神々の祭日


 早朝の透き通った青い空の下で、剣戟の高い音が響いている。
 聞き慣れたその音をどこか懐かしく感じながら、レオンは王城の高い露台の上に立っていた。
 下を見おろすと、木材で高く組まれた修復用の足場と、城下の広い庭が見える。
 その庭では神殿兵士に選ばれた若い男達が練習用の木剣を手に打ち合いの訓練をしている所だった。
 ――レオンとカインが会議を終え、僅かな期間で支度を終えて王都での仮住まいを始めたのは盛夏の頃だ。
 2人は主人のない王城の一室に居を構え、既にふた月をこの王都で過ごしてきた。
 以前いたオスカーの屋敷はそのまま残してある。
 菜園は世話するものが居ないので諦めた。すべてが落ち着いてまたあの場所で住むようになったら、1から始めるしかない。
 ――今はそれよりも、もっと大きな責任がレオンの肩にずっしりとのし掛かっていた。
 背後に開口部のある階段室から高襟の軍服を着た神殿兵の1人が上がって来て、レオンの側に跪く。
「総長どの。兵士が3人、訓練をサボって脱走しました」
「……」
 またか、という言葉が出そうになるのを奥歯を噛んで止めた。
「捜索しますか。だいたい場所は察しがつきます」
「いや、いい。今日は俺が行く」
「……。あの、いいのですか。彼らが行く場所といえば」
「気にするな。訓練に戻れ」
 背後から人の気配が消えた瞬間、レオンは深いため息をついた。
 ここの所毎日、この身に似合わぬ純白の軍服を着せた男を呪いたい気分になる。
(カイン……面倒なことは全部俺やマルファス達に押し付けて……っ)
 ――自分がこんな状況に置かれている原因は、あの会議の終わった後の帰路にさかのぼる。
 「儀式」に消耗しきったレオンの体が一週間ほどの休養を経てどうにか回復し、それから屋敷へ戻る道すがら――さも当然のように彼は言ったのだ。
 お前が「初代神殿騎士団の総長」になれ、と。
 相手としては一応それまでの自分を反省した上での「事前の言い渡し」であったらしいが、レオンは閉口した。
 重責への戸惑いはもちろん、断る余地もないその言い方は、まるで自分も彼の操る駒の一つになってしまったかのようで、あまり気分が良くなかったのだ。
 けれど、この北部に他に人材がいるかと言えば、正直な所見当たらないというのが実情だった。
 エルカーズ人であるオスカー自身が勤めるのが理想ではあるが、老人である神官ベアリットに代わり彼が現在実質的な王権の代行者になってしまっている以上、それは無理である。
 仕方なく、レオンは神殿騎士団の初回のまとめ役となる事を引き受けた。
 だが相手はあちこちの地方から集められた元魔物の兵士達だ。
 魔物となっていた間は人間としての歳を取らなかった為に、彼らは生まれた場所も時代背景もバラバラな上、深い孤独に傷付いた心を持っている。
 当初心配したとおり、王城の修復現場にも神殿兵士達の訓練の場にも、小競り合いや脱走、果ては盗みなど、厄介な問題が頻発していた。
 そしてその一つ一つを丸く収めることを要求されているのが、今のレオンの立場なのだ。
「さて……今日はどの辺りにいるやら……」
 高い場所から丘の裾野に広がる街並みを見下ろす。
 地方から送られてきた百人ほどの元魔物の兵士達の中で、神殿兵士として初回に採用された男達は約15人ほどだった。
 その中の1人が特に反抗的で、他の兵士を巻き込み一週間おきにサボタージュと脱走を繰り返している。
 元々人間関係が得意ではなく、毎日畑を相手に暮らしている方が性に合っているレオンは、百年ぶりに直面した重い責務に正直すっかり参っていた。



 訓練をサボった兵士の行けるような娯楽施設は、この王都にはまだ少ない。――娼館か、酒場だ。
 目立ち過ぎる白い軍服と剣をマントで隠し、1人で街路を降る。
 大通りまで来て三軒ある酒場を順番に覗いたが、どこも数人の客と店員が談笑しているだけで、兵士達の姿は見えない。
「と、いうことは……」
 一気に気が重くなってレオンは片手で額を覆った。
 だが、規律のためには行かねばならない。
(いっそのこと、聖騎士団並みに厳しい規律にしてやりたい……脱走は斬首だ)
 物騒なことを考え掛けて、最初にこの任務を授かった時のカインの言葉を思い出した。
『いいか、聖騎士団の時みたいに真面目にやり過ぎんなよ。お前は適当な位が丁度いいんだ』
 ――言われた通り適当にやっている結果がこれだ。
「あらー、レオンちゃん。あいつらまた来てるわよお」
 他の兵士と共に何度か脱走兵を回収に来る内に、顔馴染みになってしまった客引きの娼婦が店先で手を振っている。
 人目もはばからぬその大声に、レオンは顔を真っ赤にした。
「レオンちゃんはよしてくれ……っ、まるで俺が馴染みの客みたいじゃないか」
「あははっ誰もそんな事気にしないわよお」
 俺が気にするんだ、と言っても話が通じなさそうだ。
「こっちよ、こっち」
 片腕を掴まれ、半分あらわな豊満な胸にギュッと押し付けられる。
「そういうことはいいから、普通に案内してくれ……っ」
 頬が火照って仕方がないのを目を逸らしてどうにかしながら、いかがわしい香の漂う薄暗いホールに通された。
 開け放した地階の扉に張られたカーテンの隙間から、乳房を放り出した娼婦が蠱惑的な視線でこちらを見てくる。
「あら、レオンちゃん? 今日はお迎え部下の子じゃないの、珍しいわねえ」
「いつも仕事の邪魔をして申し訳ない……っ」
 目を逸らしたまま大股で通り過ぎる。
 カインとすることはしていても、人間の女性の裸体と色仕掛けには何年経っても慣れる気配がない。
「二階の1番奥の部屋よ。ドアは壊さないでね」
 上を指差され、レオンは娼婦の腕をもぎ離して1人で二階へ上がった。
 濃くなる隠微な匂いにむせそうになりながら、意を決して片手で扉を開ける。
 カーテンの閉じた薄暗い部屋に踏み込んだ途端に女のかん高い嬌声が溢れ出し、下半身だけを脱いだ間抜けな格好の兵士2人の生っ白い尻と目があった。
 ベッドの上で仰向けに寝そべった女に対し、一人は口淫をさせ、もう1人は股ぐらに顔を突っ込んでいる。
「……」
 頭まで血が上り、一瞬戸を閉めてしまいたい思いにかられたがどうにか踏みとどまった。
「お前達」
 努めて冷静に声を掛けると、がらの悪い兵士達がニヤニヤ笑いながらこちらを見る。
「なんだ、もう来ちまったのか。美人の総長様は」
「真っ赤な顔しちゃって、童貞って噂は本当かあ?」
 刈り上げた金髪と、鳥の巣のように跳ねた茶の巻き毛の男。
 1人の娼婦を挟んで辱めている彼らは、脱走常習犯の中でも下っ端の2人だ。
 問題は青い軍服のままベッド脇のカウチソファに寝そべり、分厚い本を詰まらなそうに読んでいるもう1人の若い男だった。
 レオンよりも体格が良く、神殿兵の青い軍服が窮屈に見える。目を完全に隠す程伸び放題に伸びた緩くウエーブの掛かった長い漆黒の髪――そしてはっきりと分かる程浅黒い肌は、明らかに純粋なエルカーズ人のそれではない。
 出身地から送られて来た身上書によれば、母親が南の大国バルドルの出だという事だ。
 元は黒豹の魔物で、他の魔物達を手下にし、近隣の村々を脅かしていた存在だったらしい。人間に戻ってからもそのまま山賊生活を続け、農村を荒らして食料を略奪していた所を捕らえられ北部に送られて来たという、ほぼ犯罪者だ。
 剣も格闘も抜群のセンスがあり騎士候補としてオスカーに選ばれ神殿兵になったが、そのふるまいは野生の獣のようで、レオンの言う事を聞いた試しがない。
「その本を置け、ヴィクトル・シェンク!」
 厳しい口調で告げると、彼はようやく本ではなくこちらに顔を向けた。――とはいえ、その目がどこを見ているのかはさっぱり分からない。
「取り巻きを連れて訓練に戻れ。今なら地下牢での謹慎も1日で許す」
 はらわたが煮えそうなのをどうにか抑えながら伝えると、彼は本をベッドの上に放り、獣のようなしなやかな動きでソファを立った。
「……俺に命令するな……異国人」
 男が威圧感を放ちながら目の前まで迫り、低く掠れた声で言い放つ。
「俺はお前を指揮官だと認めた覚えはない……それでも俺たちを連れ戻すと言うなら、剣を抜け」
 明らかな挑発にレオンは息を飲んだ。
 創設されたばかりの神殿騎士団がこんな場所で刃傷沙汰を起こすわけにはいかない。
 レオンが剣を抜けないことを知っていて彼は言っているのだ。
「お前相手に抜いてやるような剣は持ち合わせていない」
 答えると、ヴィクトルが馬鹿にしたようにフッと唇の端を片方だけ上げた。
 下っ端2人を相手にしていた娼婦が不穏な気配を感じたのか、シーツを胸に早々に廊下に逃げ出して行く。2人の神殿兵は興が削がれて舌打ちし、ズボンの腰を持ち上げながらレオンに毒づいて来た。
「どんなに剣のお強い騎士様も、こんな場所じゃカタナシだなぁ?」
「女の鳴かせかたを教えてやろうか? 童貞ちゃん」
 安い挑発にも平静を保とうとするが、レオンの肌が赤く染まっていく。
 ヴィクトルが楽しそうに彼らを振り返りつつ、いかにも意地悪く口を開いた。
「さあ総長殿、どうする。ご主人様の伯爵様に泣きついて俺たちを処刑するか?」
「俺たちみたいなのを集めて騎士団ごっこをさせるなんざ、あのオスカーとかいう貴族もとんだ間抜けだ」
 茶髪の男が下卑た笑いを上げ、一歩前へ出てレオンに近付いてきた。
「俺たちゃまだやることがあるんだよ。さっさと帰ってくださいませんかねえ、総長殿。それともアンタが女の代わりをするか?」
「ひゃははっ、そりゃ傑作……がフッ」
 高笑いし始めた刈り上げの男を、レオンは思い切り拳で殴り飛ばしていた。
 金髪頭が吹っ飛び、後頭部をベッドの柱にしたたかに打ち付けて床に崩れ落ちる。
「お前らに抜く剣は無いが、今日という今日は我慢ならん」
「よくもやりやがったなてめェ!!」
 茶色の巻き毛の男が殴り掛かってくる。
 レオンはそれも僅かな仕草だけで造作無く避け、勢い余った男の鳩尾に膝蹴りを食らわせて昏倒させた。
「うぐぅ……」
 目の前で青い軍服の体が床に落ちる。
「俺の腕は二本しかない。お前は自分の足で帰って欲しいものだが、嫌というなら」
 ヘイゼルの瞳に怒りを燃やしてヴィクトルを睨み付ける。
 相手はしばらく黙っていたが、無言で殴り掛かって来た。その動きは先の2人よりも格段に素早いが、荒削りだ。
 背後に宙返りして避け、着地と同時に足払いを食らわせる。
 ヴィクトルは飛び上がってそれを阻止すると、中腰のレオンに回し蹴りを食らわせてきた。
 上半身を極限まで反らしてそれを避け、体の真上を空振りした脚を両手で掴む。
「!?」
 動揺した相手の足首を思い切り捻ると、その体が木製の床に激しい音を立てて倒れた。
「クソ、お前――本当に人間かっ!?」
 ヴィクトルが素早く上体を起こし、ベッドの上の本をレオンの顔に投げつける。
 重量のあるそれを片腕で防いだ隙に掴んでいた脛で胴を蹴りつけられ、脚を制していた手を離してしまった。
 痛みに耐えながら前傾して踏み込み、立ち上がり掛けでまだ体勢を整えている最中の相手に拳を連続で叩き込む。
「うっ、ぐっ!」
 最初は避けられたが後の二発がまともに入り、床にのびている茶髪の上にヴィクトルが仰向けに倒れこんだ。
 ベッドの上に掛かったその右脚を素早く掴みつつ相手の股間に片脚を入れ、体を回転させながら持った脚をくの字に曲げて絡めとるように巻き込む。
 最後に自分の脚で相手の左脚をも巻き込んで掬いながら後ろに倒れ、ヴィクトルの股関節を4の字にがっちりと固めた。
「ぐっ……うっ……っ!」
 もう相手の身動き出来る余地は一切ない。溜まりに溜まった鬱憤を発散するように骨の折れるギリギリまで力を込めてやると、ヴィクトルは悔し紛れに呻いた。
「剣だけのっ、甘ちゃんかと……っ、可愛い顔して油断させやがって、クソ、この卑怯者っ……っ!」
 上体を起こしながら歯を剥いて呻く彼を見ると、いつも顔を覆い隠している髪が後頭部の方に流れ、その顔立ちがあらわになっていた。
 思っていたよりも若い。
 切れ長の吊り目で左の目尻に黒子があり、女好きのしそうな色気のある顔をしている。
「誰が卑怯だ……お前の方こそ可愛い顔をしているじゃないか。髪を切ったらどうだ」
 久々の格闘に興奮しているせいか、自然に微笑みが浮かぶ。
「……っ、くっそ、離せ……っ!」
「離してください、だろう。ちゃんと目上の者には敬語を使え、軍規が乱れる」
 いつになく饒舌になって相手を挑発すると、ヴィクトルは琥珀色の瞳を見開いて怒り狂った。
「畜生っ……! 異国人の犬になるくらいなら、いっそこのまま死ぬっ……」
「馬鹿、脚が折れたくらいで死ねるか」
 会話しているうちに、開きっぱなしの扉の向こうで、バタバタと複数人が階段を上がってくる音がした。
 もしかして――と思うよりも早く、青い軍服を纏った神殿兵達が現れる。
「大丈夫ですか、総長殿」
 最初に脱走を知らせてくれた中年の兵士が心配そうに膝を床についた。
「来なくていいと言ったのに」
 未だヴィクトルに足固めを掛けたまま拗ねたように言うと、相手はきっぱりと顔を横に振った。
「オスカー様に、あなたが兵士を半殺しにする前に止めろと言われて参ったのです」
「あいつは俺を何だと思ってるんだ……」
 憤りを感じたが、このまま意地の張り合いを続けていたら確実に相手の骨を折り、数か月以上使い物にならなくしていたに違いない。
 溜息をついてヴィクトルの股間から脚を抜き、彼の両脚を解放する。
 相当痛みがあったのか、相手は自由になった途端に無言のまま左右にのたうち回った。
「いつも通り、王城の地下牢に一人ずつ別々に、三日間入れてやれ」
「了解しました」
 中年の兵士が同情の目でヴィクトルを見下ろし、屈んで手を貸した。
 他の2人は別の者に任せ、娼館の階段を降りる。
「騒がせて悪かった」
 娼婦たちに会釈をして通りに出た途端、レオンは激しく落ち込んだ。
 ――毎回こうしてサボりを摘発し、謹慎として王城の地下牢に三日間閉じ込める――というのが完全にパターンになっている。
 殴り合いにまでなったのは今回が始めてだ。
(俺は、人の上に立つのは向いていない……)
 反抗する者に罰を与える以外に何をすればいいのか、分からない。
 自分の乏しい経験の中ではそれしかやり方を知らないからだ。
 こんな時カインなら、うまく人の心を操り自分の思い通りに仕向けるのかもしれない。
 けれど、上手い嘘がつけず、思ったことがすぐ顔に出て、おまけに手も足も出るような自分にはそんなことはとても無理だ。
(やはり誰か俺以外の人間をあてて貰おう……ヨハンは適任だろうし)
 先ほど迎えに来た中年の兵士のことを思い出す。
 あんなふうに、元魔物の割には世慣れしていて、新しい環境にもすんなり馴染み、自分よりも若く見えるレオンにも型通りに接してくれる人間もいる。
 この問題児だらけの騎士団の総長には、そんなそつのない人間の方が相応しいのでは――そう思わずにいられなかった。


 城の高い尖塔が夕闇に沈んでいく。
 レオンが市街の見回りを終え、普段から開け放したままの城門をくぐると、城に一つだけ温かい明かりのついている窓があるのが目に入った。
 目を細めてそれを眺めながら足を進める。風が木々をザワザワと揺らす音に混じり、庭先に仮設された長屋から、仕事を終えた石工達の笑い声が聞こえてきた。
 裏庭まで入り込み、目立たない城の通用口の扉を僅かに開き、真っ暗な内側に身体を滑り込ませる。
 人気のない王城の空気は外気以上に冷えていて、シンとした静けさと共に体に染みた。
 近づく冬の気配を感じ、マントの裾を引き寄せる。
 一つ上の階に上がり、ミシミシと床板の鳴る音をさせながら木目が剥き出しになった廊下を歩いてゆくと、漸く目的の部屋の前に辿り着いた。
 レリーフと赤い彩色の美しい扉を三度ノックする。
「入れ」
 声と共に、レオンは金のドアノブを回した。
 中に入った途端、炎の焚かれた暖炉の暖かい空気が体を包む。
 蝋燭を明るく灯した部屋の奥に視線を送ると、そこには深緑色のビロードのカーテンを引いた大窓と、書類の山積みになった重厚な執務机が目に入った。
 その中に埋もれるようにして書き物をしている長い金髪の青年が、うずたかい書簡の山の間からこちらに微笑みかける。
「お帰り、レオン」
 手元の羊皮紙には羽根ペンで書かれた美しい筆致が覗いていた。
 昨日もそうだったが、最近の彼は不眠不休で仕事をすることが多く、二人の寝室に帰ってこないことも多くなっている。
 二日ぶりに顔を見てどこかホッとしながら、レオンは執務机の手前に置いてある布張りの優雅なソファに腰を掛けた。
 足を組みながら背中を預けて吐息をつき、部屋を見渡す。このカインの執務室は、床の見える隙間の方が少ないという程様々なものが散乱していた。
 直置きにされたまま保管を待っている処理済みの書類、何が入っているのか分からない大きな麻袋、転がった美しい意匠のペーパーナイフ、海の向こうの国のものと思しき地図、羽根をあしらった美しい紫色の仮面、弦の切れたリュート、マルファス達の作った沢山の設計図と、色とりどりの液体の入った薬瓶。
 人間はレオン以外入れないし、触れれば怒られそうなので誰も整理整頓をするものが居ないのだ。
「……疲れている顔をしているな」
 労わるような言葉を掛けられて胸がじんと苦しくなる。
 今日あったことが頭に甦り、レオンは腹を決めて率直に、思ったままを彼に伝えてみることにした。
「……オスカー……俺を、今の任務から外してくれないか」
 それなりの覚悟を持っての発言だったが、相手は何一つ顔色を変えなかった。
「そういう訳にはいかない。お前にしか出来ない仕事だ」
 思った通りの言葉が即答で返ってきて、静かにため息をついて肩を落とす。
「俺を買い被っているんじゃないか。……今なら分かる、俺が百年孤独だったのはお前のせいじゃない、俺が――」
 言葉を遮るように、オスカーは笑った。
「確かにお前は、長をやるには血の気が多すぎるかもしれないがな。――けれど私は、お前がそうやって落ち込みながらも頑張っている所を見るのが好きだぞ」
 レオンの頬に赤みが差す。
「真面目な話をしてるのに、からかうな。本当にどうしたらいいのか困っているんだ……」
 オスカーがペンを置き、椅子を引いて立ち上がった。
 長靴が床を鳴らす音が聞こえ、床に置いてあるものを跨ぎながら、こちらに近付いてきた時には既に彼は流れる銀髪のカインの姿になっていた。
 その優雅な手が、置いてある麻袋の一つをずるっと引き上げる。
 中に手を入れながら、彼はこちらを見て艶やかに微笑んだ。その眼差しに知らず知らずの内に動悸が高まる。
「この前、試しに旅商人から買ってみたんだ。お前、食ったことあるか? オレンジ」
 袋から出てきた彼の指の長い手の平の中に、鮮やかな太陽と同じ色をした実が握られている。
「……傭兵をやっていた頃に、市場でみたことがある……」
 買ってみたことも食べたこともないが、店先に山積みにされているのを見て、美しい色だと思った覚えがあった。
「南じゃ一山いくらだが、この地方では結構な値打ちものだ。――お前にやるから、持って帰って使え」
 カインの紅い唇がオレンジに口付ける。
「使う? 食うんじゃなく?」
 意図が分からず聞き返すと、彼は長い睫毛を少し伏せた。
「悩みの種になっている男にだ。謹慎が解けた後に、お前が直接渡してやれ」
 オレンジの実が青白い手に放られ、レオンの胸に投げ渡される。
「……? この実をあいつに渡すと、少しは言う事を聞くようになるのか?」
「考えなくていいから、とにかく俺の言う通りにしてみろ。お前みてえな天然は余計な事教えるとかえって上手くいかねえからな」
「……」
 何だかまた馬鹿にされているような気もするが、どうやら相手がアドバイスをくれたらしいことは分かる。
 きっとカインの事だから、人の心を操るような深い仕掛けがこの橙色の実にあるのかもしれない。
 手にとって顔に近づけると、爽やかな香りが立ちのぼる。
 ――とても心を惑わす罪深い果物には思えない。
「それからもう一つ――本当はすげぇやらせたくねえんだが、……お前、それを持っていく時は軍服脱いで、屋敷で畑仕事してた時のような格好で行け」
「何故だ。部下の前にそんな格好で出て行ったら規律が乱れるじゃないか」
 腑に落ちず首をかしげる。
「いいから。それで、下手に出てやれ。つまり、謝って、お前が居なければ何かと困ると言ってやれ」
「はっ!? 待てっ、何故俺が謝らなければならないんだ。軍規を犯したのはあいつだぞ」
 憤慨して思わずオレンジを握りしめた。
 カインが困ったような笑みを浮かべ、レオンの座るソファの背に肘を置いて寄り掛かる。
「別にお前が悪いとは言ってねえよ。だが、手負いの野良猫にムチだけをくれてやって、言うことを聞くと思うか?」
 レオンは俯いて口を噤んだ。
 それはまさしく今日、深く考えていたことだ。
「いつものお前と真反対の行動取って、躾のなってねえ野良猫を揺さぶってやれ。それでこの飛び道具が初めて役に立つ」
 背後からもう二つこぼれ落とすようにオレンジを渡されながら、つむじにキスされた。
「さあ……疲れているんだろう。今夜は早く寝ろ」
 ソファの後ろからカインが離れて行く。
 振り向くと、彼は既に仕事熱心な貴族の青年の姿に戻っていた。
 今夜は寝室に戻らずに仕事をするというサインだ。
「分かった……」
 寂しく沈んだ顔で立ち上がる。
 寝室に戻るために背を向けたレオンに、オスカーが静かに呟いた。
「ヴィクトル・シェンク……あの男は昔のお前に少し似ている。……手懐けるのはいいが、深入りはするなよ……」


 部屋を出ると、底冷えのする空気と孤独感とがレオンの身体を包み込んだ。
 執務室で借りた、中に小さな蝋燭を入れたランタンをぶら下げ、長い回廊を歩いて寝室へと向かう。
 利き腕にはオレンジを抱え、靴音だけの響くシンとした廊下を歩きながら、カインに言われた事を反芻した。
「謝ってやれ、か……」
 確かに顔を二発も殴りつけてしまったのはやり過ぎだったかもしれない。手加減はしたつもりだったが、今頃腫れ上がっているだろう。
 手当は兵士たちに命じたが、怪我をしたまま真っ暗な地下牢の中に入れられ、相当に恨んでいるに違いない。
(……カインは、謹慎が解けたらと言っていたが……どうせ独り寝だし、気になるから今夜の内に行くか……)
 そんなことを考えながら立ち止まって自室の扉を開ける。火に照らされ、今朝レオンが1人で起きた時のままの寒々しい光景が視界に入った。
 屋敷と違い、昼間作業員たちに部屋の中を見られる可能性もあるので、広い部屋は間仕切りで別れている。仕切りを挟んで主人用の広い寝台と簡易な側仕え用のそれとが置いてあり、最近はただ寝起きするだけの事が多いので、狭い方を常用していた。
 ひしひしと染みる寂しさに耐えながら、オレンジと灯火を腰高の丸テーブルに置き、仄かな明かりの中で剣を置いてマントを脱ぐ。
 軍服の金具を上から解いて前を開き、中に着ているシャツの襟の隙間に見える白い肌に視線を落とした。
 最近恋人が忙しく、あまりベッドを共にしていないせいか、肌に残る痕も特に見当たらない。
 ジャケットを脱いで椅子の背に掛け、防寒の為にリンネルのシャツの上から柔らかな素材のフード付きの肩掛けを羽織る。
 小さな籐籠をベッドの下から出し、オレンジを3つ入れ、壁際にある白い書き物机の引き出しから果物ナイフを出して脇に入れ込んだ。
 左右の手にランタンと籐籠をそれぞれ持ち、準備が整った事を確認する。
(地下牢か……夜行ったことはないな)
 気が進まないながらも、面倒なことは早く終わらせてしまいたかった。
 フードを深くかぶり、寝室の扉をきっちりと閉めた後で、所々が欠けた歴代の王の肖像画の飾られた廊下を歩き始める。
 やがて石造りの冷えた階段室に入ると、手に持った灯火だけが頼りとなる真の暗闇に包まれた。
 下って行く奥底から、時折ぽたりぽたりと夜露の落ちる音がする。
 打ち捨てられた城の不気味な空気が漂い、知らず知らずの内に足がすくんだ。
 何周か螺旋階段を下り、洞穴のような地下へと出て行く。
 牢の床面に染み込んだすえた臭いが微かに漂い、眉を顰めながら足を進めると、左側に鉄格子の並ぶ狭い通路に行き着いた。
 緊張に身を硬くしていたレオンの耳に、そこに閉じ込められている男たちの高イビキが聞こえてくる。
(な、なんて奴らだ……)
 こんな最悪の場所で眠れるとは、図太いと言うか、鈍感というか、むしろ尊敬してしまう。
 兵士としては有望かも知れないが、今までも全く罰になっていなかったのではと気付き始めた。
(よく考えると、つい数年前まで何十年間も野生に返っていたような奴らだったな)
 文字通り野良猫という表現が正しい事を認識し、ため息をついた。
 一つ一つ手前から牢を灯火で照らす。
 牢を確かめながら、以前密かにここに来た時、本物のオスカーがこの内の一室で白骨になっていたことを思い出した。
 あの時、軍服と美しい髪だけはそのままの遺骸を見て、自分の知っている彼が死んでしまったかのようなショックを受け、暫く立ち直る事が出来なかった。
 その時の恐怖と悲しみの記憶を振り払うように唇を結び、目的の人物を探す。
(奴はどこだ……)
 手前から4つ目まで来た時に、見覚えのある青い軍服の男が藁だけを敷いた粗末な寝台に腰掛けているのが見えた。
 顔がよく見えないが、闇に溶けるような肌の色と体躯から言って間違いなくヴィクトルだ。
 ――そしてそこは奇しくも、あの貴公子の骸を見つけた牢だった。
「……っ」
 無意識のうちに尻込みしてしまう。
 やはりカインの言う通り謹慎が解かれてから、神殿の離れにある彼らの屯所に訪ねて行くべきだろうか。
 しかしそれをすれば軍服を着ず、しかも情けなく謝っている姿を他の兵士たちにも見られる事になる。
(やはり、今だな)
 固唾を呑み、対面の壁に掛かっている錆びた牢の鍵束を手に取った。
 鍵穴に鍵を差し込み、金属の擦れる鈍い音をさせながらそれを回す。
 その気配にピクリと反応して、中の男が僅かにこちらに顔を向けた。
「……誰だ」
「……」
 私服で部下に名乗るのが気恥ずかしく、黙ったまま中へ長靴を踏み入れる。
 オレンジの籠を肩がけで隠し、灯火で中を照らすと、ジメジメした剥き出しの石壁が光を反射した。
 ヴィクトルがひどく眩しそうに手の甲をかざす。
 この場所には一条の光も無いものだから、慣れていない目にはキツいのだろう。
 手の下の顔には痛々しい痣が出来ていて、髪で隠れていても酷く腫れ上がっているのが分かる。
 レオンはランタンを足元に置いてフードを背中に払った。
「……シェンク……俺だ」
 顔を明らかにして名乗ると、相手は酷く驚き、動揺したように口を開けたまま固まった。
「そ……総長……?」
 余りに驚いているのか、いつもの反抗的な態度が吹き飛んでいる。
「何だ……そんなに驚くような事か?」
 こちらの方が面食らってしまって、はにかみながら尋ね返す。
「そりゃあそうだろう……あんた、こんな場所に来た事など無かったし……なんというか」
 ヴィクトルは首を上下させ、長い前髪の下の琥珀色の目でこちらをジロジロと眺めた。
「そんな格好もするんだな……」
 うっと胸がつかえる。
 農村で気楽に暮らしている時ならともかく、部下を持った以上、寛いでいる時の姿など出来れば見せたくは無かった。
「隣、いいか」
 尋ねると、相手は黙って寝台の端に移った。
 その事にホッとしながら腰を下ろし、至近距離で相手を見つめる。
「……お前、顔と足は大丈夫か」
 おずおずと尋ねると、相手は機嫌を害したようにそっぽを向いた。
「この顔が大丈夫に見えるか。足もあんたが折れる寸前まで締めてくれたからな。未だにおかしい」
「……悪かった……やり過ぎた。許してくれ……」
 瞼を伏せながら素直に謝ると、相手はビクッと肩を跳ねあげてこちらを向いた。
「気味が悪い……一体どういう風の吹き回しだよ」
 自分でも気持ちが悪かったが、我慢して言葉を続ける。
(ええと、あとは何を言うんだったか……?)
「その……。……お前がいないと、俺は困るらしい」
「困る?……らしい?」
 相手は怪訝な顔をしている。
(い、言うことを間違えたか……?)
 カーッと頬が熱くなり、しどろもどろになりながら懸命に考えて言葉を繋げる。
「その、つまり、だから、ちゃんと訓練に出て欲しい……お前は剣も格闘も他の兵士とは段違いだし、……他の兵士のいい指導役になれる、はずだ」
 思い付いたことを適当に話したので、セリフのような棒読みになった。
 ヴィクトルが溜息をつきながら前髪を掻きあげ、あらわになった鋭い釣り目でこちらを睨み付ける。
「誰の入れ知恵だ? 例の伯爵様か」
 心臓が凍りそうになった。
(かっ、カイン、バレてるんじゃないか……!? いや、俺の受け答えが不味かったのか!?)
 余りの恥ずかしさに冷や汗がダラダラと額から落ちる。
「違う……本当に悪かったと思って……来たんだ……」
 しどろもどろになりながら言うも、嘘がバレているのか、興味なさそうに視線を外されてしまった。
 シーンと会話が続かなくなってしまい、困り果てる。
 この空気で突然贈り物を出すのもどうかと思われて、レオンは周囲を見回して必死に話題を探した。
 視線を落とすと相手の膝の上に、娼館で投げつけられたあの本がある事に気付き、会話を必死で繕う。
「そ……それは共通語の本だろう? 投げられた時に少し見えた……。お前、共通語が分かるんだな?」
 すると、相手は面倒そうにではあるが、反応を返してきた。
「分かっちゃ悪いか。……あんたが伯爵様と話してる内容も大体分かるぜ。共通語で話す時は敬語を使ってないだろ」
 ドキッと心臓が跳ねる。
「単なる騎士と伯爵様って感じがしねえんだよ。一体あんたらどういう関係なんだ」
(……っ、なんてカンのいい男だ)
 味方になればいいが敵にするには余りに恐ろしい。
「俺は元々彼に仕えていた訳じゃない。この国で出会って、彼に命を助けられたんだ。オスカーとは最初友人だったから、今も2人の時にはそんな風に接している……」
 少なくとも嘘ではない、と念じながら言い訳をする。
「成る程ね。あんた、元々どこの出身なんだ」
「タルダンだ」
 答えた途端、ヴィクトルの顔色が少し変わった。
「異国人じゃなかったのか?」
「いや、俺は異国人だ。信じては貰えないだろうが、百年以上前のタルダンの出身だから」
「あんたも、魔物だったのか……」
 驚いたように相手が目を見開く。
「それは少し違う。でも、同じようなものかな」
 説明するのが難しい上に真相を話すのが恥ずかしいので、言葉を濁した。
「喋る共通語が妙に古めかしいと思ったんだ。それに、色んな意味で人間離れしているからな。納得したぜ……」
(色んな意味?)
 引っかかったが、敢えて訊くのはやめた。
「なあ、バルドルには行ったことがあるか。タルダンから近いだろ」
 急に相手が積極的に質問してきたので、驚いた。
「ある。ずいぶん昔だが」
「バルドルは俺の母の故郷だ」
 初めて身の上らしき事を言い出した相手に驚きつつも微かな希望を感じた。
「そう、みたいだな」
 ぎこちなく相槌を打つと、ヴィクトルが驚いて問い返してきた。
「あんた、知ってたのか?」
「部下の身上書に目を通すのは当たり前だ」
「ほんとにクソ真面目なんだな……」
 クスクスとヴィクトルが笑い出した
 笑顔を見たのは初めてで、心の底から驚く。
「それで、真面目なあんたがその可愛いケープの下に隠してるのは、何なんだ」
「えっ、あっ……」
 先に気づかれてしまい少し恥ずかしくなりながら、肩がけの下からオレンジの籠を取り出て相手に押し付ける。
「その……お前にやる」
 ヴィクトルの表情から笑みが消えた。
「こんな北のほうじゃ普通手に入らない筈のものだ。……これ、あんたが?」
 嘘がつけないので、ただ無言で頷く。
 ヴィクトルがぼんやりと手元を見下ろしたまま、独り言のように呟いた。
「これはバルドルでしか採れない果実だと……旅商人の父がよく、母の故郷からこれを土産に持って帰ってきた……母は懐かしいと喜んで、俺に切って食わせてくれた……」
 そこまで話すと、彼はハッと口を噤んでバツの悪そうな顔をした。
「余計な事を話させやがって……! あんたが妙な格好で妙な真似をするから」
 その様子に初めてレオンの緊張が解け、思わずくすっと笑みが浮かんだ。オレンジを一つ手に取り、問い掛ける。
「腹が減っていないか? 俺が切ってやろうか」
「いや、いい。……もう、放っておいてくれ……」
 俯き急に沈んだようになった相手に密かに狼狽し、レオンは謝った。
「……。辛いことを思い出させたなら、悪かった。もう俺は戻ろう」
 どうやらカインの作戦は失敗だったらしい。これ以上いるとまた余計なことをしてしまいそうで、レオンは寝台から立ち上がりかけた。
 ――が、ヴィクトルの手が伸びてきてレオンの手首を掴み、留める。
 どうしたらいいのか頭が真っ白になって焦っていると、下を向いたまま彼が唇を開いた。
「……俺の母は、俺が魔物になり、頭がおかしくなっていた数十年の間に、もう……」
 触れられている指の冷たさと、その吐き出すような言葉に、レオンの腕が震えた。 
「旅先で死んだ親父の代わりに、俺が軍で出世して、楽に暮らさせてやる筈だったんだ……」
 彼の背負う孤独に、どんな声を掛けてやればいいのだろう。
 答えが出ないまま、ただ思ったことを言葉を紡ぐ。
「……俺には父も母も居たことがないから分からないが、家族を失うのは、最初から持たないよりも、ずっとずっと辛いんだろうな……」
 自分はカインに出会い、オスカーに救われて、今は以前よりずっと心穏やかに暮らしている。
 けれどこの男には、つるむ仲間はいても、心を許す相手が居ない。
 そう思うと気の毒で仕方がなくなり、俯いたヴィクトルの肩に触れて抱いた。
 途端に握られていた腕をぐいと引き寄せられ、じっと透き通った瞳で見つめられる。
「あんたは何で俺にそんな風に言えるんだ……! 国までなくなっちまって、あんたの方がよっぽど辛い人生だろうに――」
 レオンは柔らかに微笑み、首を振った。
「いや、俺はこの国で、今まで生きてきた中で1番幸せに暮らしているから辛くはない。俺はお前の言う通り異国人かもしれないが、俺を幸せにしてくれたこの国と、この国の人々が好きだ……」
 ヴィクトルの琥珀色の瞳が揺れる。
「……。あんたはきっと……。あんたみたいなのを共通語で……と、言うんだろうな」
「え?」
 早口で一部を聞き取れず、首をかしげる。
 相手はしばらく押し黙り、ぱっと首を振った。
「いや何でもない……。引き留めて悪かった。もう帰ってくれ、あんたの気持ちは分かったから」
 肩を押されるようにして遠ざけられる。
 レオンは頷き、籐籠からナイフを取った。
「これは牢内には置いてはおけないから、持って帰るぞ」
「ああ、構わない。ここでは食わない……勿体無いからな」
 そう言った彼の表情は、今まで見たことのないほど穏やかなそれだった。
 床のランタンをとり、会釈して牢を出て、鍵を閉める。
「規則は規則だからな。また三日後に」
 急にかしこまったレオンを、ヴィクトルは苦笑して見送った。
「そう言うところはあんたらしいな……」
 背後で彼が寝台の藁の上に横になる気配がする。
 相変わらず奥の牢からはいびきが聞こえていて、くすりと笑みがこみ上げた。
 光を掲げて牢を離れ、帰り道を歩む。
 ――胸の中にも小さな光が灯ったような気がして、その足取りは軽かった。



 オレンジを持ってヴィクトルの牢を訪ねてから、三日後の早朝のこと――。
 不良兵士三人の謹慎が解けた日の朝、レオンは神殿兵たちの点呼の場で、ヴィクトル達の姿を探した。
 あの妙に図太い取り巻き2人は眠たそうな顔で列に並んでいるが、ヴィクトル本人は見当たらない。
 やはり、ダメか。
 ――半ば諦め気味に苦笑し、兵士たちの訓練指導を始めようとしたその時。
「申し訳ありません! 遅れました」
 青い神殿兵の軍服を着た長身の男が慌てて門扉の方から走ってくるのが見えた。
 精悍なブロンズ色の肌に、均整の取れた長い四肢――後ろ髪を短く刈った美しい黒髪は優雅な曲線を描きながら斜めに流れ、艶を含んだ彼の金色の猫目を彩っている。
 その左目の目元の黒子を見て、レオンはすぐにそれがヴィクトルだと分かった。
「シェンク、遅刻だ」
 どうしても少し顔が笑顔になってしまいながら、声だけは厳しく張る。
「髪を切っていたので……」
 悪びれずにそう言った彼の周囲で、わっと隊列が乱れた。
 兵士達が一斉に彼に注目し、野次を飛ばして絡む。
「おいおいヴィクトル、お前だったのか。すげえ色男じゃねえか」
「いきなり真面目になっちまって、一体どういう風の吹き回しだよ」
「こら、お前たち私語をするんじゃない!」
 同僚に首筋を掴まれて困ったようにこちらを見た彼を、レオンは一喝で救い出した。
「さあ、二人一組になって木剣を握れ。シェンク、お前は一人余るから俺の相手をしろ」
「光栄です、総長殿」
 以前、自分が敬語を使えと言ったからだろうか――余りにもわざとらしい敬語に吹きだしそうになりながらも、剣立てから木剣を取り出して投げつける。
 彼はそれを受け取ると、腰に構えて優雅な仕草で礼をした。
 レオンも剣を取り、礼をして構える。
「来い! なまった身体を温めてやる」
 顎を引いて相手を見据え、両手で木剣を構えると、風を切る音と共に遠慮のない攻撃がレオンを襲った。
 それを正面から木の刃で受け止めてやると、小気味の良い痺れが腕に走る。
「総長殿!」
 木の弾ける乾いた高い音をたてながら、ヴィクトルが話しかけて来た。
「なんだ!」
 深く入った突きを除け、跳ね上げるように弾き返しながら言葉を交わす。
「俺も時々、あなたと共通語で話してもいいですか!? 母としか話さなかったから、長く使っていなくてっ、喋り方を忘れてしまいそうなんです!」
「構わない!」
 返答しながら、剣を押し付けるようにして相手を一旦押し返した。
 レオンは上向けた手の人差し指と中指で手招きしながら、言葉を母語に切り替えた。
「さあ、本気で打ち込んでみろ」
 すると相手はニヤッと含み笑いし、色香を感じさせる口調の流暢な共通語で呟いた。
「三日間牢の中で、ずっと恋してるみたいにあんたのことばかり考えてた。――天使みたいに清らかな癖に妙に色っぽいあんたのことを、もっと知りたい……」
「!?」
 驚いて隙の出来たレオンにヴィクトルが激しい足払いを喰らわせる。
 不意を突かれてしまったせいで体勢は容易に崩れた。
「うっ……」
 地面に鈍い音を立てて背中を打ちつけてしまい、痛みに顔をしかめる。
「――冗談ですよ、総長殿!」
 エルカーズ語で叫び、覆いかぶさるようにしてヴィクトルが重い剣を降り下ろしてきた。
 それを自らの剣で受け止めながら、憤りをあらわにする。
「――お前っ、汚いぞ!」
 木剣を払いのけ、体の上の相手の腿を激しく蹴りつけた。
 今度はヴィクトルが土埃を上げて後ろに派手に転んだが、彼は倒れたまま楽しそうに声を上げて笑っていた。
「……全く、お前は本当に食えない奴だな!」
 呆れながら起き上がる。
 相手を助け起こそうと手を差し伸べると、ヴィクトルはそれをしっかりと握ってくれた。
 触れ合った場所から不思議な温かさが流れ込む。
「この間の仕返しです」
 立ち上がっても手を握り続けながらそう言った彼を憮然として睨みつける。
 ヴィクトルは片目を瞑ってみせてから、握った手を引き寄せて甲に口付けてきた。
「そんな顔をしないで下さい。あなたを敬愛しているのは本当なんですから」
 しゃあしゃあとそんなことを言うので、レオンは真っ赤になって無理矢理手をもぎ離した。
 クスクスと意地悪く笑いながら、こちらに背を向けたヴィクトルが剣を拾っている。
 上官をからかうのは許しがたい行為だが、見た目が整い、何よりさぼらなくなっただけでも大きな進歩だ。
(――食えないが、憎めない男だな……)
 密かにレオンの口元が綻ぶ。
 ――もう触れていないはずの手に、何故か温もりがずっと残り続けた。



「――と言う感じで……あいつが逃げなくなったら、取り巻きの2人も楽しそうに訓練に参加していたんだ」
 その日の夕暮れ時。
 相変わらず謎の収集物で溢れている王城の執務室で、レオンはソファに身を預け、事の次第を報告していた。
 オスカーは何時もの通り執務室の大窓に背を向け、机に広げられた沢山の書簡を前に羽根ペンを走らせている。
「そうか……それは良かったな」
 彼は耳だけを貸しながら仕事を続けていて、先刻から気の無い相槌しか返ってこない。
 まるでこちらに全く興味を持たれていないかのようで密かに寂しい思いが募る。
「……可笑しいんだ、最後なんてやったことのない片づけまでやるって……」
 それでも話を続けていると、突然オスカーの手元でバキッという音が立った。
 見ると、羊皮紙の上を滑っていたペン先が粉々に砕けている。
 びっくりしてヘイゼルの瞳を見開いたレオンに、彫りの深い目蓋を伏せたままオスカーが呟いた。
「……。やっぱり、お前にあんな助言をしたのは間違いだった……」
「えっ」
「俺は謹慎が解けてからと言っただろうが……地下牢であいつと2人きりになったのか?」
 表情が怒りに歪むと共にオスカーの瞳が緑から赤に変化し、金髪の間から巻角が生え始める。
 その入り混じった姿が普段よりも悪魔的で恐ろしく、レオンは息を呑んだ。
「オスカー……半端に変身が解けてるぞ……」
 指摘すると、彼はハッとしてすぐに角を引っ込めた。
「2人きりと言ったって特に危険なことは何も無かった……俺を殺して逃げるとか、そこまでするような男じゃない」
 レオンが付け加えると、彼は溜息をついて砕けたペンを置いた。
「新しい悩みが増えないといいがな……今日はもう、仕事にならない」
 座っていた椅子から貴公子が立ち上がる。
 ソファに身を預けるレオンの元へ近付き隣に座る頃には、彼は銀髪の妖艶な神の姿となっていた。
 久々に見るその容姿に切なく焦がれるような気持ちになりながら、眉を下げる。
「悪かった……余計な話でお前の仕事の邪魔をして。何か不快な思いをさせたなら謝る……」
 忙しい彼に自分のことばかり話して聞かせたのが悪かったのだろうか。
 独りよがりなことをしてしまったと罪悪感が湧き、シュンと俯く。
「礼が言いたかっただけなんだ……お前のお陰だか……ら」
 言い終わらない内に、カインの両腕がレオンの体を痛い程強く抱きしめていた。
「カインっ……?」
 戸惑いながら隣を振り向く。
 相手は何かを押さえ込んだような無表情で、感情が読めない。
「もう二度とあの男と2人きりになんなよ……」
「そんな機会はもう無い……」
「触れたり、肩を抱いてやるのも絶対許さねえ」
「それはもうした」
 罪悪感がない故にさらりと告白したレオンに、カインの顔色が変わる。
 相変わらず表情は固いまま、イライラしたように尻尾が上下にのたうち始めた。
「抱いてやったのか? お前のこの、胸の中に」
「ダメなのか……? お前はいつもしてくれるのに」
 憮然としている恋人の顔を見上げ、レオンは驚きと共にその青白い頬を両手の平で包んだ。
「もしかして、……心配じゃなくて……嫉妬、してくれているのか……?」
「してねえよ。お前がボンヤリしててヤられちまわねえか心配してやってんだ……っ」
 ムキになって言い返した彼がどうしようもなく愛おしくなる。同時に、欲しくて堪らなくなった。
「……なんだか、嬉しいな……」
「何がだ」
 カインの整った眉が吊り上がる。
「だって、俺は男で、華奢でもないし、俺を抱きたいと思うのなんてお前くらいなのに」
「……本気でそう思ってんのか?」
 ルビーの瞳に呆れたように睨まれた。
「うん」
 微塵も疑問を感じることなく頷くと、上腕を掴んだカインの指が痛いほど皮膚に食い込んだ。
「っ……ン……痛い、カイン……」
 強引な所作にも心臓がドキドキと高鳴る。
 何度も身体を繋げて、全てを見せている相手なのに、未だに恋い焦がれるような気持ちになるのが不思議だった。
「服を全部脱げ」
 耳元で囁かれて頬が熱くなる。
「い、今、こ、こんな場所で……っ? よ、夜まで待てないのか……っ……汗も、沢山かいているし……」
「駄目だ。俺の気が変わるぞ……仕事は山程あるんだからな」
 冷たく言い放たれて心が揺れる。
「……っ」
 毎日ここに来て顔を合わせてはいるが、もう一週間近くカインは二人の寝室に帰っていなかった。
 脅すような言葉に屈するのは悔しいが、身体の奥底から来る切実な飢えに逆らえず、ギュッと目蓋を閉じて頷く。
「ぬ、脱ぐ……っ」
「物分かりのいいお前は好きだぜ……さあ、立って机の前に行け」
 好き、という言葉に情けないほど身体が従順に反応して火照る。
 カインがレオンの腕を離し、促すように背中を押した。
 ここに来るまでずっと身体を動かしていたので、軍服の下はひどく汗が染みている。
 恥ずかしくて仕方がなかったが、レオンは執務机の前に立ち、白の軍服のホックに指を掛けて外し始めた。
 腕を抜いて上衣を脱ぎ落とし、汗を吸った薄いシャツだけになる。それも肩から外し床に捨てると、カインは長い腕を伸ばしてそれを拾い、鼻先を寄せた。
「エッロい匂い……下はもっとヤバそうだな」
「やめろ、そういう悪趣味なことは……っ」
 羞恥に泣きそうになりながら、震える指でズボンに手を掛ける。
 冷えた空気に乳首がピンと張りつめ、カインの視線がそこに注がれているのを感じた。
「……っ」
 ペニスが充血して半勃ちになっていることに気付き、指が一瞬止まる。
 羞恥を我慢してウエストを留めているベルトを外してズボンごと落とし、下着の腰紐に手を掛けて解いた。
 布の引っ掛かりを感じながら足首まで抜き、とうとう長靴ちょうかを履いただけの全裸になる。
 無防備な肌がピンクに染まり、レオンは自分を守るように腕で肩を抱き、救いを求めるようにカインの目を見た。
「机の上に、窓の方を向いて乗れ」
 彼の唇から飛んだ容赦のない要求に息を呑む。
「……っ! い、いや……だ」
「早く」
 最早この状態では逆らうことが出来ない。
 執務机に背を向けたまま筋肉のよく発達した尻をそこに乗せ、続いて靴紐を解いてのろのろと靴を脱ぎ捨てる。
 裸足の足の裏を一つずつ天板に上げると、ひやりとした冷たさが皮膚に伝わり、緊張感が走った。
「……っ」
 手をついて身体を回し、カインに背を向けて、カーテンの開いている大窓に向かって脚を開く形で執務机の上に乗る。
 急いでのぼったせいで尻の下には今しがたまでカインが広げていた書類がそのまま下敷きになり、言い知れない罪悪感が湧いた。
 恐る恐る顔を上げると、高い机の上から窓の下がよく見える。
「か、……カイン……っ、外から見える……っ」
 庭先に、まだ訓練を終えたばかりの兵士たちが残って立ち話をしている。
 資材を片付けている石工と修復作業員達もちらほらいた。
(なんてことを、させるんだ……っ)
 あまりの恥ずかしさに息が上がり、それとは裏腹に、ばら色に染まって屹立した性器が浅ましい期待に震える。
 カインがソファから立ち上がり、ゆっくりと背後に近付いてくる気配がした。
「――いい夕日だ……だが、すぐに暗くなるな……?」
 ルビーの瞳が壁に取り付けられた燭台を見つめると、そこに小さな炎が起こった。
 執務机の上のオイルランプにも火が灯り、夕暮れで暗くなった部屋が揺れる光に照らされる。
 この城中で明かりのついているのはこの場所だけだ。もっと日が落ちれば落ちるほど、この部屋が外から目立つようになる。
 執務机と腰高の大窓は椅子を挟んで片腕程の距離だ。
 外から誰か気付いて見上げた時、全裸の自分が確実に見えてしまうだろう。
 カインの手が、背後から両手の指先を差し込むようにレオンの黒髪に触れた。
「ほら、真面目なお前の部下がまだ庭先に残っているぞ……」
「はっ、あ……カイン……イヤだ……」
 指先がこめかみを降りて首筋を辿り、鎖骨をなぞり、張った胸筋をなぞって二つの敏感な乳首にたどり着く。
「お前の部下は知らねえだろうなあ、上官が軍服の下に、こんな大きくてイヤらしい乳首を隠してるなんて……」
「っアう……くぅ……っ」
 ぷくんと乳輪から膨れている突起を両方引っ張られ、甘い声で喘いでしまう。
「ちょっと目がいいヤツなら、お前がピンク色のチンポの先からスケべ汁垂らしてる所も見えちまうかもしれねえな……」
 死にそうな恥辱の中で、ハッと視線を落とすと、ペニスの先からねっとりと先走りが垂れ、尻の下に敷いたカインの書簡を汚していた。
「あ……」
 まるで教会の写本のように美しい彼の筆跡が自分の浅ましい体液で濡れて滲んでいるのを見て、ここで行為することの罪深さに震える。
「か、カイン……紙が……紙が、汚れてる……っ」
「ン……? ああ、俺がさっき折角書いたのを汚してくれちまったのか……」
 わざとらしく耳元で囁かれ、カインの指が濡れた陰茎に絡んだ。
「……悪さをしたのはこいつか……?」
 にゅる、と繊細な指が滑らかになった性器の皮膚を擦る。
「ァはぁ……っ、ァ……」
「それとも、俺とヤリ過ぎてすっかりおかしくなってるお前のこっちの穴か……」
 尻の下にももう片方の手を入れられ、浮かせるように狭間を掴んで押し上げられる。
 前傾しながら机の上でしゃがむような体勢になると、無防備な後孔に指先が触れた。
 窄まった襞がヒクッと震え、触れてもらえる期待で収縮が止まらない。
「や、め……ンン……ッ!」
 ちゅぷ、と淫らな水音をさせながら指が中に潜り込むと、普通なら濡れるはずのないそこが雌の交接器のように悦びの涎を流し始めた。
 カインの手がそのまま一方でペニスを、もう一方で後孔をゆるゆると愛撫し始める。
「あっハァあっ……ダメだ……っ、また、垂れる……汚してしまうぅ……っ」
 我慢しなければならないのに、見られているかもしれないという背徳感と久々に触れて貰えた悦びで、前からも後ろからも快楽の蜜が溢れるのを止められない。
 ペニスも穴も次第にグチョッグチョッという下品な音を立て始め、股の下にボタボタと体液が垂れ、下に敷かれた書類がすっかり駄目になっていく。
「あぁぁッ、出るっ、……は、離してくれっ、いっ、イッく……イッてしまうっ……ァぁあっ!」
 射精を促すように容赦なく扱かれて、濃い精液が勢いよく書類の上に吐き出され、まだ無事だった別の紙までベットリと汚れていく。
「ハァっ、カイン……っ、あぅうっ……」
「ああ、下まで染みたな……全部書き直しだ。どうしてくれんだよ……」
「ゆ、許してくれ……っ、我慢できなかっ……もっ、降ろしてくれ……降りたい……っ」
 荒い呼吸もそのままに必死に懇願した。
 だが、動揺するレオンを恋人は許さない。
「まだお仕置きが終わってねえだろ? ほら、尻を上げろ」
 後孔から指を抜かれ、その濡れた指で尻の狭間を持ち上げるように腰を高く上げさせられる。
 窓に顔を向けて前のめりに四つん這いになりながら、レオンは不安げに振り向いた。
「な、に……?」
 警戒していると、カインの青白い手が、レオンの尻をパンと高い音を立てて叩いた。
「……アッ……」
 目を見開いて、痒いような痛みに呻きを漏らした。
 驚いているとすぐにまた、ひゅっと風を切って二発目が尻たぶに入る。
 子供のように、尻を叩かれている――。
 太陽の光は既に残り火のようになり、部屋の中の方が明るくなったせいか、大窓のガラスには、淫らな顔で責めを受ける自分が映っていた。
 羞恥に身体中が真っ赤に染まり、それなのに、叩かれるたびにチリチリと下腹に快感がくすぶる。
「ん!」
 3度目でもぞもぞと太腿を擦り合わせていると、カインの白い尾が後孔にニュルリと入ってきた。
 4度目は、穴を犯されながら叩かれる。
 衝撃が走った途端、堪らずに尾を強く締め上げた。
「ふぁあ……ッ、許してくれ、……どうしてこんなっ、……こんな事をっ……」
 涙ながらに問うが、恋人は答えない。
 今日の彼がいつもと様子が違う事に薄々気付きながら、一方でもっと酷くされることを望む自分がいるのが恐ろしい。
「叩かれて感じるのか? どうしようもねえな、……エロい総長殿は……」
 カインがわざと尾を中でくねらせ、コリコリと快楽の塊を刺激しながら、皮膚の赤く染まった尻を更に引っぱたく。
「……っアうん……っ!」
 ブルルっ、とレオンは尻を大きく痙攣させ、断続的に中を締め上げながらまた達してしまった。
 精液は出ず、女のように後孔で達してしまう雌の絶頂に震えが止まらない。
「ん……うぅっ……」
「……くく、そうだな。そんな風に後ろだけでイけば、下も汚れねえよな……」
 カインが酷薄な笑みを漏らす。
 だが次の瞬間にジュプンと尾が抜かれると、閉じ切らないその場所からもトロリと体液が漏れ落ちてしまい、また紙を汚してしまった。
「ふぁ……!」
 思わず悲鳴が漏れ、涙が目尻に滲む。
「あーあ、ダメだなこれは……後ろがダダ漏れだ……」
 指で淫液を掬い取り、赤い舌先でちろりと舐めながらカインが唇の端を上げた。
「塞いで欲しいか?……ここを」
 赤くなった尻を高く上げたまま、欲に濡れた瞳で黙って頷く。
 レオンは相手の位置から挿入しやすい様に机の上で身体を反転させ、背中を天板側にして仰向けになった。
 次いで、開いた両膝を掴んで尻が浮くほど持ち上げ、挿入を待ちわびて喘ぐ後孔を恋人の視線に晒す。
「淫乱な尻しやがって……ズブズブだな」
 カインが執務机の前に立ってそこを見下ろし、わざと焦らす様に、人差し指と中指を濡れそぼったそこに深く差し入れた。
「お前のこの、よく拡がるスケべな穴は誰のもんだ……? 塞いで欲しかったら、言ってみろ」
 中の濡れ具合を確かめる様に緩く抜き差しされながら、低く囁くような声で問いかけられる。
「……はっ、ぁッ……お前の……っ、カインの……ものだ……っ」
「本当にか? 忙しくて俺がお前を放って置いても、ちゃんとイイコでガマンが出来てんだろうな……?」
「……ンっ、我慢っ、してる……っ、ちゃんとっ、我慢できてるっ、からぁっ……、か、カインっ、ゆびっ、……っ」
 浅く出入りする指をキュウキュウと食い締めながら、ねだるような視線で恋人を見つめた。
 せっかく懸命に尻を上げて後孔を上向けているのに、そこから腰の方までトロトロと蜜が落ちる感触がする。
 さっきイッたばかりのペニスも勃ち上がり、後孔を掻き混ぜられる度にとろみを垂らしながら上下にユラユラと揺れた。
「油断して他の男に入れさせたりしたら、そいつを殺してやるからな……!」
 突然、指の関節がギュウウッと腹側に押し付けられ、快楽の中枢をグリグリと責められる。
「ひぁぁっ……! ぜ、絶対っ、そんなことっ、しない……っ、お前のしかっ、……んぁっ、そこ、おかしくなる……っ、っあ、」
「分からねえぜ……昔からお前は、迂闊だからな……」
 揶揄するような言葉に深く傷付いた。
 ……カインはやはり、いつもと違う。
 恐らくとても怒っている――レオンに対して。
 どうしてそんなに疑われるのか分からず、悲しくて仕方がない。
 なのに身体は勝手に彼の指に反応し淫猥に高まってゆく――欲しくて泣き出しそうな程に。
「カイン……っ、お願いだ……、もう……っ、これ以上意地悪は……。俺が何かしたなら、謝るから……っ」
 目尻に熱い涙が零れ落ちる。
「……もういい。お前には分からねえんだろ……お前がどれだけ、」
 言いかけてカインが口を噤んだ。
 その言葉の続きが気になって、レオンは問い返した。
「……どれ、だけ……?」
 だが彼は目を逸らしてしまい、同時にヌプンと指が抜かれる。
 綺麗な瞼が伏せられ、青白い手がローブを床に落とし、ズボンの前立てのベルトを外し始めた。
 美しい顔に似合わぬ、カリの張った長大なペニスが取り出される様子が開いた脚の間の視界に入る。
 レオンはそれを見つめ、甘い吐息をついた。
 怒張を剥きだしにしたカインがこちらに覆いかぶさり、尻が半分天板の外に出るくらいに腰を掴まれて乱暴に引き寄せられる。
 熱い肉の先端が濡れそぼった場所に触れていた。
「――これ以上下を汚したくねえなら、お前の中で一滴残らず搾り取れよ……」
 強い口調に、潤んだ目で大きく頷く。
 次の瞬間、ズブッと水音をさせながらそれがレオンの中を押し広げ、思わず歓喜の呟きが唇からこぼれた。
「……っ、はあっ、大きい……っ、カイン……」
 ずっとこの執務室に籠っていた分の欲望がたぎっているのか、カインの雄はいつにも増して太く硬く、甘く震える肉壺の中でドクドクと脈打っている。
 その分、一度入れてしまうとゆっくり堪えている余裕が無いのか、彼は直ぐに性急な動きでレオンを穿ち始めた。
「っあァっ、ァッ……!」
 衝撃に反射的に背中と顎を仰け反らせると、大窓に映った自分と目が合う。
 カインの激しい律動に犯され、蕩けた顔で雄を受け入れているその顔は余りにも淫らで、とても今朝、姿見で見た自分と同じ人間には思えない。
 こんな風にすっかりおかしくなってしまった自分を、カインが疑うのも無理はないのでは……。
 そう思うと急に悲しくなって、レオンは喘ぎの狭間に、必死に言葉を紡ぎ始めた。
「カイン、あっ、……俺には、っ、お前だけしかっ、だからっ」
 突き上げられればその場で締め上げて捕まえ、抜かれれば離すまいと絡みついて留めようとする動きを繰り返しながら、肉の蠢きで彼の精を求める。
「本当に……っ、だから……っ、嫌わないでくれ……っ、」
 涙の粒を頬に零しながら懇願すると、相手の表情もみるみる、泣き出してしまいそうなそれに変化した。
「馬鹿野郎、レオン……っ……」
 身体の奥でカインが震え、一瞬動きが止まる。
「お前なあ、――自分が可愛すぎるって事ぐらい、分かれよ……っ!」
 その言葉に、無意識に内側がキュンと強く締まり、深い場所から一気にのぼり詰めるような感覚でイき始める。
「か、っ、カインんっ、? アッ、あっ……」
 オスカーならともかく、彼の口から直接そんなことを言われたのは殆ど初めてで、耳まで真っ赤になった挙句、呼吸が上手くできない。
「嫌う訳ねえだろ、本当にお前は……っ! お前があんまり可愛いすぎるからっ、盗られそうで危なっかしくて、イライラすんだよ、分かれ……っ!!」
 いっそう強く突き上げられて、最奥でカインがドクドクと熱い精を吹き上げる。
 レオンは脚を相手の腰に絡めて脈打つ雄に内側を吸い付かせ、両手を伸ばして強い抱擁を求めた。
 逞しい腕に背中を支え起こされ、四肢が軋むほど抱き締められる。
 ――この器用なようで不器用な、自分だけが身を捧げる神が、愛おしくてたまらない。
「……カイン……カイン……っ、好き、だ……っ、キスしたい……っ」
 窓の外から誰に見られるかも分からないことも忘れ、切ない程彼を求める。
 ――カインは黙って頷くと、繋がったままレオンの身体を机上から抱き上げて、深い口付けを施した。
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