
 不意打ちでそんなことを言われて、レオンは一瞬で首まで真っ赤になった。
「おまっ……、何を言いだす! 女でも口説いているつもりか……っ!?」
「なんだ。正直なところを言ったまでだぞ。何をそんなに動揺しているんだ」
 相手は全くもって平然としている。
 どうやら天然で言っているらしい。
(こいつは、根っからの女たらしに違いない……!)
 レオンの心の中に一抹の警戒心が生まれたが、オスカーは屈託のない笑顔を浮かべている。
「さあ、出発しよう。今日も予定どおり進むぞ」


 ――オスカーは、実際共に旅をしてみると、一緒に居てとても心地の良い青年だった。
 その上、彼はこの辺りの領主の息子であっただけに地理に詳しく、安全に森を抜けるルートも知っていた。
 彼と出会わなければ、もしかすると自分は初日で死んでいたかもしれない。
 数日経つ内にはそう素直に思えるようになり、彼に感謝の気持ちすら芽生えた。
 誰かと寝食を共にすることがレオンにとって自然なものになってゆくにつれ、少しずつ、百年の間に心に降り積もった寂しさが薄れていく。
「――レオン、明日には川沿いの旧街道に出られるぞ」
 焚火の前で一緒に地面に古地図を広げつつ、ついでに広がる世間話で夜遅くまで話し込むのも日課になった。
 オスカーはエルカーズ人の歴史や、昔語りを色々と教えてくれた。
 大陸で最も力を持つと信じられている、古き神々を今も信仰していること。
 ただその力を私利私欲の為に使えば、恐ろしい災いが起こるという言い伝えがあること――もし災いが起こるなら、それは人間達の汚れた心のせいなのだと。
 百年前は彼らのことを、邪神を信仰する異教徒としか見ていなかった。
 けれど今こうして顔を見合わせ、心を通わせてみると、相手も自らと同じように、深い歴史と自らが信じる神への純粋な信仰を持つ一つの民族なのだと気付く。
(もしかしてこの男になら、カインのことを話しても大丈夫か……?)
 一瞬そう思えた。
 カインはきっとこの男にとっては神々の一人に過ぎない。
 オスカーの持つ価値観に照らせば、大陸の他の国でそうだったように、悪魔憑きと罵られることは無いはずだ。
 けれど実際にはとても言いだすことは出来なかった。
 レオンの体の秘密を知ってオスカーが驚き、忌避しない保証はないし――それに。
(この後ろ暗い所が何一つない男に、俺がカインとあんな淫らなことをしていると知れたら――)
 それだけは想像するだけで恐ろしかった。
 旅をする内に少しずつ友人のような親しみを覚え始めたばかりだ。
 レオンにとってはアレクスやカイン以外にようやく出来た、心を通わせることの出来そうな相手だった。
 みすみす失いたくはない……。
 そんなことを悩み、時々思いつめたように黙り込むレオンを、オスカーはいつも敏感に気付いて心配してくれた。
「大丈夫か? 元気がないぞ」
 首を振り、レオンは手元の地図を畳んだ。
「大丈夫だ……何でもない」
「それならいいが」
 曇りのない澄んだ宝石のような瞳で見つめられると、自分が酷く汚れているのを見透かされてしまうような気がする。
「――もう夜も遅い。今日は先に寝てくれ」
 急に恐ろしくなり、早く相手を寝かせてしまおうとしてレオンは言った。
「では、今日は私が先に眠らせて貰おうか」
 オスカーは素直に同意し、焚火の向こう側に敷いた寝具の上に横たわった。
 いつものように腹の上で手を組み、仰向けになって彼は眠り始める。
 炎越しにその整った横顔を眺めていると、やがて規則的な呼吸音が聞こえてきた。
(早いな……眠るのが)
 きっと彼のような人間には、何の悩みもないに違いない。
 自分はいつも寝る前に色々なことを思い出して眠れなくなってしまうのに。
 孤独、後悔、過去の快楽、カインのことを――。
(カイン……)
 あれから10日ほど逢っていない。
 最後に一緒に眠りに落ちた時、彼はどんな表情をしていただろう。
 思い出そうと記憶を手繰り寄せながら、瞼を閉じているオスカーの横顔を見る。
 炎の光に照らし出された美しい顔の輪郭。
 ――それが、急にカインの横顔とひどく似ているような気がしてきた。
 鼻柱の高い、彫刻のように整った横顔のライン。
 ――エルカーズ人だからだろうか?
 古き神に一番近い血筋を持つのがエルカーズ人なのだと、オスカーは言っていた。
 レオンは膝を地面につけたまま、少しずつ焚火の周囲を移動してオスカーの傍へと寄った。
 彼の体を挟んで炎と反対側に回り、真上から彫りの深いその顔立ちを眺める。
 男らしい眉とくっきりした瞼、大きく厚みのある唇をよくよく眺めてみると、カインとはやはり別人だった。
(……どうして似ていると思ったんだ?)
 不思議に思いながら、そのままそこに留まり、柔らかくため息をつく。
(次にカインに会えるのはきっと、俺が王都から逃げ帰った時だろうな)
 最後に言っていた言葉を思い出して、急に切なくなった。
 当たり前のことだが、あれから一度も人肌に触れていない。
 そう考えるとカインの温もりが酷く恋しく思えてきて、苦しくなる。
 ――いつもこうだ。
 気まぐれに彼が現れ、そして消えて数日が経つと、こんな風にグズグズになってしまう。
 底なしの孤独を埋める、温かな体温に飢える……。
 気が付けば、レオンは目の前に眠る男の頬にそっと指を伸ばしていた。
 罪悪感に鼓動が高鳴りながら――止めた方が絶対にいいと分かっているのに。
(少し、触るだけだ)
 少しずつ少しずつ震える指を近づけ、そしてついに、そっと中指の腹をその高い頬に付ける。
(温かい……)
 そこから流れ込んでくるような安堵と陶酔。
 そして同時に、恐ろしい程後悔した。
(俺は何をしているんだ……っ)
 引き剥がすようにして手を離し、レオンは頬を真っ赤にして自問した。
 寝ている男の顔に勝手に触れるなど、長年一人で居すぎて頭がおかしくなってしまったとしか思えない。
(……良かった……起きなくて……)
 呼吸が上がり、いつの間にか前髪が張り付く程汗を掻いていることに気付いた。
 早く彼の傍を離れようと、片膝をついて立ち上がろうとする。
 ――だがその瞬間、さっきまでオスカーに触れていた方の片手を、突然強く掴まれた。
「!」
 驚いて声も出せない。
 心の中で慌てふためきながら視線を落とすと、寝ているとばかり思っていたオスカーが、その緑の瞳で無表情にこちらをじっと見つめていた。
「……どうしたんだ。何かあったか?」
 訝し気に問われて心臓が飛び上がる。
「……あ……、いやっ、何でもないんだ……っ」
 やっと出てきたのはそんな言葉だけで、上手い言い訳も思いつかない。
 とにかく離れようとするが、手首が痛い程の力でオスカーに握られている。
「離してくれ……っ」
 もしかして、不用意に触ったことを怒っているのだろうか。
 ――気味が悪いと思われた?
 動けないでいればいる程、不安と焦燥に押し潰されそうになる。
 せっかく出来た親しい人間にもまた、軽蔑と忌避の目で見られるのではないかと――。
「……どうしてそんな顔をしている」
 オスカーが眉を寄せて問い、掴まれている腕がグッと強く引き寄せられた。
 懸命に体を離そうとしていたが、相手の強引な動きに引きずられ、倒れこむようにして彼の体の上に覆いかぶさってしまう。
「!」
 片腕を取られていて、上手く体を支える事が出来ない。否応なく相手の胸に頬をぴったりと付ける形で密着する体勢になり、レオンは心底動揺した。
「わ……悪かったからっ……本当に離し……」
 首まで赤く染めながら必死で懇願すると、手首は解放された。
 だが、今度は指に指を重ねるように触れられて、ぎゅっと握られる。
「……っ!」
 彼の纏う茉莉花を思わせる香水の匂いが鼻をくすぐる。
 心臓の音が間近で聞こえ、息も出来ない。
 ぴったりとくっついているその温かい胸から響いてくるように、オスカーが言葉を発した。
「手が冷たい」
 緊張で血流が滞っている手を確かめるように優しく触れられる。
「――相当寒かったんだな。起こされるまで気付かなくて悪かった。私は暑がりだから……毛布を一枚余計に持っているから、貸してやろう」
 手がそっと離され、代わりに背中を抱きしめるように片腕で支えられた。
 頭の芯がクラクラするほど、その腕の中が温かい。
 オスカーは腹筋だけで二人分の体重を支えて起き上がり、やっと腕を離してくれた。
 体が解放され、力なく彼の毛布の上にへたりこむ。  隣で青年が立ち上がって馬の傍へ行き、荷を解いている気配がした。
「……」
 ようやく手を離されて安心したはずなのに、切ないような感覚が触れていた部分全てに残っている。
 安堵とショックの両方でぼんやりと膝を抱えていると、温かな濃緑色の毛布が、背後から巻き付けるように肩に掛けられた。
 その一瞬に後ろから強く体を抱きしめられたような気がして、ビクンと肩が跳ねる。
 振り向くと、オスカーが心配そうな表情を浮かべて後ろに跪いていた。
「調子が悪いなら火の番を代わるぞ」
 そう言ってくれたが、言葉を聞き終わらない内に首を振った。
「大丈夫だ」
 肩に掛けられた毛布を握りしめ、彼の傍から逃げるように立ち上がる。
「……それならいいが。時間になったらちゃんと起こせよ」
 オスカーがまたその場に横になり、あっさりと目を閉じてまた眠り始めた。
 そんな彼の傍から離れていこうとするのに、身体を包む刺繍の入った上等な布からは、オスカーと同じ香りが強く漂う。
 その匂いに酔ったようになり、体がふらついた。
「……!」
 同時に、ジンと響くような感覚が下肢に走り、まともに歩けないほどペニスが勃っていることに気付く。
「っ……」
 反射的に低く呻き、毛布で体を隠すようにして元いた場所へと戻った。
 なるべく火から離れ、オスカーに背を向ける形で、倒れるようにして地面に横たわる。
「っはァ……っ、はぁっ」
 自分が情けなくて消えてしまいたい。
 カインでなくても、触れてくれるなら誰でも良かったのか――いや、そうではないはずだ――それなのに一体何をしようとしている。
 泣きそうになりながら、頭まで被った毛布の下で、自分の乗馬用のズボンの前を必死でくつろげる。
 もどかしい指でやっと火照った雄を取り出すと、先走りでドロドロに濡れていた。
「うっ……うぅ……っ」
 涙ぐみ、しゃくり上げながら自分の指を汚し、拙くそれを一人で慰める。
「っくふ……っ」
 淫らな声を抑える為に毛布の端を噛むと、毛布に浸みた香がダイレクトに嗅覚を刺激し、まるで背後から包まれるように抱きしめられている気分になる。
 先刻の温もりと匂いを一層思い出して、腰が震える程感度が上がった。
「……、ぐっ……」
 こんな淫らな自分を、オスカーに知られたら耐えられない。
 優しさと思いやりで貸してくれたものを、こんなひどい事に使っていると知られたら絶対に軽蔑される。
 頭ではそう思うのに、毛布の影で濡れそぼった陰茎を扱き立てる手が止まらない。
 さっき、オスカーに握られた手が――。
 その熱い掌の感触を思い出して、まるで彼の大きな手に性器を直に握られているように、一瞬錯覚する。
「ンん……! んうン……っ!」
 ビクビクと下腹を痙攣させながら絶頂し、鈴口から精が勢いよく飛び出す。
 カインと離れてから溜まるばかりだったそれは思いのほか多く、指の隙間から溢れ出て、オスカーの毛布をひどく汚してしまった。




 ――どんなに罪深い夜にも、等しく朝が来てしまう。
 翌朝、レオンは自分の荷物の中に毛布を隠し、オスカーに謝った。
「すまない……。昨日借りた毛布をちゃんと洗ってから返したいんだが……」
 出発の為に荷を馬に載せていたオスカーは、驚いたように肩を竦め、レオンを見つめた。
「お前は本当に潔癖なんだな。そんなこと気にせずに返していいんだぞ」
「いや、洗いたい」
「気にするなら仕方がない。ではそうしてくれ」
 オスカーがそう言ってくれて、心底ほっとした。
 馬に水を飲ませる為、一日に一度はルートをはずれ、川沿いへ降りて休憩をしていた。
 その時に洗い、夜焚火で乾かせば恐らく朝には乾いているだろう。
 馬上で前を行くオスカーの後ろ姿をぼんやりと眺めながら、レオンは不思議な気持ちになった。
 昨日の夜手首を掴まれた時の彼は、どこか彼らしくなかった。
 もちろん自分もおかしくなっていたので人のことは言えないが……。
(本当に、何故俺はあんなことを……)
 よくよく考えると、カイン以外のことを思い浮かべてあんなことをしてしまったのは生まれて初めてだ。
 自分が一層、友人を汚した人でなしのように思えて、罪悪感に震えた。
 つい人肌に飢えたりするのがいけないのだ。
 もう二度と、あんな間違いを犯してはいけない――。
 固く胸に誓う。
 ――街道が近いせいか、進む内に少しずつ木がまばらになった。太陽が高くなると、光をさえぎるものが少なく、旅支度の厚着では汗ばむほどの陽気になる。
 一番気温が熱くなり馬が乾きでへたばり始めた頃、二人は川沿いに降りた。
 二頭の馬から荷や鞍を下ろして自由にしてやってから、オスカーが襟の詰まった自分の服を剥ぐように脱ぎ落し始める。
「今日は随分暑くなったな。お前が服を洗うなら、私は横で水浴びでもしよう」
 その言葉にウッと喉が詰まった。
 オスカーから見えないような少し離れた場所で、一人でこっそりと洗いたかったのに、何ということだろう。
 ――とにかく、彼に分からないように全てを終わらせなければ。
 緊張感で無表情になってしまいながら、レオンは自分の荷物から昨日借りた毛布を丸まったまま引きずり出した。
 もたもたと洗う場所を探している内に、オスカーが下着も全て脱いで全裸になり、横を通り過ぎて川へ向かう。
 腰ほどの深さのある川面へざぶざぶと入っていくのを、レオンは視界の端で見た。
 初めて見る彼の裸体は、やはり非の打ちどころのない素晴らしい肉体だった。
 その無駄のない、美しく隆起した筋肉に、慣れ知った誰かの躰を思い出す気がして、慌てて視線を逸らす。
 ――早く、洗ってしまおう。
 清らかな水の流れに濃緑色の毛布を晒すと、水を吸ってほとんど黒っぽい色に変化してゆく。
 指を使って擦り、何度も何度も布をひっくり返しては洗うことを繰り返している内に、水で濡れた蜜色の髪を絞りながら、オスカーが声を掛けてきた。
「そんなに神経質に洗わなくても、もう汚れていないだろうに。――ほら、お前も来い。ずっと風呂に入っていないし、今日は随分汗をかいただろう」
「いや俺はいい……っ」
 ブルブルと首を振ると、ざぶざぶと波を起こしながらオスカーが近づいてきて、ばしゃりと派手に水を掛けられた。
「何するんだ……っ!」
 怒って抗議の声を上げると、相手は悪戯をしたばかりの子供のように陽気に笑い、レオンの腕を強引に引っ張った。
「やめっ……!」
 どうにか踏みとどまろうとしたのがかえって仇となり、川の中に前のめりに転がり落ちる。
 激しい水しぶきを上げ、レオンは服からブーツの中まで、全てが水びたしになる大惨事に見舞われた。
「ああもう……っ! 何てことをっ」
 よろけながら川の中で立ち上がり、手から離れそうになったオスカーの毛布をしっかりと脇に挟む。
「どうせ洗濯するなら、丸ごと洗ってしまえばいいじゃないか」
 からかうようにそう言ったオスカーに、レオンは思わず小言を投げ付けた。
「後で干すのを手伝え! このバカ貴族!」
 その言葉に、心底楽しそうなオスカーが朗らかに笑う。
 それから、急に真面目な顔になり、言った。
「――もちろん。……朝からずっと暗い顔をしていたから心配していたんだが、そんな風に怒れるくらいなら大丈夫そうだな」
「え……」
 感情がそんなに顔に出ていたとは知らなかった。
 心を見透かされたような気分になり急に不安になる。
 レオンが微妙な表情で黙っていると、川面を波立たせながら、彼が黙って目の前に近づいてきた。
 その輝くような裸身が酷く眩しくて目が合わせられない。
 鼓動が高まったままどうすることも出来ないでいると、彼の手が伸びてきて、濡れてレオンの額に張り付いた髪を撫で付けた。
「お前の髪はとても綺麗だな……」
 心臓が止まる程驚いた。
 オスカーが日中そんな風にレオンに触れてきたのは初めてで、そして、そのしぐさが余りにもカインと同じだったからだ。
 セックスが終わった後で、カインはいつもそうやって髪を撫でてくれた。
 どんなに屈辱的な交わりの後でも、そうされると酷く心地よくて、何もかもどうでも良くなる程、それが好きだった――。
 オスカーが長い睫毛を伏せたまま、レオンの髪を撫で続ける。
 川の水に冷やされた冷たい指先が、こめかみを降り、うなじに触れ、首筋に降りていく。
「……っ……!」
 触れられている部分から、またあの謎の陶酔が流れ込んで来る。
 ゾクゾクと身体が震え、撫でられているだけなのにまるで深い部分に愛撫を受けているような感覚が走り、淫らな声を上げそうになった。
(――ダメだ、またおかしくなる……っ!)
「……っやめろ!」
 叫び、同時にオスカーの胸を強く押して突き放す。
 均整の取れた体がよろけ、飛沫をあげて川の中に倒れた。
 よほど驚いたのか相手がそのままぼんやりとしているので、言い訳をするように言葉を続ける。
「か……髪に触れられるのは、苦手なんだ……っ、だから、触らないでくれ……」
 相手の表情は垂れた金色の濡髪に隠れていて、分からない。
「そうか。からかって悪かった……私は先に上がっている」
 唇だけが淡々とそう言って、彼はゆっくりと立ち上がった。そのままレオンの横を通り過ぎるようにして水を分け、河原の方へ上がっていく。
 ――おかしいと思われた? 過剰反応だっただろうか。
 途端に不安になったが、仕方がない。
 冷たい水に腰まで浸かっているのに、性器が熱を持って疼いている。
 本当に近頃の自分はどこかおかしい。
 オスカーが明るい人柄だから、なおの事自分を異常に感じてしまう。
(もう、普通の人間のように振る舞えない程、俺はおかしくなっているのか……)
 一層深い孤独を感じながら、レオンは洗っていた毛布をギュッと絞り上げた。
 水滴が出ない程になったそれを手に、ざぶりと波を立てて川から出る。
 濡れた服をどこかで脱ぎ、着替えなければならないが、今の体の有様をオスカーに見られてはならない。
 岸辺で着替えているオスカーの後ろ姿を警戒しながら、レオンは馬から下ろしてあった自分の荷を解き、濡れた毛布を入れる代わりに、シャツと下着とズボンを出した。
 それを丸めて持ち、悟られないように少しずつオスカーの傍を離れ、森の方へと入る。
 彼に気取られないくらいの距離を作って、レオンは着替えを枝に掛け、濡れたシャツを上半身から剥いだ。
 水滴が垂れるそれを絞り、別の木の枝に掛ける。
 次いで下半身に手を掛けた時、背後でざわりと茂みが動く音がした。
(――もしかして、オスカーが……?)
 レオンが姿を消したのに気付き、探しに来てしまったのだろうか。
「っ、ま、待ってくれ、俺はここに居るから――」
 そう声を上げて、どうも様子がおかしいことに気付いた。
 シューッ、シューッという空気の漏れるような微かな音が段々と近づいて来る。
 オスカーではない――そう悟った瞬間、
『シャアアアアッ……』
 不気味な息遣いと葉擦れの音が近付く。
 次の瞬間、すぐ傍の茂みから不気味な四つん這いの生き物が飛び出してきた。
「っ……!?」
 一旦その場から飛び退いて振り向き、じっと目を凝らして謎の生物を見る。
 それは人間のように四肢があり、頭には毛が生えているものの、顔はうろこ状にひび割れ、大きく裂けた口から二股に分かれた舌が伸びている蛇顔の化物だった。
(魔物化したエルカーズ人か……!)
『……ニク……新鮮ナニク……』
 言葉にならない呻きを上げ、その魔物は牙を剥いて至近距離からレオンに襲いかかってくる。
 その動きがあまりにも速く、剣を持っていない丸腰のレオンはろくに応戦することも出来ない。
 這っているとは思えないスピードで噛み付こうとする相手を何度かはかわしたが、ついに左腕に深く相手の牙が沈みこんだ。
「いっ……!」
 左肘下に酷い痛みと、体内に毒がしみ込んでいく痺れるような感覚が走る。
 だがレオンは怯むことなく、自分の肘下に正面から食いついた魔物の頭をそのまま胸に引き寄せ、左右の腕で相手の首を羽交い絞めにするように抑えつけた。
『シャアアアッ!?』
 驚く蛇男の首の骨を、ぐっと自分の胸に向かって渾身の力で引き付ける。
「〜〜〜っ……!!」
 その内に腕の中でゴキリという音と共に嫌な感覚が走り、魔物の噛み付く力がぐったりと失われていくのが分かった。
「っ……、ハァッ、ハァッ……ハッ……」
 限界を超えて余りに強い力を使っていた為に、すぐに死体から腕を離すことが出来ない。
 腕の中でこと切れた怪物は、レオンの左腕に噛み付いたまま、すぐに黒髪の中年男に姿を変えた。
 ――背後でザッザッと茂みを分ける音がする。
「レオン……! 」
 大声で名前を呼ばれてハッとした。
 すぐに斜め後ろの茂みの間から、濡れた金髪を振り乱した半裸のオスカーが飛び出してくる。
「こんな所で何を……今の声は……」
 息を乱しながら掛けられた声に、レオンはビクンと身体を震わせた。
 上半身裸のままへたりこみ、震えながらどうにか自分の両腕を開く。
 傷口に深く入っていた牙が離れ、地面に男の死体が転がった。
「そいつは……まさか魔物に噛まれたのか!?」
 オスカーがレオンと男の死体との間に割って入るようにして膝を落とし、怪我をしたレオンの左腕を握って引き寄せる。
 まずい。傷はもう既になくなり掛けている。
 これを見られたら、一体どう思われるか――。
 だがもう隠しておくのは限界だった。
「――蛇の魔物にやられた」
「傷が……お前、一体どこを噛まれた……っ!? 毒を吸って出さなければ――さっきこの辺りに……」
 似合わない程に動揺するオスカーの体をぐっと押しとどめ、レオンは言った。
「大丈夫だ、心配するな。確かに噛まれたが……随分前にもあの手合いと戦って噛まれたことがある。死にはしない」
 オスカーが眉を顰める。
「何故分かる……!?」
「毒のせいで三日三晩熱が出て死にかけるだろうが、俺は大丈夫だ……そういう、……体だ……」
「そういう体ってお前……っ」
 意識が遠のき、既に体にゾクゾクとした寒気が回り始めている。
 噛まれた跡は既に消えていたが、毒は血管を回り始めていた。
 レオンは覚悟を決め、オスカーに切り出した。
「頼む……もう、俺のことは……ここで置いてゆけ……」
「なんだと……!?」
「――王都へ急いでいるんだろう……もう少しで街道に出られる……ここまで来れば俺は大丈夫だ、道は分かる……俺のことはいいから、先に行ってくれ……」
「……バカなことを……」
 美しい眉が顰められ、オスカーがレオンの体に手を伸ばす。
 背中と膝に力強い腕が触れ、そして体がふわりと軽く宙に浮いた。
 懐かしさを感じるその感覚に、遠い昔の何かを思い出しそうになる。
 いつかどこかで、初めてそんな風に軽々と抱かれて、人肌の温かさに驚いた……。
 頬に触れる逞しい胸に懐くように凭れる。
 朦朧とする視界の中で、無意識に唇がその名を思い出そうと動いた。
「……カイ……ン……」
 レオンを抱きかかえている腕は何も答えない。
 フワフワとした心地よさの中で、世界が暗転した。


 次に目覚めたのは、喉の渇きと息苦しさの所為だった。
 少し動けば悲鳴を上げてしまいそうな程体中の神経が痛む。
 カインの守りは、空気に触れている部分はすぐに治すのに、中に潜り込んだ毒はなかなか癒してくれないのだ。
 体は温かく柔らかい毛布に包まれているのに、震えと冷汗が止まらない。
「……み……ず……っ」
 痛みと渇きに呻きながら辛うじて瞼を開けると、視界は狭く、真っ暗だった。
 眼が慣れるにつれ、小さな山小屋の、低い梁と天井が微かに見えてくる。
 簡素なベッドと、蓋でふさがれた水がめの他には何も家具らしきものがない。
 恐らく、夏の間に木こりが森に籠る時に使うような小屋だろう。
 打ち捨てられて久しいのか、壁の丸太が腐り掛けている。
 だが、風が吹いても痛みを感じる今、屋根と壁のある場所は有り難かった。
(オスカーが、この場所を探してくれたのか……)
 恐らく、随分ルートを外れてしまったはずだ。
 もう少しで街道に出られる所だっただろうに。
 狭い空間に彼の姿は無かった。
 どこへ行ったのだろう。
 酷く心細かった。
 ――先に行けと言っておきながら、この有様だ。
 一緒に旅をしてきた相手が自分を置いていくことに、本当は耐えられない。
 悪魔に依存していたかと思えば、次は人間のオスカーに凭れかかっている。
 結局自分はどう転んでも弱い人間のままなのだ……情けないことに……。
 身体の苦痛と自己嫌悪が極まり、死んでしまいたくなる。
 こんなに苦しいのに、死を思わせる程体中が燃えるように痛いのに、決して死ぬことが出来ない――本当に、これは罰だ。
 アレクスを殺した自分への。
(だが、もう百年だ……)
 この苦しみがここで終わるというなら、いっそ死んでしまうのも良いのかもしれない。
 舌を噛んだらどうだろう。だがきっと治ってしまう。
 では、剣を両手に持ち、後ろ首から自分の首を跳ねようか。
 それならきっと上手くゆく気がする。
 痛みに目を閉じて耐えながら、無意識に、いつも眠る時に剣を置いている場所を手で探った。
 その手が温かいものに触れる。
 誰もいないと思っていたのに、いつの間にか誰かがベッドのそばに屈んでいた。
「……オスカー……?」
 相手は答えない。目を開けたが、何一つ明かりの無い小屋の中が暗すぎて、相手の顔立ちが分からない。
 だが、恐らく彼だろうと思えた。彼の服に染みた茉莉花の匂いが微かに漂ってくる。どこかに行っていたのが、帰って来てくれたのだ。
「口を開けろ。水を飲ませてやる」
 声は低く、艶がある。
 水がめの木の蓋が開けられる気配がして、その上に乗っていた小さな器いっぱいに水が汲まれる。
 痛みに耐えて体を起こそうとすると、手が伸びてきて制止された。
「痛いなら横になったままでいい」
 こくんと小さくうなずいたが、寝ているままでは水が飲めない。
 どうしたらいいのか戸惑っていると、黒い影が覆いかぶさってきて、口づけで唇を塞がれた。
「ンん……」
 男の長く繊細な髪がさらさらと首元に落ちてくる。
 素直に唇を開くと、温められた水が少しずつゆっくりと流し込まれて、喉を潤した。
 全部水を流し込むと、柔らかで温かい唇が離れていく。
 相手はもう一度器に口を付け、再びレオンの唇に水を届ける。
 どこもかしこも何かに触れると痛みしかないのに、その口づけだけは甘い心地よさがあり、痛みを感じない。
 何故か、その唇を以前からよく知っている気がした。
「――死ぬなよ。レオン……」


 痛みと渇きに何度も目が覚めながら、山小屋の中で少しずつ、眠れる時間が増えていった。
 最後は昼も夜も分からない程昏々と眠り続け、そして起きた時には、すっかり体の痛みが薄れていた。
 ――どのくらい時が過ぎたのだろう。
 組まれた壁の丸太の間から白い明かりが漏れている。
 手を突いて起き上がると、自分が全裸で毛布を何枚も被っていることに気付いた。
 見下ろすと、ベッドの隣の粗末な床の上で、オスカーが片腕を枕に横を向いて眠っている。
「ずっと付いていてくれたのか……」
 胸が温かくなり、擽ったいような気持が溢れた。
 水分を摂ろうと水がめの蓋の上に置いてある器を取り、木蓋をずらして水を汲む。
 口を付けて飲みながら、苦痛で起きる度に、誰かに口づけで水を流し込まれた記憶が蘇った。
「……!」
 首まで赤くしながら、足元に寝ている男を見下ろす。
 考えられるのは彼しかいない。
「……はあ……」
 ベッドの上で膝を抱えて背を丸め、自己嫌悪に陥る。
 ーーまさか、ここまで世話になってしまうとは……。
 不意に、床がギシッと軋む音がした。
 ハッと視線を移すと、オスカーがベッドの下で上半身を起こした所だった。
 上等なリンネルのシャツがよれていて、あの輝く金髪も艶を無くすほど乱れて痛々しい。
 視界を遮る長い髪を掻き上げ、彼がこちらを振り向いた。
「レオン……お前、もう起きられるのか」
 ペリドットの宝石のような瞳が驚いたように見開く。
「……ああ。その、わ、悪かった……色々としてもらって……」
 動揺しながら毛布をかき集めて体を隠していると、
「良かったっ……」
 短い叫びと共に彼が膝立ちになり、体を毛布ごと強く抱きしめられた。
 不自然に前のめりに抱かれたせいで体のバランスが崩れ、相手の肩の上に凭れるような格好になってしまう。
「ちょっ、おい、オスカー……っ!?」
 戸惑いながら肩を押し返そうとするが、そのまま腰を抱いて持ち上げられ、ベッドの上に押し倒された。
「――っ、心配かけて悪かっ……」
 驚きながらも言いかけた途端、
「馬鹿野郎! ーー一人で勝手にあんな事になっておきながら、『置いていけ』だ? 二度とふざけた事言うんじゃねえぞ」
 真剣な顔で怒鳴られて呆気にとられた。
「オスカー……お前、いつも丁寧な貴族言葉なのに、そんな共通語も使えるんだな」
 目の前の美貌がハッとしたような顔なり、口を噤む。
「――お前が無茶をするからだ……次にああいう事があった時はちゃんと私を呼べ」
 いつもの穏やかな口調に戻り、彼にしては珍しく瞳を逸らされた。
「汗を拭いてやるから、横になれ」
 オスカーが奥へ移動し、水がめの蓋を開け始める。
 レオンは首を振った。
「もう元気だ……そんな世話は必要ない」
 だが、相手は言葉が聞こえていないかのように振る舞い、床に置いていた自らの荷から乾いた布を出している。
「おい、聞いているのか……」
 看病してくれた相手に強くは言えずに戸惑う。
 オスカーは濡らした布をきつく絞り、それを片手にまたそばに戻って来た。
 冷えないように体に毛布を被された後、覆い被さるように彼の体が近付く。
「オスカー……っ」
 動揺の声にも構わず、彼の指が髪の間に入り、頭に触れられた。
(ダメだ……触られるとまた……)
 直に触れる手の熱さに、身体の奥で再び疼きが目覚め始める。
 額から頬、首筋までを布で優しく拭われると、単なる心地よさだけでない危うい感覚が湧くのを感じた。
 次は腕を取られて包まれるようにして擦られ、反対側の腕も同じように拭かれる。
 布が腕の付け根まで戻ってくると、今度は毛布がめくられ、胸、腹へとオスカーの手が降りていく。
「ん……!」
 敏感な乳首や感じやすい腹筋のラインを丁寧に布で撫でられて、ビクビクと震えが走る。
 股間の上には毛布がまだ残っているが、中は既に恥ずべきことになっていた。
 病と一緒にこの悩みもどこかへ消えないかと期待していたのだが、現実は無情だ。
 オスカーの手が一旦離れ、声が掛かる。
「背中を向けてくれ」
 助かった――とばかりに素直に背中を向けたが、それはそれで別の種類の責め苦だった。
 オスカーの大きな手が肩から背筋に降り、彼の気配と髪の毛の先が敏感な皮膚を擽る。
 ペニスが腹の下の毛布に擦れて、じくじくと焦れて仕方がない。
 涙が出そうになりながら耐えていると、清拭は脚に移り、今度は内腿を擦られる刺激に耐えることになった。
(ああ……もう……)
 息を上げないように抑えるだけで精一杯だ。
 最後に、オスカーがレオンの引き締まった腰に手を掛けた。
「――前を向け」
「そ、そこは自分で……! 勘弁してくれ、人に見られるのは恥ずかしいんだ……」
 懇願すると、オスカーは一瞬困ったような顔をしたが、すぐに布をこちらに渡し、くるりと後ろを向いてくれた。
(オスカーが紳士な男で助かった……)
 握りしめた布で手早く熱っぽいそこを拭き、水がめの蓋の上に戻す。
 心の底からホッとして毛布を引き寄せ、しばらく安静にして体が収まるのを待った。
 小屋の中がしんと静かになり、金髪の後ろ頭をベッドに寄りかからせていたオスカーがぽつりと言葉を紡ぐ。
「すぐに無理はするなよ。あの手の魔物は俺も以前に見掛けたことがある……常人なら死ぬはずの毒だ」
 その言葉に、レオンは瞼を伏せた。
 何故その毒を得ても自分は生きているのか……恩人の彼には今こそ説明するベきだろう。
 相手の反応を恐れつつも無言で心を決める。
 横たわったまま唇を開いて、レオンはオスカーの背中に秘密を打ち明けた。
「――俺は常人ではない……。お前たちの神の力が、俺にも憑いているんだ……」
 オスカーの肩がビクンと動揺する。
「信じられないだろうが、俺はもう、百年以上は生きている。……あることをするまでは、傷つけられても、病気になっても決して死ぬことが出来ない運命だ」
 それは今まで誰にも、一人として打ち明けたことのない秘密だった。
 自分で口にする日が来たということ自体、信じられない程の。
 だがオスカーになら話しても大丈夫なのではないかーーそんな気がした。
「もうずっと一人で、孤独に生きてきた……。傍にいてくれた人間はオスカー、お前が初めてだ……ありがとう……」
 ベッドの上で頭をずらし、懐くように彼の乱れた金髪に額を寄せる。
 誰にもこの、胸を絞られるような孤独を打ち明けたことが無かった。
 カインにさえ。
 たとえ結果的にオスカーに忌避されたとしても、それを初めて打ち明ける誰かが出来たこと自体が嬉しく思えた。
 もう自分一人でこの重い業を背負わなくていい、そんな気がしたからだ。
 オスカーが背を向けたまま、ずっと黙っている。
 不安になる程の沈黙の後、彼はやっと言葉を返してくれた。
「……お前は、神の助力と共に試練をも負ったのだな……たった一人きりで……辛かっただろうに――」
 拒絶でも忌避でもなく、同情するようにそう言ってくれたことがレオンの胸に強く響く。
「オスカー……」
 名前を呼ぶ声が震える。
 気が付けば、熱っぽい涙が溢れて頬を濡らしていた。
 声に相手が振り返る。
 彼は泣いているレオンに気付くと、膝を起こしてベッドに上がって来た。
「っ、何だ……?」
 毛布をかぶったまま壁の方へ逃げるように身体をずらす。するとオスカーが背後に沿うように横たわり、無言でレオンの体を強く抱きしめて来た。
 密かな望みを読まれてしまったのかと思い、酷く戸惑う。
 だが、触れた所から彼の体温と優しさが伝わってきて、レオンはとめどなく涙を流しながら素直に腕の中に納まった。
 しばらく黙っていたオスカーが、言葉を継いで話し始める。
「……私の事も少し話そう……」
 レオンは濡れた瞳を閉じ、頷いた。
「私は、エルカーズの大貴族の末の息子だ……。幼い頃は比較的自由に育てられた。長男以外は軍人になるのが常だ……私も、そうなるはずだった」
 無言でもう一度頷く。
「だが、今や王は気が狂い、首都は荒れ、国は乱れている。一族は皆亡命した……この国の行く末を担うべき人間達が、皆自らの保身に走り、国を捨てたのだ。私は誰からも期待されない息子だったが、この国を不死の狂王から取り戻すつもりだ。私自身を囮にしてでもな……」
 レオンは酷く驚いた。
 首都ヴァーリが互いの目的地だとは知っていたが、この屈託ない男の目的が、まさか自分と全く同じだとは思わなかったのだ。
「オスカー……驚くかもしれないが、……俺が王都に向かう目的も、お前と全く同じだ……」
 言葉にすると、強く体に力が漲る。
 この荒廃した世界をどうにか変えようとしているのは、自分だけではないという心強さが、初めて身の内に湧いた。
「俺はある人に昔、化け物に変えられた人々を救う方法を探すことを託された……そして、生涯の目的として誓った。王を倒さなければならないと」
 肌が粟立つような感動を得ながら、レオンは自分を抱くオスカーの腕を強く掴んだ。
「やはり、お前とは行動を共にする運命だったのだな。――一緒に王を倒そう」
 背後で、オスカーが力強く囁く。
 レオンが頷くと、彼はくすっと笑って付け加えた。
「――ふふ。実は私は、前から薄々そんな気がしていたんだ。……早く出発しなければな……もう少し眠って、まともに動けるようになれ。明日は元気に旅立てるように、私はお前の馬の世話もしておこう」
 レオンの体を抱いていた腕が優しく解かれ、ベッドを軋ませてオスカーの体が離れてゆく。
 暗い小屋の扉が開かれ、朝日に眩しく照らされた彼は神々しいほど美しかった。
 レオンはそんな彼を、やはり神が遣わした天使なのかもしれない……と、思わずにいられなかった。


 翌日から二人はまっすぐに予定のルートへと戻った。
 今度は旅は順調に進み、一日で後れをどうにか取り戻して、ついに王都へと続く古い街道に出た。
 目的まではあともう一息の道のりである。
 夏の終わりの空は明るくなったり暗くなったりし、天気が崩れやすかったが、レオンの心は今までにない程に軽く、そして穏やかだった。
 ――目的を同じくする同志がいるということは、こんなにも違うものか。
 そして、その相手には既に自分の秘密の一端を打ち明けてある。
 それでも彼は傍に居てくれるのだ。
 その事実が堪らなく嬉しい一方で、暗い影も未だ、ひたひたと後を付いてくる。
 カインと交わっていることを話していないこと……オスカーに触れられると何故だか分からないが欲情してしまうこと。
 これだけはどうしても話すことの出来ない重苦しい秘密として、未だ心の中の鎖に閉ざされている。
 それでも表向きは、何事もなく無事に日々が過ぎた。
 ――街道に出て数日。
 二人の馬は遂に、王都の一歩手前の古い宿場町に辿り着いた。
 かつて森の外れを切り拓き発展した、二つの川の間に位置する町だ。オスカーによれば、このエルカーズ北部では唯一、人が残っている集落だということだった。
「フレイの町……かつて私の一族の屋敷のあった所だ。荒れてはいるが、魔物の襲撃にもよく耐えて、今もまだ住人が残っていたんだな……」
 感慨深く話すオスカーと共に、フレイの町へ続く跳ね橋を渡る。
 町は川に囲まれ、人の通るとき以外は跳ね橋を上げている。それが王都側からも森側からも魔物の侵入を防ぐ防壁となっているようだった。
 跳ね橋を渡りきった場所にある重厚な落とし格子の門を潜ると、川沿いに建つ貴族の屋敷を中心とした石造りの町並みが広がっていた。
 人が住んでいる家は少なそうだったが、オスカーの育ったこの異国の風景が、レオンにとっても懐かしい場所のように思えてくる。
「大分人口は少なくなっているようだが、宿もちゃんと開いているそうだ。久々にまともな場所に泊まれるな」
 エルカーズ語が余り流暢でないレオンの代わりに、オスカーが町ゆく人間に話しかけ、情報を集めていた。
 レオンは馬を引きながらそんな彼をぼんやりと眺めるばかりだ。
 聞き慣れぬ言葉を離すオスカーは、やはりいつもそばにいる彼とは別人のように感じる。
 何故か暗い気分になって、レオンは言葉少なにオスカーの後について歩いた。
 やがて街の中心部にある広場にまでやって来ると、そこに行き交う人々の中から突然、一人の娘がこちらに気付いて近付いて来た。
「オスカー様! ご無事だったのですね……!」
 声を上げたその娘は、十代後半くらいの年頃だろうか。
 質素なドレス姿だが、明るい栗色の髪の毛を美しく結い、花のように可憐な顔立ちをしている。
「もう、3年ぶりくらいになりますか……覚えていらっしゃいますか? あなたの乳母の娘、エルゼです!」
「ああ、覚えているとも」
 驚きつつも優しく答えたオスカーに、娘は感極まって両腕を広げ、彼に抱きついた。
「嬉しい……!! どれだけお帰りをお待ちしていたことか……!」
 早口のエルカーズ語はよく聞き取ることが出来なかったが、その恋人同士とも思えるほど親し気な様子に、レオンの心臓にズキンと強い痛みが走った。
 二人のやりとりの中に入っていくことが出来ずに固まっていると、オスカーが気付いたように少女を紹介してくれた。
「これは私の乳兄弟の妹、エルゼだ。エルゼ、私の友人のレオン・アーベルだ」
 エルゼは星のように澄んだ瞳を輝かせたまま、はにかんだように微笑み、スカートの裾をつまんでこちらに可憐な挨拶をした。
 華奢で、声も姿も可愛いらしく美しい、彼に似合いの娘。
 その態度からは、彼女がオスカーを心から慕っている様子がとても分かる。
 ――そのことが、何故か分からないが、耐え難い程の胸の痛みに直結した。
 オスカーはエルゼとひとしきり話した後、父親の使いでパンを買いにいくという彼女を見送った。
「――さあ、レオン。今日の宿を探そうか」
 やっと、ずっと待っていた自分の事に気付いてくれた友人に、レオンは自分でも思わぬ言葉を返していた。
「――今夜、あの娘と一緒に居てやらなくてもいいのか」
 オスカーが怪訝そうな顔をする。
「どういう意味だ?」
 本気で分からないといった調子で聞き返され、レオンは少し苛立って言葉を返した。
「せっかく故郷に帰ってきたのだろう。俺は一人でも構わないが?」
 その棘のある言い方に何かを感じ取ったのか、オスカーは宥めるように言葉を切り出した。
「何だ、それは……一人になりたいという意味か? まあ、今までずっと一緒だったし、そういう事もあるだろうな。――分かった、それなら私は別で、今夜の宿をとろう」
 あっさりとそんな提案をされてしまったことに、逆に動揺した。
「っ……」
 だが、オスカーはあっさりと背を向けてしまい、どんどん前に歩いて行く。
 もはや後の祭りだった。



 フレイにある唯一の宿はずいぶん寂れていて、レオンの他には誰も客が居なかった。
 それもそのはずだ。この魔物だらけの森と王都との狭間で、町が存続していること自体が奇跡に近い。
 貴族や金持ち達は皆逃げてしまい、どこにも逃げようのない貧しい者や、一度エルカーズから出たが、激しい宗教的弾圧を受け仕方なく戻ってきた者、そういった事情のある人間達がここで細々と暮らしているというのが実態のようだ。
 宿も殆ど、主人の好意だけで貸して貰えたようなものだった。
 一方で、オスカーは亡命貴族とは言っても、この町の人間には随分慕われている様子だった。
 国を思って戻ってきた彼の気持ちを、町の人々も感じているのかもしれない。
 少なくともあの娘は、オスカーの帰りをとても喜んで居た――。
 少し埃臭い宿の暗い部屋で、レオンはベッドに一人横たわり、ずっとオスカーの事を考えていた。
 今夜、彼はどこに泊まるのだろう。
 あれだけあっさりと別々に泊まる事を了承した彼だ。当然アテはあるに決まっている。
 そしてそれはきっと、彼の乳母の居るであろうあの少女の家だろう。
 昼間の二人の親密な様子を思い出した。
 オスカーの逞しい腰にしがみ付いた少女の細さ。
 そのむき出しの腕の皮膚の白さ……。
 あんな風に躊躇なく触れるくらいだから、二人は昔恋人同士か、それに近い関係だったのかもしれない。
 身分は違うが、オスカーはそんな事を気にする男ではないはずだ。
 今頃彼は再会したあの娘とベッドを共にしているのだろうか。
 だとしたら、どんな風に彼女を抱くのだろう。
 きっとオスカーは紳士で、女の扱いも優しく丁寧に違いない。
 蜜のように甘い言葉を囁いて、沢山のキスを体中に落として……あの大きな手で娘の腰を抱き寄せて、逞しい胸に抱くのだ。
 ――想像している内に、その夢想の中の娘が、自分に塗り換わっていく。
『お前の髪は綺麗だな……』
 レオンの髪が優しく指で梳かれ、男らしい厚みのある唇で強く首筋を吸われる。
『お前を愛している、私のレオン。全て私の物だ』
 飽きる程何度も愛を囁かれながら、彼の背中にしがみ付き、優しいキスと共に熱いペニスを尻の狭間に受け入れる――。
 そこまで想像して、真っ青になった。
(俺は一体、何を考えている……??)
 自分は一人になった途端、そんなことしか考える事は無いのだろうか。
 オスカーは、王を倒すという使命に純粋に身を捧げているというのに――それに比べて、我が身のなんという情けなさだろう。
 レオンはベッドにうつ伏せになり、枕に何度も顔をぶつけて懊悩した。
 この所ずっと二人でいたせいか、一人でいることが以前よりも身心に堪えるようになっている。
 不快で淫らな妄想ばかりが脳を支配し、たった一晩すら、耐えられないと感じられてしまう程に。
 カインを心の中で呼ぶことも考えた。
 だが彼は来るのか来ないのか分からないし、それに何より――。
(こんな時に会ったらきっと、この気持ちを見抜かれる……っ)
 そこまで考えて、ふと疑問を感じた。
 この気持ち……この気持ちとは何だろう。
 カインに会いたく無い、会えないと心の底から思ったのは初めてだった。
 彼に会うことのできない、彼からは隠したい、――そんな気持ちを今の自分は抱えているのか。
 それがどんな気持ちなのかは、今しがたの自分の妄想で明白だった。
(俺は……オスカーに、抱かれたいのか……カインに抱かれたいと思うのと同じに……いや、それ以上に……?)
 辛い独り寝の夜の果てに認識した恐ろしい事実に混乱する。
(だから、触れられればあんなに欲情して……。だとすると、俺は)
 ――彼と友人として親しくなる前から既に、オスカーに対してそんな感情を抱いていたということになる。
 堪え難いその事実に、レオンは激しい自己嫌悪に陥った。
 こんな人間は、友人としても、同志としても完全に失格だ。
 そして自覚してしまった以上、この友情にしては過剰な感情を抱き続けたまま彼の側に居ることが酷く絶望的なことに思えた。
 オスカーに対する、決して叶うことのない重い執着を抱いたまま、上手くそれを隠しおおせて、首尾よく王を倒せたとして――その後は?
 彼はあの娘のいるこの故郷の町へ錦を飾って戻る。
 結婚もし、子供も作るだろう。
 そして自分は――また独りだ。今度こそ永遠に……。
 王を倒したからと言って体が変わる訳でもなく、自分の抱える永遠の孤独が終わるわけではない。
 むしろ、唯一つの生きる目的を失い、一方で、たった1人の友人は自分とは別の世界を生き、そしていつか先に死ぬ。
 ……その時レオンは今よりも苛烈な孤独に襲われるだろう。
 生きる屍となってしまう程の。
 先に待っているであろうそんな事実を分かっていながら、一緒に旅を続けることに耐えられるのだろうか?
(無理だ――)
 結論はあっという間に出た。
 ……孤独のあまり、やっと手に入れた友情では満足できず、身体を抱いて欲しいとまで願ってしまう――そんな自分は既に狂っているからだ。
 最悪の場合、目的を果たすことすら待たずに、この友情を跡形もなく失うだろう。
 百年の孤独の末にやっと得ることの出来た、この大切な繋がりを。
『お前は何でもないフリをしながら、私をそんな目で見ていたのか……? そんな人間とずっと一緒に旅をしていたなんて――』
 あの暖かい緑の瞳に生理的嫌悪が宿る、そんな場面が浮かび、レオンは掛け物をがばりと剥いで起き上がった。
(嫌だ……それだけは……)
 激しい焦りが体を支配する。
 まだ間に合うかもしれない。これ以上オスカーに深入りしなければいいのだ。
 本当に心が通ったと思ったのはつい先日のことだ。
 傷の浅い内に離れてしまえば、以前の自分に戻ることはまだ容易に思えた。
 誰かに側にいて欲しいなどと、甘ったれた考えがそもそもの間違いだ。
 生まれた時も、聖騎士団でも、その後も、自分はずっと1人だった、そしてこれからも1人で生きてゆくべきだった。
 たまにやってくる悪魔だけを慰めにして……。
 レオンは決意を固め、床に下りて着替え始めた。
 荷物を纏め、旅立ちの支度を終えた後、質素な木のテーブルでオスカーに宛てた短い書置きを作り始める。
 ――事情があって、これ以上は共に進むことが出来ない。本当に申し訳ない、今まで世話になった。有難う――一旦そんな風に書いたが、すぐに破り捨てた。
 何をどう伝えてもきっと、彼には自分の逃亡の意味など分からないだろう。
 諦めて窓の外を見ると、もう既に東の果てが白みはじめていた。
 門番に幾らか金を渡せば、早朝でも外へ出ることは出来るだろう。
 長年の放浪生活で素早く逃亡することには慣れている。
 レオンは少ない荷の入った袋を肩に負うと、足音を立てぬよう宿屋の二階を下りた。
 かんぬきを開けて外に出ると、朝の町は薄く白いもやがでていて、生きるものの存在を感じないほどに静まり返っている。
 今出て行けば誰にも知られることは無いという自信があった。
 裏の馬小屋に回り、手早く馬に鞍を付け、荷物を括り付ける。
 手綱を引いて町を南側まで縦断し、拙いエルカーズ語で門と跳ね橋の番人に金を渡し、話を付けた。
 一瞬だけ鎖を巻き上げて門を開けて貰い、跳ね橋を下ろして貰った。
 素早く王都側へ渡り切った途端に、背後で再び町が閉ざされる音を聞く。
 夜が明けきる前に脱することが出来て、急に気が抜けたような気分になった。
 同時に言い知れぬ寂しさが湧く。
 この百年間で、一番大きなものを失ってしまった……。
 だが、思いを断ち切るように馬の首を王都へ向ける。
 目の前には元来た森の道よりも大きく開けた首都への街道が続いていた。
 この先の一本道を迷うことはまずない。
 オスカーに気付かれることを恐れ、レオンは出来るだけ距離を稼ごうと馬の腹を蹴って走らせ始めた。
「はぁっ!」
 背後の森の生む朝靄の中を駆け抜けていく内に、いつの間にか涙が頬を濡らしていた。
 彼は怒り、失望するだろう。
 自分でも最低な、理不尽な行動だと分かっているのだ。
 それでも足を止めることが出来ない。いつか失うものだから、今ここで失うことを選んだのだ。
 しばらく走り続けて、ここまで来れば大丈夫だろうと思う所まで何里か進み、レオンはやっと馬の手綱を緩めた。
「お前も、朝から無理をさせて悪かったな……」
 相棒の栗色のたてがみを撫で、休ませるように並足で歩かせる。
 レオンも濡れた頬を拭きながら背を伸ばし、前を向いた。
 だがその瞬間だった。
 耳に、背後から響く微かな蹄の音が届いたのは――。
 ギクリとして固まり後ろを振り返る。
(まさか……。オスカーだとしたら、早すぎる――)
 その可能性は否定した。レオンが出た直後に追いかけてきたのでなければ辻褄が合わない。
 ――敵だろうか。
 荒廃している王都が近い。盗賊ということもあり得るだろう。
 疲れた自分の馬を無理に走らせても、恐らく追いつかれる、それほどのスピードで背後の馬は走っている。
 一旦馬を降り、剣の柄に手を掛けて街道の中央に立った。
 いっそ戦った方がまだ勝機があると判断し、道の向こうを見据える。
 だがレオンがそこに見たのは、最初に否定した可能性そのものの光景だった。
 葦毛の馬に跨り、靡く蜜色の髪を朝日に輝かせながら、整った顔立ちに必死の形相を浮かべたオスカーの姿を見て、レオンは驚愕した。
 ――そんな、まさか。空でも飛んで来たのだろうか。
 そう感じる程、彼が目の前に現れたのが余りに早すぎた。
 驚きの余りすぐには動けないでいるレオンの左を、馬の勢いはそのままにして追い抜かせ、オスカーがドッと横飛びに地面に降りる。
 土埃が舞う中、王都に向かって行く手をふさぐ形でオスカーが長い腕を広げ、レオンの前に立ちはだかった。
「レオンお前、どういうつもりだ……!」
 恐ろしい程激怒していることが、その鬼気迫る表情から分かる。
「一人になりたいと言っておいてすることがこれか。お前は簡単に人を裏切るのだな!」
 その言葉がレオンの心に刃物のように刺さり、同時にやるせの無い憤りを生んだ。
「――どうとでも言え! 大体、俺は一人になりたいなどと一言も言っていない!」
 噛み付くように言葉を返し、怒りの炎を宿している緑の瞳を睨み返す。
「お前はあの娘と一緒に居たかったんだろう! だから俺は」
「何を言っているんだ。何か誤解してるのか!?」
 言葉に含まれている感情が、怒りから困惑へと変わっていく。
 ――ああ、自分はおかしなことを言っている。
 それが明らかに分かるからこそ堪えがたくなり、羞恥と混乱で頭が爆発しそうになった。
 もうダメだ。考えていることが、全部口から外に漏れてしまう。
 膝から力が抜け、呻きながら地面にくずおれた。
「――女と居るお前を見ると、苦しい……」
 目の前に立つ友人の瞳が驚きに見開かれた。
 オスカーが目線を合わせるように一緒に膝を地に落とし、両手で肩を強く掴んでくる。
「レオン……。お前、その言い方はまるで私の恋人のようだぞ……」
 余りなその言葉にカッと頬が燃えた。
 だが、こちらの顔を覗き込んでくる視線は優しい。
「レオン。――もしかしてお前は私が好きなのか」
 穏やかに、だがストレートに訊かれて、顔を手で覆い、左右に首を振る。
「わ……からない……」
 それは正直な答えだった。
 抱かれたいと思っていることには気付いたが、それ以上の自分の感情は本当に、正直よく分からない。
「俺は、人を好きになったことがないから……」
「……そうか……」
 オスカーの相槌がまるで子供に対するように優しいのが、辛くて堪らなかった。
 自分が彼と違い、何も分からない欠陥だらけの人間だと思われているような気がした。
「もし、そうなのだったとしても、こんな呪われた人間が、そんな資格など……」
「……その話は以前聞いたぞ……神が憑いていると」
 宥めるように言葉を重ねられ、首を激しく振る。
「違う……!」
 強い否定にオスカーが驚き、戸惑うように口をつぐむ。
 その表情に自虐的な気分をいっそう煽られ、気付けば血を吐くかのように告白していた。
「抱かれているんだ……あの悪魔……お前達の神に。昔聖騎士だった時に一度抱かれて……それから、何度も何度も……っ」
 次の瞬間、レオンは自分自身の行為に驚き、呆然とした。
 震える手が地面にだらりと落ちる。
 とうとう言ってしまった。
 誰にも明かすつもりの無かった、淫らな秘密を。
「ずっと……抱かれているうちに、俺は頭がおかしくなってしまって……男のお前に対しても、おかしな気持ちを……」
 我を失ったまま言葉を続ける内に、強く掴まれている肩にズキンと痛みが走った。
 誤魔化しや言い逃れを許さない口調で、オスカーが畳みかける。
「おかしな気持ちとは何だ。言ってみろ」
 心を射抜くような緑の瞳に見つめられ、蛇に睨まれた獲物のようになり、レオンは震えた。
 ――もうここまで来たら隠し立てすることは出来ない。
 まるで独り言のように、途切れ途切れに言葉が唇を出ていく。
「夜中に目覚めて、……お前の眠っている顔を見て……抱いて欲しくなった……」
 もう終わりだ。
 こんなことを聞かされて、それでも傍に居てくれる人間など聞いたことがない。
 現に自分こそ、百年前に幼い頃からの親友をたった一度の告白で拒絶した。
 その罰を今受けているのに違いない――そうとしか思えなかった。
 黙ったまま表情を変えぬ相手に、破れかぶれのような気持で言葉を吐き続ける。
「触れられるだけで欲情して、一度自分を汚した」
 肩に触れているオスカーの手を掴み上げて頬を擦り寄せ、わざと唇の端を上げて笑って見せる。
「お前だって気分が悪いだろう。――こんな男とこれ以上旅を続けるなど」
 だが、そんな皮肉に返ってきたのは、全く想像も出来なかった反応だった。
「レオン、それはおかしな気持ちではない」
 オスカーが逆に指を絡めるようにして手を握り返してきて、レオンは狼狽した。
 相手に気分の悪さを分からせたらすぐに離そうと思っていたのに、それが出来ない。
 しかもそのままその手を引っ張られて背中を抱かれ、胸が密着するほど強く抱きしめられた。
「――それは、恋をしていると言うんだ」
 断言されて、頭が真っ白になった。
(恋……?)
 呆気に取られ、否定も肯定も出来ない。
 それほど、今までの人生の中で一度も縁のない言葉だった。
「ま、待て……! そうだったとして、お前どうしてそんな平然としているんだ。俺が言ったこと今まで聞いていたか!?」
 肩を押し返して体を離し、オスカーの顔をまじまじと見た。
 一瞬、ペリドットの瞳が見たこともないような切ない色を浮かべているのを見る。
 だが、それはすぐにレオンを安心させる笑みに変わった。
「何の問題ない。――私もまた、お前に恋をしていたのだから」
 張りのある声が堂々とそう告げる。
 レオンは耳を疑った。
 今、この男は一体、何を言ったんだ――。
 ぼんやりと固まってしまったレオンに、オスカーがもう一度言葉を重ねる。
「愛しているんだ、お前を。……分かるか?」
 噛んで含めるようにそう言われて、それでもなお信じることが出来ない。
 そもそも『愛』というものの正体が分からないのに。
 だがオスカーが自分を拒否することなく、あまつさえ、受け入れてくれようとしてくれていることだけは分かる――今までもそうだったように。
「お前がこれまで神の寵愛を受けていたとしても、それも無理からぬことだと思うほどにお前は綺麗だ……だから、自分を卑下するな」
 胸が痛む。――事実はそんな綺麗事ではないのに。
 だが、そんな風に誤解されることがむしろ有り難かった。
 あの行為を綺麗事で受け取ってくれる人間など、世界でただ一人、彼しかいないだろう。
 オスカーの強い視線がレオンを縫い留め、指がいっそうきつく握られる。
「私が欲しいならくれてやる。その代わりお前も私のものだ。だから逃げたりせず、最後まで傍に居ろ」
 最後まで。――その言葉に、ずっと開いていた心の穴が塞がり、胸の内側が急激に温かいもので満たされていくのを感じた。
 もしかすると、これを愛、というのかもしれない。
 そう思うと涙が?に溢れてきてどうしようも無くなった。
「オスカー……こういう時、俺は何て言えばいいのか、分からない……そんな風に言って貰ったことが無いんだ……」
 吐露するように言ったレオンの唇に触れるだけの口づけをして、オスカーが額と額を触れ合わせてきた。
「ならば、俺が言おう。お前を愛している、私のレオン。お前は全て私の物……」
 温かく甘い蜜のような幸福に心が満たされる中で、小さな違和感が心を刺す。
 オスカーのその言葉は、昨日自分が心のなかで思い描いた彼の言葉そのものだったからだ。
 何故彼がそんなことを言ったのか、――思わぬ幸福に包まれていたその時には、気付くことが出来なかった。


 ――日がすっかり昇る頃には、二人は何事もなかったかのように馬を並べ、王都へと向かっていた。
 いつものように時々休憩し、馬を進め、夜は街道脇に燃やした焚火を前に他愛のない話をする。
 けれどレオンの心の中だけは、今までとは全く違っていた。
「レオン、お前のことがもっと知りたい。――子供の頃は、どこでどんな風に暮らしていたんだ?」
 そんな普通のことを訊かれただけでも鼓動が高鳴り、何を答えたらいいのかよくわからなくなる。
 しばらく考えあぐねて、レオンは不器用に話し始めた。
「……そうだな……。オスカーは生まれていないから知らないだろうが、俺は、もう大昔に滅びたタルダンの都で生まれたんだ……」
 恥ずかしくて目を逸らしながら、もう忘れ果てていた懐かしい事柄を一つ一つ思い出してゆく。
 少し前までは過去の記憶を呼び覚ますことは苦痛でしかなかったのに、今は何故か平気になっていた。
「赤ん坊の時に教会の前に捨てられていた所を、聖騎士団の修道士に拾われて育てられた。――タルダンというのは、今はエルカーズの一部になっているが、南の荒野の向こう側に一つ、小さな国があって――」
 隣では恋人になったばかりの男が膝に頬杖をつき、相槌を打ちながら興味深げに話を聞いてくれている。
 ずっと飽きもせずにそうしているので、つい色々なことを話した。
 子どもの頃は、剣や暴力で人を傷つけることが嫌で仕方がなく、本当は騎士ではなく修道士になろうと思っていたこと。
 けれど国と人々を守る為に、自分が出来る最上のことを考えた時、剣の道しかなかったこと。
 余計なことを一切考えない為に、成長すればするほど、神への信仰に執着し、すがるようになっていったこと……。
 だが、アレクスとの別れや、その後のことについてはどうしても話す気になれず、レオンは口を噤んでしまった。
 無理に話させようとは思っていないのか、オスカーも何も言わず寝床の支度を始める。
 一日が終わるのを惜しむようにゆっくりと毛布を準備しながら、彼は独り言のように言った。
「――うまくすれば、あと七日程で王都に着くのか……。――もうすぐこの旅も終わるのだな……」
 その整った横顔が何故か暗い寂しさを纏っていて、レオンは不思議に思った。
 まるで悲しみを目の前に立ち尽くしている人間のような、そんな表情に見えたからだ。
「オスカー……?」
 思わず名を呼ぶと、彼はすぐにそんな気配を振りほどき、悪戯っぽくこちらを見た。
「レオン、来い。私とお前は恋人同士だろう?」
 彼の足元を見ると、レオンの寝床の敷布も彼のすぐ隣に準備されていた。
 何を言われているのか察した途端、頬がカッと熱くなり、胸の鼓動が激しくなる。
 「恋人同士」と言われても、何しろ今朝からのことだ。
 まだ全く心の準備というものが出来ていないが、もしも今夜オスカーに抱かれたら自分はどうなるのだろう――。
 遠い記憶の中で、カインが言っていたことを思い出す。
 ……『心から好きになった人間が同じくらいお前のことを好きになり、そいつとセックスした時』、彼の助力は終わる……。
 その時自分はカインのくびきから解き放たれ、元の自分に戻るのだ。
 だが果たして、本当に戻ることが出来るのだろうか?
 もしかしたら一気に百歳の老人になったりして、オスカーを失望させてしまうかもしれない。
 でも、もしこのままの姿で普通の人間になれるなら、この先彼と同じ時を生きていける望みもある。
 本当の所をもう一度カインに聞きたいが、今はとても聞ける状況ではなかった。
 全く――カインはどうしているのだろう。
 ……あの悪魔は、自分に恋人ができたことをどう思うだろう?
 そう考えると、不思議な罪悪感で胸がズキズキとしてきた。
 彼は怒るだろうか?
 自分に親しい相手が出来そうな時、自分の体に触れようとする者が居た時、彼は必ず怒って傍に現れた。
 けれど今は何故か、影も形も現れない。
 もう、レオンのことなどどうでもよくなってしまったのだろうか?
 そうなのかもしれない――彼は恋人という訳ではないのだから。
 相手にとっての自分も同じだ。
 だからこそ、『終わりにしたかったら、他の人間を適当に探してどうにかしろ』と言って、最初から自分を突き放したではないか……。
(カインの言う通りにしただけだ……だから、いいんだ)
 何に言い訳しているのかよく分からないまま自分の心に繰り返し、レオンは黙って立ち上がった。
 オスカーの作ってくれた寝床へと足を運び、半身を起こして待っていた彼のすぐ隣に腰を下ろす。
 緊張で胸から心臓が飛び出してしまいそうだった。
 カインに強引に犯されたことは何度もあっても、人間と仲睦まじく肌を触れ合わせたことは一度もない。
 鼓動を隠すように俯き体を固くしていると、オスカーの温かい手が首筋に触れた。
「あっ……」
 動揺の余り声が出る。
「こんな所まで赤くなってる」
 からかうように言われ、その手の平がするりと首筋を滑り、肩を抱き寄せてきた。
 すぐ背後にいたオスカーの胸に密着する形になり、茉莉花の香りが香って、益々何も考えられない程胸が高鳴る。
「オスカー……」
 不安と興奮で潤む瞳を彼に向けると、開いていた唇に口づけが降ってきた。
 優しく舌を絡められ、その熱とぬめりに、普段は絵画の大天使のようにも見える彼が、熱く生々しい肉体を持つ一人の男だという事を深く感じる。
 そのことが、またレオンの体を恥ずかしい程高揚させ、性器が甘く痺れるように疼いた。
「……ん……っ、ぅ……!」
 口づけが深くなるにつれ、オスカーは少しずつ紳士の態度を剥ぎ落し、激しく貪るような動きを加えてくる。
 毛布の上にどっと押し倒され、口蓋の奥深くまで厚みのある舌をねじ込まれて、喉や歯列の奥を味わうように犯され、レオンが息も絶え絶えになると、今度は唇の表面を擽るように擦って煽る。
 そのキスをどこかで知っているような気がする――。
 よく分からない心の痛みがまた、ズキズキと胸に走った。
「オス、カーっ……」
 無意識に胸を押して唇を離すと、相手はハッとしたように表情を曇らせ、不安そうに訊いた。
「嫌だったか」
 大きく首を振り、自分からも両腕を伸ばして体を強く密着させる。
 乱れた深緑色の毛布の上で脚を絡め、レオンからも彼の唇を求め始めた。
 舌を淫らに擦り合わせ、欲しがるように先を吸って、自分の中を犯すように仕向ける。
 密着した太腿に、熱い相手の雄が当たり、レオンは震えた。
 ――本当に、感じてくれている。
 自分に恋していると言ってくれたのが嘘ではないことを感じ、強い喜悦が全身を支配した。
 このまま彼の物になり、何が起こっても後悔はしない……。
 そんな気持ちが自然と湧きあがり、熱っぽい涙が頬を濡らす。
「……泣いているのか」
 唇で涙を吸われ、髪を優しく撫でられた。
「泣いているお前も、可愛くて堪らないが」
 こめかみや頬に何度も啄むようなキスをされて、疼くような幸福感に胸がいっぱいになる。
「微笑んでくれ……お前の笑っている顔が一番好きだ。……私の愛しいレオン……」
 そう言われて、潤んだ瞳のまま彼に微笑んだ。
「生きていて、初めて幸せだから泣いている……だから、気にするな」
 そう言うと、酷く切ない顔をされてしまった。
 ――呆れられたのだろうか。
 少し不安になりながら、懐くようにオスカーの首筋に額を寄せる。
 オスカーの唇が耳元に寄せられ、囁かれた。
「もっと溢れるくらい、お前を幸せにしたい……」
 ふわふわとした高揚の中で優しくチュニカの裾が捲り上げられていく。
 薄紅色に色づいている胸の突起にも口づけられて、ビクっと身体が跳ねた。
 オスカーの熱い舌がそこを舐め上げ、厚みのある唇にきつく痛い程吸われて、淫らな声が喉から溢れる。
「っぁあ……!」
 それは彼の舌を押し返す程固くピンと勃っていて、いかにも愛撫されたがって待ち焦がれていたかのようで、無性に恥ずかしかった。
 ――こんなに感じやすいのは、カインがいつも執拗にここに触れるからだ。
 それを、オスカーにおかしいと思われたらどうしよう?
 他にも、どこかにおかしい場所があったら――。
 心では不安が止まらないのに、体の方はお構いなしに欲望に向かいエスカレートしていく。
 胸や腹にも慈雨のように優しいキスを落とされ、レオンが焦れてもじもじと腰を揺らす程になった頃、
「――見てもいいか?」
 囁きと共に、先走りで濡れ、天幕を張るように中が屹立している下着に手を掛けられた。
 これを見たら、オスカーが萎えてしまうかもしれない――そう思うのに、早くそこに触れて欲しいという欲情が止められず、とろんとしたヘイゼルの瞳で相手を見つめ、深く頷く。
 指で布を剥がれると、遮るもののない状態で濡れて反り返ったペニスが恋人の視線の前に曝された。
 あの貴公子のオスカーに、その曇りなく美しい緑の瞳に、自分の痴態を見られていると感じただけで、ブルブルと下腹を震わせてイってしまいそうになる。
「っ、……オスカー……っ」
 熱っぽい感情の溢れた瞳で見上げ、懸命に言葉を紡いで彼を誘う。
「……お前のも……っ」
 そう言ってオスカーの乗馬用のズボンにも指を掛け、慣れない手つきでそれを脱がせようと努力した。
「勃っているから、お前がやるのは難しいだろう」
 くすっと笑われて、オスカーが自分でリンネルのシャツを開き、ズボンの前をくつろげた。
 下着をずらして彼の体格に相応しい長大なペニスを空気に晒し、臍に付きそうな程勃ちあがりきった様を見せ付けられる。
(あれを、俺の中、に)
 キュンと腹の奥が疼くものの、何をどうすれば自分の中にそんな大きなものが入るのかさっぱり見当もつかない。
 カインも同じくらい大きいが、いつも尻尾で解され、濡れるように中を作り変えてから、十分に柔らかくヌルヌルになった所で入れられていた。
 人間とはどうしたらいいのか――途方に暮れていると、オスカーがくす、と喉を鳴らして笑い、レオンのチュニカの裾を持ち上げて頭を通すように脱がせ始めた。
「そう不安な顔をするな。痛がるような事はしない」
 どうやらオスカーの方が慣れているような態度で、少しホッとすると共に胸が痛む。
 ――男としたことがあるのか?
 そう尋ねたかったが、空気を悪くしそうで言えない。
 焦れている内に服も靴も全て脱がされ、生まれたままの姿にされていた。
 こんな、誰が通るかも分からないような野外で全裸になったことは無い。
 羞恥に困惑しながら毛布を引き寄せようとするが、その手を止められた。
「隠す必要はない、綺麗なのだから。……さあ、淫らに感じている恋人のお前を見せてくれ……」
 そう囁くと、オスカーがレオンの片脚を取り、足の指先を口に含んだ。
「ちょっ……お前」
 風呂にも入っていないそんな場所が綺麗な訳がないのに、オスカーの舌が指の間を一つ一つ丁寧に舐めて擽り、指先を順番に口に含んで、音を立ててしゃぶっていく。
 ねろねろと淫らに舌で舐られる感覚に、掴まれている足の先から震えが起き、下半身全体の甘い疼きが溜まっていく。
「そ、んな所っ、いいから……っ」
 懇願するが、止めて貰える気配は無かった。
 指先が濡れそぼると、今度は感じやすい土踏まずを何度も執拗に舐られ、その次は踝、脛と舌が這って行く。
「アッ……ァッ」
 少しずつ性器へと近づいていく刺激に、ゾクゾクと震えが止まらない。
 オスカーが少しずつ体勢を低くし、レオンの内腿に唇を這わせ、大きな音を立ててキスをする。
「ン……ッ!」
 彼の綺麗な蜜色の髪にペニスをさわさわと擦られながら、更に薄く敏感な皮膚に歯を立てて甘噛みされた。
「ハァッ、ァっ」
 性器はとろとろと涙をこぼして待っているのに、焦らされてビクビクと悶え苦しむ。
 相手はそのままそこを無視して、今度はレオンの割れた下腹に舌を這わせ始めた。
「あうぅ……っ」
 オスカーの頭が動くたびにその髪が感じやすい場所を擽る。
 胸筋の間を落ちた汗を舐めとられた後、そのまま舌が乳首をとらえ、大きな音を立てて強くしゃぶられた。
「アはぁ……あっ! オスカーっ……」
 もう少しでイってしまう――その寸前で、また乳首が離されて、二の腕を持ち上げるように掴まれ、汗の溜まった脇の下をざらりと舐め上げられる。
「ハァッ、はぅっ、あっ」
 そんな場所まで味わうように何度も舐られて、羞恥と快楽で体の芯がドロドロに溶けてゆく。
 焦らすような責めに、今にもイってしまいそうなのにイクことが出来ない寸前の快楽にずっと襲われ続けて、呼吸すらうまく出来ない。
「お願いだ……オスカー、頼む、イかせてくれ……っ」
 レオンの下腹を抱きかかえ、背中に舌を這わせ始めた相手に、羞恥に耐えながら懇願する。
 だが彼はレオンの背骨の窪みを一つ一つ舌で確かめながら薄く微笑むばかりだ。
 自分が彼の全身を舐り尽くすまでは、絶頂を許さないと言わんばかりに。
 ――セックスする時、いつも一度目はすぐに出てしまうのに。
 それを許されないことで全身の感度が徐々に上がり、果ては皮膚の全てが性器になってしまったかのように昂ぶっていくのが分かった。
 相手はまるでレオンの限界を分かっているかのように、絶妙のさじ加減で与える快楽を足したり引いたりして、一番気持ちのいい時間を引き延ばしている。
 四つん這いのような恰好で毛布を握りしめて背中への愛撫に耐えていると、今度は大きな手が尻肉を分けるように掴み、その狭い溝をも音を立てて舐め上げられた。
「ひぁあ……ッ!」
 舌がそこを何度も行き来してひとしきり濡らすと、次に後ろから双玉を唇に含まれ、下品な音を立ててしゃぶられ、転がされる。
 遂にかなりダイレクトになった刺激に、ヒクッヒクッと後孔が絞るようにうねり、過剰なほどに感じてしまうのを止められない。
 最初は抑えていた声もより高く淫らになり、遂には泣きじゃくるような悲鳴に近くなった。
「イキたいっ……っ、オスカーっ、もう許してくれ……イキたいぃ……っ!」
 全身を支配する甘く切ない煩悶に、見られていることも忘れ腰を淫らに揺らし、深緑色の毛布にドロドロに濡れたペニスを擦り付ける。
 その内に覆いかぶさるようにして背中を抱かれ、耳朶を噛みながら優しく囁かれた。
「そうやって、私の毛布を使って一人で慰めたのか……? レオン……」
 かあっと?に熱が集まり、下腹に緊張が走る。
 途端、ギリギリを保っていた悦楽のタガが一気に外れ、まだ触れられてもいないペニスが遂に爆ぜてしまった。
「アぁっ! ああああァ……ッ!!」
 長時間全身に燻り続けていた快楽が、駆け抜けるように一気に激しく放出され、視界がチカチカする。
 下腹部がビクンビクンと痙攣するたび、ねっとりと濃い大量の精が毛布の上に溢れ飛んだ。
「悪かった……図星だとは思わなくて」
 オスカーが悪戯っぽく笑い、まだ余韻に震えているレオンのペニスの根元を優しく手の平で撫で下ろした。
「……恥ずかしくて死にそうだ……お前が、こんな意地悪をするなんて思わなかった……」
 毛布を汚した訳を知られてしまった事がショックで、寝具につっぷしたまま相手の顔が見られない。
「意地悪をしたつもりはない。お前を愛しているから、……全部知りたいんだ」
 耳元に囁かれたその言葉に、放ったばかりの性器がまた充血し始める。
 うつ伏せのまま振り向くと唇を熱っぽい口付けが襲い、背後から腰を少し持ち上げるように片腕で抱かれた。
 オスカーの指が毛布の上にこぼれている精液を愛しげに掬い、それを自分の怒張に塗り付けている。
 レオンの太腿に自らのぬめりを帯びた彼の陰茎が擦れ、後孔に緊張が走った。
「……!」
「――脚の付け根を少し閉じてくれ」
 相手の動きを予測できない中で、言われるがままに太腿を閉じると、尻の狭間にぴったりとオスカーの怒張を挟み込むような形になる。
「……? 何を……」
「お前の体を傷つけたくない。少しそうしていてくれ……」
 意味が分からないまま頷くと、背後で彼の腰が前後に動き始めた。
「あ……!」
 汗と、オスカーの唾液で濡れた尻の狭間を、熱を持った濡れた肉茎がヌチュヌチュと行き来し、擦りあげる。
 前に突き出されれば双玉が持ち上げられて疼き、後ろに引かれれば反り返った亀頭がレオンの孔に引っかかり、その奥にある快楽の器官をやんわりと刺激する。
「ァあぁ……っ!?」
 やっとレオンにも状況が分かった。
 オスカーはここを使って自らのペニスを慰めるつもりなのだ。
 レオンの中には、挿入することなく……。
(そん、な……)
 焦れた後孔がヒクつき、不満を訴える。
 欲しいものがすぐそこにあるのに、どうして――と。
(――挿れて欲しい……っ)
 そこを埋めて満足を得ることを知っている体が悲鳴を上げる。
 腹の奥がよじれるような切なさが溢れ、言われたとおり脚を閉じていることすら覚束ない程だ。
(欲しい、欲しい、オスカーが中に欲しい……っ)
 頭がおかしくなりそうなほどそう思うのに、口に出すことが出来ない。
 初めての睦み合いで既にあんな痴態を見られてしまったのに、その上娼婦のように中に入れることをねだったりしたら、相手にどう思われるか分からない。
 自分の体がカインの手で取り返しのつかない程淫らに作り変えられていることを、改めて自覚させられた。
 一度最後まですれば、オスカーはきっとこの体を通し、レオンが『神』にどんなことをされてきたのか知ることになるだろう。
 ――『今のお前は、あの娼婦なんかよりずっと、ココで精液搾り取るの上手いよな……?』
 最後の夜に、そう言われたことを思い出す。
 オスカーに入れられたら……抱きしめられ、「愛している」と言われながら中を激しく突かれたりしたら、きっと自分も夢中になって腰を振ってしまう。
(それはダメだ……っ、でも、欲しい――)
 二律背反の心が苦痛の叫びを上げる。
 ――彼と一つになりたい。溢れる程中に出して欲しい。――血を流し、激しい痛みを伴ったとしても。
 先走りで濡れた大きな亀頭が後孔に触れるたびにそこがヒクヒクと震え、雄を呑み込みたがって焦がれる。
 切なさに耐えきれず、涙が濃緑色の毛布にパタパタと落ちた。
 こんなに、彼が欲しくて堪らないのに。
 だからこそ、嫌われるのが怖い――。
 泣きながら、背後で少しずつ激しくなるオスカーの動きと息遣いを愛おしく思う気持ちが溢れ、止められない。
「オスカー……好きだ……好き……っ」
 彼の全てを求める気持ちが自然に唇から漏れてこぼれる。
「――やっと言ったな。私を好きだと」
 嬉しそうな、そして少し切なさの混じったような声音で背後から囁かれ、オスカーの手がレオンのペニスを握りこんだ。
「んぁ……っ」
 先ほどは待ち焦がれたまま最後まで愛撫を貰えなかった場所にやっと直に触れられ、そこが歓喜の反応を見せる。
「お前のその言葉は、甘い蜜のように私を狂わせる……もっと言ってみろ、私を好きだと……」
 尻の狭間を激しく擦り上げられながら耳元で命じられ、レオンは性器をオスカーの大きく肉厚な手の平に擦りつけながら、うわ言のように言葉を紡いだ。
「……ん……っ、好きだ……ァッ、はあ……っ、好き……、っ……、愛してる……っ」
 尻の狭間でオスカーの怒張がビクビクとわななき始める。
 相手が絶頂しようとしているのを知って、愛おしさがまた更にこみ上げる。
「……お前を、愛してるっ……っ!」
「……っ、レオン……っ」
 大量の白濁がレオンの尻の狭間に飛び、そこをドロドロに浸されながら尚も何度も擦られる。
「あぁ……!! 熱いぃ……っ」
 体液で濡れそぼった後孔が益々切なく収縮し、レオンのペニスもオスカーの手の中にまた精液を吐きだす。
 下に敷かれた濃緑色の毛布がこぼれ落ちた二人分の精でドロドロに汚れてゆく。
 これ以上体勢を保っていられずにレオンが毛布の上に倒れると、オスカーの両腕に強く抱きしめられ、頬や額に情熱的な口づけを繰り返された。
 その優しさにすら、密やかな飢えを感じてしまう――。
 レオンは己を嫌悪しながら、涙に濡れた瞳をゆっくりと閉じた。


 それから何晩も、蜜のように甘い夜が続いた。
 芯まで溶けそうなほど執拗に、体中口づけと愛撫を施され、貪欲な体が「もういい」と吐くまで色々な手段で快楽を与えられて、恋というものが何なのか、十分に分からされた。
 けれど、奇妙なことに――。
 二人が恋人になって何日経っても、最初の日と同じく、決してオスカーは最後までレオンを抱こうとしなかった。
 王都に着いてしまえば、どんな危険が待っているか分からない。
 二人とも、あるいはどちらかが命を落とす可能性もある。
 二度と会えなくなることだってあるかもしれないのに――どうして、彼は自分を抱こうとしないのだろう。
 『神』の怒りを恐れて?
 それとも、この異常な体を密かに忌避しているのだろうか。
 交わってしまえば『神』との繋がりもこの肉体の異常も終わりがくるはずなのだが、その事を自分の口から彼に話すことは出来なかった。
 ――まるで、催促しているように聞こえてしまうかもしれないと思ったからだ。
 たった一つだけ、最後に残った秘密を恋人に隠したまま、それが心の中でどんどん重しになってゆく。
 眠る前の口づけを交わした後、毎晩レオンは懊悩した。
 夜ごとに体の奥が甘く疼き、欲しくて気が狂ってしまいそうだ。
 他の快楽は全て与えられているのに、一番求めているこれだけは無視されている。
 恋人に対する疑念と一緒に、本当に満たしたい欲求を埋めて貰えない苦しみが少しずつ溜まっていく。
 何かきっかけがあれば、醜く爆ぜてしまいそうな程。
 ――汗ばむ額を何度も毛布に擦りつけながら、何故か、あざ笑うような表情をしたカインを思い出した。
 聖騎士だった自分がまるで女のように、男に抱いて貰えない事に苦しんでいることを、彼は笑っているだろうか。
 それとも……。
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