聖騎士の盾


 暗い新月の夜。
 背の高い草の密生した草原を背後に、二人は向かい合っていた。
「明日は王都だな」
 草を刈り、街道脇に焚いた火の横で、彫りの深い瞼を伏せてオスカーが小さく呟く。
「ああ……」
 レオンもどこかぼんやりとした調子で頷いた。
 今日は日中から殆ど会話をしておらず、ずっとこんな調子だった。
 道の左右どちらを見ても、まばらに木の生えた寂しい平原が広がっている。
 元は広い小麦畑だった場所だ。その名残か、遠くに打ち捨てられた納屋が見える。
 王都にいよいよ近づいたここ暫く、放棄され荒れ果てた耕地や、崩れ落ちた民家を数多く見てきた。
 想像以上に寂しげな王都周辺の様子に、レオンは固唾を呑み、ただ黙って手綱を握って通り過ぎることしか出来なかった。
 荒れ果てた故国を目にしたオスカーの胸中に何がよぎっているのか、自分は伺い知ることが出来ない。
 それどころか、レオンはここ数日、恋人の事を何も知らないことを思い知らされていた。
 生い立ちは以前教えてくれたが、子ども時代のことも、そして亡命してからの暮らしも、彼は子細に語ったことが無い。
 レオンが質問しても、はぐらかされたり、逆に自分のことを訊かれてしまう。
 彼は何故、一人故郷に帰り王を殺そうと決意したのだろう。
 王都に近付けば近づく程、沈鬱な表情になり始めたのは、何故なのか。
 そしてどうして、自分を最後まで抱かないのだろう……。
 最後の疑問は、挿入して貰えないことで毎晩深く傷付いている自分の我儘な思いで、口に出すことも恥ずかしかった。
 生まれて初めての恋人との性の営みに溺れる痴れ者と思われても仕方がない。
 一体何の為に馬を駆り、こんな所までやって来たのか分からず、酷く情けなかった。
(生きるか死ぬかという事を目の前にして、オスカーのことばかり考えている俺は、病気なんだろうか……)
 燃え爆ぜる火を見つめたまま、レオンは悩み続けていた。
 そして、当のオスカーは何か思い悩むような表情をしたまま、今も心ここにあらずと言った様子だ。
「……そろそろ眠るか?」
 長く重苦しい沈黙に耐えられず、レオンはそう声をかけた。
「……お前は寝床の用意をしたらいい。私はまだいい」
 そう言われて、避けられているようでまた深く傷ついた。
 ――もう、限界だ。
 唇を噛み、意を決したように立ち上がる。
 何かに悩んでいる様子の人間に、こんなことを言うのは場違いだと分かっている。
 だが、含みのある相手の態度にはこれ以上耐えられず、もし何か理由があるなら聞き出したかった。
 勇気を振り絞り、彼の傍まで歩き、隣で静かに膝を抱える。そして炎の熱と震えるほどの羞恥で頬を熱くしながら、訴えかけた。
「オスカー……明日の夜はもう……俺たちは生きていないかもしれない……」
 この状況で自分からこんな事を言うなんて、どう思われるか分からない。震える唇を開いて言葉を継ぐ。
「だから、ちゃんと最後まで……お前の物にして欲しいと思うのは……おかしいか」
 だが、そう言って見つめた相手の顔に浮かんでいたのは、どう見ても困惑の表情だった。
(……!)
 凍り付いたレオンの隣でオスカーがゆっくりと立ち上がる。
「……お前はもう眠れ。私は少し用事があってここを離れる」
「……こんな、真夜中にか」
 呆然として尋ねると、オスカーはこちらに背を向けて馬の支度をし始めた。
「そうだ。この先に住んでいる元神官の男に会ってくる。帰りは遅くなるから、一人でもしっかり自衛しろ」
 明らかに素っ気ないその態度に、レオンは返事をすることもできない程深く傷付いた。
 恥を耐え、最後の最後に勇気を振り絞って訊ねた言葉をあっさりと無視されてしまったのだ。しかも相手は逃げるかのように、ここを離れるという。
 ショックで固まっている内に、オスカーが馬に跨り、拍車をかけて街道に出て行く。
 馬は嘶きをあげ、蹄の音を立てて王都の方角へと走り去っていった。
 たった一人残され、暫く呆然とし、小さくなってゆく人馬の背中を見つめる。
 その内に恋人が引き返してくる気配もないのを悟り、レオンはのろのろと一人分の寝床の支度を始めた。
 荷から引き出す毛布も、自分の服にも、全てにオスカーの香りが染み付いている。
 こんなに彼の存在に心も体も染め上げられている事が、一人になると改めて恐ろしかった。
 愛し愛される幸福と安らぎを知ってしまった今、ちょっとしたことにも傷つき、不安になる自分がいる。そしてもう二度と以前の自分に戻れない。
 その事実に直面するたび、なおさら心が痛んだ。
 自分の体がカインの守りとオスカーの愛情との間で引き千切られていくように感じる。
 悪魔の他に誰とも交わらぬ孤独な永遠の生と、人間として愛と共に生きる有限の生との間を――。
 毛布に体を包み、ずいぶん冷えるようになった夜を一人堪えながら、レオンは寝返りを繰り返した。
 オスカーはまだ、帰らない。
 頭上では星が巡り、生きて動くものの見当たらない深い静寂が骨身に染み込む。
 時が止まってしまったかのように長い夜を恨み始めた時、目を閉じていたレオンのそばに誰かの気配がした。
 衣擦れの音と、枯れ始めた草原の長い草を踏み誰かが近付いてくる音。
「オスカー……?」
 おかしい。彼が帰ってきたにしては、馬の気配がしない……。
 首を回して視線を巡らせると、すぐ目の前に黒い革の長靴と、同じ色のローブが視界に入った。
 寝入りばなの夢かと思った。
 だが、頭は冴えすぎるほどに冴えている。
 目の前の男が跪き、青白い手を伸ばしてそっとレオンの髪を撫でる。
 どこか優しい表情を浮かべた、女性と見まがうような艶やかな美貌と長く美しい銀髪。
 その温もりと、懐かしい彼の顔立ちに溢れるような慕わしさが胸に湧き、自分が恐ろしくなった。
 それがオスカーにも感じているのと同じ、恋情そのものだったからだ。
「……やめろ……!」
 自分の感情を振り払うようにカインの手を跳ね除け、バネのように身を起こして立ち上がる。
 相手は少し驚いたようにルビー色の瞳を見開き、レオンのそばにゆっくりと立った。
「久々だな、レオン」
 ずっと姿を見せなかったくせに悪びれもなくそう言った男を、レオンはわざと強く睨み付けた。
「……っ。今更、こんな時に現れて何のつもりだ。俺が逃げ帰るのを待ってるんじゃなかったのか」
 まるで自分の葛藤をぶつけるようにキツい口調になってしまう。
 これでは八つ当たりだ。自分でもそう分かっているのに、止められなかった。
「随分な言い方するじゃねえか。そろそろお前が泣いている頃だと思って、一足早く来てやったんだろ」
 カインがクッと喉を鳴らし、意地の悪い調子で続けた。
「慰めてやろうか? お前……欲しいんだろう。男が……」
 カッと頬が熱くなり、レオンは激昂した。
「欲しくない! お前とはもう、二度とあんな事はしない! この先永遠にだ……!」
 これ以上カインの顔を見ている事が辛くなり、視線を外したまま激しい言葉をぶつける。
 そうしなければ――カインの顔を真正面から見てしまったら、またその腕にすがり抱擁を求めてしまいそうだった。
 思い出してしまう。
 気紛れに与えられる温もりや、一緒に過ごした幾つもの夜や、髪を撫でる手を。
 その上もし恋人がこの場に帰ってきたりしたら、どんな事態が起きるか分からない。
 早くカインを帰らせなければと焦る気持ちがつのった。
「お前とは金輪際もう会わない! 俺のことは放って、早く帰ってくれ……っ」
 あからさまな拒絶の言葉を浴び、カインの整った顔に炎のような怒気が浮かび上がる。
「おいおい、一体どういう風の吹き回しだよ。――ああ。男が出来たからか……」
 嘲笑うような視線を向けられ、カインの指がレオンの顎に触れる。
 唇を親指の腹で撫でられ、至近距離からじっとこちらの瞳を覗き込まれた。
「この前まで俺の上に跨ってヒイヒイよがってたくせに、突っ込んでくれそうな奴が出来た途端その態度……お前、分かりやすいなあ――」
「……っ!」
 侮辱的な言葉に羞恥と絶望を煽られ、何も言い返すことができない。
「そろそろ、お前の長旅も終わりって訳だ……」
 カインの尾がしゅるりと太腿に巻き付いてきて、その唇が熱を帯びた耳朶に近付き囁く。
「分かってんのか……? お前、あの男とヤッたら、俺の付けてやってる守りが消え失せるんだぞ」
「……それでも、俺は構わない。だからもう、お前とは二度と会わな――」
 全て言い終わらない内に、レオンの内腿に鋭い痛みが走った。
「いっ……つ……!」
 余りにも深く針を刺された感覚があり、肉を裂かれるような痛みに膝から地面に崩れ落ちる。
 いつもならすぐに引っ込むそれは、ずっとレオンの体内に止まったまま、熱を放ってドクドクと何かを血管に放出し出した。
 心臓の動悸が急激に激しくなり、目の前の視界がユラユラと歪む。
「な……何……を……」
 身体中の血管が心臓になったかのように脈打ち、下半身がマグマのように熱く疼く。
 全力疾走した後のように呼吸が激しくなり、話すこともままならずレオンは地面に倒れ伏した。
 余りの動悸に微細な血管が破れたのか、鼻の穴からつうっと血が溢れて頬に落ち、地面に染みていく。
「バカ、あんまり怒らせるから加減を間違えちまっただろうが……っ」
 カインが苛立った口調で吐き捨て、倒れたレオンの胸を抱きおこす。
「ふぁあっ……!」
 その腕がちょうど硬くなった乳首に当たって擦れた――それだけで、強い性感が体を駆け抜けて下半身を直撃し、射精で下着が汚れていくのが分かった。
 開きっぱなしの唇の端から涎がダラダラと零れ落ち、麻薬のようなカインの体液が身体中で暴れ、レオンを支配していく。
 涎と涙がボトボトと垂れ落ち、顔がぐちゃぐちゃに汚れている。
 身体はカインにグイグイと強く引き摺られてゆき、やがて、先刻まで寝ていた毛布の上に身体が仰向けに放り出された。
 衝撃が走り、地面に後頭部と背中を強く打ち付ける。
 今はその痛みさえ、甘い愛撫のように身体を悦ばせた。
「落ち着くまで待ってやる……。今ヤるとお前の心臓が止まっちまうからな」
 カインが覆いかぶさるようにしてレオンの顔を覗き込み、頬についた血と涙を舌で乱暴に舐め上げる。
「……っん……!」
 その感触は酷く甘美で、懐かしい。
 カインはそれ以上レオンに触れることはせず、隣に沿うように体を横たえながら、揶揄するように囁いた。
「……変わったもんだな、レオン。――お前の神は、恋愛も男の恋人も許さないんじゃなかったのかよ」
 その言葉に、レオンは首を彼の方に向けた。
 苦しい呼吸の下で初めて相手の顔を見つめ、答える。
「……。俺はオスカーと会って……俺が正しいと思っていたことが、誰にとっても絶対的に正しいということはない、と知ったんだ……。信仰を捨てたわけではないが、人を愛すること自体を、禁忌とは思えない……お前のことももう、悪魔だとは……思わない……」
 カインが驚いたように瞳を見開き、そして、見たことも無いような切ない表情を浮かべた。
「今更そんな事を言やがって……お前の方がまるで悪魔だぜ、レオン……」
 白い指が壊れ物に触れるように優しく頬を撫で、カインが独り言のように呟いた。
「……お前の願いを全部残らず叶えて、与えられるもんは全てお前に与えても、……お前が俺を愛することなんてねえのにな……」
「……? どう言う事だ……」
 意味が分からずに聞き返すが、彼は答えない。
 暫く沈黙が二人の間に降り積もり、やがて、カインが口を開いた。
「レオン……お前には辛い話かも知れねえが、――あの男は、この先も絶対にお前を抱かねえよ」
 胸の内で耐えていた不安を強く揺さぶられ、レオンはビクンと身体を震わせた。
「何故、お前にそんな事が分かる……」
 ガクガクと震える体をどうにか持ち上げ、カインのルビーの瞳を睨む。
 だが、怯むことなく相手は言葉を続けた。
「あいつはお前に会った時からずっと嘘をついている。あの男に何を望んでももう、お前が傷付くだけだって言ってんだよ」
「どうしてそんな――オスカーの心を読んだとでも言うのか……っ」
「俺が読めんのは人間の強い望みだけだ……」
 感情を抑えた表情で、彼はレオンの髪を慈しむように撫でた。
「じゃあ、何故そんな事が言える!? 俺は信じない……お前じゃなく、オスカーを信じる……っ」
「あの男が、これからお前を一人残してどこかへ居なくなっても、そう言えるのか」
「――そうなったとしても、俺はオスカーを愛している……っ」
 泣きじゃくりながらレオンは強く言い放った。
 カインは気紛れで意地悪だが、嘘をつかれたことは一度もない。
 オスカーが嘘をついている――そうカインが言うなら、それは本当のことなのだろう。
 けれど、彼と二人で旅した日々が全て嘘だったとは思えない。二人で過ごした時間から生まれた、この自分の気持ちも。
 それだけは誰にも否定されたくなかった。
 頑なな態度をとるレオンの目の前で、カインが長い溜息をつく。
 そして、その輪郭が――少しずつ、溶けるように崩れ始めた。
「何……カイン……?」
 愕然としていると、彼は薄く笑って言った。
「――お前がどうしてもあの男が好きだって言うなら、俺が代わりにお前を抱いてやる……」
 目の前でカインの形がゆらゆらと変わっていく。
 流れる銀髪が蜜色に変化し、襟の詰まった服も黒から明るい茶色に変化して、顔立ちははっきりとした凛々しい目鼻立ちに変貌してゆき――そして彼は、完全にオスカーの姿になった。
 目を疑いながらも、ハッとして昔の出来事を思い出す。
 アレクスは、カインに抱かれていながら、実はレオンに抱かれていたつもりだった――そう、彼は言っていた。
 今のカインはあの時と同じように、オスカーの幻を纏っているのだ。
「やめろカイン……っ、そんなことはしなくていい……っ」
 今目の前でレオンに添い寝している彼は、幻とは思えない程、余りにも恋人の貴公子そのものだ。
 その腕がレオンの震える背中に回り、彼の膝に乗せられるようにして体が抱き起こされる。
 柔らかな蜜色の髪が顔に触れ、茉莉花の香りがふわりと香った。
 頬を掌で包まれ、唇を啄むように口付けされる――その感触も疑いようがなく、オスカーのキスそのものだ。
「レオン……さっきはつれない態度を取ってしまって、悪かったな……お前を悲しませるつもりはなかったんだ……私を許してくれ」
 目の前の男が華やかに、しかしどこか悲しげに微笑む。
 その言葉はもしかしたら、心の奥底で望んだものだったのかもしれない。
 それが分かるのが心底恐ろしかった。
「カイン……、お願いだ……やめてくれ……っアァ……ッ」
 オスカーの姿をした幻がレオンの柔らかいシャツを開き、露わにした肌を強く吸い上げて口付けていく。
 腕を抜かれてシャツが毛布の上に落ち、次はその手が腰に回り、ぐっと持ち上げるようにレオンを毛布の上に膝立ちにさせた。
 オスカーもまた跪くようにその傍に片膝で立ち、レオンの耳元に熱情を含んだ囁きを吹き込む。
「お前は私の気持ちも知らずにあんな可愛いことを言って、……私がお前を最後まで奪うのを、今までどれだけ我慢していたか知っているのか……?」
 その言葉の響きもオスカーそのもので、演技も嘘も、微塵も感じられなかった。
 体の内側がゾクゾクと疼き、レオンの心が混乱してゆく。
(これはオスカーじゃない、違う、オスカーじゃない……!)
 戦慄するレオンの腰からズボンと下着が剥がされ、毛布に突いている両膝まで擦るように落とされる。
 精液でドロドロになったペニスが遮るものを失い、下腹に跳ねあがった。
 そこに指が優しく触れ、ぬめりをゆっくりと扱き取っていく。
「ァはあ……っ!」
 カインの体液で未だ興奮状態の体には、それは強すぎる刺激だった。
 両脚を服で拘束されたままビクビクと腰を悶え、膝で体重を支えられなくなって目の前の相手にすがりつく。
「カイン……もうやめ……っ」
 懇願するように相手を見上げたが、それがいけなかった。
 余りにもオスカーそのもののペリドットの瞳と視線が合ってしまい、かえって目を離すことが出来なくなる。
「……レオン、」
 恋情を宿したその瞳で甘く見つめられ、相手の両腕がレオンの背後に回り、引き締まった尻を掴み開く。
「……ん……ァあ……っ!」
 濡れた熱い指がレオンの中に入ってきて、襞をほぐし、内側の粘膜を確かめるように広げていく。
「……こんなにここを柔らかくして……健気だな、レオン……」
「はァ……ッ、ァあぁ……っ」
「私が、気付かないとでも思っていたのか……? お前がイク度に、ここが私を欲しがって切なそうにしていることに……」
 ヌチュヌチュと水音を立てて指を出し入れされ、腰が自然と揺れて、後孔が素直に彼の指に馴染んでゆく。
 ――ずっとそうされるのを待っていたと、言わんばかりに。
「カイン……っ、やめてくれ……お願いだ……俺は……っ」
 抵抗しなければと思うのに、まだ四肢の先に感覚が戻らない。
「どんどん私に夢中になっていくお前はあまりに可愛くて……お前に愛していると言われる度に、私は……っ」
 耳に吹き掛かるオスカーの荒い息遣いに頭がグラグラする。
 熱情に溢れた言葉。
 本当に、自分に触れているのはカインなのだろうか?
 目の前の男は、匂いも、声も、口調も、態度も、言葉も。
 全てがオスカーそのものだ。
「ッ、あ……オス……カー……」
 思わず名を呼び、もっと愛撫をと強請りかけて、ブルッと震えて唇を噛んだ。
 いや違う。今自分は見たではないか、カインがオスカーの姿に変身していくのを。
「カイン……っ、もうやめろ……頭がおかしくなる……オスカーを裏切りたくない……」
「お前を抱いているのは私だ……もう限界だ、レオン……お前が誘ったのだからな……私が欲しいと」
 指が抜かれ、そして、背を支えながらゆっくりと押し倒される。
 引っかかっていた服を力の入らない足の先からはぎ取られ、無防備なまま全裸にされた。
 膝をぐっと腹に付けるように押され、無理やり露わにされた後孔へ、熱を帯び、先走りを滴らせた怒張が押し当てられる。
 気付けば、毎晩狂おしいほど求めていたものが、狭い場所を押し開いてレオンを犯し始めていた。
「カイン……っ、嫌だ、俺の中にっ、入って来ないでくれ……っ、うあ……ぁっ!!」
 拒絶したつもりが、その声の末尾は甘い喘ぎに変わっていた。
 窄まりは抵抗することなく嬉々として襞を開き、カインなのか、オスカーなのか分からない男を易々と受け入れてゆく。
 背骨が軋むほど両腕できつく抱きしめられ、次第に早く、激しく腰を打ち付けられ始めた。
 容赦無く奥まで出し入れされ、体を奪われる痛みと共に、胸を焦がすような甘い喜びが全身を支配する。
「嫌だ、っ、ンッ、あァッ、きもちい、……ァはァ……ッ、奥、……ひっ、いや……ぁッ」
 いやなのか欲しいのか、錯乱して自分でも何を言ってているのか分からない。
 幻影がレオンを犯しながら耳元で囁く。
「……私の愛しいレオン……これで全部お前は私の物だ……っ」
 その熱に浮かされた囁きを聞いた時、心が握りつぶされるような絶望を覚えた。
 ……自分はオスカーを裏切ってしまった。それも、嬉々として。
 レオンのオスカーへの愛も、オスカーのレオンへの愛も、全てがカインに否定された。
 オスカーは嘘をついている。
 そしてレオンも、オスカーを愛していると言いながら恋人の姿をしたカインに抱かれて淫らに喘いでいる。
 本当はどこにも愛などなかったのかも知れない。
 目の前の悪魔以外、全てが幻だった……。
 犯されながら心が引き裂かれて血を流し続け、その内に何も考えられなくなった。
 目の前にいる男が誰だったかも、もう思い出せない。
 ただ、耳に触れる息遣いも、熱を持った皮膚も、力強い律動も、幻でも偽りでもない、本物の恋人のそれのように思える。
(俺の、オスカー……)
 ぼんやりとしたままレオンは恋人の名前を思い出した。
「愛している……お前を愛している、レオン……っ」
 繰り返される言葉はどこまでも優しく甘く、抱きしめる腕は強い。
 やはりこれはオスカーだ。
 最後までしていなくても、何晩も抱かれた。間違うはずがない……。
 痛いほど突き込まれて与えられる快楽と、カインの体液の起こす錯乱状態の中で、レオンは腕の中の恋人に囁いた。
「……俺もっ……愛してる……」
 恋人の幻影を強く抱きしめ、内側の肉襞を甘く引き絞って、後孔の中のペニスを強く弱く、締め上げて懸命に愛する。
 長い時間の中で、カインと交わる度に何度も何度もそうしてきたように。
 中にいる幻も、幾度となくレオンに与えてきたように、1番突いて欲しい場所を優しく、時には乱暴に穿ち、ぴったりと呼吸を合わせて快楽の糸を紡ぎ合わせる。
「愛してる……」
 もう一度囁くように漏らすと、呼応するように相手の体が震えて、レオンの中でドクドクと精を吐き散らした。
 内側が満ちる感覚でレオンも達し、二つの体が境目もなく溶け合うような錯覚が起きる。
 指を伸ばし、腕の中の男の顔から乱れる蜜色の髪を掻きあげ、頬を手の平で撫で、じっとその目を見た。
 澄んだ緑の瞳の奥に視線を凝らすと、寂しげな赤い輝きが灯っているのが見える。
 それを見つめ、レオンは泣きながら微笑んだ。
「もっと、愛してくれ……もっと強く……っ」
 瞬間、奪うように口付けをされる。
 幻はレオンの全てを支配して愛し、レオンも身も心も開いて彼を受け入れ、気を失うまで求め続けた。


 翌朝、レオンは強い身体の痛みと重苦しい怠さで目覚めた。
 脚を引きずるようにどうにかして寝床から起き上がると、既に太陽が高く昇っている。
 ――完全に寝坊したらしい。
 焦って辺りを見回すと、昨日とは別人のような、爽やかな笑顔を浮かべたオスカーと目が合った。
「お早う」
「……!」
 慌てて自分の体に視線を落とすと、しっかり服を着ている。
 下着も綺麗で、どこにも不自然な部分は無い。
(ゆ、夢……!?)
 だが、腰の痛みと体に内側に残る違和感は、どう考えても気のせいでは無い。
 恋人が帰ってきたことへの安心感と、不意に襲ってきた強烈な罪悪感で、途端にオスカーの顔を見ることが出来なくなった。
(昨日俺は、俺はまたカインと……いや、オスカーになったカインと……してしまった……っ?)
 カインの体液が強烈に脳に回っていたせいで、昨日あった出来事を断片的にしか思い出すことが出来ない。
 吐き気のするような自己嫌悪で、唇を手で抑えたまま俯く。
 昨夜、一体、何がどうしてあんな事になってしまったのだろう――。
 ズキズキと痛む胸を押さえ、どうにか記憶を呼び覚まそうとする。
「レオン」
 不意に甘く名前を呼ばれて、背後から抱きしめられた。
 ドクンと心臓が大きく跳ね上がり、呼びかけに応えることもできない。
「昨夜は遅くまで起きて待っていてくれて嬉しかった……。すっかり寝不足にしてしまったな……」
 オスカーが耳元に口付ける。
「だが、お前と結ばれて嬉しかった……」
 その言葉にレオンは凍りついた。
 うすぼんやりとした頭の中のどこにも、そんな記憶は見当たらない。
 あれはカインのはずだ。それとも、本当にオスカーだったのか。
 あるいは――カインはオスカーにも同じような幻を見せ、結ばれたと思い込ませたのか。
『あいつは会った時からずっと、お前に嘘をついてる』
 彼の残した不吉な言葉が記憶に蘇る。
「オスカー……俺は昨日、……お前と一緒に眠ったのか……?」
 恐る恐る尋ねると、背後の男はくすっと喉を鳴らして笑った。
「当たり前だろう? 私の愛しいレオン……」
 音を立ててうなじに甘く口付けを残し、オスカーの腕が離れて行く。
 何が本当で、何が嘘なのか分からない。
 目の前に居るのが本当にオスカーなのかという事にすら、自信が持てない。
 身震いしながら立ち上がり、自分も馬に乗る準備を始める為に動き出す。
 とにかくこの不吉な場所から、先へ進まなければならない……。
「さあ、行こう。日のあるうちに王都に入らなければ。これ以上ゆっくりはしていられない」
 蜜色の髪をした恋人の、何一つ迷いのないその言葉に、レオンはただ頷くことしか出来なかった。



 周囲に糸杉がまばらに生える王都への広い道に、霧のような小雨が降り始めた。
 厚い鈍色のマントのフードを深く被った2人が、オスカーを先頭に馬を進めてゆく。
 暗く重い雨雲が垂れ込めた空の下、前方にはもう王都が見えている。
 小高い丘の上に尖塔が密集してそそり立つ城と、それを囲む石造りの旧い市街。
 首都だというのに、そこには遠目にも人の気配を感じることが出来ない。
 まるで住む人もないまま時の止まった、古い遺跡のようだ。
 その場所には、神の力を取り込み、レオンと同じだけの時を生き続けているはずのエルカーズの王がいるはずだ……。
(神の力を持つ王……)
 レオンは細かい雨にけぶる城をぼんやりと見つめた。
 カインの事がふと思い出されて、胸が痛む。
 焚火に照らされた彼の蒼白な顔。
 もう会わないと言った時の表情……。
 恋情と後悔の入り混じった感情が湧きだし、頭の中が混乱する。
 それでも体だけは黙々と目的地に前進していると、目前の背の高い草の中から、黒い布の塊が突然飛び出してきた。
 カインのローブを思わせるそれにドキッと心臓が跳ねる。
 馬の手綱を強く引いてよくよく見れば、それは黒い丈の長い服を着た白髪の老人だった。
 白い髪と髭を伸ばしたその老人は、杖を手によろよろと道の真ん中に寄ってくる。
 レオンは驚いていたが、オスカーはすぐに相手に対し、馬上から親しげに声を掛けた。
「神官どのではないか。――見送りは良いと言ったのに」
 老人が深い皺の刻まれた顔を上げ、雨に濡れたまま馬上のオスカーを眩しそうに仰ぐ。
「……いえ、あなた様はこの国に残った最後の希望……神に仕える身として、どうしてもお見送りをさせて頂きたかったのです……」
 その言葉からすると、どうやら老人はエルカーズの神官のようだった。
 昨日オスカーが会っていたというのは、彼のことなのだろうと気付く。
 逃げるように出て行ったと思ったのは誤解だったことを知り、レオンの顔からすっと血の気が失せた。
 昨日自分を抱いた恋人の記憶が蘇り、感情が混乱して吐き気を催す。
 目の前では、神官とオスカーの会話が続いている。
「昨日は色々無理を言って済まなかった。……私が頼んだことを、くれぐれも宜しく頼む」
「……承知しております」
「それでは、御身に平和と安寧を祈るぞ」
「あなた様にも」
 別れの挨拶を終え、オスカーが馬の腹を蹴って再び進み始める。
 レオンも辛うじてその後に続き、こちらを見つめて立ち尽くす老人の横を通り過ぎた。
 神官がオスカーの後ろにつくレオンの姿を見上げながら、独り言のように呟く。
「神に仕える騎士よ、どうかお気を付けて」
 その言葉にレオンはビクンと背を強張らせた。
 自分が神に仕える聖騎士だったのは百年も昔の話だ。
 そういう意味で言ったのでは無いとすれば、一体老人はどういう意味でその言葉を発したのだろう。
 謎のまま、背後の神官の姿が遠ざかって行く。
 やがて崩れ掛けた石橋を渡って最後の川を越え、2人は王都の入口である鉄の門の前に辿り着いた。
 都市と外部を隔てる外壁に作られた観音開きの門扉は、右半分がひしゃげて地面に落ち、風雨に晒されてすっかり錆びている。
 その向こうには幾重にも重なった瓦礫が見えていて、馬に乗ったままでは進めそうになかった。
「馬は無理だ。さあ、こちらへ」
 そう言ったオスカーに従って馬を降り、ぬかるんだ地面に足を下ろした。
 門扉をふさぐようにして積まれた瓦礫を越え、ふたりは徒歩で王都ヴァーリの内部に入った。
 大通りを囲む、今は放置された幾つもの商店の跡、色あせて所どころが破壊された石畳のモザイク、崩れかけたドーム状のコロッセオ――往時は華やかな都市であっただろうと思わせる幾つもの痕跡を、横目に通り過ぎてゆく。
 まるでここは、死の町だ……。
 そう思うと背筋がゾッとして、レオンは歩きながらマントの布を引き寄せた。
 オスカーは道を分かっているようで、どんなに酷い道でも迷わずに大股で歩いてゆく。
 レオンはそんな彼についていくのが精いっぱいで、次第に息が上がってきた。
「――城に行く前に、一つ寄りたい所がある」
 不意にオスカーがそう言った。
 拒否する理由もなく、素直に頷き、彼の後に続く。
 足を取られそうな荒れた坂道を共に歩きながら、レオンは勇気を出して相手に尋ねた。
「……どこへ行くんだ……?」
「――私たちの神の祀られている場所だ。城のすぐ傍にある」
 オスカーが城壁のすぐ下を指さした。
 前面に彫刻の施された白い柱が並び立つ、奥行きのある建物が見える。
 その屋根は丘の城に届きそうなほど高く、側面には目張りのされた大窓が並ぶ、他の建物とは風合いの異なる建築物だ。
(神の祀られている場所……)
 その神には、カインも含まれているのだろうか――。
 一瞬そんなことを考え、また昨夜のことを思い出してしまった。
 時間が経ち、記憶が鮮明になっていくにつれ、胃がぐっと締め上げられるように縮み、胸が酷くえずく。
 思い出すたびに感情が引き裂かれそうなのに、自分はまだ何事もなかったようにオスカーと旅をしている。
 カインとオスカー、二人の間で揺れ動き、目的を半ば失っている有様だ。
 オスカーを愛している。そのことに間違いはなかったはずだ。
 それなのに何故……。
「こちらだ、レオン」
 神殿の前までやってくると、オスカーは背後のレオンを促すように振り向いた。
 彼は立ち並ぶ円柱の間をすり抜け、迷いなく中へ入っていく。
 入ると、中の作りはかつてレオンが故郷で見た大聖堂に似ていた。交差する梁に支えられた天井は高く、ずっと奥まで闇に包まれた身廊が続いている。
 暗く静謐なその建物の奥へ進んでいくと、所どころ崩れた天井からわずかな光が差し込み、足元を照らしている事い気付いた。
 帯状に差し込むそれに目を落とすと、劣化した石床の模様が確認できる。
「レオン、見ろ」
 オスカーが神殿の中央の床を指さした。
 そこには大きな円が描かれ、その中に何重にも複雑な図形が描かれているのが見えた。
 古代の文字のようなものも書かれており、ただの模様には見えない。
「この魔法陣が全ての始まりだったのだ。ここがゲートとなり、神が異世界から幾人も召喚され始めた……」
 レオンは床に膝をつき、その美しい模様に見入った。
 カインがここからやってきたのだとすると、その前は一体どんな世界に住んでいたのだろう。
 そして、カインではない他の神達は、一体どこへ行ってしまったのか。
 ゲートは今はもう開いてはいない。
 この世界に来てからずっと、カインは自分の故郷に帰っていなかったのだろうか――。
 そんなことを考えている内に、オスカーの姿が背後から消えていた。
「オスカー……?」
 一人になると、この場所は余りにも静か過ぎた。
 奥へ向かって立ち並ぶ柱がまるで黄泉への入り口のようだ。
 柱の間を右往左往しながら神殿の中を歩き回り、消えたオスカーの姿を探す。
 まるで世界にたった一人残されたような気分で、酷く心細い。
「オスカー……!」
 不安の混じった声で名前を叫ぶと、姿は見えないが、「こっちだ」という微かな声がした。
 声のした方へと急いで足を向け、神殿の更に深部へと入ってゆく。
 奥には壮麗で巨大な青い薔薇窓があり、そこから入る青白い光を浴びるようにして、オスカーが立っていた。
「オスカー……! こんな所にいたのか……」
 彼は何も答えない。
 ただその美しい草原の色の瞳が、自分を静かに見つめている。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
 足を止めて尋ねると、彼は何かを堪えているかのような声音で、無表情に言葉を紡ぎ始めた。
「レオン、……私とお前は……。ここで、永遠に別れなければならない」
 唐突な告白に、声にならない程の衝撃を受けた。
「……どういう、ことだ……」
 体中から血の気が引き、全ての音も色も光も、世界から褪せていく。
 光を浴びているオスカーは今でもやはり絵画の大天使のようだ。
 だがその唇は自分に別れの運命を告げている。
 レオンはただ呆然としていた。
 彼の言った言葉がどうしても信じられず、尋ねる。
「……ずっと一緒に、旅をしてきたのに……? 最後まで傍に居ろと言ったのは、お前なのに……?」
 出会った時の彼が脳裏に蘇る。
 料理を作ってくれたこと。
 夜交代で火の番をしたこと。
 何度も命と心を彼に救われた。
 他愛のない会話と初めての友情、そして初めての恋。
「……王都に一緒に行こうと、同じ目的だと言ったのは、嘘だったのか……!? お前は一体、」
 叫ぼうとした瞬間、佇んでいるオスカーの足元から、レオンの踏んでいる敷石に向かって、ビシリと大きな亀裂が走った。
「な……っ」
 ぐらりと足元が揺れ、レオンの足元を支えていたはずの床が、タイルごと脆く崩れて下に崩壊してゆく。
「っ、うあああっ……!」
 暗く深い穴に、床の敷石ごと前のめりに落ちてゆく。
 余りにも暗い奥底に永遠に落ち続けるように感じられたが、幸い、数メートル下の地下にしたたかに体を打ち付けただけで済んだ。
 全く受け身が取れなかったせいか、激しい痛みと脳震盪でしばらく声を出すことも出来ない。
 痛みをやり過ごし、ようやく身体を起こした時、辺りはまた時が止まったような静けさに包まれていた。
 今しがた落ちてきた亀裂の間を見上げ、青白い光が差し込む天井に向かい叫ぶ。
「……オスカー!? ……オスカー!!」
 名を呼ぶが相手は姿を見せない。
 ただ、張りのある彼の声だけが、埃と黴の臭いのするシンとした空間に響くように聞こえてきた。
「そこは神官だけが知る地下室で、安全だ。――明日の朝になれば、あの老神官が助けに来るはずだから、それまでは辛抱してくれ……」
「何を言っている!? どういうことだ!!」
 どうやら、こんな場所に落ちてしまったのは彼の思惑通りであったらしい。
 一体どういう意図があって故の行動なのか、分からないままレオンは混乱し、何度も叫んだ。
「オスカー!! 答えろ、オスカー……!!」
 だが、無情にも彼の長靴の音はどんどん遠ざかってゆく。
 その音を聞きながら、薄々気付き始めた。
 一瞬裏切られたのかと思ったが、最後の言葉からすればそう言うことではないだろう。
 城を目前にしてレオンをこんな場所に足止めしたのは、彼が最初から、一人で王と戦うつもりだったからだ。
 だが王はカイン以上の力を持つであろうエルカーズの主神バアルをその身に取り込んでいる。
 オスカーがかなり強いとはいえ、とても一人で叶う相手とは思えない。
(オスカー……お前、死ぬつもりか……??)
 レオンは必死に四方を見回した。
 落ちてきた地下室は明かりもなく真っ暗で、ただ古びた祭壇だけが奥に置かれ、扉のような物も全く見当たらない閉鎖された空間だ。
「俺も行かせてくれ、オスカーっ……頼む……っ」
 もう一度叫ぶが、言葉はもう立ち去ってしまったオスカーの背中には届かない。
「っ……!」
 永遠に別れる。
 その言葉は、死を覚悟してのことだろう。
 それならば、共に戦いたかった。
 死ぬのなら、一緒に死にたかった。
 悔しさと情けなさに嗚咽が漏れ、体を支えていた膝が崩れて、レオンは俯くように床に突っ伏した。
「くそっ……!!」
 石の床を激しく拳で叩き、自分と、勝手に一人で行ってしまったオスカーに対する苛立ちをぶつける。
 骨の浮き出ている部分から血が滲み、床に滴り落ちてしみ込んだ。
 絶対に認めたくない。もう二度と会えないなんて。
「うぅ……っ」
 嗚咽を上げながらもう一度涙に滲む天井を見上げる。
 どうにかしてあそこへ登ることが出来れば――そう思った時だった。
 背後の暗闇で、不意に何かが動く気配がした。
「異国人……聖域ヲ……血で、汚スナ……」
 スゥ、ハァ、と妙に大きな呼吸音と、乱れたイントネーションの共通語が聞こえる。
 レオンはビクンと身体を震わせ、顔を上げてじりじりと後ずさった。
「誰だ……!!」
 相手はどうやら、隅の闇の深い場所に縮こまって隠れていたらしい。
 黒く小柄な体格をした不気味な影が、天井の穴から差し込んでいる光のもとに、のっそりと物憂げに移動し始める。
 現れたのは、黒光りするヌルリとした皮膚に、ぎょろっとした目のトカゲのような顔をした怪人だった。
「……! 魔物か……っ!?」
 驚きでレオンが叫ぶと、相手は身にまとっている黒い布のようなものを翻し、太い首を大きく左右に振った。
「私ハ、コノ聖域ノ、神官……魔物ニ成リ果テ、狂イ、人ヲ、傷ツケナイタメニ……ココニ自分ヲ、トジコメテイルノダ……。漏レタ雨水ヲノミ、ネズミヲ食シナガラ、ココデ生キナガラエテイル……」
 ――姿は異形だが、どうやらこの相手は、まともに話をすることが出来るらしい。
 レオンは光明を見つけたような気持になり、トカゲの顔をした神官に詰め寄った。
「お願いだ神官殿……! ――どうにかして、ここから外に出たい。そして、城に行きたいのだ! 抜け道はないのか!?」
 ローブの両肩を掴み、ゆすぶる勢いで尋ねる。
 神官は困ったように赤く異様に長い舌を出し、黄色く眼光を放つ目を細めた。
「コノ地下室ニ通ジル抜ケアナ……随分前ニ、自分デフサイデシマッタ……同ジ場所、見ツケテ掘レバ、ナントカナル、カモシレン……」
「どの辺だったか、思い出してくれ……っ、早く、早くしないと」
 必死に促すと、異形の神官は億劫そうに壁に向かい、祭壇のある側とは反対の壁に向かった。
「確カコノ辺ダッタカ……少シ掘レバ穴ガ開クハズダ……」
「分かった、そこをどいていてくれっ」
 レオンは佩いていた剣を鞘ごと腰ベルトから外し、石と土とを塗り固めたように見える壁に向かって突き立てた。
 鼓膜に不快なほどの高く激しい金属音が上がり、鞘の先の方が半分ほど壁に深くめりこむ。
「見タ目にヨラズ恐ロシイチカラダナ……」
 感心したように自分を見ている怪人を尻目に、レオンは壁を崩すようにメリメリと剣を上下左右に回した。
 剣を鞘ごと刺したことで出来たその穴から、ボロボロと壁が崩れ落ち、わずかに向こう側に通る隙間が見え始める。
「ココデアッテイルヨウダゾ……」
 神官が黄色い目を細める。
 レオンは頷き、もう一度剣をそこへ突き刺そうと振り下ろす。
 だがその時、手がヌルリと何かに滑り、剣の柄から指が離れてしまった。
「……!?」
 何か濡れたもので手が汚れていて、うまく物が握れなくなっていたらしい。
 レオンは天井からの光にそれをあて、目を凝らしてぬめりを見た。
 赤い液体が手にこびり付いている。
 ――血だ。
(そういえば、さっき床を思い切り拳で叩いた時、皮膚が破れたな……)
 指を開き、マントの端で手の平の皺に溜まった血を乱暴に拭いた。
 痛みがじんと脳に伝わり、ぬぐい去ってもまだ、新しい血が傷口にじわりと湧いてくる。
「……?」
 そしてようやく気付いた。
 怪我をしてから既に時間が経っているのに、まだ傷が塞がらず、血が止まっていない――という事実に。
(どういうことだ……!?)
 両手を天井に向けて開いたまま、レオンは愕然として膝を落とした。
 傷が治らない――。
「騎士ヨ……ドウシタノダ?」
 神官が物憂げにこちらの顔を覗き込んで来る。
「……まさ、か……。……カインの守りが……はずれている……!?」
 心当たりは一つしかない。
 ……『心から好きになった人間が同じくらい自分のことを好きになり』……。
 昨日の相手が、本当は幻では無かったのだとしたら。
 カインの言葉も、抱かれる最中に彼の囁いた言葉も、翌朝のオスカーの言葉も、全てが真実だったのだとしたら。

『――お前を 抱いているのは 私 だ …… 』
 オスカーと出会ってからずっと感じていた、心の混乱の理由。
 カインにもオスカーにも同じ感情を抱き、引き裂かれるような思いをしたのも、それが実は一人の相手を起点にしていたのだとしたら、納得がいく。
 レオンは両手の平をギュッと握りしめ、そして大きな穴の開いた天井に向かって叫んだ。
「――カイン……!!」



 丁度その頃、蜜色の髪の貴公子は雨に濡れたマントを脱ぎ捨て、人の気配のない石造りの王城の中を一人歩いていた。
 廃墟と成り果てた城は、かつて大陸一の繁栄を誇った国の王の居城とは思えない。
 貴族たちの出入りの絶えなかった玄関ホールは、今はシャンデリアが床に落ち、ネズミだけが行き交う廃墟と成り果てている。
 高価なガラスのはめられた廊下の窓も魔物に全て割られたのか、粉々になって床に散らばっている。
 長靴の裏がそれが踏みしめる度、細かく砕けるような音が上がった。
 窓から吹き込む風が黄金の髪を揺らし、低く沈みかけた太陽が彼の横顔を照らした。
 紅蓮の炎のように強い覚悟が、その緑の瞳に宿っている。
 置いてきてしまった恋人への心残りを纏いながらも、彼の脚は迷いなく目的の場所へと向かっていた。
 美しい神々のレリーフに飾られた幾枚もの扉の奥にある、玉座の間――。
 今やだれ一人として守る兵もない、亡霊の如き王の執着が渦巻くその場所へ。
 オスカーが固く閉じられた最後の扉の前に立つ。
 扉は一人でに中に向かってバンと開き、天井の高い場所から僅かに夕日が漏れる、壮麗な玉座の間が目の前に広がった。
 ――謁見の者たちが並ぶ為に奥まっている広間のその先には、病み、老いて衰えた、一人の老人――顔色の悪いやせ細った骸骨のような王が、宝石の埋め込まれた金の玉座に埋もれるようにして座している。
 その背後には、王の若い頃の巨大な肖像画が飾られていた。エルカーズの黄金時代と言われた頃の、力強い王の戴冠の姿が描かれた絵だ。
 夕闇に沈みかけた広間にゆっくりと足先を踏み入れていくと、ミイラのように萎びた男が微動だにしないまま、目玉だけをぎょろりと動かしてこちらを睨んでくる。
「人間よ……。何故このような場所にやってきた……私の意識が……この男を抑えていられるのは……日が落ちるまでの、……あとわずかな時間だけだぞ……」
 苦しそうな呼吸音に混じり、しわがれた声で王が呻く。
「……人間の欲望ですっかり魔に染まってしまったかと思っていたが……取り込まれながら、まだ神としての意識があったのか……」
 オスカーは驚きを込めて相手を見つめ、そしてふっと懐かし気な笑みを浮かべた。
 玉座の中の老人は逆に顔をしかめ、訝し気に萎びた唇を震わせる。
「人間よ、私を知っているのか……夜が来れば、……この男に食われた……私や……息子たちの力が……お前、を、襲う……魔物に変わりたくなければ……早く」
 老人が必死の形相で目を剥き、玉座のひじ掛けを握りしめて立ち上がろうとする。
 だが、足がきいていないのか、やはりその体は玉座から離れることが出来なかった。
 貴公子の喉から、その顔に似合わぬ酷薄な笑い声が、クックッと音を立てて漏れ始める。
 そして彼は、初めて王に呼びかけるように朗々と言葉を放った。
「父上、もうその狭い牢獄で王の汚れた意識と戦う必要はない」
 途端に王の息遣いが荒くなった。
 玉座から哀れな身体をずり落としそうになりながら、落ち窪んだその瞳が輝く。
「お前は……ああ、お前は……アビゴール……何ということだ……たった一人逃げ、延びた……我が、末の息子……よ……!」

 床に落ちている夕日が少しずつ細く弱くなり、消えてゆく。
 同時に、老いた王の目から次第に光が失われてゆき、その表情に邪悪な気配が満ち溢れ始めた。
「グフ……グブフフ……」
 ごぼごぼと喉を鳴らすようにして老人が笑う。
 そのやせ細った体から怪しい霊気が立ち上りはじめ、着ている衣がいびつに形を変えて波打つ。
「われらが古代の神よ……そちらからお出まし頂けるとは光栄だ……だが何故だ……何故、死んだ人間などに姿を偽っている……?」
 痩せ細った骨のような指がオスカーを指差す。
「さあ、お前の美しい真の姿を見せるが良い……!」
 王の汚れた衣の中がいびつに変化し、その布の下から何か濡れたものがひしめくような醜悪な音がし始める。
「正体現したな、じーさんよ。生憎俺は、最後にレオンが愛してくれたこの見てくれでお前と戦おうと決めて来たんだよ……」
 オスカーが――いや、貴公子の姿を纏ったアビゴール・カインがすらりと腰の剣を引き抜き、上段に構える。
「……ゴフッ……何を訳の分からないことを……先に召喚されたお前の兄たちは皆、この身に取り込んだ……あとはお前さえ呑み込むことが出来れば……私は今度こそ、永遠の若さと美しさを取り戻す……!」
 王の白眼のない不気味な目が見開いた。
 玉座から一歩も動くことの出来ないその細った体から、巨大な白く太い触手が何本も飛び出し、うねりながら広間の床と天井をいっぱいに埋め尽くしてゆく。
「グフフフフ……さあ、私の一部となれ……!」
 王の笑い声と共に、天井を這う触手の一本がカインを上から襲った。
 素早く横飛びに避けるが、直ぐに床の触手がブンと風を切って迫り、休みなくカインを襲う。
「分かってねぇな、耄碌ジジイ……!」
 貴公子の顔が嘲笑に歪んだ。
「確かお前の願いは、『永遠に若く美しくその玉座に君臨し、最強の軍を率いて大陸を統一する』だったか!? 生憎俺を取り込んだって、お前の時間は戻りゃしねぇんだよ!」
 こぶのようになった触手の先が玉座の間の石の床を激しく音を立てて破壊し、階下に滑り込んでゆく。
「戯けた事をごちゃごちゃと……! お前こそ、神がわざわざそんなひ弱な人間の姿になって、この私に何が出来るというのだ……!?」
「出来るか出来ねぇか、試してみようじゃねぇか」
 カインは不敵に笑う。
 光る剣を手にして向かってゆくその姿を、数え切れない程の触手が一気に包み込んで襲い、彼の姿はあっという間に見えなくなった。


 天地の砕け散るような激しい破壊音が頭の上にこだまする。
 上層から聞こえたその音に、神殿から城に続く隠された地下道を進んでいたレオンはぶるりと慄いた。
「何かが起こっている……! 早くっ、神官殿!」
「……ヒイ、ハア……ッ、ソウ言ワレテモ、二本足デ歩クヤリカタヲ、忘レタノダ……!」
 黒トカゲの神官が長い舌をだらりと下げ、息を切らしてついて来る。
 レオンはしびれを切らし、彼の体を腰から持ち上げると肩に担ぎあげ、螺旋階段を上り始めた。
「ヒイイ……」
「王はどっちに居る!? 教えてくれ!」
「モウ2回リ、階段ヲノボッタラ廊下ニ出ヨ……ソノ先ニ、玉座ノ間ガアル……」
「なるほど、この階段をまだ上れば良いんだな??」
「ソウダ……王ハモウ、百年、ソコカラ動イテオラレン……! 玉座カラ立チアガルコトガ、出来ナイオ体ナノデナ……ッ」
 舌を噛みそうになりながら神官が説明する。
 レオンは大きく頷き、二段飛ばしで階段を上った。
「神の力を得たのに、そんな不自由な体なのか……!?」
 息一つ切らさずにそう尋ねた騎士に、運ばれている神官は悲痛な声で答えた。
「我々ハ、王ノ病ヲ癒シタカッタ……カツテノ、スバラシイ王ニ戻ッテ頂キタカッタ……シカシ、我々ノシタコトハ間違イデアッタ……」
 深い溜息と共に、言葉が吐き出される。
「王ハ病ンダ体ノママ永遠ノ苦シミヲ負ッタダケダッタ……」
 人間としての活動が止まる――かつてのカインの言葉を思い出し、レオンの心に痛みが走る。
「――そうだったのか……。安心してくれ、俺は、……俺たちは、その苦しみを終える為にここに来たのだ……」
「オ前ノヨウナ、異国人ガ……?」
 肩の上でガクガクと揺れながら、神官が訝し気に聞き返す。
 レオンは目の前の閉じた扉を蹴り開けて階段室から廊下に出ると、人型のトカゲを抱えたまままっすぐに廊下を走り出した。
 戦闘と思しき破壊音が、先程よりも大分近い。
「――俺は異国人だが、お前たちの神を愛してしまった異国人だ……!」
 大股で走り続け、幾重もの開いた扉の間を進んでゆく。
 早く早く、彼に会わなけば――。
 彼と共に幾重にも重ねた時間と思いが、心を焦らせる。
 そしてついにレオンは、激しく破壊されている最中の玉座の間へと飛び出した。
「ヒィ……王ガ……王ガ暴走サレテイル……」
 レオンの肩から下ろされた神官が、レリーフの施された扉の背後にズルズルと隠れる。
 だがレオンは剣を抜き、その扉の奥の世界へと飛び込んでいった。
 醜悪な生物の蠢くまるで地獄絵図のような広間の中で、昨夜やっと結ばれたはずの自分の恋人を探す。
 そしてやっと見つけた。
 カインの尾を太くグロテスクにしたような巨大な触手の海に埋もれるようにして、蜜色の髪をした男が、剣を奮っている姿を――。
「カイン……!!」
 はっきりと大きな声で名前を呼んだ途端、彼は驚いてこちらを振り返った。
「レオンお前……どうしてあそこを抜け出して――」
 言いかけて、ハッと彼が口を噤む。
 明らかに動揺した彼の背中を新たな触手が襲うのを見て、レオンは剣を構えて飛び出し、その白い王の腕を切断した。
 青い血しぶきが飛び、ゴロッと太く白い断片が床に転がりうねる。
「やっぱりお前、カインだったんだなっ!?」
 怒りと驚きと、そして止めどない恋情のないまぜになった感情を露わにしながら、レオンは背後にいる男に向かって問いただした。
「カインっ、どうして……っ……ずっと最初からそばに居てくれたのか……っ!?」
「クッソお前……っ、こんな時に来るんじゃねーよ!! あの場所で大人しくしてりゃ良かったのに……!」
 顔と姿は貴公子のまま、カインが激怒する。
 蜜色の髪が振り乱れ、その剣が二人に襲い来る攻撃を目に見えぬ速さで次々と断ち切った。
 玉座の上の、触手の根元の枯れ木のような王がニヤリと笑う。
「……ほお……神は傍づきの騎士も一緒に連れたもうたか……! これはわが軍の、良い兵士になりそうだ……」
 レオンの足首に白い触手が巻き付き、千切れるかと思うような凄まじい力がそこに加わる。
「うわあぁッ!」
 否応なく体が激しく床に引き倒され、レオンはうつ伏せのままズルズルと玉座の方へと引っ張られ始めた。
「レオン……!」
 カインがこちらへ助けに来ようとするが、彼を次々と襲う悪魔の腕のせいで阻まれる。
 レオンの腕や首にもヌルリとした感触の触手が巻き付き、天井に向かって体を高く持ち上げられた。
 王の細い体を覆っていた布がバリ、と音を立てて開き、中から大きな針を先端に備えた、赤い舌のような濡れそぼった臓器が現れる。
「――騎士には美しく力強い獣として、とこしえの命を与えてやろう。神は我が一部となり、共にエルカーズの為に尽くすがよい……」
 濡れた舌がレオンの頬を舐めまわし、先端の大きな針で唇へと入ってこようとする。
「くぅうっ……」
 顔を背けて避けていると、突然、ばさりと何かが羽ばたくような音がした。
 片目を開けて足元を見れば、そこには銀色の長い髪を翻し、黒いローブを風に煽らせた、本来の姿となったカインが立っている。
 そのローブがみるみる鳥の羽のような白い翼に変化して左右に伸びてゆき、触手の包囲網を逃れるようにレオンの元へと飛び立った。
 白い羽毛を散らしながら飛ぶ彼の剣が王の魔手を断ち切り、レオンを両腕で包み込むようにして、その体を不快な臓器から引き剥がしてゆく。
 その姿を、神としか言いようがない――とレオンは感じた。
 幼い頃に夢見た、慈愛に満ち溢れた表情で、自分を救い抱く大天使の姿。
 出会った頃からオスカーに感じてきた、神々しいものへの憧れのような気持が、一体どこから来たのかやっと分かったような気がした。
 カインがレオンを抱いたまま少し離れた場所にふわりと降り立ち、驚いたようにルビーの瞳を見張る。
「傷が……」
 カインの視線の先にわずかな痛みが感じられ、濡れたものがこめかみを伝うのが分かった。
 触手に引き倒された時に、床にぶつけて額を切ったらしい。
「お前、俺の守りが切れてんのか……なんで……『オスカー』としてお前を抱いたことは、一度もなかったのに――」
 カインが動揺して慄いた。
 抱かれながらレオンが彼に話しかけようとした瞬間、その肩口の向こうで干からびた王が笑う。
「カイン、危ない、王が――」
 言いかけたその瞬間、王の触手が再び二人を襲った。
「っ……、逃げろ、カイン……、カイン……??」
「レオン……」
 カインは何故か動かず、レオンの体をかばうように大きな翼の中に掻き抱いて守る。
 その無防備な背中を、今しがたレオンを狙っていたあの赤い臓器が襲った。
 ――もう既に、避ける暇も逃げる暇も無かった。
 剣がガランと音を立てて床に落ち、青い血に染まった白い羽が、ひび割れた床に飛び散る。
 カインの黒い軍服に大きな穴が開き、大量の血液がその胸の中央からドクドクと噴き出す。
 そのまま彼の腕の中のレオンまでも襲おうとするその先端を、カインの白い尾が巻き付いてどうにか止め、そしてギリギリと締め付けた。
「――かっ……カイ……ン……っ」
 顔面蒼白になったレオンの頬に、青い返り血が大量に飛ぶ。
「ヒャハハハハ……ついに最後の神を手に入れたぞ……これで私は……かつてのように、完璧な王になる――」
 ドクッドクッと脈打つようにカインを貫く赤い臓器が蠢き、何かを吸っている。
 カインの青白い顔から表情が消えてゆき、その体から力が抜け、足元から崩れるようにレオンの方へ倒れかかる。
 自分がかつて彼を剣で刺した時は、こんなことになったりはしなかったのに。
 翼を飛び散らせて床に倒れ伏し、カインの苦しそうに歪んだ顔が、視界に溢れる涙に滲んでいく。
「カイン……しっかりしろ……!!」
 床に跪いて何度も名前を呼び、貫かれたままの彼の体に縋る。
 だがカインは苦し気な表情の中でも、ニヤと不敵な笑みを浮かべた。
「レオン……これが、こいつの魔に染まり切った神の力の本体だ……このまま引きずりだすぞ……!」
 背中を貫き蠢く赤い臓器を自分の体にとどめたまま、カインの唇が開く。
「――開け扉よ……!」
 独特の発音の呪文と共に、翼と彼の着ていた黒い軍服の上衣が粉々に弾けた。
 裸身になったカインの背中に、青白く激しく光る円の模様が浮かびあがる。
 その模様にレオンは見覚えがあった。
 あの神殿の床に描かれていたものと同じ、複雑な図形と古代文字の集合体――。
「か、神が自ら……体にゲートを仕込んでいただとぉ……っ」
 王が明らかに動揺し、白い触手をくねらせて悶え始める。
「――召喚の術を受け継ぐ唯一の神官に、この背中に描かせた。人間の皮を被っていたから、お前には見えなかっただろうが」
 カインが青白く光り輝く背中を晒したまま腕を突いて体を起こし、挑戦的な表情で背後を振り向く。
「そ、そんなことをすればお前はっ、この世界で形を保ってはいられぬぞ……!」
「結構だ。俺はもう、この世界を十分楽しんだ……さあ――、一緒に帰るぜ父上達よ……!」
 赤い帯のような臓器が王の体の中からズルズルと引きずり出され、カインの背中に繋がった異界へと吸い込まれていく。
 王の体はどんどん萎びてゆき、やがて木の皮のようになって玉座の上で文字通り干からびた。
 そして全てがカインの背に吸い込まれると――ゲートが急速に光を失い始め、同時に彼自身の肉体が、どんどん透明に薄れ始めた。
「どうなってるんだ、お前が消えていく……っ」
 レオンは泣きながら両腕を伸ばし、彼の裸身を抱きしめた。
 透けているが、触れるとあの懐かしい温もりが伝わり、涙が止まらない。
 カインは切なげに微笑み、その手でレオンの髪を愛おしげに撫でた。
「言っただろ。……俺とお前はここで、永遠に別れるんだって……」
「……! い、嫌だ……っ……カイン……っ」
 必死で首を左右に振ったが、カインが困ったように美しい眉を寄せて笑う。
「もっと喜べよ……お前はもう、これからは普通に生きられるんだ……もう、俺のことは忘れろ」
 ――そんなことを急に言われて、頷ける訳がない。
「……行かないでくれ……行くな……っ」
 泣きじゃくるレオンの額に、触れるだけの口づけが落ちる。
「騙すようなことをして悪かったな。……『悪魔』の俺じゃあ、お前の孤独だけは埋めてやれなかったから」
 視線を落とすと、カインの脚は既に光の粒子になり、空気に溶けかけている。
「――でも、あのセックスで守りが解けちまったってことは、お前、俺のこと少しは好きだったってことだよな……?」
 はにかむように聞かれて、嗚咽しながら何度も頷いた。
 自分では中々気づくことが出来なかったが、彼にずっと心を囚われ、恋していた。
 オスカーを好きになったのは、カインと似ていると思ったからだ。
 初めて恋人として寄り添って眠った時のオスカーの横顔と、髪を撫でる彼の手を思い出し、堪え難い感情に襲われる。
「……愛してる……レオン……」
 きらきらと輝く黄金の粒が霧のように広がって消え、カインの輝く銀髪も、彫刻のように整ったその肉体も、全てが冷えた夜の大気の中に失われた。
 レオンは膝を落としたまま、確かに彼を抱きしめていた両手に何も残らなかった事実に愕然とした。
 背後で誰かがもぞりと動く気配がして、涙で濡れた顔で振り向く。
 そこには、隠れていたトカゲの神官と同じローブを着たそばかすの小柄な男が、小躍りしながら喜びを爆発させていた。
「戻った……!! 体が元に戻ってるぞ!!」
 それを見て、レオンは百年前の誓いが確かに果たされたことを知った。
 ――だが、その代わりに失ったものも、余りにも大きかった。


 レオンは、トカゲだった神官――名前はティモと言ったらしい――と、二人で王都を出た。
 オスカーの乗っていた葦毛の馬は何故かどこにも見つからず、レオンの馬に交代で乗りながら、二人はティモの案内で、レオンを「神に仕える騎士」と呼んだあの老人の住む小さな庵へと向かった。
 そこで老神官と再会し、一部始終を話すと、彼は涙ながらに天を拝み、そして奥にある重厚な棚の蔵書から、エルカーズの貴族台帳を見せてくれた。
 ――その台帳の中に、「オスカー・フォン・タールベルク」という貴族の名がある。
 記録上確かにオスカーは存在していた。
 だがティモの話によれば、そのオスカーは、三年前に王を暗殺しようとしたことで囚われ、ふた目と見られぬような姿で獄中にて死亡したという。
「死んだはずの彼が再び訪ねて来たとき、わしは思ったのです……神が、亡くなった高潔な若者の魂を救い、その肉体の器を受け継いで、その意志を叶えようとしているのだと……」
 それを聞いてレオンは悟った。
 ……自分の愛した「オスカー」という人間は、やはりこの世のどこにも居なかった。
 ずっと傍に居たのは、アビゴール・カインという神――。


 ――それからしばらく、魂の抜けたようになってしまっているレオンを、老神官は快く、いつまでも自宅に泊めてくれた。
 ティモはフレイの町へレオンの馬を駆って走ってゆき、王の死と、そしてエルカーズの悪夢が永遠に終わったことを触れて回った。
  レオンは十日程は何をする気力も湧かなかったが、その内に少しずつ、エルカーズの古い言葉や文字を老人やティモから習い、神官の蔵書を貪るように読み始めた。
 その目的は、消えた「アビゴール・カイン」という神についての記録を探すためだ。
 神官達の付けた古い記録を一つ一つ虱潰しに読むことに、レオンは寝食を忘れて没頭した。
 記録は殆どが失われていたが、それでも今までカインについて知らなかったことを読み取ることが出来た。
 彼が主神バアルの末の息子であること。
 この国では、闘いを制する騎士の神として慕われていること。
 そして、人の強い願いを口にせずとも知ると共に、生死にかかわる近い未来を読む力を持つと言われていることを。
「――未来を……」
 レオンは神官の机の上で分厚い羊皮紙をめくりながら、深くため息をついた。
 あの天幕で一度目に遭った時、そして二度目に獄中であったあの時、彼には何が見えていたのだろう。
 もしかして彼の視界には、戦いの中で殺され無残に死んでいく、自分の姿が映っていたのではないか。
 アビゴール・カインという神が一切関わらなければ、レオンも、そしてかつての親友アレクスも、エルカーズの奇襲で共に死んでいたはずだった。
 カインはアレクスには同情の慰めと彼の望む穏やかな死を与え、そして、レオンには生を与えた。
 そしてその後もずっと、レオンの未来を予見し、先回りして守り、この身を生かし続けた。
 ――長い長い間、ずっと自分は孤独だとばかり思っていたのに。
 知れば知るだけ切なく、そして酷く情けなくなり、カインが恋しくて堪らなくなって、涙が止まらなかった。
「神は、我々のあやまちを正してくださった……」
 いつの間にか背後に書物の主の老人が立ち、嗚咽するレオンの背中を優しく撫でていた。
「異国人には到底理解することは出来ないだろうが、あれが人と同じ温かい血の通う、われらの神なのだ……」
 レオンは黙って頷き、重みのある分厚い革張りの本をそっと閉じて老人を振り返った。
「神官殿、……あなたに一つ、頼みたいことがある……。もしかしたら、とても罪深いことかもしれないけれど――」


 春の気配を感じる良く晴れた日、レオンは数か月ぶりに、人気の見当たらないエルカーズの王都へ再び足を踏み入れた。
 フレイの町には既に活気が戻り始めているらしいが、この都市にまで人が戻り生活をし始めるまでには、まだもう少し歳月が必要なようだ。
 だが交通の要衝にあるこの都市は、何かきっかけさえあればきっと百年も待つことなく、すぐに栄え始めるだろう。
 たった一人で瓦礫を踏み越えながら、カインの後ろをついて歩いた王都の大通りを歩いてゆく。
 死の町のようだとかつて思ったシンとした町並みは、今は眠りながら、明るい未来の兆しを待っているように見えた。
 華やかなファサードを遺した広場を通り過ぎ、レオンは真っ青な空を切り取る城の尖塔の立つ丘の、ふもとにある古い神殿に辿りついた。
 張り出した入口に幾つもの荘厳な柱が立つ聖域は、ティモがしょっちゅう通っては片づけ掃除をしているせいか、この場所だけは瓦礫が綺麗に取り除かれている。
 かつての姿を少しずつ取り戻していている外観から内側へと入っていくと、以前は暗くて気付くことの無かった神殿の内装に目が行った。
 大理石でできた壁に、蛇のような白い尾と山羊の角を持ち、美しい翼を広げた神の姿を描いたレリーフが彫り込まれ、それがずっと奥まで続いている。
 書物だけではなく、ここでもカインに逢うことが出来たことに嬉しくなりながら、レオンは奥へ奥へと足を進めた。
 一か所、天井に開いた穴から太陽光の差す場所を目に留め、懐かしく微笑む。
 神殿の中央の床に描かれた、所どころが消えてしまっている大きな魔法陣をそこに見つけ、レオンは膝を折ってその場に屈んだ。

『この魔法陣が全ての始まりだったのだ。ここがゲートとなり、神が異世界から幾人も召喚され始めた……』

 自分の私利私欲の為に神を召喚した為に、王は大きな罰を負った。
 これから自分がしようとしていることも、同じくらい罪深いことなのかもしれない――と思う。
 けれどやってみずには居られなかった。
 懐から、神官の老人から貰った柄の黒い両刃のナイフを取り出し、崩れて線の薄れてしまっている場所に、丁寧に新しい線を彫り入れてゆく。
 少しずつ線を繋げ、文字を書き足し、気の遠くなる程の時間がかかったが、それでもレオンは一心不乱にその行為を続けた。
 かつてカインの背中にもこのナイフが突き立てられ、青い血を流してゲートが作られたのだ……。
 カインの姿の隅々までを脳裏に思い起こしながら、レオンは夜が来るまでには仕事を終えた。
 眩暈がするような疲労を感じながらも、美しい円の模様を見下ろして立ち、教わった言葉を口にする。

「扉よ開け」

 神官だけに伝えられてきた秘密の発音で命ずると、足元の魔法陣が青く怪しい光を放ち輝きだした。
 この先のことがうまく行くかどうかは、誰にも保証できない。
 何より、もしもカインがあの時あのまま消滅していたとしたら――。
 そんな風に思うと両脚が震え、すくむ。
 魔法陣に描かれた文字、そして呪文の一言一句でも間違えても、魔を呼び出し一瞬で命を落とすかもしれない。
 誰かを巻き込むわけにはいかず、一人で全てを終えられるよう、手順と魔法陣の書き方を完璧に覚えるまでに数か月かかってしまった。
 絶対の自信は無かったが、それでも覚悟を決め、老神官に教わった通りの呪文を大きく叫びあげる。
「――誇り高き騎士の神、アビゴール・カインよ! 我が求めに応じ、血肉を持った可視の姿となり、この聖域に現れ出でよ……我は汝をこの世界に召喚する!」
 魔法陣の上で空気がゆっくりと渦を巻き始める。
 見えない竜巻の中でキラキラと、砂金の粒子のようなものが光り始めるのを、レオンは目を見張って見守った。
 粒はやがて集まって塊となり、床に近い場所から少しずつ形を構成し始める。
 美しい爪を、長い足の指を、形のよい踝を、しなやかな脛を、優雅な膝を、逞しい太腿を、蛇のような白い尾を。
 光り輝く裸体の構成が上半身にまで及ぶと、眠るように目を閉じた美しい相貌が現れ、長い銀髪が風に巻き上げられながら現れて、山羊の角が見え隠れした。
「……カイン……!」
 感極まってその名を呼ぶと激しい竜巻の中で彼は、夢見るようなその瞼をゆっくりと開けた。
 ルビーの瞳が細められ、確かにこちらを見つめる。
 途端にその体が黒く優雅な軍服とローブに包まれて、革の黒い長靴の足が床の魔法陣の上へと軽やかに降り立った。
「……久しぶりだな、レオン」
 その艶のある懐かしい声に知らずに涙が溢れる。
 気が付けばレオンは両腕を伸ばし、彼の体を強く床に押し倒す勢いで抱きついていた。
 何も言葉にすることが出来ないままずっと倒れこんでいると、カインがクスクスと笑いだす。
「お前、ついに悪魔召喚までやり始めたのかよ……。元聖騎士様が恐ろしい所業だな」
「……。――もしもお前が戻ってきてくれるなら、いっそ地獄に落ちても構わないと思って……っ。嫌、だったか……?」
 恐る恐る尋ねたレオンの頬を濡らす涙を、カインの赤い唇が優しく吸い取った。
「そうだなあ。嫌も何も――お前、別れた時のこと覚えてるか?」
 頷き、不安げに彼の美貌を見つめる。
「……本当はあの時、俺がこの世から消えることでお前を普通の人間に戻すつもりだったんだ。でもお前のおかげで、自分で自分の助力を終わらせるルール違反になっちまって」
 瞳を細めて悪戯っぽく笑う相手に、レオンは不安げに眉を顰めた。
「っ……俺のせいで……?」
「そんで、そのペナルティは何だと思う」
 含みを感じる口調で聞かれ、レオンは一層心配になりながらフルっと首を左右に振った。
 カインが穏やかに笑い、そしてレオンの後ろ髪を懐かしい手つきで丁寧に撫でた。
「――お前と同じ、有限の生だ……。お前と同じくらいに生きて、お前と同じくらいに死ねる――父上にも目出度く勘当されたしな」
 目もくらむほどの大きな衝撃に、言葉が中々出てこない。
「……そんなの……っ、いいのか……? お前……っ」
 親指の付け根で涙をぬぐいながらやっとそう尋ねると、カインはのしかかるように抱き着いているレオンの体を強く抱きしめ返し、迷いなく頷いてくれた。
「――いいに決まってる」
 レオンは彼の胸に縋りながら口元を綻ばせ、彼の頬を両手で包むと、自分からその唇に強い口づけを返した。



 2人はその日の夜を、神殿の片隅にある部屋で過ごすことに決めた。
 老神官は心配しているかもしれないが、少しの間だけでも2人きりになりたいとレオンが提案した結果だ。
 明日の朝が来れば、カインは人前では再びオスカーの姿を借り、人間達の中に混じって生きて行くことになる。
 それが、ずっとレオンのそばで生きる為に彼が下した決断だった。
「……もしかして、欲しくて我慢出来なかったのか?」
 狭い部屋の扉が閉まった途端、カインがからかうように訊いてきた。
「そ、そんなつもりじゃ……ここは聖域なんだろう!? 汚したらティモに叱られる……っ」
 レオンが頬を真っ赤にして否定する。
 2人のいる小さな部屋は綺麗に片付いていて、心地の良さそうなベッドが二台と、素朴な作りの机だけが置いてある。
 ここで暮らすというよりも、灯火や祭壇の番をする時の為の簡易な宿泊場所と言った風情だ。
 レオンが俯きながら荷を机の上に置いていると、カインの両腕が背後から強く抱きしめて来た。
「聖域なんて言ったって、昔はいかがわしい儀式もしてたんだぜ。……神と人間で交わったり、な」
「……! お前も、そういうことをしてたのか……!?」
 ムッと眉を寄せ、荷をくくっていた紐を縛る手に力が入る。
「お前、実は嫉妬深い方か……?」
 くすっと笑う声が耳元に聞こえた。青白い指がレオンの羽織っていたマントを外して床に落とし、その下に着ていた襟の詰まった紺の上衣の首のホックを解いていく。
「……エルカーズ人の服だな」
 驚いたように言われ頷いた。
「冬の服は持って着ていなかったから、フレイで手に入れた」
「似合ってるぜ。――脱がしたくなる」
 熱っぽく囁かれて、ドクッ、と動悸が高鳴った。
「カイン、やっぱり、俺は……」
 腕の中で強引に体をひねり、レオンはカインと視線を合わせた。
「……分かったよ、お前がここじゃしたくねぇんなら今日は――」
 言いかけた相手の言葉に被せるように告白する。
「今すぐに、お前が欲しくて……我慢できない……っ」
 相手の手を取り、火照った頬にすり……と触れさせる。
「お前、素面でそんなこと言うなんて反則だろ……」
 カインが一瞬目を閉じて天を仰ぎ、そしてすぐにレオンの腰を抱きしめ、肩に担ぐようにして持ち上げた。
「ちょっ、高い、頭打つ……そんなことしなくても自分でベッドに……っ!」
「今日が俺とお前の初夜なんだから、固いこと言うな」
 二つくっついて並んだベッドの片側に優しく下ろされ、残った服のホックも全て外されていく。
「初夜ってお前……」
 まるで結婚するかのような言葉に絶句し、急激に気恥ずかしくなってきた。
「どうしよう……何だか恥ずかしくて、お前の顔が見られない……っ」
 服を腕から抜き取られ、ズボンと下着を剥かれて裸にされても、なお羞恥心が収まらず、レオンは両手で顔を覆った。
 よくよく考えれば、カインときちんとした形でするのはただでさえ久しぶりなのだ。
「何言ってんだよ、お前が誘ったくせに。――ほら、ずっと欲しかったんだろ? 俺を全部、お前の物にしろよ」
 目の前で輝くように美しい異形の神が、レオンの裸体を膝を跨ぎ、黒い軍服のホックを解きながら艶めかしく微笑んだ。
 その姿に魅入られていくように、おずおずと体を起こし、瞳を開いて彼と見つめ合う。
「……お前の全部を、俺にくれるのか……? これからはずっとそばに、居てくれる……?」
 尋ねるたびに、相手が頷いてくれるのを確かめて、幸福感に目が眩みそうになる。
 自分が聖騎士であった時から、ずっとずっと望んできたものは正にこれなのだと、やっと分かった気分だった。
 己すらも知らず、カインだけが最初から知っていた、レオンの心の奥底の切ない望み。
「カイン、好きだ……っ、好き……」
 涙の混じる声で熱っぽく呟きながら、レオンは手を伸ばし、カインが服を脱ぐのを手伝い始めた。
 ズボンの前立てを強引に開いて、そこに筋の立つ程怒張した雄を見つけ、淫らな悦びを浮かべた顔でうっとりとそれを見つめる。
 レオンは膝を折って座り直すと、彼のそれを迷いなく自分から唇の中に含んだ。
 体液の味すら甘く感じるそれを、懸命に舌と喉でジュプジュプと吸い込んで頬張り、愛撫する。
「ちょっ、お前いきなりそれは積極的過ぎるだろ……っ」
 カインとしては調子を狂わされているらしく、レオンはそれが何だか嬉しくなってしまう。
 確かに、毎回悪魔呼ばわりし、ひとしきり罵倒してから嫌々セックスを初めて、その内にやっとレオンが溺れる――というパターンを百年ずっと繰り返してきているのだから、自分から彼を襲うように求めたのは殆ど初めてかもしれなかった。
 一心に唇を使って吸う内にどんどん相手が無言になって、少し不安になり、舌から体液の糸を引きながら張り詰めたペニスを離す。
「もしかして、こんなことする俺は、嫌か……?」
 眉を下げて尋ねると、カインがぶるっと一瞬震えて、何故か猛烈に怒り出した。
「……っ、い、嫌な訳ねえだろ……っ!? ほんっとにもう、お前は……っ今危うくイく所だっただろーが……っ!」
 カインの尾が、腹立ち紛れにビタンビタンと鞭のようにシーツを叩いている。
「嫌じゃないなら、良かった」
 安心したように笑い、レオンはカインの尾を指さした。
「カイン、そっちもその……俺の物にしてもいいのか……?」
「どこだってとっくにお前のもんだろ……っ」
「それなら、触らせてくれ……」
 何故だか機嫌の悪くなっているカインの白い尾を引き寄せ、いとおしむように根元から先まで指を滑らせて撫でた。
 微かに鱗の浮いたそれは滑らかで気持ちよくて、体温よりも少し冷たい。
 手の平できちんと触れたのは初めてかもしれないと気付いて、唇に自然と笑みが浮かんだ。
 悪戯を思いついて、両手で尾の先端を持ち、それをぱくんと唇の中に咥える。
 ある程度太い場所まで唇で包み、唾液を馴染ませるように舌でさりさりとそれを湿らせ、ちゅくちゅくと音を立てて吸い上げた。
 愛撫する程に目の前でカインの表情が、淫らな感覚を必死に耐えるそれへと変化し始める。
 それを愛おしく思いながら、尾の先端を唇からそっと離した。
 そのまま握った手を離さずに片肘を突いて体を後ろ倒しにし、膝を立てて露出させた後孔へと先端を導いていく。
「あは……あ……ァ……っ」
 いつもは否応なくされていたことを、レオンは自ら望んで体を開き誘った。
 先端がトロトロに濡れているペニスと、絡みつく襞の中に自らの手で掴んだ尾を出し入れする様を、持ち主に見せつける。
「……っはァ……っ、お前のこれも……っ、俺の……っ、」
 淫らな歓喜に震えながら夢中になって挿入を繰り返していると、カインがルビー色の瞳を激情に血走らせ、乱暴にのしかかってきた。
「おっまえな、俺も久々なのに……っまた針の加減間違えんだろ」
 わずかに細い針が中で飛び出て、内側に刺さる心地よい痛みの刺激が走る。
「……あ……っ」
 甘い吐息を漏らすと、白尾がグッと引かれて体内から抜けていった。
「……っ、抜けた……」
 手の平の中からも逃げ出したそれを物欲しげな目で追ってしまいながら、声音で不満を漏らす。
 カインはレオンの腰を抱きしめ、太腿に尻尾を巻きつけ直しながら、汗ばんだこめかみに唇を近づけて囁いた。
「俺だって、俺の物になったお前にしてみたい事が色々あんだよ。今度は俺にやらせろ」
「……ン……。なんだ……?」
 諦めてカインの背に腕を回し、上気した頬でレオンが尋ねると、彼はニヤッと微笑した。
「お前のこのキレーな肌に、俺の痕沢山付けたい……今まで、俺の守りがあるせいで幾ら吸っても噛んでも、すぐ消えちまってたから」
「……? 普通は残るものなのか……?」
 不思議に思って尋ねると、カインがレオンの首筋に顔を埋めるようにして、頚動脈の上の皮膚を鋭い犬歯で甘噛みし始めた。
「っァあ……! それ、ゾクゾクする……」
 強弱をつけて赤く痕が残る程噛まれ、唇が離れても、痛みと痺れるような感覚がすぐには引かずにジンジンと残る。
 今まで知らなかったその感覚に恥ずかしい程感じてしまい、ねだるような視線で相手を見た。
「もっと……もっと他の場所もお前の物に……っ」
 カインが頷き、レオンの上半身を起こしながら喉元に強く吸い付いて赤い内出血の跡を作る。
「んあっ、あッ」
 後ろ向きにされて肩口も甘噛みされ、甘い声が止まらない。
 大きな音を立て、背中や腰骨の周囲にも強く口付けられた紅い痕が散らばっていく。
 見えない場所に次々と与えられる刺激に、淫らな欲が疼いて堪らない。
「カインっ……ッん、っ、我慢、出来ない、」
 腿の間で弾ける寸前の性器が濡れて震える。
「もっと噛んでやるから、脚開いて俺の上にしゃがめ」
 言われた通りに相手の膝を跨いで尻を上げ、淫らな体勢を晒す。
 カインはレオンの股の下に少しずつ倒れこむようにして完全に横になり、真下に顔を潜らせると、今度は引き締まった尻の筋肉に甘噛みを始めた。
 レオンの顔はカインの体の方を向いているので、噛まれているのは感覚でしか分からない。
 狭間に近い場所をきつく噛まれ吸われると、後孔の妖しい蠢きが止まらなくなった。
「お前の穴、可愛く動いてんの、すげえよく見える」
「っ……、はっ、恥ずかしいからっ、もう、」
 尻を浮かせたまま保っている脛がガクガクと震え、少しでも気を緩めればカインの顔に尻の狭間を押し付けてしまいそうになる。
「濡れてグッチョグチョに汁垂れて、美味そう」
 尖った舌先が蟻の門渡りに滴る体液をざらりと舐めとった。
「んっ、く……ッ」
 尻を相手の顔の上で前後に揺らし、激しい性感をどうにかやり過ごす。
「お前、発情が止まんねー動物みたいになってんなー……可愛いけど」
 からかうように笑われて、次は濡れそぼった後孔の中にジュププッと舌を突き込まれた。
「ひあぁ……っ!」
 そこを柔らかくする為ではなく、純粋にレオンの性感を煽るためだけに、ヌチョヌチョと下品な音を立てて肛孔の中を舌で犯され、吸われる。
 尻たぶを両手で掴まれていても淫らな腰の動きが止まらず、レオンは瞬く間間に絶頂に達し始めた。
「ッア、イクッ、もうっ、イッてるうっ……」
 そう言って解放を求めても、キュウキュウと切なく締まる括約筋の中を、温かいカインの舌が何度も容赦なく出入りする。
 落ち着くかと思えばまた昇りつめ、精液をカインの胸や腹に撒き散らし、レオンはそのまま連続で何度もイキ果てた。
 尻の奥のムズムズした感覚が止まらなくなり、膝に力が入らなくなって、堪らずにカインの体の上に倒れこむ。
「もう……無理、だ……っ、カイン、濡れすぎて、奥がっ、ヘンになる……っ、……」
 ヌップ、と大きな水音を立てて舌が抜かれ、カインがレオンの汗ばんだ尻たぶに口付けた。
「メスイキし過ぎて、舌でほじられるだけじゃ我慢できなくなったか?」
「……っ!…………っ」
 羞恥を煽られて涙ぐみながら、丁度顔に近い場所に屹立するカインのペニスに頬擦りし、チュ、チュッと口付けて無言の訴えを伝える。
「分かったって……」
 レオンの体を壁向きに横転させるようにシーツの上に戻し、カインがベッドを軋ませながら体を起こす。
 背後で頭の位置を合わせるように沿う気配があり、背中からしっかりと抱き締められた。
 太腿に巻き付いていた尾がもう一度右脚の膝に近い部分にしっかりと絡め直され、グッとそこに引き上げるような力がかかり、自然と片脚が天井に向かって開く。
 グチャグチャに濡れている尻の狭間を強制的に開かされて、カインの太いペニスの先端がゆっくりと何度かそこを撫でつけた。
「……っァん…はあっ……」
 恥ずかしくて堪らないのに、前後に尻を揺らしてそれをねだるのを止められない。
 イッたばかりのはずのレオンのペニスがまた興奮して勃ちあがり、腰の動きに合わせてユラユラと揺れた。
「入れるぞ……」
 耳元で宣言され、グッと後孔に亀頭が突き立てられる。
「ンッ……くう…!!」
 濡れそぼった穴は歓びに震えながら太い雄を迎え入れ、ズブズブと柔らかく根元まで咥え込んだ。
「ン……? 長くしてなかったわりに、お前のここ、随分柔らけえな……?」
 確かめるように二、三度グプグプと奥まで突かれて、甘くはしたない喘ぎが漏れる。
「ンアッ……ひっ、我慢、できなくて、1人で……してた……から」
「マジで? 穴ん中に指突っ込んで、1人で盛ってたのか?」
 レオンの中を貫くペニスが一際膨張し、下腹が苦しい程張りつめた。
「っ……! 寂しくて、お前の事っ、思い出して……っ」
「へえ? それで――こっちも摘んで慰めた?」
 レオンの下腹に回されていた両手が腹筋の窪みを撫で上げながら移動し、胸筋の盛り上がりを辿って二つの突起に辿り着く。
 淡い色の乳暈を勃っている乳首ごと優しく揉まれ、ムニムニと周辺から感じる部分を責められた。
 繋がっている場所は先程からもどかしい程ゆっくりとしか動いてもらえず、クチュン、クチュンと切ない水音を立てて雄の動きを求める。
「だって……お前に逢いたくて……この百年の間だって、本当はお前を、ずっと待ってて……っ、だからっ」
 涙を零しながら顔を振り向かせ、必死に訴える。
「もう、これ以上っ、意地悪しないでくれ……っ」
「泣くなよ……悪かった。ほら、ちゃんとしてやるから……」
 繋がったまま、レオンの両脚を胸側に畳むようにしてカインが正面に起き上がる。
 一瞬ペニスが抜けそうになったが、足首を肩の上に担がれるようにして腰を上げられ、挿入がまた深まった。
「愛してるぜ、レオン。もうどこにも行かねえから、泣くな……っ」
 ジュッと音を立ててギリギリまで雄を引き抜かれ、次の瞬間、ズヌッと1番欲しい場所を激しく擦り上げられる。
「っあッ……! そこっ、カインん……!」
 身も世もなくねだる声を漏らし、レオンはギシギシとベッドの軋む音を立てて淫らに何度も腰を跳ね上げた。
「お前、まともにヤるとすげぇ締まるから耐えるのがキツいんだよ……」
 零すように本音を言われて、嬉しいような恥ずかしいような気持で頬が赤くなった。
「何度もっ、するんだから、別にいいじゃないか……っ」
 カインがふっと笑みを返し、荒い息の下で囁く。
「……神サマとしての、プライドの問題」
 腰の動きが徐々に早まり、レオンの唇に深い口づけが施される。
 満たされる幸福感でいっぱいになりながら、肌の弾ける音を部屋に響かせ、舌と唾液をお互いの中に行き来させて深く絡め合った。
「んむっ、……ン……ふっ……」
 パチュ、パチュと淫らな結合音が響き、舌を絡め合う程に脳の溶けるような絶頂の波が押し寄せる。
 搾り取るように強く何度も中を締め上げ、視線で奥への吐精を誘った。
 カインの白い尾がレオンのペニスに絡みついてゆき、妖しく上下に擦り上げる動きが加わる。
「……んうううっ……!!」
 口づけの最中に耐えきれずに呻き、レオンはブルブルと腰を震わせながら半眼になり、イく前兆の恍惚に入り始めた。
 カインが息継ぎをするように唇の表面を合わせたまま少し間を置き、粘膜を触れ合わせながら言葉を紡ぐ。
「お前は俺の物だ、レオン……っ、……!」
 名を呼ばれながら脈打つように熱い精が奥に注ぎ込まれ、下腹の中を甘い満足感が支配した。
「――あ――お前の……出てる……いっぱい……っ」
 淫らに唇の端を上げて笑み、青白い美貌に両手を伸ばす。
「……愛してる……カイン……お前も、全部、俺の物……」
 息を乱した恋人の美しい角を指で撫で、その下の銀髪を指に絡めて撫でていく。
 カインもレオンの黒髪を撫で、そして頬を手の平で包んだ。
「……。お前の笑ってる顔が、好きだ……」
 どこか泣いているようにも見える笑顔だった。
「オスカーにしか見せなかったろ、お前。……これからは、俺に笑ってくれ……」
 そう言われて、レオンは心から頷き、もう一度微笑した。


 明け方、レオンがベッドの上で目を覚ますと、恐ろしい程に四肢が軋んだ。
 太腿や腰の筋肉もジンジンと痛んで、体がガタガタになっていることに気付く。
 カインの守りが解けてから、体の回復が遅いのはやはり目に見えて分かった。
 窓から日の出の弱い光が入っている状態で自身を見下ろすと、あちこちに歯型や内出血の痕が派手についていて、それにも正直ギョッとする。
「朝になっても……こんなになってるものなのか……」
 嬉しい反面、後の対応に頭が痛かった。
 冬で厚着の上、襟の詰まっている服を着てきて本当に良かったと思う。
 老神父やティモに、神殿で一晩何をしてきたかを一目で察せられてしまうところだ。
 これからカインとどうやって暮らしていくかを、彼らに相談しなければならない――そんな風に考えながら、ベッドの隣を見下ろす。
 以前はいつも朝になるとカインが居なくなり、長い間、何度も寂しい思いをした。
 けれど今は……。
 美しい裸体を晒した異形の神が、乱れて流れる長い銀髪をシーツの上にばらけさせ、四肢を放り出して深く眠りこけている。
 その様子が愛おしくて仕方がなくなり、昨夜あれほど交わったのに、まだ足りないような気分が湧いた。
 困ったような笑みを零しながら、その安らかな寝顔にそっと口づけを落とす。
「……お前、また俺に新しい呪いを掛けただろう……?」
 目を覚まさない恋人の頬に額を摺り寄せると、カインの腕が無意識に伸びてきて裸の背を抱き締められた。
 ……どうやら、今度掛けられた呪いは死ぬまで解けそうにない。
 レオンは再び穏やかに目を閉じて彼の体に寄り添い、幸福という深いまどろみの中に落ちていった。
end