神々の祭日


 陽気な旋律が微睡まどろむレオンの耳に届いた。
 最初は一つの旋律であったそれは、途中から二つに分かれ、追いかけ合いながら高揚する。
 そしていつも、同じ所でつまづき、唐突に止まるのだった。
 いつの間にか独り寝になっていた豪奢なベッドを抜け出し、柔らかなシャツ一枚を羽織っただけの姿で窓に顔を寄せる。
 寝室の外を見下ろすと、王城の庭先の芝生に座り込み楽器の練習をしているのは、マルファスとハルファスだった。
 独特のベルトだらけの黒衣を纏い、何語なのか全く分からない言葉でやり取りをしている。
 最近まで彼らは話せないのかと思っていたが、どうやら人見知りなだけらしい。
 二人は雪で修復作業の滞る冬の間、暇に任せて練習し始めた楽器に今も夢中のようだった。
 弦楽器のリュートや小型のハープから始まり、今は明るく鮮明な音色のイーリアン・パイプの音色に熱中している。
 踊りだしたくなるような軽快なパイプの音色に微笑みながら、レオンは遠く城下を眺めた。
 通りは以前よりも行き交いやすく整備され、広場に敷き詰められたモザイクのタイルも見違えるように修復されているのが遠目にも分かる。
 そこから四方に伸びる大通りの一つには、賑わう朝市の様子が見えた。
 窓を開き、暖かになった風に口元を綻ばせる。
 気付けばこの国に来てもう3度目の春が来ようとしていた。
 あの死の街であった王都が、短期間でこれ程までに栄えるようになったことは感慨深い。
 商人の誘致や神殿巡礼の称揚を通じて人口が増え、空き家も随分と減り、城下の街はすっかり都市らしい雰囲気を取り戻している。
 恋人の努力が呼び覚ました繁栄の兆しを愛おしく思いながら、レオンは窓を閉じて部屋の奥へ入った。
 壁際の簡素なクローゼットを開き、慣れた所作で軍服に着替え始める。
 耳にはまた双子の奏でる音色が届き始めた。
 酒場でよく耳にするようなダンスの為の音楽だ。
(あんなに練習して、宴でも開くつもりなんだろうか)
 不思議に思っていると、背後で三回ノックの音がして扉が開いた。
 振り向くと、最近では珍しい白の礼装を身に纏ったオスカーがそこに立っている。
「もう起きていたのか。せっかく姫君をキスで起こそうかと思っていたのに」
 彼は蜜色の髪を揺らしながらレオンのすぐ背後まで来て、肩に腕を回して来た。
「朝からそういう台詞は余計だ……オスカー、その格好、今日は何かあるのか?」
 軍服の前を合わせながら首を振り返らせて問う。
 彼はどこか憂いを帯びた表情で息をついた。
「午後、ギレス公が東部から視察に到着する予定だ。王城修復の進度を説明するように言われている」
「それは気が重いな……」
 去年の会議で見かけたギレスの痩せて神経質そうな容姿を思い出す。
 彼は自分こそがこの国の正当な王位継承者であるという気持ちが強く、王都にたびたび使いを送って来ては、何かと口を出してくる存在だ。
 その度にカインは上手くかわしていたのだが、業を煮やしてついに自分の足ではるばるやって来たらしい。
「……説明するだけで終われば良いのだがな」
 含みのあるその呟きに疑問を持ち、恋人の腕の中で身体を反転させる。
「何か他にも問題ごとがあるのか?」
 問いながら指を伸ばし、オスカーの美しい髪を撫でる。
 彼は甘く溜息をつきながら首を振った。
「いや……取り敢えずの心配は、公がここに来る前にこの王城の掃除が終わるかということ位だ」
 冗談ぽく肩を竦めて言うと、美しい貴公子はレオンの唇に優しくキスを落とした。


 朝食の後、すぐにオスカーは神殿兵と修復作業員達を総出で集め、午前中一杯を王城の大掃除に費やした。
 何しろ主人も召使いもいない城なので、レオンとカインの使う執務室と寝室以外はどこもかしこも埃にまみれている。
 部屋数も多いので、積もった埃を全て取り、古布であちこちを磨いて回るのも恐ろしいほどの重労働だった。
「全く総長殿の人使いの荒さには毎日感心してしまいますよ」
 今やレオンの副官二人の内の一人となったヴィクトルも、嫌味を言いながら頭に頭巾を巻き、率先して掃除を進めてくれた。
 レオンも頑張って彼と一緒に動いて回り、最後は慣れて来て、協力して流れるように作業を終えて行った。
 時間ぎりぎりでようやく全ての部屋の掃除が終わった後、部下達と街の見回りに戻ろうとする副官を、レオンは呼び止めた。
「ヴィクトル」
「はっ、何でしょうか総長」
 わざとらしい敬礼をしながら広い背中が振り返る。
「……お前がいてくれて本当に助かったよ。恩に着る」
 名を呼ぶようになったのは最近だ。上官と部下の関係ではあるものの、最近は彼に友人のような親しみを感じるようになっている。
 相手は何故か目尻を赤くし、周囲に誰もいないのを確かめて気安くレオンの肩を抱いた。
「ギレスってオッさんは相当ヤバい奴らしいぜ。気を付けろよ」
 共通語で耳元に囁かれ、レオンは眉を顰めた。
「お前、共通語でもちゃんと敬語を使え」
 ヴィクトルは返事もせず、笑いながら腕を外した。
 手を振りながら王城の扉を開けて出て行った彼の青い軍服姿は、以前よりずっとその身に似合っているように思えた。


 午後になり、王城の正面扉口の前に馬車を乗り付けやって来たギレスは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 多額の金と石工を出しているのは自分だというのに、王都の住民達が彼を大歓迎しないのが癪に障ったのだろうか――。
 レオンはそんな彼を丁重に出迎え、案内する役目を仰せつかった。
 ギレスの住んでいる東部からすれば、北部は春でも肌寒いようだ。彼はこの季節には不釣り合いな高価な毛皮のマントを纏い、億劫そうに馬車から降りてきた。
 肩の上で切り揃えた金髪にいかめしい顔つきをした公から恭しくマントを預かると、赤いチュニカの下にかぼちゃのように膨らんだ半ズボンと絹の靴下が現れる。
 余りに似合っていないので思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、レオンはオスカーの待つ大広間へと彼を案内した。
 大公の後には、主人と同じような服装の従者達と、彼が懇意にしているというガラの悪そうな傭兵達がぞろぞろと列をなしてついてくる。
 傭兵の頭らしい男は特に異様だった。燃えるような赤毛の雲をつく大男で、隻眼に黒い眼帯をしたその様は貴族の護衛というより山賊のような風体をしている。
 廊下を歩きながら、ギレスは王城の修復の進み具合が遅いとケチを付けていたが、この春に修復したばかりの大広間に入った途端、呆然となった。
「これは……」
 布張りで美しい青と金の彩色を施した高い交差天井と、それを支える白い柱の繊細な意匠の見事さにぽかんと口を開けている。
「天井は最新のリヴ・ボールト工法だな……以前見たことのあるものよりもずっと洗練されている。柱頭の装飾はアカンサスと桃か……古典的なのに新しい……」
「さすがは閣下、目の付け所が違いますな」
 オスカーは華やかな笑顔を浮かべながら客を迎え、奥に置かれた長テーブルへと案内した。
 ギレスは椅子に座った後も、多くの蝋燭をいっぺんに灯すことの出来る天井の豪華な銀製のシャンデリアを眺めている。
 レオンは大勢の部下を隣の控えの間に通し、葡萄酒の入った水差しとゴブレットを持って再び大広間に戻った。
 二人に酒をついで出し、彼らを見守るように控えの間に繋がる扉の前に立つ。
「ベアリット法王の代理としてご説明させて頂きます」
 木目の美しい樫のテーブルに図面を広げ、オスカーが説明を始めた。
「王都の修復はエントランスホールから始まり、この大広間に至るまでの部分が完了しています。今はようやく玉座の間に工事が至った所で……」
 オスカーが話し始めると、ギレスは元の不機嫌な表情を取り戻し、相槌も打たず彼の話に聞き入った。
 流れるような説明は非の打ちどころがなく、テーブルの上で次々と図面が入れ替わってゆく。
「……と、一通りご説明するとこのような状況ですが、何かご質問はございますか、閣下」
 頭皮が透け始めた金髪のオカッパ頭が上がり、酷薄そうな瞳がオスカーを睨み付ける。
「質問はある。……法王殿は魔物の兵士を集めて修復作業をさせるだけでなく、大昔のタルダンの聖騎士団の真似事を始めたとか。一体どういうことなのだ? 北部は戦争でも始めるつもりか」
 オスカーは満面の笑みで首を振った。
「まさか、そのような事がある訳ございません。この王都ヴァーリは人口こそ増えましたが、その分、治安も随分と不安定になって参りました。犯罪を抑止し民の平和を守るための必要最低限の備えです。数もそう多くはございませんし、費用も巡礼者の寄進から賄っておりますので心配はございません」
「むむ……」
 突っ込む隙の無い回答にギレスが唸る。
 彼は忌々しげに眉を吊り上げたまま話題を次に移した。
「――それから、これはタールベルク伯、貴公個人への質問だが」
 溜息をつくように一呼吸を置き、冷たい目がオスカーを見る。
「前から書簡をやり取りしている、我が1人娘との縁談の件についてだ」
 寝耳に水のその話題に、レオンは息が止まる程驚いた。
 ギレスの娘から求婚されているなどと、そんな話はカインの口からは一度も聞いた事がない。
 オスカーに視線を移しながら、自分の鼓動が激しく高鳴るのを感じた。
「貴公も覚えているはずだ。冬の二度目の会議の時に私がこの王都に連れて来た娘を……あれはあの通り絶世の美女で、この私の財産を全て受け継ぐはずの娘だぞ。一体何の不満があって貴公は縁談を断ったのだ」
 怒りをあらわにしながらそう言ったギレスに、レオンは密かに安堵した。
 どうやら、恋人は結婚話を断り、そのまま握り潰していたようだ。
 だが相変わらず、大事な事を話してくれなかった事実に胸を塞がれたような気持ちになる。
「私には勿体無いお話ですと申し上げたはずですが」
 表情を変えずに答えたオスカーにギレスが憤慨した。
「ふん、誠にその通りだ! だが哀れな我が娘は貴公に縁談を断られて以来、塞ぎ込んでいる……」
 痩せこけた顔に一瞬父親の表情を浮かべながら、ギレスは尚も言葉を続けた。
「だが、今日貴公に本当に尋ねたかったのはそのような話ではない。私は娘がやつれるほど恋している相手であるお前の素性を今一度調べ上げさせた。何か我が娘と結婚できぬような事情があるのか、とな」
 落ち窪んだ酷薄な瞳が不気味な光を放つ。
 レオンは息を呑んだ。
 ――まさか――。
「貴公は覚えているか? お前の父親の最後の召使いだったマルコという男を……」
 オスカーが黙って頷く。
「つい先週、そのマルコの息子だという男が、我が領地でつまらぬ罪で処刑された。そやつは死ぬ前に、面白い話をするからと言って、役人に命乞いをしておったのだ。この私の娘の恋患っている相手は、『偽物』だと言ってな……」
 レオンの背筋に雷で撃たれたような衝撃が走った。
 無意識に腰に吊るした剣に視線を送る。
「その男の話によれば数年前、貴公は王を暗殺する為に亡命先からこの地に戻り、単身で王城に乗り込んだ後、とうとう帰って来なかったという。――それなのに、不思議なことに貴公は今、王都に生きている」
「……私には、罪人のいまわの際の戯言としか思えませんが……」
 オスカーは汗ひとつかいておらず、冷笑を浮かべるだけだ。
 ギレスは痩せた唇の片端を上げて意地悪く笑みを返し、首を振った。
「私もその男のことだけなら、こんな話はしない。王が殺されるまで姿を消していたというなら、魔物にでもなっていたとか、そういう事はありがちな話……。だがもう一人、タールベルク家の教育係をしていたという老博士が、更に面白い話を聞かせてくれたのだ」
 オスカーの美しい瞳が僅かに揺れる。
「貴公の父上や一族はひた隠しにしていたようだが……タールベルクの末息子は容姿と武芸に優れ心根も優しいが、学問が極端に不得手であった、とな。それこそ、貴族の嗜みである共通語の一つもまともに習得出来なかったとか」
 レオンは自分の顔面が蒼白になっていくのが分かった。
「だが、今の貴公はあらゆる言語を操り、大商人達と渡り合い、学者とも対等に話をすると聞くぞ……。――さて、貴公は本当に『オスカー・フォン・タールベルク』本人なのか?」
 いざとなればギレスを殺してでも逃げるべきか、オスカーの考えを伺うように彼の方へ視線を送る。
 だが彼はこちらと目を合わせもしない。
 黙り込んだオスカーが静かに席を立ちかけた途端、ギレスが二度、樫の木のテーブルを大きく音を立てて叩いた。
 レオンの背後の控えの間の扉が破らんばかりに乱暴に開かれ、足音とともに十人程の傭兵が一斉に部屋に入ってくる。
 あれよあれよと言う間に周りを囲まれ、レオンは赤毛の屈強な傭兵頭に抜き身の剣を向けられていた。
「……!」
 反射的に腰に吊るした剣を抜きかけたが、オスカーが静かに声をあげて制す。
「レオン、やめろ。相手が多すぎる。それにギレス公と今、問題を起こしたくはない」
 言われて渋々、剣の柄と鞘から両手を離した。
「……ギレス殿、真実を話そう。だが、私の個人的な秘密に関わる。貴公の部下は、この部屋から下がらせてくれまいか」
 オスカーが提案すると、ギレスはふんと鼻を鳴らした。
「いいだろう。だが傭兵頭のゲーロだけは残させてもらうぞ。貴公も最初からその物騒な騎士を同席させているのだからな」
 オスカーが頷き、赤毛の大男だけがレオンの背後に残った。
 太い腕が回るとともに首筋に剣の刃を当てられ、悔しさに奥歯を噛み締めながら成り行きを見守る。
 やがて、傭兵頭以外の男たちがその場から去り、ドアが閉まると、静かにオスカーは話し始めた。
「私は確かに、一度王に殺されかけた。しかし……」
 堂々とした物腰のまま、彼の視線がまっすぐに大公に向けられる。
「私は神の助力を得ていた為に、殺されても死ぬことなく、こうして生きている」
「何だと……」
 ギレスの目の色が変わった。
「神の助力を得る方法を伝える者は100年前に絶えたと聞いていたが……まさか」
 口調が必死になり、彼はテーブルを掴み立ち上がった。
「まさかその若さで、秘儀を受け継いでいるというのか……!」
「いかにも。我が一族は、兄弟が多い場合、次男以下は軍人になるが、それを選ばなかったものは神官になる。神官になるべきものには秘儀が伝えられる決まりなのだ」
「何ということだ……東部の高名な神官にも悉く忘れ去られた秘儀をお前が……」
 ギレスがテーブルを廻り、ヨロヨロとオスカーに向かって近づいて行く。
「確かに、その神々しい気配……神の空気を纏っている……そして生まれ変わったように賢しくなったのも、全ては神の英知の為ということか……クックッ……フハハハハ……ッ」
 まるで狂ったように笑い出したギレスを、レオンは呆然と見つめた。
 次いで、訝しむようにオスカーを見る。恐ろしいような作り話で正体を明かさずに乗り切ったのはいいが、とてもこのままで済むとは思えない空気だった。
(どうするつもりなんだ、カイン……っ)
「さて……」
 大公が笑うのをやめ、立ったままオスカーを見下ろす。
「貴公にはこれから、表向きには娘の花婿候補として我が都に来てもらおう。そして神の召喚の秘儀を我が領地でも復活させるのだ。逆らうことは許さんぞ……そこのお前の騎士の命が惜しければな」
「勝手な事を……!」
 レオンは激昂し剣を抜きかけたが、グッと傭兵頭に羽交い締めにされた。
「レオンやめろ。私が1人で貴公の都に伺おう。それでいいだろう」
 オスカーが椅子を引き、黙って立ち上がる。
 ギレスは興奮したように目をギラつかせ、頷いた。
「ーー無論だ。その騎士殿は貴公と違い物分かりが良く無いようだからな」


 ーー真っ暗な地下牢に、自分の苦しい息遣いと縄の軋みだけが響く。
 もしかすると時間的には真夜中なのかもしれないが、心細さと憤りで眠ることさえ叶わず、レオンは一人藁の寝台に座り呻いていた。
 あの時、ギレスの傭兵達はレオンを無理矢理に拘束して大広間から引き離し、王城の地下に閉じ込めた。
 カインはどうなったのか分からないが、恐らくオスカーの姿のままギレスに連れ去られたに違いない。
「くそっ……!」
 城内が余りにも手薄だったことを今更後悔する。
 いや、恐らくやろうと思えば、オスカーとレオンの二人であの場を制することも出来たはずだ。オスカーはギレスを襲い、自分は赤毛の傭兵頭を制圧すれば……。だが彼は恐らく、政治的な判断でそれをしなかった。
 それが分かるのが、尚更に悔しかった。
「カイン……っ」
 藁葺きの粗末な寝台に腰を掛けたまま、額を壁に打ち付ける。
 痛みがジンと頭蓋に響き、自分の愚かさを嘆いていると、遠くの方でカチャンと微かな音がした。
 ヒタヒタと何かが密かに近づいて来る気配がする。
 レオンがここに閉じ込められていることは誰も知らないはずだ。
 まさか、カインだろうかーー。
 一縷の望みを持って首を伸ばす。
 やがて、ボンヤリとしたオレンジ色の光が牢の外が近付くのが分かった。
 足音がよりはっきりと近くなる。
 すぐに光源はレオンの牢の鉄格子の外にやって来た。
 慣れない目には余りにも眩しく、相手の顔を見ることが出来ない。
「誰だ……!」
 警戒しながらそう叫ぶと、相手は灯の入ったカンテラを少し下げ、呆れたような口調で言った。
「俺ですよ、総長」
 聞き覚えのある声にハッとする。
 目を凝らすと、鉄格子の向こうに、琥珀色の釣り目をしたレオンの副官が怪訝そうな顔で立っていた。
「……あなた、なんでこんな所でそんな情けない事になってるんです」
「ヴィクトル……!」
 驚いたレオンの前で、ヴィクトルが足元にカンテラを置き懐を探る。
「待ってて下さい、今開けます」
 そう言うと、彼は傭兵達に持っていかれたはずの鍵束で牢の鍵を開け始めた。
「鍵があったのか」
「地下への階段の前で眠りこけてる怪しい男がいたんで、そいつから失敬しました」
 彼が出会ったのは恐らく、時折レオンの様子を見に来て居た見張りの傭兵だろう。
 ギレスが警戒し置いて行ったのだろうが、恐らく少人数で寝ずの番をするには手に余ったのかもしれない。
 ガチャンと音を立てて牢の扉が開き、ヴィクトルが大股で中へ入ってきた。寝台に膝を掛け、軍服の衣嚢いのうから折り畳みのナイフを出し、レオンの手首の縄を切り始める。
「一体何があったんです。伯爵殿は突然ギレスにくっついて東部に行っちまったって言うし、総長は付いてった訳でもなくどこにも見当たらないしで……心配して探しに来たらこれだ」
 ズキンと心の痛みを感じ、レオンは肩を震わせた。
「オスカーは東部へ発ったのか……」
「昨日のうちに、恐ろしい速さで。――ほら、やっと切れました。酷い縛り方をしたもんだ」
 きつく縛められた腕が解放され、血流の戻る痺れた感覚が冷たい指に回ってゆく。
 やっと腕を動かせるようになったのに、レオンはぼんやりと空を見つめていた。
(カインはもう、王都にはいない……)
 ヴィクトルが気付いて助けてくれたのは心底有難いが――ここから解放されたとて、自分は一体どうすれば良いのだろう。
 そもそも、カインの正体の絡むあの出来事を誰にどう相談したら良いのかも分からない。
「おい、大丈夫か」
 急に乱暴な共通語で話しかけられてハッとした。
 振り返るとヴィクトルが真剣な顔でこちらを見つめている。
 彼はレオンの表情を見た途端、驚いたように肩を竦めた。
「あんた、何て顔してんだよ……」
「え……」
 一晩牢に入れられていたとはいえ、そんなに憔悴した顔をしているのだろうか。
 レオンが戸惑っていると、頬を両手で挟まれた。
 そのまま優しく親指で撫でるようにされ、冷え切った皮膚にヴィクトルの熱い体温が伝わる。
 彼の美しい形の瞳が一瞬どこか切なげに伏せられ、形のいい唇が開いた。
「……飼い主に置いてかれた犬みたいな顔してる」
「!」
 思わずムッとして、頬にくっついている相手の手を払った。
「人を犬扱いするな! それから言葉遣い!」
「はいはい。せっかく助けて差し上げたのにつれねえ人ですね」
 また半端な敬語のエルカーズ語に戻り、相手が肩を竦めて立ち上がる。
「取り敢えず詳しい話を聞くのは後だ。出ましょう、総長殿」


 レオンはヴィクトルと共に牢を出ると、寝ている見張りの傭兵を一度起こしてから殴って気絶させ、自分の牢に代わりに入れた。
 仲間がいるかもしれないが、気付いてギレスが知るところになるまでは多少時間がかかるだろう。
 王城を出ると外は暗かった。――オスカーが連れ去られてからやはり一日以上が経過している。
 闇に紛れて丘を下り、レオンはヴィクトルを連れたまますぐに神殿へと向かった。
 そこへ行けば、普段から神官用の控え室に寝泊まりしているマルファスとハルファスがいるはずだ。
 カインと同じ神である彼らなら、彼を助ける方法を相談できるかもしれない――。
 レオンが神殿の入り口をくぐった途端、奥の内陣の扉から、そばかすの散った顔面を蒼白にしたティモが走り出て来た。
「レオン……! 随分探してたのだぞ……!」
「ティモ」
 小柄なティモが泣き出さんばかりにレオンに抱きついてくる。
「アビ……オスカー様が王都を捨てて、東部なんかに行ってしまうはずがないよな!? しかも、あのギレスの娘と結婚するためにだなんて……っ。一体どういうことなんだ!?」
 ティモの言葉に横のヴィクトルの方が驚いた。
「……伯爵様、結婚すんのか? 総長」
 射抜くような琥珀の瞳で見られ、何も答えられない。
 何も知らないヴィクトルを神殿に伴って来てしまったことを後悔したが、命の恩人を無碍むげにもできなかった。
「ティモ……。その話、どこで知った」
 呻くように尋ねる。
「法王様にギレスから使いの者が来て……だが到底信じられない。だってあの方はあんなにお前を溺――もが」
 レオンは真っ赤になってティモの口を抑えた。
 会議期間中の例の「儀式」のせいで、自分と彼がそういう仲だと言うことはすっかりこの男に知られてしまっている。だが、それを部下にまで知られるのは流石にまずい。
「マルファス達はどこにいる?」
 慌てて話題を変えると、ティモがはっとして視線を背後に流した。
「えっ……あのお二人は、昨日の昼過ぎから他国の建築物の視察に行くとかで王都を出られている。私もこの事を相談したかったが、どこまで遠くへ行ったかも分からない」
「そうか……」
 がっくりして溜息が出た。
 マルファス達は神の特別な力と道具を使い、かつてカインがそうだったように、千里の距離も1日で移動することが出来る。
 どこに行ったのか分かったとしても、恐らく追いかける事は不可能だろう。帰りを待つしかない。
 孤立無援になってしまった気分で身体が重くなる。
 それでも一人きりでどうにか今後のことを考えようと思った時だった。
「レオン、黙っていたら分からない。何があったのか教えてくれないか」
「その通りだ。総長、そんな顔をしていないで話してくださいよ」
 萎えた肩にティモとヴィクトルが触れてきて、レオンはハッとした。
 カインが居なくなっても、今の自分には温かな繋がりがあるという事に気付かされる。
 胸が熱くなり、二人の顔を交互に見た。
「ありがとう……二人とも。話すから、俺がこれから明かす話は内密にしてくれ……」
 二人が同時に頷く。
「結婚の為と言うのは表向きの話だ。――オスカーはギレスにさらわれた」
 各々の顔に同時に驚きが浮かんだ。
「そんな! 一体どうして」
 ティモが混乱したように首を振る。
「……」
 ヴィクトルの視線を意識し、一瞬躊したが、レオンは言葉を続けた。
「神の助力を得るつもりなのだと思う、あの男は……ギレスはオスカーがその方法を知っていると思い込んで、彼を攫ったんだ」
「どうして、そんな事に……」
 絶句するティモの横でヴィクトルが怪訝な顔をする。
「伯爵様が神の助力を得る方法を知っている……?」
 レオンは頷いた。
「それについては後で説明する……」
 言い置いてから言葉を続ける。
「オスカーは、言うことを聞かなければ俺を殺すと脅されていた」
「じゃあ、ア……オスカー様はレオンの事を守って」
「……。ギレスはどうしても神の助力を得る方法を自分の領地に伝えるつもりだ。おそらく、自分自身がそれを得る為に」
 言いかけた途端、ヴィクトルが強い口調で割り込んだ。
「前王の二の舞ってことか?」
 つり気味の瞳が怒りに満ち、口調が強くなる。
「追いかけてギレスを逮捕しましょう、総長殿。今この地方の統治権を持つのはベアリット法王殿だ。誘拐罪で捕まえて――」
「いや、それは出来ない」
 レオンはヴィクトルを制した。
「ギレスを直接罪に問えば東部を敵に回すことになる。オスカーがそれを望まなかったんだ。この復興途上の王都が、戦火に巻き込まれるのは避けたかったんだと思う……」
「それじゃあ、どうすれば」
 イラついたようにヴィクトルが尋ねてくる。
 もう一刻たりとも猶予はない。
 こんな時、カインならどうするだろう――。
 レオンは意を決し、口を開いた。
「結婚のためと偽っているくらいだから、あちらも他の領主たちの手前、表立って事を運ぶつもりはないのだと思う」
 ティモとヴィクトルの顔を順に見る。
「なので、俺はこれから密かに彼らを追いかけて、内密のうちにギレスからオスカーを奪い返す」
「俺も行こう。二人ならば目立たないでしょう」
 ヴィクトルが即座に言ってくれたが、レオンは首を振った。
「駄目だ、お前まで危険な目に遭わせる訳には」
「俺はあんたの副官だ。俺だってあんたを危険から守る義務があるだろ」
 その言葉に、レオンは戸惑いながらも温かな気持ちで頷きを返した。
「……わかった、では一緒に来てくれ。他の神殿兵には王都の留守を頼んで行こう」
「私は法王様の元を離れることは出来ないが、法王様とマルファス様達にこの事をお伝えする。気をつけろよ、レオン……!」
 ティモが心配そうに表情を歪め、両手を広げて肩に抱きついてくる。
 その背中を軽く抱き返して叩きながら、レオンは力強く頷いた。
「奴が東部に着く前に決着をつける」


 レオンとヴィクトルは目立たない旅装束に着替え、その日の夜の内に王都を発つ準備を始めた。
 神殿の屯所で密かに荷を纏め、騎士団の厩舎で連れていく馬を決める。
 最後に食事をする為に町外れの酒場に寄ると、どこから漏れたのか、酔っ払い達の間では既にオスカーの結婚の噂が広まっていた。
「うちのカミさん、寝込んじまったよ。今日はもう夕飯は作らねえってさ。俺っていう亭主がいるのに全く困ったもんだ」
「伯爵様はあの容姿で若くて独身で、娼婦から貴族の淑女まで夢中だったもんなあ。最後はやっぱりお姫様と結婚か。メデタシだな」
「いやいや、伯爵様のことだから、この北部のための政略結婚だろ。本当に頭が下がる。これで王都も安泰だ」
 そんな会話が漏れ聞こえるたび、結婚の話を聞かされた時の驚きと、その後の苦い思いがレオンの脳裏に去来する。
 食事を進める手が一々止まり、ヴィクトルに無言の視線で注意された。
「……」
 思えば近頃、執務室にはやけに香水の匂いのする書簡が多かった。
 自分はカインのことを気の遠くなるほど長い時を生きてきた神だと知っているが、人間たちからすれば妙齢の若い貴公子だ。普通なら周囲が放っておく訳がない。
 それなのに、自分は今の今までそんなことをよく考えたことがなかった。
 カインは公務で外出する他は大抵執務室にこもっていたし、彼自身がそんなそぶりを見せなかったからだ。
(俺に、見せないようにしていたんだろうか……)
 それは恋人の優しさでもあったのかも知れない。知ればきっと悩んでいた。
 酔っ払い達が言っているように、オスカーがギレスの娘と結婚すれば、この北部にとっては良い事しかない。
 ギレスが王となり、その後を継いだ娘が女王となった時、オスカーは王配として力を振い、引き続きこの国の中心として権勢を保つ事が出来る。
(彼はまさか、それを狙って自ら着いていった……?)
 一瞬恐ろしいことを考えてしまい、レオンはぶるっと肩を震わせた。
(いや、そんな訳がない。カインはずっと俺に黙って求婚を断っていたんだから)
「……総長殿、一人で百面相してないでそろそろ話して下さいよ」
 ヴィクトルが呆れ顔で手元の骨つき肉に噛り付き、周囲に分からないよう共通語に言葉を切り替えた。
「神の助力と、伯爵様の関係を」
 レオンは渋々頷き、逡巡した後で言葉を変えて口を開いた。
「彼は……オスカーは、数年前、本当は前王との戦いで亡くなったはずの人間だったんだ。その事実を知ったギレスがオスカーを怪しんで、詰問した」
「それで」
 ヴィクトルは意外な程態度を変えず続きを促した。
 燭台に照らされた整った顔立ちに怜悧な表情を浮かべ、その長い指はマイペースにナイフ一本で鶏肉の塊を切り分けている。
「……。オスカーは、自分が生きているのは、神の助力を得ているからだと話した。ギレスは、彼が神の助力を得る方法を知っていると思い込んで……こうなった」
「思いこんだ、ってことは、伯爵様が話した事実は嘘なんだな?」
 レオンは頷いた。
 これ以上は何も話すことが出来ず、押し黙る。
「伯爵様が何でそんな嘘を吐いたのかは、聞かねえ方がいいんだろ」
「……うん。今の話も他の神殿兵には……」
「分かってるよ。俺は黙ってあんたについていく。まあ、伯爵様の『素性』が山賊だろうが鬼だろうが、俺には関係ねえしな」
 その言葉に内心ヒヤリとするものを感じた。
 やはりこの男は鋭い。
 だが、あまり事情を話せないにも関わらず同行してくれるのは心から有り難かった。
「ありがとう、ヴィクトル。恩に着る」
「礼はいいから、さっさと食え」
 唇に鶏の足を乱暴に突っ込まれる。
「んっ……むぐ」
 体格の割に小さな顎を外しそうになりながら、レオンは仕方なく素直にそれをしゃぶって齧り付いた。
 睫毛を伏せ、懸命に肉を前歯で外して咀嚼する。
 逆らう気力もなく押し込まれるままに食べている内に、こちらをじっと見つめているヴィクトルの視線に気が付いた。
「あんだ?」
 唇を肉から離すと、微かに唾液の糸が引く。
 途端にまずいものでも見たように彼の目元がじわっと染まり、視線を逸らされた。
「……弱ってて素直なあんたは色んな意味でヤバいな……」
 溜息混じりに言われて首をかしげる。
「どういう意味だ」
 尋ねたが、ヴィクトルは答えてはくれなかった。



 王都の東の門を抜け、レオンとヴィクトルは明け方から馬を走らせた。
 相手は供を連れた馬車の大所帯だが、こちらは身軽な単騎の二人旅だ。恐らく、数日あればギレスの隊に追いつけるだろう。
 美しい麦畑の緑を横目に眺めながら、街道に付いたまだ新しい馬車の轍を追い掛けて駆ける。
 天気が良いのが幸いだったが、風もまた強かった。
(カイン……カイン……無事でいてくれ)
 もしかしたら届くかもしれないと、心の中で名を呼び続ける。
 余裕がなく余りヴィクトルを気遣えなかったが、彼も馬の扱いは慣れているのか、しっかりと後ろについてきてくれていた。
 口を聞くことも最低限に、吹きつける春先の風を裂いて走る。
 馬の為の最低限の休憩だけで追跡を継続し、だいぶ距離を稼いだ頃には大分空気が冷えてきた。
 北部の寒暖の差は激しく、ずっと風を受けていた手綱を握る手に次第に感覚がなくなってゆく。
 ヴィクトルが叫ぶように背後から声を上げた。
「総長! あなたもう体力が限界でしょう! さっきから背中がフラフラしてるぞ!」
「大丈夫だ、まだ少しならいける……」
 レオンは蒼白な顔を振り返らせ答えた。
 昨日の夜から一睡もしていない。
 その前夜は、明け方近くまでカインと交わっていた。
 本当はヴィクトルの言う通りそろそろ限界だった。
 しかしここで立ち止まれば、もっともっとカインが遠くへ行ってしまうような気がする。
 早く彼を助けたい。それが出来なくても無事な姿を見たい。
 以前のように神の力を全て持っているのならばこんなに心配はしないが、今の彼は定命の身だ。
 剣で刺されれば傷付き死ぬし、千里をとんで逃げることも出来ない。
 それが全て自分のせいなのだと思うと、平常心ではいられなかった。
「馬鹿野郎、あんたが倒れて困るのは俺なんだよ……!」
 ヴィクトルが舌打ちする。
 酷い言い草だったが、注意する気力も既に無かった。
 殆ど馬の背にしがみつく様にして走っていたが、ふとした瞬間にすうっと気が遠のく。
 それを何度か繰り返した挙句、とうとう最後には身体が徐々に馬の背からずれだした。
 一瞬のち、視界の中で天地が逆転し、次いで衝撃が身体に走る。
 何が起こったのか分からなかったが、鈍い痛みが左肩と腰から全身に広がり、夕闇に沈み始めた空が視界に入って、やっと自分が落馬した事に気付いた。
「つぅ……っ」
 肩を抑えて横転し、歯をくいしばる。
「総長……!」
 ヴィクトルが数十メートル先でやっと馬を止め、戻ってきた。
 レオンの馬はそのもっと先でようやく止まり、興奮したように高くいなないている。
「だから言わんこっちゃない」
 こぼすように呟かれながら、服の胸倉を掴んで起こされた。
「総長がなんと言おうが、今日はもう夜営させて貰います」


 満天の星空に、炎の爆ぜる高い音が上がる。
 その少し離れた場所にヴィクトルが白い天幕を立て、レオンはその中に放り込まれて寝かされた。
 天幕は、神殿騎士団の装備品から持ち出した軍用の簡易なものだ。
 畳めば小さくなり持ち運びが便利で、オスカーが用意させたものだったが、こんな時に役立つとは皮肉だった。
「大丈夫ですか、総長。冷やすから怪我を見せて下さい」
 中にカンテラが持ち込まれ、仄かな明かりの下でチュニカに手を掛けられる。
「……っ、いい……放っておけ、骨は折れてない……っ」
「でも、肩を抑えていたでしょう」
 ヴィクトルの言葉は敬語だが、その口調は有無を言わさない強い響きを伴っていた。
「大丈夫だから……っ」
 毛布の上をずりながら逃げる。
「そんな命令は聞けない」
 きっぱりと言い切られて服を掴まれ、頭から上衣を脱がされた。中に着ていたシャツの胸紐を解かれ、胸から肩までを剥ぐようにはだけられる。
 一瞬ヴィクトルが押し黙り、その手が止まった。
「……」
 だが直ぐに彼はレオンの左肩を出し、濡らして固く絞った布をあてた。
「腰も冷やすから、このままうつ伏せに」
 促されて頷き、肩の布を抑えられたまま、手を突いて背中を晒す。
 呻きながらうつ伏せに横たわると、腰から背中までシャツをめくられ、ズボンを隆起した尻が半分見える程ずり下げられて、そこにも冷たい布をあてられた。
「……っ」
 ひやりとした感覚と共に痛みが幾分か引き、同時に深い眠気が襲ってくる。
 うつらうつらしていると、足先が冷えないように足元に毛布が掛けられた。
「ありがとう……ヴィクトル……」
 礼を言い、どこか深く安堵した気持ちで目蓋を閉じた。
「……。あんたの愛人も、あんたと同じくらい迂闊な男だな……」
 ヴィクトルが溜め息混じりに呟いた言葉は、気を失うように眠りに落ちたレオンの耳には入らなかった。
 ――それから何時間も、深く眠り続けた後。
 天幕の隙間から差し込む朝日に気付いてレオンが目を覚ますと、至近距離にヴィクトルの顔があって驚いた。
 流れるウエーブのかかった長めの前髪と、猫科の動物を思わせる野性味のある美しい顔立ちをじっと眺める。
 オスカーやカインでは無い誰かと一緒に眠ったのは初めてだという事に気付き、今更動悸が上がった。
 上半身を起こすと、痛みがだいぶ引いているのに気付く。
 恐らく幾度も彼が冷やした布を替えてくれたのだろう。
「……ありがとう……」
 上官だからという理由だけでは説明しきれない献身に深い友情を感じ、レオンはそっと彼の柔らかい髪を撫でた。
 途端、その目蓋がすっと開き、吸い込まれるような琥珀の瞳がこちらを見据える。
「総長、尻が出たまんまだ」
 注意されて、ハッと後ろを振り返った。
 尻の割れ目まで露出している事に気付き、恥じ入りながら必死でウエストを引き上げる。
「すまない……こんなことまでさせて」
 謝ると、ヴィクトルは目蓋を伏せ、吐き出すように呟いた。
「全くだな……あんたが辛そうじゃなけりゃ、俺もその肉付きのいい尻に噛み付いてやった所だ……」
(……俺「も」……?)
 引っかかりを感じ、ふと自分の肌を見下ろした。
 カインの付けた口付けや、彼の鋭い犬歯の食い込んだ痕がうっすらと幾つも残っていることに気付き、すっと血の気が引いていく。
 恐らく、背中や腰にも残っていたはずだ。
 ヴィクトルは嫌味を言っていたのだと気付き、途端にレオンは耳まで真っ赤になった。
「へ、変なものを見せて悪かったっ……」
 慌ててシャツのはだけを直し、天幕の中に捨てられていたチュニカを手繰り寄せる。
(べ、別に私的に恋人を作ることや娼館に行くことを禁じている訳ではないし、おかしな事ではないよな……!?)
 混乱してドクドクと高鳴る心臓を宥めた。
 慌ててチュニカを被ろうとすると、ヴィクトルが目の前でぬっと体を起こし、腕を伸ばして着替えを邪魔してくる。
「総長の恋人は随分情熱的ですね?」
 長い指が伸び、首筋の跡に触れた。
「背中から抱き寄せて口付けしたり、肩に噛み付いてわざと痕を残して……」
 その指摘に、カインと過ごした最後の夜の記憶が蘇る。
 ベッドの上で後ろから抱きしめられながらゆるゆると出し入れされ、我慢が出来ないと訴えているのに、いつまでも甘噛みや口付けで焦らされた……。
 心臓が飛び出しそうな程動揺し、何も答えられない。
 首筋に触れていた指が急に肩を掴み寄せ、レオンは気づけば目の前の男の厚い胸元に抱き寄せられていた。
 その形のいい唇が、耳朶に触れるほど近くで囁く。
「――あんたが寝言で色っぽく呼んでた『カイン』ていうのが、伯爵様の本名なのか……」
「な、何を言って……っ」
 首を振ると、彼はレオンの肩を強く押して毛布の上に押し倒してきた。
「成る程な……。あんたの体に付いてる噛み跡はどう考えても男のだし」
 薄手のシャツの上から長い指で体をまさぐられ、乳首を探り当てられてギュッと布ごと摘まれる。
「はン……ぁ……っ」
 びくびくと体が反応し、レオンは反射的に口元を抑えた。
 ――部下の前で、こんな甘い声を出してしまうなんて。
 快楽に弱く育てられた体に今更驚愕し、頬が熱くなる。
「真面目なあんたは、外泊もせずあの城にしか寝泊まりしない。そんなあんたのベッドに潜り込む男がいるとすれば、……一人しかいないな?」
「……っんく……」
 もう片方の乳首も捻られ、今度は俯いたまま唇を噛んで堪える。
 何も反論できない。この男に知られてしまった。
 カインの名も、自分が女のようにオスカーに、カインに抱かれていることも。
「あんたのこのいやらしい乳首、自分で弄りこんだんじゃなきゃ、相当長い期間、女にされてたんだろ……」
 きゅむっと乳輪ごと二つの突起を摘まれ、シャツに透ける紅い色を見せ付けられる。
「ンっ……やめろ……」
「あんたの雰囲気が妙に色っぽいのも、こうまで必死になって伯爵を取り戻そうとするのも、全部道理が分かったぜ。……だが」
 ヴィクトルの指が浅い呼吸で上下するレオンの胸を離し、シャツの合わせを開いてぽってりと充血した乳首を晒す。
「『伯爵様』は本当に、さらわれたのかね……?」
「どういう……っ、意味だ……」
「詐欺の片棒担いでたあんたの手前、玉の輿に乗るに乗れず、無理やり連れていかれたそぶりをしてるんじゃねえのかって言ってるんだ」
 その言葉を聞いた瞬間、叫びたいような堪え難い気持ちに襲われた。
 言いたいことが形にならず、視界が歪んで目尻に涙が溢れる。
「ちが、う、カインは詐欺師なんかじゃないっ……!」
 激しく首を振って否定しながら、シャツを開いたヴィクトルの腕を強く握って制し、感情に任せて折れるほど力を込めた。
 ヴィクトルが顔をしかめ、手を振り払おうとする。
「痛えな、この馬鹿力っ」
「違うっ、違う……」
 涙を滲ませながらただ不器用に首を振るレオンの上で、ヴィクトルが嘲笑うように微笑んだ。
「……どっちにしろ、女でもないあんたが『伯爵様』の愛人で居られるのはいつまでだったんだか。これを機会に別れちまった方がいいんじゃねえのか」
 自分でも一瞬疑い、考えた事を次々と言葉にされて、心が壊れてしまいそうにひび割れた。
 ヴィクトルの手首を握った指先が冷たく、痺れたようになってゆく。
 そのうちにその手はやすやすと引き剥がされ、指と指を絡めるようにして自由が奪われた。
 足にも膝が乗り上げ、動きを完全に阻まれている。
「……っ、離せ……」
「離さない」
 渾身の力を込めて押し返そうとするが、どうしても動かない。
 以前なら確実に自分の方が力が上だったのに――。
 最近の彼が誰よりも真面目に訓練に打ち込んでいた事を思い出した。
 格闘も剣もレオン以外相手が出来る者がおらず、しかも最近は勝敗も半々だった。
 元々ヴィクトルの方が肩幅も身長も大きい。体重を掛けて上から押さえ込まれると、覆すことが出来なかった。
 何より彼の言葉に傷付き果てている今のレオンの頭では、ろくな反撃も考えられない。
「もう、嫌だ……っ、お前と話したくない……! お前は、俺を思ってついて来てくれたんだと思ったのにっ、こんな風に俺を辱めて、一体何が楽しいんだ……っ」
 信頼を裏切られ、傷付けられた悲しさで涙が溢れて止まらない。
「違う。俺はあんたを愛しく思ってるだけで、別にいじめちゃいねえよ」
 当たり前のように返された言葉に、頭が真っ白になる。
「何……何を、言って……」
「……意味が分かんねえのか? 鈍いあんたには、身体で教えてやるしかねえか……」
 愛しい。
 カインやオスカー以外からそんな言葉を使われたのは初めてで、頭が混乱する。
 ヴィクトルの紅い舌がちらりと唇から覗き、彼の精悍な顔立ちがレオンの開いたシャツの間に埋まった。
 熱く、少しざらついた濡れた肉が、まるで獲物の味を確かめるようにゆっくりと下から上に、何度も乳首を舐め上げる。
「ン……ッ、ダメだ、こんなっ、あ……!」
 続いて音を立てて強く吸われると、乳頭の薄く敏感な皮膚はあからさまに悦び、硬くしこって彼の唇と舌を押し返した。
「アッ、いやっ……だ……っ、はぁっア……っ、ヴィクトル……っ」
 濡れた唇を上げ、つり気味の目尻を欲情に染めたヴィクトルが興奮に息を上げる。
「ははっ、総長様は感じてるとそんなやらしい声で俺の名前を呼んでくれんだな……すげえそそる……」
 何をされようとしているのかようやく分かり、レオンは表情を失った。
 彼は自分を抱こうとしているのだ。まるで女のように――友人だと思っていたのに。
(友人だと、思っていた……?)
 かつてアレクスもそうだったことを思い出し、息を呑んだ。
 またしても気付くことが出来なかった事実に、泣き出したい気分になる。
 強い拒絶の末に激しく傷付き、果ては死ぬことになった彼の事を思い出し、ますますどう断り抵抗したらいいのか分からなくなった。
「ゆ、許してくれ……っ、俺はっ、お前とはっ……」
「あんたは伯爵様のものだって?」
 尋ねたヴィクトルに何度も頷く。
 だが、彼は整った顔に皮肉な笑みを浮かべるだけだ。
「でもその伯爵様はいねえし、あんたの身体はさっき俺でも悦んでた」
「……っ」
 悔しさと羞恥で全身が強ばる。
 その隙を逃さず、ヴィクトルが握っていた指を離す。同時に、その手がレオンの腰からズボンと下着を剥ぎ下ろした。
「……あ……!」
 自分を裏切るように浅ましく充血したペニスが、解放されて熱気を放つ。
「赤ん坊みてえなピンク色なのにしっかりおっ勃って……乳首吸ってやっただけでこれかよ……」
 ピンと屹立している陰茎を指で弾かれ、パタタっと体液が根本に落ちた。
(い、嫌なのに、カインじゃないのに、何で俺の体は……っ)
 親しい人間に欲情した性器を見られたショックで身体が動かない。
「あんた真面目な顔して、本性はすげえ淫乱だったんだな……今まで我慢して損したぜ……」
 ヴィクトルが淫蕩に笑みながら赤い舌で唇を舐めた。
「お、お前っ……我慢って、いつからこんな……っ」
「あんたが無防備な格好で俺の牢に来た時からもうずっとだよ、総長様」
 唇が触れそうな程彼の顔が近づき、顔を逸らして避ける。
 彼の息遣いが耳朶に触れ、囁きが吹き込まれた。
「――俺はあんたがずっと好きだった。だから、このまま伯爵様を追いかけて、傷つくあんたを見たくない……」
 その言葉に裏切られたような辛い気持ちになり、赤く染まった目蓋を伏せる。
 せめてペニスを隠そうと必死に体をうつ伏せにすると、代わりに晒した尻を鷲掴みにされた。
「何だよ、チンポよりもこっちの方が感じるって?」
 ヴィクトルに揶揄されてハッとする。だが、自分の迂闊さに気付いた時にはもう遅かった。
 彼の長い指が尻の狭間をなぞり、グプッと後孔に侵入し始める。
「うはぁッ……!」
 太い腕で縮こめた身体を抱き込まれながら、指で中の肉を無遠慮に探られた。
「何だ、これ……?」
 驚き呆れたような低い声が耳穴に響く。
「……入口キツいのはともかく、中が……上も下も全部物欲しそうに吸い付いてきて、尻の穴って感じじゃねえな……しかもなんか、――濡れてる……?」
 かあっと全身が紅く染まるほどの羞恥がレオンを襲った。
 カインでもオスカーでもない他人にその場所を侵されるのは生まれて初めてで、恥辱に涙が溢れる。
「あんたの穴、これ、どうなってんだ……?」
 心底不思議そうに言われながらジュッジュッと水音を立ててそこを掻き回され、反射的に中をいやらしく締め付ける動きが止まらない。
「やめてくれ……っ、アッ、もうっ……そんなっ、風にされたら……っはぁッ……っ」
「あはっ、おもしれえ……こんなのに俺の入れたらどうなっちまうんだ……」
 指が増やされ、その先がグリッとペニス側を押し込むように擦る。
「あーっ……っ!!」
 敏感に育ちすぎた快楽の塊が押し上げられ、内側の快感で腰がビクッビクッと激しく跳ねた。
「すっげえ……中、うねりまくってどんどんグチャグチャになる……あんたのコレ、完全にオンナのアソコじゃねえか。いや、感度も締りも堪んねぇから、それ以上かーー」
 ヴィクトルの息が荒くなり、節の太い指がレオンの中から抜けてゆく。
「なあ、伯爵様を虜にしたこのいやらしいあんたの尻で、俺も楽しませてくれよ……」
 相手がズボンの前立てを寛げている気配に、レオンは全身を震わせた。
 このままでは本当に犯されてしまう。
 もうこの男を気遣っている余地は一切ない。殺すつもりで拒絶し、逃げなければーー。
「……っ!」
 咄嗟の判断で、レオンは縮こめていた頭部を思い切り上に跳ね上げた。
 後頭部がヴィクトルの顎に直撃し、鈍い呻きが上がる。
(当たった……!)
 抑えつける体重が僅かに軽くなった瞬間に体を反転させ、中腰のまま顎を抑えている相手の胸を蹴り倒した。
 間髪を入れず、その身体の上に裸の尻を乗せ、心の底から湧き上がる羞恥心と怒りのまま、ヴィクトルの首を両手で握って締め上げる。
「これ以上っ、俺の体に触ったら殺すっ……っ、殺してやるからな……っ!!」
「そ、そうちょ……やめ……ほんとうに、しぬ……っ」
 だが力を緩めず、レオンは彼が気絶するまで頚動脈の血流を指で塞いだ。
 がくりと相手の意識が落ち、すぐに指を離して息をしていることを確かめる。
「はあっ、はあっ……っ」
 本当に危なかった。
 何度も何度もカインが警告し、心配していた事の意味がやっと分かり、震撼する。
 ずっと彼の考えすぎだと思っていたが、世の中には物好きな人間もいるのだ――。
 そして自分の身体は、情けないほどに性に貪欲で、快楽に弱い……。
 泣きたいような気持ちで浅い呼吸を繰り返し、天幕の中に落ちていた濡れた布で何度も隅々まで体を拭った。
 素早く衣服を整えながら、身体を落ち着けるために頭を整理する。
 よく考えると、ギレスのやってきたあの場にいた訳でもなく、カインが神だという事も知らないヴィクトルからしたら、レオンが愛人に嘘を吐かれて捨てられたのでは――と思い込むのも、当然といえば当然だったのかもしれない。
 そう思えば強引に襲われたのも彼なりの思いがあってのことだと思えて、一概には否定できなかった。
(やはり、何も知らない彼を半端に巻き込むべきじゃなかった……)
 心の底から後悔し、申し訳ない気持ちになりながら、レオンは気を失ったヴィクトルの首筋についた指跡を撫でた。


 ヴィクトルも疲れていたのか、彼が天幕の下で目を覚ましたのは数時間後だった。
「大丈夫か」
 声をかけると、彼は何事もなかったようにきっちりと旅装束を着込んで座っているレオンに首を傾げ、ため息をこぼした。
「俺はなんか、凄え良い夢でも見てたんか……? さっきの壮絶にいやらしいあんたはどこいっちまったんだ」
 寝たままキョロキョロと辺りを見まわされ、酷く気まずい。
「そっ、そういうのは全部夢だから、一生忘れていろ! ところで、お前に一つ頼みがある」
「……なんだよ」
「ちゃんと敬語を使ってくれ。いや、これが頼みなんじゃなくて……お前は王都に帰れ」
 ヴィクトルが思い切り眉根を寄せて睨んでくる。
「はあ? ……あんたなあ……一人で行かせて、今度こそあんたが始末されちまうのを黙って見てろって?」
 うっと言葉に詰まる。
「そんな事にはならないようにする……っ。だから」
「ダメだ。俺が言うのもなんだがあんたはあんまり冷静じゃねえし、そんな上官命令は聞きたくない」
「……」
 何も言えなくなり、視線を逸らす。
 やはりこの男はどうにも食えない。何しろ、真面目な部下のふりをしている時でさえ自分の命令を殆ど聞いてくれた試しがないのだ。
 従っているように見える時でも、彼は彼のルールで動いている。
 これ以上説得するのも馬鹿らしくなり、レオンは溜息をついた。
「じゃあもう、勝手にしろ……」
「ああ、勝手にやるさ。俺の好きなように」
 挑発的な笑みを浮かべたヴィクトルが上半身を起こし、レオンの頬に顔を寄せてきた。
「おっ、おい……!」
 一瞬キスされるのかと思ったが、触れたのはその唇の中の紅く長い舌だった。
 ネロリと顎からこめかみを這って、舌が離れてゆく。
「ひ……っ、やめろ……!」
 くす、と琥珀の瞳が笑い、耳元で囁かれた。
「……あんたの愛人にまだなれねえって言うんなら、せめて飼い猫から始めんだよ」
 やはり、ただの夢だとは思って貰えなかったらしい。
 ぞっと身の危険を感じたが、既に大分時間をロスしていて、これ以上揉めている暇もなかった。
「またおかしな事したら本気で殺すからな……っ」
「あのトロットロのヤバい尻に一回でも入れられんなら、殺されても本望かもな……あれマジで何なんだ? 特異体質?」
「ヴィクトル〜〜っ!!」
 真っ赤になって立襟の胸倉を掴んだレオンに、彼はニヤッと笑みを返した。
「ほら、天幕片付けますよ、総長殿。お急ぎなんですよね?」
「そうだ! こんな事してる場合じゃないっ」
 ――結局、否応無しにレオンはこの危険な男と共に旅の続きを急ぐことになってしまった。



 二人は川沿いまで出て馬に水を飲ませ、草を食べさせてからすぐに街道へ戻り、午後いっぱいを駆け足で先に急いだ。
 少しずつ、ギレス達の残した轍の跡が濃くなってゆく。
 大分時間を失ったと思っていたが、神経質な貴族はしょっちゅう休みを取りながら東へ向かっているらしい。
 とはいえ、本当なら今夜あたりに追いつけるのが理想だったが、流石にそれは難しいように思えた。
「――ギレスはそろそろ、街道の先のモント湖に出る頃だ。昔からの避暑地で、貴族連中の別荘が寄り集まっている。生粋の貴族に野営での長旅は堪えるだろうから、ギレスは必ずそこに数日寄るだろう……」
 二日目の夜、再び設営した天幕の下で、レオンは地図を広げて表面を指で辿った。
「成る程ね。俺たちが追いつけるのはその辺りか……館に入っちまうとなると、野営を襲うより難しくなりますねえ。やっぱ諦めたほうがいいんじゃねえんっすか」
 向かいで胡座をかいたヴィクトルがやる気無さげに欠伸を漏らした。
「お前な……だから帰っていいと言ったのに」
「俺は総長殿さえ守れりゃいいんですよ。どうせ伯爵様は神の助力を得る方法なんて知らねえんだから、俺としてはギレスのオッさんが勘違いしてライバル連れ去ってくれんなら万々歳だ」
 言われてハッとした。
 彼が元々ついて来ると言い出した時、ギレスが神の助力を得ようとしている事に対して酷く憤慨していた事を思い出す。
 魔物にされ、理性を失っている間に家族を失った彼からすれば、それだけが懸念の種であったに違いない。
(これは……もしかすると、真実を話したほうが良いのかもしれない)
 レオンは意を決して、目の前の男の精悍な顔立ちを見詰めた。
「お前……オスカーの事を、やっぱり詐欺師だと思ってるか?」
 ムッとしたようにヴィクトルが片眉を上げる。
「あん? なんだよ、まだなんか怒ってんのか? 部外者が勝手な想像して悪かったよ。けどなあ……」
「オスカーの正体は、人間じゃない……お前達の……エルカーズ人の神の仮の姿だ」
 ヴィクトルの顔色が変わってゆく。
「なんだって……」
 レオンは地図を半分畳みながら、瞼を伏せて王都のある場所に視線を馳せ、言葉を続けた。
「騎士の神、アビゴール・カインはその身を持って王を倒し、この国の呪いを解いた。……その時俺は彼と共にいて、王が死ぬ所を見た……」
 その名を口にすると、焦がれるような苦しさが胸を締め付ける。
 ――逢いたくて堪らない、今すぐに。
「カインはその後に訳あって永遠の命を失い、それ以来この国で、オスカーという人間になりますまし、エルカーズの為に尽くしている……。だから、彼は神の助力を得る方法を知らない訳じゃない……彼自身が神なんだ」
 信じて貰えるかどうか自信がないまま、レオンはヴィクトルの顔を見た。
 呆然とはしているが、疑ったり嘲笑するような様子は見えない。
「……アビゴール・カイン……あんたが呼んでたのは神の名前だったのか……」
 その言葉に深く頷く。
 ヴィクトルが大きく溜息をつき、姿勢を崩す。
「あんた、嘘が吐けるような性格じゃねえし、気が狂ってるっていう訳でもなさそうだ。そんでもって、あの神殿の奴の慌てっぷりからすると、まあ、本当なんだろうな……」
 ウェーブのかかった艶やかな黒髪に指を差し込み、彼は額を抑えた。
「しかも、俺達を魔物の姿から戻した張本人って……正直な所、伯爵様なんかはさっさと逃して結婚させて、俺は傷心のアンタを抱いて丸め込んじまおうと思っていたのに、そんな訳にもいかねえじゃねえか」
 その言葉にレオンはギョッとして顔を上げた。
「お前っ、そんな事を考えていたのかっ?」
「あんたが愛しいって言ったろが」
 カーッと頬が熱くなり、何も言えなくなった。
 好意をあからさまにされるとどう反応を返していいのか分からない。
「無理だ……そんなことしようとしたら多分お前がカインに殺される」
「殺されるって。あんた、どんだけ神様から愛されてんだよ」
 呆れるように言われた言葉をそのまま受け取り、レオンは首を傾げた。
「恋人になったのは最近だが、百年とすこし前からずっとだ」
「なんだそりゃ。……あんた不老不死なのか?」
「今は違う……少し前までそうだった」
「……はーん、読めたぜ。あんた自身が神に愛され、神の助力を得た人間だったわけだ。で、駆け落ちだか何だか知らんが、――二人揃って不死を捨てた?」
 黙って頷きながらも、相手の洞察力に舌を巻く。
 ヴィクトルは自嘲するように乾いた笑みを漏らし、俯いた。
「――俺は異国の神さえ狂わせる魔性の男に惚れたって事か」
「っ……」
 そう言われるのはとても心外だったが、確かにエルカーズ人からして見れば、神を堕落させ永遠の命を失わせた男だと思われても仕方がない。
 何も言い返せないでいると、ヴィクトルがレオンの顔を覗き込みながら訊いてきた。
「――知ってるか? あんた一部の神殿兵からもケツ狙われてんだぜ」
「うっ……!? そ、そんな話は知らない……」
「だろうな。妙な気起こしそうなヤツは俺が殴ってるし、あんたはすげえ呑気だし。俺もそうだが、元魔物の奴らは後遺症で未だに理性が弱い――そのせいだと思ってたが、まあ、そんな事も結局、さもありなん、っていう話だった訳で」
 敷いた毛布の上にごろりと横になり、ヴィクトルが盛大な溜息をつく。
「あーあ……あんたのことを俺だけの天使だと思ったのに……逆にとんだ悪魔に惚れちまった……」
 目尻の上がった彫りの深い瞼が閉じられ、それ以上彼は何も話さなくなった。 
 レオンもまた隣で横になったが、相手に対する深い罪悪感を感じて胸が苦しかった。
 よく考えれば彼だって、あのカインの関わりが無ければ自分などに好意を持つことも無かったのかもしれない。
 心を操るようなことをしてしまったようで酷く申し訳なくなり、小さく呟いた。
「ごめん……ヴィクトル……」
「一体何に謝ってんだあんたは……。あんたが神の愛人でも悪魔でも、惚れちまったもんは仕方ねえだろ……」
 ヴィクトルの濃い睫毛が上がり、琥珀色の瞳がちらりと横目でこちらを見て、すぐに閉じる。
 レオンはその後も長い間、眠ることが出来なかった。


 翌朝、再び馬を走らせていくと、川と街道が次第に近づき、空気に湿気が濃くなり始めた。
 深い谷が近づき、草原ばかりだった景色に次第に木々が増えてゆく。
 二人は地図に従い道を外れ、林になっている樹木の間をくぐるように川沿いを降りた。
 そこには水の落ちる谷があり、眼下に鏡のように光る広大なモント湖と、その周囲の貴族たちの優雅な別宅が点々と見える。
 レオンは太い木に馬の手綱をくくって隠し、そろそろと湖側に斜面を降り始めた。
「しっかし、どこにギレスが居んのか全く分かんないですけど……どうするんです」
 後ろを付いて来る声がぼやく。
「――奴の連れてる傭兵なら大体顔を覚えてる。近くの宿屋か酒場を探す」
「その必要がありますかね? ほらあそこ、全くお貴族様には見えない奴が歩いてますよ」
 斜面の木立の間をヴィクトルが指差した。
 そちらに視線を合わせると、確かに見覚えのある赤毛の大男が、大きな魚を背負って湖のほとりを歩いて来る。
「傭兵頭のゲーロだ……!」
 自分を縛った男なので、見間違う筈がない。
「あとをつけよう」
 レオンが目配せすると、ヴィクトルは首を振った。
「総長、あいつにツラが割れてるんでしょう? 俺がつけてって、ついでに伯爵様がいそうな場所まで目星を付けてきます」
「えっ……しかし」
 レオンは戸惑い、考え込んだ。
 何しろ相手は昨日まで自分の邪魔をしようとしていた男だ。
 信用して良いものか今一判断しかねる。
 ヴィクトルにもそんなレオンの葛藤が伝わってしまったのか、呆れたような顔をされた。
「流石の俺だって、恩人の神様をギレスに売るようなことはしませんよ」
 そう言った彼にどこかホッとして、大きく頷いた。
「それなら頼む」
「ええ。総長はこの林の中に隠れていて下さい」
 頼もしい部下の背中がマントを翻して去っていく。その後ろ姿を見送りながら、レオンはふと気付いた。
(今日はちゃんと敬語を使っている……)
 自分で散々言葉遣いを注意しておきながら、いざとなると少し寂しさを感じてしまう。
 彼が二人きりの時に気のおけない話し方をしてくれる事を、いけないと思いながらもどこかで嬉しく思っていた事に気付いた。
(ダメだな、俺は)
 自分の頬を平手で叩き、木立に身を寄せて屈む。
 部下の身を案じながら、レオンは木の根元で膝を抱えて彼の帰りを待った。
 暇にあかして眼下の湖面とその周辺を眺める。
 長いこと同じ場所を見ていると、様々な豪華な馬車が、頻繁に湖の周辺を行き来していることに気付いた。
(おかしい……まだ避暑には早い時期なのに、妙に貴族が多く往来しているな)
 不思議に思っているうちに、頭上では少しずつ日が落ち始めた。
 湖から吹く冷たい風が頬をなぶり始める。
 やがてあたりは完全に橙色の夕焼けに染まり、レオンの胸に少しずつ暗雲のような不安が湧いた。
(ヴィクトル……あいつまさか、捕まってしまったなんてことはないよな?)
 このまま座して待っていて良いものか焦燥に駆られるが、下手に動く事も出来ない。
 だが太陽はあっという間に湖の奥の山に落ちて、すぐにあたりは真っ暗になった。
(限界だ……闇に紛れて降りるか)
 レオンが草深い斜面を慎重に長靴の踵で踏みしめ、立ち上がった時だった。
「動くな」
 背後から突然誰かに羽交い締めにされ、首筋に冷たく硬いものを当てられた。
「!」
 一瞬驚き、すぐに溜息をつく。
「ヴィクトル……悪ふざけは勘弁しろ……」
「なんだ、バレてましたか」
 身体を解放され、安堵して全身から力が抜けた。
 改めて背後を振り向くと、折り畳んだままのナイフを手にしたヴィクトルが悪戯っぽく笑っている。
「不安そうな顔をして待っている総長があんまり可愛いから、つい」
「バカ、わざと遠巻きに見てたのか? 悪趣味なことをするな」
 頬を赤くしながら抗議する。
 それにしても、この男の気配の消し方はまるで猫科の肉食獣だ。
 彼が黒豹の魔物だった頃に出会っていたら、ひとたまりもなく殺されていたかもしれない。
「それで、手掛かりは」
 レオンが尋ねると、相手は真面目な表情に戻った。
「館の場所はあの赤毛を追って、もちろん既に突き止めました。しかし残念ながら屋敷の中までは入り込めず、伯爵様の居所までは分からなかった――でも代わりにこれを手に入れましたよ」
 ヴィクトルが懐から丸められた書簡を取り出す。
「これは……」
「妙に貴族の往来があるなと思って、その辺をウロついてたどこぞの貴族の侍従からスッてきました」
「スッてきたってお前……犯罪じゃないか」
 肩を竦めながらも書簡を開くと、どうやら宴の招待状らしき文面が見えた。
「……モント湖の我が館の改修がこの春に無事完了したこと、また我が国の魔物からの解放より三度目の春を迎えたことを記念し、春宵の祝宴を催す……ヒーゼル・フォン・ギレス……」
「どうやらやっこさん、元々この時分、湖の館に親しい貴族達を呼んで夜会を開くつもりだったみたいですね。理由が何だか微妙だな……まるで本当の目的が別にあるかのような」
 妙に周辺に貴族の馬車が通る訳が分かり、レオンは深く考え込んだ。
「もしかして、ギレスは元々、この宴までに結婚の話を決めるつもりでいたのかもしれないな……」
「わざわざ北部と東部の中間地点に他の貴族を呼びつけるぐらいですからね。この夜会を婚約披露の場にするつもりで数か月前から動いていたとしても不思議じゃない」
 あれほどギレスが不機嫌になり、遂にはオスカー自体を疑った理由が分かった気がした。
 ギレスは絶対に結婚を断られるはずがないと思っていたし、それを前提に手回しをしていたのだ。
 書簡を持つレオンの指が震えた。
 ギレスの手によって貴族たちの前で婚約が明らかにされれば、カインといえども、それを覆すのは難しくなってしまうかもしれない。
「まずい……そうなってしまったらもう」
 焦燥と不安を表情にあらわにしたレオンの手を、ヴィクトルが包み込むように力強く握り締めた。
「そうならないように、ピンチをチャンスにするしかない。お披露目があるなら、伯爵様も表に出てくるはずです。俺たちは招待客に変装して庭から忍び込み、さっさと伯爵様を奪い返せばいい」
 触れた場所から伝わる温もりに、心強さが溢れる。
「ありがとう。色々と本当にすまない……。お前は、俺には勿体ない男だ……」
「それって、神様よりもいい男って意味ですかね?」
 ニッと唇を笑みの形にして、ヴィクトルが素早くレオンの手の甲を引き上げてそこに口付けた。
「ちがっ……俺の部下にはもったいないような男だっていう意味で」
 不意打ちを喰らい、驚きと恥ずかしさで心臓が高鳴る。
「俺がいて良かったでしょう? 総長の優秀な飼い猫に、最後にせめてキスの一つくらい報酬に貰ってもいいと思うんですがね」
 ぐっと握った手を引き寄せられて対面で胸が合うほど密着した。
「駄目だって……っぁ」
 視線を逸らした横顔をさらりと舐められて、ゾクッと背筋に甘く痺れるような感覚が走る。
「ほら、早くしないと今度は唇を舐めますよ」
「〜〜っ」
 よく働いて貰った手前、邪険に突き放すことも出来ずレオンは困り果てた。
 飼い猫――本当にそう思って良いのだろうか。
 自分が半端な態度を取ることで、彼自身が辛くなったりはしないのだろうか……。
 甚だ疑問に思いながらも、おずおずとヴィクトルの顔に手を伸ばし、髪を撫で分けてその額に音を立てて口付ける。
 唇でなければカインも許してくれるのではないかと思いながらも、罪悪感で心がズキズキと痛んだ。
「……」
 無言で透き通った金色の瞳に見つめられ、罪深さに心臓が壊れそうになる。
 その視線がふっと切なく伏せられた途端、痛いほど強く胴を抱き締められた。
「あんたと二人きりで旅ができるのも、もう今日で終わりなんだな……」
 独り言のような掠れた声が耳元で囁く。
 その腕が震えているのに気付いてしまい、自分まで泣きたいような気分になった。
 こんな形で出会ったのでなければ、彼に苦しい思いをさせ、自分もまた味わうことは無かっただろうに。
「ごめん……ヴィクトル、……ごめん」
 何度も謝りながら、レオンはヴィクトルの背中を抱きしめ返し、彼の気の済むまで抱擁を受け入れた。



 ギレスの屋敷は湖畔の森の中に佇んでいた。
 裸身の神々の像を庭や屋根のあちこちに配した庭は何とも言えない不気味さが漂っている。
 屋敷自体も、屋根の上に飾られた無数のガーゴイル像といい、透し彫りを過剰に施した石造りの壁といい、ギョッとするようなその佇まいはレオンからするとまるで悪魔崇拝の本拠地といった印象だ。
 その装飾過多な外見を遠目に見るだけで、案内されなくてもすぐに彼の屋敷だという事が分かり、閉口した。
 出入り口は勿論傭兵が固めているので、闇に乗じて白い煉瓦を積んだ高い塀を乗り越え、庭木の間に密かに入り込む。
 進む内に、流れる優雅な音楽が耳に届き、庭に向けて解放された大広間のテラスの光が黒々とした繁みの間に眩しく浮かび上がった。
 背を低くして近づいていくと、そこには大理石の露台と低い階段が張り出していて、着飾った貴族たちが談笑しながらそこを出入りしているのが見える。
「しかし、どう紛れ込んだものか……招待客になりすまそうにも服装がこれでは」
「総長は馬鹿ですか。そんなの奪って調達すりゃいいに決まってるじゃないですか」
 隣からサラリと突っ込まれ、レオンは目を丸くした。
「……神殿に仕える身で盗みの罪を犯すのは気が引ける……」
「この際もう何でもありでしょう。ほら、ちょうどいいカモが」
 それだけ言うと、ヴィクトルが目の前に植えられたトネリコの木の上に素早く登った。
 レオンは少し離れた繁みの影に身を隠し、息を潜めて様子を伺う。
 しばらく待ち構えていると、羽根の付いた派手な帽子を被った夜会服の中年男とその侍従がこちらに近付いてくるのが見えた。
 貴族の男はガサガサと茂みに入り込み、酔っ払った様子でトネリコの木の根元に向かって窮屈そうな半ズボンの合わせを開いている。
「あー、すっかり飲み過ぎた……ギレスの奴、料理をケチるもんだから、酒ばかり飲みすぎてしまうわい」
「男爵様あ、こんなりっぱなお屋敷のお庭にそんなことして怒られませんかねえ」
 侍従の青年のぼやきが漏れる。
「何を言うか。クソ、手元が暗くてよく見えん。お前も手伝え」
 苛立つような貴族の声に、木の上から低い声が応えた。
「――俺が手伝ってやろう」
「えっ」
 ヴィクトルが頭上から飛び降り、酔っ払い貴族の身体を背中から押し倒して地面に顔を押し付ける。
「わっ」
 突然現れた賊に慌てふためいた侍従の方は、レオンが茂みから飛び出して羽交い締めにした。
 口を掌で塞ぎ、後頭部に当て身をして気絶させる。
 ヴィクトルが素早く男を茂みに引き込みながらこちらを振り向いた。
「俺はこの肌の色では貴族様には見えません。総長がこの酔っ払いの衣装を着て下さい」
「分かった」
 酒臭くて気が進まないが、仕方がない。
 レオンは自分のチュニカと乗馬用の長ズボン、それに膝丈の長靴を脱ぎ捨て、男から脱がせた服に着替え始めた。
 男の生白い足から脱がせた白いぴったりしたショースとキラキラした刺繍のついた細身のキュロットに、思わず手が止まる。
「こんなもの、着たことがないから恥ずかしいんだが……」
 尻や脚の形がぴったりと出てしまうショースに戸惑っていると、隣で着替えているヴィクトルが毒づいた。
「総長、下半身丸出しで無駄にそそるのはやめて下さい」
「うっ? うん」
 戸惑いながらショースに素早く脚を通して下着を紐で結びつけ、裾に飾りのついた半端な丈のズボンを引き上げる。
 続いて絹をふんだんに使った紫色の上衣を羽織り、足に合わない革の優雅なハイヒールを履き、自分の剣とソードベルトを宝石のついた煌びやかなマントで隠した。
 最後に羽根飾りのついた帽子を目深に被って後ろを向く。
「着方、間違っていないか見てくれな――」
 瞬間、珍妙としか言い表せないものが視界に入ってしまい、思わず言葉が途切れた。
 相棒の長身には余りに丈がみじかすぎる裾広がりの赤いチュニカ姿に、耐えきれずに大きく吹き出す。
「お前、道化師のようだぞ……っ」
 笑われた相手は目元を赤くしながら不機嫌な顔になった。
「俺を笑い者にしている場合ですか。さあ、こいつらを縛りますよ。目をさましたら厄介だ」
 咳ばらいをしてどうにか真面目な顔に戻り、レオンは頷いた。
 ヴィクトルの持っていた馬を繋ぐためのロープで、気絶している二人を木に縛り付ける。
 続いてさりげない様子を装って二人で茂みを出、なるべく人々の寄り集まっている場所を避けつつ、庭先の露台から館の中へと入り込んだ。
 会場となっている大広間は、すべての壁が館の主人の秘蔵と思われる豪奢なタペストリーで覆われ、その下では招かれた一流の楽師達がダンスの為の甘い調べを奏でている。
 レオンとヴィクトルは注意深く顔を隠しながら、夜の宴を謳歌する人々の熱気の最中に分け入った。
 貴婦人たちの大きく裾の広がったドレスの裾を踏みそうになりつつ、宴の中心へ徐々に近付いてゆく。
 次第に楽器の調べの音量が高まり、ギレスの高笑いが奥から聞こえ始めた。
 やっと大広間の最奥が見える位置まで移動して、、広い帽子のつばの下から主催の長テーブルを密かに覗く。
 一瞬、心臓が止まるような気がした。
 この旅の間、ずっとその名を胸で繰り返していた相手。
 上機嫌で挨拶に来た貴族達と杯を交わしているギレスの隣にいる、目の覚めるような美しい青年は、確かにレオンの恋人だった。
 ――肩から煌びやかな飾り布を垂らした白の夜会服を着、金髪の一部が宝石のついた髪飾りで結われた、その絵画のように美しい佇まいに息が止まる。
(カイン……っ)
 無事な姿を目にして胸がいっぱいになり、涙が溢れそうになった。
 つい足が自然とそちらに向かいかけ、ヴィクトルに肘を掴まれて止められる。
「いけません」
 後ろから抱きしめるように耳打ちされ、ハッとした。
「辛いでしょうが、今はダメです。俺が騒ぎを起こして奴らの注意を引くから、混乱に乗じて伯爵を連れ出して下さい」
「……っ、お前はどうするんだ」
「俺の事は気にする必要はありせません。逃げ足だけは速いからどうにかします」
「そんな……!」
 戸惑うレオンの背後から、ヴィクトルが振り返りもせず離れてゆく。
 やがて彼の姿は人の間から広間の外に消え、レオンは一人揺れる灯火の下のさざめきに取り残された。
 酒に酔い、音楽に合わせて踊り笑う貴族たちの間に揉まれるようにして、どうにかオスカーの姿を視界に捉え続ける。彼は時折話しかけて来る客に対して曖昧な笑みを浮かべ、まるで飾り物の人形のようにそこへ座っていた。
(カイン……俺に気付いてくれ、カイン――)
 胸の動悸を抑えながら目立たぬ壁際へ少しずつ移動し、ヴィクトルの動きを待つ。
 その内に、ギレスが大きな声を上げて招待客たちの注意を引き出した。
「さあさあ皆さまがた、こちらへ集まるがいい。今夜は目出度い話題がもう一つあるのだ。この平和となったエルカーズに相応しい、素晴らしい契りが、我が領地と北部との間に交わされようとしているのですぞ」
(……!)
 貴族たちが騒めき、果物や酒がテーブルに盛られた大広間の中央に集まり始めた。
 彼らの頭上には美しい黒ガラスの装飾がいくつも吊るされた、巨大な鉄製のシャンデリアが煌めいている。その楔の上に立つ無数の蝋燭に燃える炎が、期待に満ちた人々の表情を照らし出した。
 ギレスはまるで王座のような背の高い椅子を立ち上がり、満足気にそんな観衆を見回している。
 やがて彼は満を辞したように、ゆっくりと口を開いた。
「……来賓の皆様の前で発表しよう。ここにいる有能なる貴族オスカー・フォン・タールベルクは、我が娘マリーの女婿として――」
 ギレスの言葉は途中から、頭の上で響くミシミシという不穏な音で掻き消えた。
 着飾った貴族たちが怪訝な顔をして広間の高い天井を見上げる。
「鼠か何か……?」
 密集した彼らが騒ついた瞬間、会場の誰かが悲鳴に近い声で叫んだ。
「シャンデリアが!!」
 気付けば直径10フィート(3メートル強)はある鉄製の王冠型シャンデリアが、揺れる炎の軌跡を描きグラグラと左右に振れている。
「危ない……!! 落ちるぞ……!?」
 蜘蛛の子のように人々が散り、絹を裂くような貴婦人たちの悲鳴が上がった。
 次の瞬間、ヒュオッという風を切る音がして密集した炎が一気に落下する。
 木の裂ける破壊音と共に酒や料理の載っていた中央のテーブルが、鉄の重みで真っ二つに割れた。
 同時に棘のような楔に固定されていた大量の蝋燭がバラバラに倒れ、ガラスと一緒に飛散する。
 炎があちこちに飛んで燃え散り、割れたワイン樽と、酒の染み込んだテーブルクロスが一気に燃え上がった。
(ヴィクトル……!)
 恐らく彼はシャンデリアの昇降装置のある近くの部屋に忍び込み、巻き上げ機の鎖を切ったに違いない。
「私の……私の美しいシャンデリアが!! 高価なガラス細工があああっ! ああっ、タペストリーにも燃え移ってしまう! 火を消せ、誰か!!」
 ギレスが半狂乱で雄叫びを上げて走り回り、着飾った客達が慌てふためいて逃げ惑う。
 レオンはすぐさま火焔の内側へ飛び込み、オスカーがいるはずの奥のテーブルに足を掛けて登った。
 彼を探すが、上から見渡しても彼の座っていた席はもぬけのからだ。
 煙の中で見回すと、傭兵に四方を囲まれ、会場から奥の間へと連れて行かれる金髪の後ろ姿が視界に入った。
「オスカー……っ!!」
 その背中を追い、声の限り名を叫ぶ。
 だがその華麗な衣装を纏った背中は振り返らない。
「……カイン……!!」
 気付いてくれと悲痛な思いを込め、もう一度恋人の名を呼んだ。
 すると、編まれた長い髪と飾り布を翻らせ、彼が一瞬こちらを振り返った。
 その明るい緑の瞳がはっきりと自分を見て、驚きの表情を浮かべる。
 形の良い唇が、声には出さずに言葉を形作った。

 ――お前は ここから すぐに 去れ。私に 構うな

 その言葉を読み取った瞬間、レオンは大きなショックを受けた。
 逃げるなら今しかないというこの状況で、何故彼がそんな事を言うのか分からない。
(カイン……何故……!)
 頑なに自分の助けを必要としていないという態度を取る相手に、レオンは炎の中で呆然とした。
 カインはまさか東部へ行くつもりだったのだろうか。
 ギレスが神を召喚したとしても、結局の所、助力が得られるのは神の心に叶ったものだけだ。
 神の力を欲する大公を誤魔化し、自分の欲しいものだけを手に入れる事など、もしかするとカインにとっては造作も無い事なのかもしれない。
 けれど、その為にレオン一人が王都に残されるのだとしたら。
 彼に連れられるままにここまで来てしまった自分は、一体どうすれば良いのか。
 あの平穏で穏やかな屋敷の暮らしを捨て、彼の望むままに神殿騎士となったのに――。
 王都に来てから、ずっと我慢に我慢を重ねてきた。
 肌に合わないと何度も自覚しながら慣れない長の仕事を辛うじてこなし、相当な無理をしながら人の上に立つものであるように振る舞ってきた。
 彼が執務室にこもり夜も帰らなくても文句も言わず、寂しくても辛くても我儘を言わないよう、一人寝の夜を何晩も耐えた。
 ギレスの前でも、彼の意思を尊重して剣を抜きたくても辛抱し、縛られて牢に入れられても歯を食いしばり、抵抗すらしなかった。
 たとえ彼が自分の考えをつまびらかに話してくれなくとも、問いただしたいのをこらえ、どんな時もずっと彼の思惑と立場を一番に考えて行動してきた――。
 ……だがそれももう、――限界だ。
「……っ!」
 心中の葛藤の果てに、何かが頭の中でぶちりと千切れた音がした。
 羽根の帽子と美しいマントをかなぐり、炎の中に投げ捨てる。
 相手の耳に届くかも分からないまま、燃え盛る紅蓮の炎の中で高々と叫んだ。
「カイン……! もう俺は、我慢などしない! お前の言うことなど聞くものか……! 俺は俺の望む通りに行動する……お前がたとえ許さなくても、死体の山を築いてでも、俺はお前を取り戻すからな……!!」
 エルカーズの未来も、平和も、神々の安寧も、カインの守ろうとするものも何もかもが、目の前にいる彼よりも大事だとどうしても思えない。
 そんな自分を人でなしだと思いながらも止めることが出来なかった。
 床に落ちた黒いガラスの破片を踏みにじり、体から陽炎のようにのぼり立つ激情を背負い歩き出す。
 広間から奥の間の暗い廊下へ足を踏み入れると、レオンの叫びに反応したと思しきギレスの傭兵達が剣を抜いて待ち構えていた。
「何だぁお前は!? こっから先はギレス様の私室だぞ、分かってんのか!」
「こいつ剣を持ってやがる! お貴族様のフリした賊だな、てめえ……この火事はお前の仕業かあ!?」
 一番手前に立つ、頬に向こう傷のある男がこちらに足を向けて迫ってくる。
「……邪魔をするなら切るぞ……命が惜しければそこを退け」
 レオンは剣を抜き放ちながら、氷のような声音で警告した。
 殺気立ったその気迫に一瞬相手の表情が消える。
「なんだ、やる気かコラ……!」
 だが男はすぐに威勢を取り戻し、残忍な視線をこちらに向けた。
 その武骨な手が刃をこちらに向けて大きく振りかざし、レオンを襲う。
「誰がどいてやるかよ! 死ねえ!」
 叫びながら上段に振りかぶった男の胴を、レオンは無言で真っ二つに切り裂いていた。
 恐らく自分が死んだ事にも気付かず、その死体が足元にどさりと落ちる。
 生暖かい返り血を頬に浴び、レオンは視線を上げながら無表情で剣に付いた血を振った。
 その鮮やかな色に、戦場で敵を切り殺し続けていた頃の後ろ暗い興奮が嫌でも蘇る。
「こいつ……悪魔か……」
 他の傭兵達が震え上がるが、それでもよほどかしらが恐ろしいのか、誰一人行く手を退こうとはしない。
「ひ、一人で俺たち全員を相手に戦えると思ってんのかあ!?」
 虚勢を張った太った髭の男と、その隣の骨ばった若い男が両方ともレオンに斬りかかった。
 その二人の剣筋を同時に弾いて押し返し、彼らを一瞬怯ませる。
 瞬時に背後からも一人襲って来る気配を読み取り、レオンは狭い廊下で素早く身体を逸らして壁際に避け、3人を同士討ちのように激突させた。
「ひいっ……!」
 激しい金属音と共に血飛沫が飛び、悲鳴を上げる男たちを尻目に奥へ向かう為に背を向ける。
「いっ、いでえ、腕が切れた!!」
「何しやがるお前えぇ……!!」
 怨嗟の声に足を止め、レオンは悠然と振り向いた。
「俺は何もしていない。それとも、俺にその首を切り離されたかったか」
 挑発するように微笑み体を彼らに向けると、相手は激高して声を荒げ、一斉に剣を構えた。
「畜生、生意気な若造め、そんなに死にてえなら殺してやる……!!」
 再び3人が同時にレオンの首を狙って剣の刃を次々と繰り出す。
 レオンは飛んでくる攻撃を冷静に細かく避けながら、殆ど無意識に一人ずつ傭兵を始末した。
 一人は首の動脈を切り裂き、もう一人は心臓を一息に刺す。
 残りの一人は、レオンが余りにも淡々と人を殺して行く様に恐れをなして一瞬背を向けたが、その背も容赦なく斜めに切り捨てた。
 掌に残る生々しい感覚と、剣を伝って落ちる血の赤さに、罪悪感と共に疼くような高揚感が全身を支配する。相手に対する同情も躊躇もなく、ただ無心に戦うことを思い出し、更に血に飢えるような凶暴な感情が身の内に芽吹きかけた。
 祖国を守るため、そして鉄の規律を守る為に、神の名のもとに迷いもなく人間を殺していた頃のように。
(こんな俺に戻らないように、カインは俺を遠ざけたんだろうか……)
 不意にそう気付いて、泣きたいような、叫び出したいような感情が胸に溢れた。
 彼は何度も、レオンが言葉よりも手が先に出てしまうのを注意していた。
 何か厄介なことがあったとしても、剣に頼らずに解決する方法が幾らでもある事を教えようとしてくれていた。
 そして彼は、二度と武器を抜かずに済むように、ずっとレオンの周囲全てを、流血のない平穏な世界で包もうと努力していた……。
 一方で自分は、カインの作った真綿のように平安な暮らしの中で、戦いも孤独も、全ての過去を記憶の底に閉じこめ、安楽に生きていた。
 魔物であれ人であれ、沢山のエルカーズ人の命をこの手で数え切れないほど多く奪ってきた事も忘れて。
 しかしそれは、代わりにカインに大きな重荷を押し付け、何もかもを彼一人に呑み込ませる事になってはいなかっただろうか。
(俺は、何も知らされず、お前にただずっと守られているだけでいるより、この方がずっと――いい)
 気が付くとレオンは頬を濡らして泣いていた。
 それでもまだ、自分を殺そうと現れ、向かって来る敵の喉を迷う事なく切り裂き、オスカーの姿を追ってがむしゃらに館の奥へと進む。
 突き当たりの階段室に入ろうとした時、背後から濁声がレオンを呼び止めた。
「兄ちゃん、待ちな!」
 その声にびくりと足を止め、ゆっくりと振り返る。
「お前、やっぱりあの時の王城の騎士か! ガキみてえなツラして俺の部下を殆ど殺してくれやがって……これを見ろ!」
 額から血を流し、ぐったりとしているヴィクトルの姿が視界に飛び込んだ。旅装束の上から着た派手な借り物のチュニカが破れ、上から垂れた血に染まっている。
 赤毛の傭兵頭ゲーロがその身体を背後から抱え、首筋に剣の刃をあてて叫んだ。
「変な真似しやがったらこいつの首はねえぞ。さあ、剣を捨てろ!」
「ヴィクトル……!」
 思わず名を呼ぶと、彼は目蓋を僅かに震わせ、金色の瞳を開いてこちらを見た。
「……総長……俺のことは捨てていけ……伯爵の所に行くんだろ……」
 掠れた声が必死に言葉を紡ぐ。
 前に進めばすぐそこにオスカーがいるかもしれない。
 だが、後ろには怪我をした部下が捕まっている。
 立ち尽くすレオンにヴィクトルが叫んだ。
「……早く行け、しくじったのは俺だ……迷うな、レオン……!」
 彼に初めて名を呼ばれ、一気に意識が覚醒した。
 大切な友人を見殺しに置いて行くことなど、出来る訳がない。
 レオンはヴィクトルの顔を見つめたまま、ゆっくりと血に染まった床に膝を落とし、剣をごとりとそこに置いていた。
「総長……」
 瞳を見開き首を振る彼に、一瞬笑顔を作る。
 ――お前は悪くない。
 そう言おうとした時、背後から誰かが近付く気配がした。
 振り向きかけた途端、棍棒のようなものでしたたかに後頭部を殴られ、レオンはその場に倒れて意識を失った。



 目覚めた場所は暗く窓のない、剥き出しの石壁に囲まれた簡素な地下室だった。
 軋むような音とともに肩と腕が何かに吊り上げられ、自重でひきつれるような痛みを生じているのに気づく。
 上を見ると、小さな丸い滑車が天井に埋め込まれていて、自分の手首の鉄輪に付けられた鎖でそこに繋がれ引き上げられている事に気付いた。
 どうやら気絶した状態のまま、無理矢理この滑車に身体を巻き上げられ、立たされたらしい。
 次の瞬間、ハッとヴィクトルのことを思い出して周囲に視線を馳せた。
 壁から取り付けられた黒々とした鎖、それに人間を縛り付けて拷問する為の血の染み付いた木製の台が目に留まる。そばには監視人用の質素な椅子が、その背に吊るされたカンテラの炎に不気味に照らし出されていた。
 もう一方の壁際を見ると、格子の嵌められた小さな窓のある鉄扉と、目を閉じてぐったりとしたヴィクトルの姿が目に飛び込む。
 彼は腰の高さ程の位置に埋め込まれた二つの鉄の縛めに両手をつながれ、上体を壁に凭れて意識を失っていた。
 思わずその場所へ身体が動きかけ、腕がギチッと天井に引っ張られる。
「ヴィクトル……っ」
 名を叫んで起こそうとした時、鉄扉のかんぬきが錆びた耳障りな音を立てて開いた。
 ギイと鈍い音を立ててゆっくりと扉が内側に押され始め、小さな窓の格子の向こうに目を見張る。
 一瞬そこに金髪が見え、期待に両脚が震えた。
 だが扉の間から見えたのは、煤けた膨らんだキュロットと豪華な上衣を着、耳の下で金髪を切り揃えたオカッパ頭の中年男――ギレスだった。
 彼が中へ入って来ると、その後ろからもう二人程人間が続く気配がした。
 傭兵ゲーロに乱暴に肩を押されて中に入って来たのは、今度こそ、婚礼衣装のような白い夜会服のオスカーだ。
「オスカー……!」
 叫んだレオンに、ギレスが嘲笑うような乾いた笑い声を上げた。
「……おやおや……? お前はあの時のオスカーの騎士ではないか……? 忠義に主人を取り戻しにきたとはなあ……」
 痩せ細った小柄なギレスの身体が近づき、その骨ばった手がレオンの顎を掴む。
「私のコレクションを台無しにした上に、傭兵まで皆殺しにしおって……! お前は殺すのすらも手ぬるいっ……!」
 バンとその手に頬を張られ、レオンは思わず怒りのままに相手の腹を靴の踵で蹴りつけた。
「うげえ!」
 手加減はしたが、痩せて軽いギレスの身体は吹き飛んでしまい、壁際に叩き付けられたようだった。
「ギレス様! そいつは悪魔ですぜ。近付いたら危険です。この俺が相手をしますから」
 ゲーロが焦りながら倒れている主人を起こし、レオンを睨みつける。
「てめえ、相当俺様に可愛がって貰いてぇようだな!」
「全く、何という野蛮な異国人だ……っ。王都では命を助けてやったのが仇になったぞ……っ」
 咳込みながらギレスが起きて毒づき、監視人用の椅子によろよろと腰掛けた。
 その痩せた顎が黙って立っているオスカーの方に向けられる。
「オスカー! お前は主人としてこの落とし前をどうしてくれるのだっ」
 すると扉の近くに立っていた貴公子は静かに歩き始め、レオンをその背に庇うようにギレスとの間に立ちふさがった。
(オスカー……!)
 触れることの出来るほどの距離にいる彼の広い背に、震えるほどの切なさと慕わしさが溢れる。
 今すぐあたたかな金色の髪に触れ、頬を背中に寄せたいのに、両腕が捕らえられている為に叶わない。
「この者は忠義により私を助けようと力を尽くしたまで。どうか寛大な心でお許しを」
 どれだけ相手が激昂してもオスカーは冷静だ。
 その表情はレオンには分からないが、彼の態度と口調はギレスに対しとても丁重だった。
「代わって私が非礼をお詫びいたします、閣下」
 何故オスカーがこの男にそんなにへりくだった態度を取るのかがレオンには分からない。
 怒りとやるせなさが湧き、血が出そうなほど強く唇を噛む。
「その騎士は人として許されぬことをした。お前はそう言うが、その者の罪は死でしか贖えん。――その前に、死ぬよりも辛い責め苦に合わせてやるがな……そこをどけ、オスカー!」
「出来ません」
 若々しい張りのある、毅然とした声でオスカーが告げる。
「私は私の臣下に害が及ぶならば、東部へは行かないと申し上げたはずです」
「臣下か。お前が臣下と言っているのは、その騎士だけか?」
 オスカーが無言で頷く。
「ふうむ。――王城を出る時もそうだったが、どうやらお前はその騎士のこととなると目の色を変えるようだな……」
 目の前の背中に僅かに動揺が走る。
「……ほお、なるほど……お前が我が娘との結婚を承諾しなかった理由がわかったぞ……その男はお前の、男の愛人なのだな……?」
「……愛人などではありません」
 オスカーは静かに否定したが、ギレスは色素の薄い瞳に嘲笑の色を浮かべて唾を吐いた。
「お前がそう言っても、さっきからその騎士は涎をたらさんばかりの恋慕の顔でお前を見ておるわ」
 レオンはヒッと息を呑み、オスカーを熱く見つめてしまったことを後悔した。
 自分が感情を読まれないように表情を作ることが出来ないことが心底嫌になる。
「……全く、汚らわしい……! やはりお前のような男を我が娘の結婚相手とすることは出来ん」
 痩せぎすの肩が上下し、わざとらしく大きなため息が吐き出される。
「残念だがお前を我が娘のいる東部までは連れていけぬ。我が領土の神官には召喚術を伝えられぬが、仕方がない」
 ギレスはニヤリと薄い唇の片端を上げ、芝居がかった仕草で両手を天に向けた。
「――今ここで召喚してもらおうか、オスカー。我が命を永遠とする助力を賜ることの出来る神を」
 その言葉にレオンは震撼した。
 それを望んで化物と化した前王が居たというのに、この男は同じことを望むのかと、その愚かしさに心底呆れ、恐ろしくなる。
「前王は老い、病んだ身体のまま不死になって地獄を見たという。わたしは1日でも若い体を保ちたい……このところ私のこの美しい髪が抜け落ち始めたからな。さあ、早く召喚しろ、オスカー……! その愛人の命が惜しくはないのか!?」
 赤毛のゲーロがレオンの背後に入り込み、羽交い締めにするように首筋に大振りなナイフの刃をあてる。
 ギレスは動こうとしないオスカーに痺れを切らし、叫んだ。
「ゲーロ! その男の耳を切り取れ!」
「やめろ」
 目の前のオスカーの背中から聞こえる声音が、一瞬で別人に変化した。
「そいつに指一本でも触れやがったら、お前らを二人とも豚に変えてやるぞ」
 レオンにとっては酷く懐かしく愛しい、艶のある低い声が地下室に響く。
 宝石の飾りと共に編まれた髪の先が腰まで伸び、あたたかな色を失って神々しい銀髪に変わった。
 側頭部からは巻き角が伸び、袖の膨らんだ白く美しいコットと煌びやかな飾り布はそのままに、尾が針を剥き出しにして服を突き破って伸びる。
 その先端がレオンの元に届き、ナイフを持つゲーロの手首に巻き付いて締め上げた。
「ヒイいッ……! 化物……!!」
 背後の傭兵頭が、怯えたような悲鳴を上げてナイフをガランと床に落とす。
 ギレスはあんぐりと口を開けたまま椅子の上で固まっていた。
(カイン……!? 正体を見せてしまっていいのか!?)
 訝しく見守っていると、彼は尾をゲーロから離し、ゆっくりとギレスの方に近づき始めた。
「……召喚の必要はねえよ。俺自身が神だからな」
 痩せた貴族は腰を抜かして椅子から転げ落ち、逆にレオンと傭兵頭のいる方へと四つん這いで逃げてくる。
「な、な、な……!」
 彼は言葉にならない叫びをあげながら後ろを振り返り、指差しながら呻いた。
「お、オスカー……!? そ、その姿は……っ、お、……おっお前が神だったのか……!?」
「いかにもその通りだ。王を殺したのもこの俺だ――本当の名を知りたいか?」
 カインがゆっくりとした仕草でこちらを振り向く。
 冷たく見える程に青白い肌と、隙なく整った美しい容貌。服がいつもの黒衣では無いせいか、その姿は神と呼ぶのに一層相応しいように見える。
 心を強く揺さぶられるのを感じ、レオンは胸の奥から込み上げるものを感じながら心で呼び掛けた。
(カイン……っ)
 一瞬、彼の紅玉のような瞳が少しだけ剣呑さを薄める。
 だがその表情には酷薄な笑みが浮かび、感情までは読めなかった。
 レオンの前で地肌の透けたオカッパ頭がガクガクと頷き、声を上げる。
「神よ、お名を……!」
「アビゴールだ。覚えておけ……覚えておけるものならな」
 含みのある言い方にハッとした。
(カイン……お前は、ギレスをどうするつもりで……)
 問いたいが、彼らの前で訊くことは勿論不可能だ。
「アビゴール……味方に付ければ戦で負けることはないという、騎士の神では無いか……! その銀の髪、ヤギの巻角、そして白く美しい尾……! 伝承の通り、何という美しさだ……!」
 落ちくぼんだ目を見開いて激しく感動している貧相な貴族を前に、カインは面倒そうに眉を顰めた。
 やがてギレスがその気配を察したのか、口早に願いを唱え始める。
「わっ、私のこの身を不死にしてくれ……っ! 神よ、どうかこの私に、神の助力をっ!!」
 懇願された神はこの上なく冷たい瞳で彼を見下ろしながらニヤリと笑った。
「いいだろう……お前に不死を賜る。神の助力を得た人間の身がどうなるのか、その身をもって知るがいい」
 レオンの胸に密かな疑問が浮かぶ。
 ――今のカインにはそんな力はないはずだ。
 だとすると彼は――。
 固唾を呑んで見守る中、白い尾が天井近くまで振り上げられる。その先端に突出した細く長い針が、狙いを定めるようにギレスの方を向いた。
「な、何を……!?」
「少し痛えかもしれねえが一瞬で済む。我慢して動くなよ……!」
 カインの尾が目にも止まらない速さで振り下ろされ、その針がブスリとギレスの首の動脈に深く刺さった。
「あえあぁっ……!? あふうぅ……」
 間抜けな叫び声が上がり、ドクッドクッと何かが流れ込む音が地下室に響く。
 その音が長く強く続くことに、レオンは震撼した。
(あれは……昔、俺がよくやられていたやつじゃないか……?)
 セックスする時にレオンの抵抗があまりに激しいと、カインは針で自分の体液を血管に流し込むことがあった。
 少しなら痛みや不安を感じなくなって快楽が増すが、多ければ体の自由が効かなくなり、意識が朦朧として記憶もあやふやになった事を思い出す。
 王都への旅の最後で量をしくじられて大変な事になった事を思い出し、レオンは青ざめた。
「カイン、死んでしまうぞ……!?」
 ギレスを殺してしまうのは流石にまずいのではと、思わず声を上げる。
 目の前では憐れな男が白眼を剥き、穴という穴からダラダラと液体を垂れ流し始めていた。
「あっ……あひいいぃ……体が、体があああ、熱いいいいい」
 目玉が裏返ったままギレスがもがき、ゲーロに向かって助けを求めて腕を伸ばす。
 その悪夢のような光景に赤毛の大男は半狂乱の悲鳴を上げ、入ってきた鉄の扉に飛びついた。
「たっ、助けてくれえぇ!!」
 破らんばかりの勢いで戸を開け放ち、ゲーロが泣きながら逃げ出してゆく。
 ギレスの首からはやっとカインの尾が抜き出され、開いた穴からダラリと血が垂れた。
 その体が何かに操られているような動きでフラフラとゲーロを追う。
「あ〜〜……神の国があ〜〜……神が見えるぅ〜〜……ヘヒハハハハ……」
 鉄扉の外に出て二、三歩歩いた後、彼はバッタリと床に倒れて細かく痙攣を始めた。
 どうやら意識を失ってしまったらしい。
 その尋常ではない様に恐ろしくなりながらレオンはカインの方を向いた。
「お前、あの男に何を……」
 眩しいような美貌がふっとほの暗い微笑を浮かべ、長い睫毛を伏せる。
「俺の……『神の血』を致死量ギリギリに入れた。あいつは脳味噌をやられて発狂するか、良くてここ数年程度の記憶を失うかだ……」
「神の血……」
 自分は何という恐ろしい物を体に入れられていたのだろうと両脚が震える。
「ゲーロを追わなければ……それに、ヴィクトルの手当も――カイン、俺の両手の鎖を切ってくれ」
 ギシギシと鎖を軋ませながら頼んだ。
 だが、カインは恐ろしくなるような満面の笑みを浮かべ、大きく首を振った。
「断る」
「……カイン……!? 何故……!」
 混乱し、眉を寄せて視線で必死に助けを訴える。
 しかし彼は冷たく取り合ってくれないまま、扉のそばに繋がれ倒れているヴィクトルに視線を移した。
「――お前には聞きてえことがいくつかある……何でかここに居るこいつのこととかな」
 カインが両腕を締め上げられた無防備なレオンのもとにゆっくりと近付いてくる。
 やがて唇が触れそうな程の距離になり、その近さに慕わしさがこみ上げた。
 早まる呼吸で胸を上下させながら彼を見つめ、呼びかける。
「カイン……カイン……」
 両手を伸ばして触れたいのに、それが叶わず切なく焦れて涙ぐんだ。
 ルビーの瞳に体の奥底まで射抜かれるように見つめられ、冷えた指先で頬に触れられる。
「ん……」
 首を傾け、指に懐くように頬をあてると、カインの顔がすっと横に逸れて肌と肌が触れ、堪らない気持ちになった。
 耳朶に柔らかな唇が触れ、カインの低い声が直接身体に響く。
「……血の匂いとその借り物の服で、誤魔化せると思ったのか……? お前のその肌に、他の男の匂いがべっとり染み付いてんのによ……」
「……!」
 心臓を鷲掴みにされたようになり、何も答えることが出来ないまま震えて首を振った。
 カインの長い指がレオンの身に着けている紫の上衣の首元にかかる。
 次の瞬間、真珠のボタンで留められた合わせが音を立てて裂かれた。
「あ……!」
 色づいた乳首が露わになり、地下の冷たい空気に触れてツンと硬くなる。
 それを指先で検分するように抓まれて、淫らな感覚が二つの感覚器から全身に拡がった。
「ァ……ん……っ……だめ、だ……」
「脱がせたら匂いが強くなった……――成程な。俺がお前を守る為にあのオッサンを王都から引き離してる間、当のお前は若い部下と乳繰り合ってた訳だ……」
 酷い誤解をされている事に気付き、頬がカッと熱くなる。
「俺はっ、そんなことしていない……! 俺もヴィクトルも、お前を助けようと思って――」
「俺が助けてくれなんていつ言った?」
 赤い瞳が冷たい色を浮かべ、腰に手を回されて尻を鷲掴みにされた。
「来いなんて一言も言ってねえのに、ここに別の男を咥えこみながら俺を追ってきたって訳か。大した淫乱だな……?」
「違う……!!」
 予想はしていたとはいえ、助けに来たこと自体も否定され、酷い侮辱の言葉を浴びせられて涙が滲む。
「ヴィクトルは助けてくれただけで――……っあ……」
 眼下で煌びやかなキュロットが引きずり降ろされ、薄いショースに包まれた尻の形が露わになった。
 カインの尾がしゅるんとレオンの脚に巻き付いて登ってくる。
 ハッと振り返った瞬間にその先端に針が飛び出し、白いショースの尻を突き破り、カインに捕まれた尻たぶの間に潜り込んだ。
「ァぁ……っ!?」
「嘘をつくんじゃねえ……――助けてくれた、だ? 男を欲しがって泣いてるお前のここをか?」
「そ、そんなことしてな……ひぅん……ッ」
 白い尾の先端が後孔を数度つついた後、襞を分けるようにして中に潜り込み始める。
 そのままズブズブと肉の壁を昇り、尾はのたうつようにして深く後孔に入り込み、内側をグプグプと進みながら侵し始めた。
「……!?」
 いつもよりも入り込み方が深いことに気付き、徐々に腹が苦しい程になり始めていることに気付く。
 レオンはえずくような呻きを上げ、首を振って不安を訴えた。
「ちょっ、くっ、苦しいっ、これっ、入ったことない所まで入って……うぐ……う……っ!」
「中まで消毒してやってんだよ……」
「やめっ……、お願いだ、こんな事をしていたらヴィクトルが目を覚ましてしまう……っ! 早く離してくれ、ぁあ……あっ」
 カインが根元に近い所まで尾を進め、レオンのショースと下着の前を陰茎の上ギリギリまで指で引き下げ、腹を手の平で愛しげに撫でた。
「孕んでるみてえになったな、……可愛いぜ、レオン……」
 耳元に囁かれる声に、恐る恐る自分の下腹部を見下ろした。
 下腹が入り込んだモノでぽっこりと淫靡に膨れ、その下のペニスは下着を押し上げて屹立しはっきりとその形を現している。
 こんな尋常でない事をされても性的に反応する自分の体が恥ずかしくて仕方がない。
「抜いて……くれ……っあ……」
 腹の奥でどくりと何かを出され、自分の内側が熱く蕩けるような感覚が広がってゆく。
「はぁ……っ、ンあ……、何……」
「お前にも久々に『神の血』を入れてやったんだよ……はらわたの粘膜だから、少し時間がかかるかもしれねえが、その分ゆっくり楽しめるぜ……」
 カインが今ここで自分を犯そうとしている事を察し、レオンはガチガチと鎖を鳴らして身悶えた。
「……いっ、嫌だ……! 部下のいる場所ではそんなことは……っ、出来ない……っ!」
「何だよ。新しいオトコに見られんのが嫌か? ――じゃあ、気にならねえようにしてやるよ……」
 カインの手が、自分の肩に付いている長い飾り布をビッと音を立てて千切り取る。
 その金糸の縫い込まれた分厚い布が目の周りに垂らされ、やがて二重に巻かれて後頭部できつく結ばれるのが分かった。
 視界が真っ暗になり、心細さに声を上げる。
「……カイン……!? 怖い……っ」
 暴れて鎖が捻られて身体が揺れ、感覚が狂ってカインがどちら側に居るのか分からない。
 自分に触れているのはずっぷりと腹に入り込んだ太い尾だけだ。
 そのスベスベとした尻尾が徐々に身体の中から引きずり抜かれ始め、排泄感と快感が両方刺激されて、肉壺の生理的な収縮を何度も繰り返す。
「あぅん、……っ、あー……っ」
 腰を縦横にうねらせ、キュウッと尾を締め上げる度に抜かれる速度が緩まり、じんと下腹が熱くなる。
「はぁっ……出る……ぅ、出て……っ、いや……」
 目が塞がれていると、中の感覚が一層敏感になるのか、尾が抜けていくにつれだんだんと細くなるのが後孔の収斂でハッキリと分かった。
 細くなればなるほど尻の中が物足りなく切なくなり、苦しさは薄れたものの、今度は寂しくて堪らない。
「カインん……!」
 暗闇の中、ヴィクトルが同じ部屋にいるという意識が薄れてゆき、はしたなくねだるような声で相手を呼んでしまう。
 だが尾は容赦なく最後の細い先端までズルリと抜かれ、ビチャっという音が足元に立つのが分かった。
「はぁっ……はあっ」
 息を上げ、体を左右に回し耳を研ぎ澄ませてカインの気配を探す。
「こっちだよ」
 動きを留めるように、急に背後からうなじを噛まれた。
「ん、ぁ……!」
 驚きに声を上げると、唇と歯が離れ、息遣いだけが首筋に残る。
 不意に、布を押し上げて勃起した性器の先に温かみを感じた。背後から腕を回されてそこに触れられているのだと分かり、身を委ねるように背を仰け反らせる。
「はふ……っ、ん……」
 ショースの紐を解かれて下着ごと布が剥がれてゆき、充血した陰茎が跳ねる感覚が下腹に響く。
 指は陰嚢を持ち上げ、重みや感触を確かめるように揉み始めた。
 カインとセックスした夜から抜いていないせいか、そこは張っていて触れられると堪らない感覚になる。
「……ン……っ、そんな触ったら出る……っ」
「精液溜まってんな……メスイキだけで終わったのか?」
 訝しげな声が囁く。
「……っ、だから、してない……っ、彼とはっ」
「嘘付け。じゃあ何でお前の身体から匂いがすんだよ」
 詰問されて、レオンは逡巡した。
 旅の間、体は濡らした布で拭く程度で、ずっと水浴びもしていない。抱擁されただけだと誤魔化しても、人間ではとても分からないような痕跡が彼には分かってしまうのかもしれない――。
 恐る恐る唇を開き、レオンは正直に真実を答えた。
「襲われて、触られたり、抱きしめられたりはした……」
「はぁ?」
 呆れたような反応が返り、次いで怒りを含んだ言葉で詰られた。
「お前、自分を強姦しようとした男をここまで連れてきたのかよ。頭どうかしてんじゃねえのか」
「……王都に返そうと思ったけど、どうしても付いてくると……」
「襲われた時に殺しちまえばよかったのに――上で傭兵をヤッたみたいに」
「彼は友人だ……! それに、心配してついて来てくれただけで」
「お前が勝手にそう思ってるだけだろ」
 嘲笑うように言われ、心がざっくりと傷付いた。
「相手はお前の可愛い尻にチンポ突っ込むことしか考えてねえのによ」
「……っ、ヴィクトルを侮辱するな……!」
 怒りを込めて言い返すと、性器に触れている手が離れた。
 急に放置されたペニスと後孔が疼き、無意識にまた恋人を探す。
「……カイン……?」
 まるで迷子の子供のように情けない声が出た。
「――どこまで触らせた」
 冷たい声が今度は前方から聞こえ、ビクッと身体を震わせる。
 安堵と不安とで泣き出しそうになりながら、レオンは途切れ途切れに答えた。
「……胸……胸をっ、……触られて……吸われた」
「……へえ……こんな風にか」
 濡れたざらりとしたものに乳首の周囲をぐるりと擦られる。
「あはぁ……!」
 ビクビクと仰け反ると、感じて突出した乳頭を生温かい肉の感触が包み、執拗に吸引され始めた。
(唇で……吸われてる……っ)
 カインの美しい唇の形と長い舌を思い出し、それだけで堪らなくなる。
 見えないせいなのか、カインの血のせいなのか、いつもに増して乳首の先が異常に敏感になっていて、立っているのが辛いほどに感じすぎていた。
 切なく尖っているもう片方の乳首も温かな皮膚が触れ、痛いほどに引っ張られ始めると、淫らな喘ぎが止まらない。
「んくうっ……! はぁっ、カインん……っ気持ちいい……っ、おっぱい気持ちいい……っ」
 思わず口走ってしまった言葉に、自分で驚く。
 身体中の神経が尖って彼の手を強く望んでいるのに、頭の方はぼんやりと靄がかかったようになり、理性での制御が効かなくなり始めていた。
 片方の乳首を包んでいた粘膜が離れて行き、また辱めが耳穴に吹き込まれる。
「自分からいやらしい言葉で誘って、どうしようもねえ淫乱だな……そうやってアイツにもオネダリして見せたのか?」
「してない……!」
「どうだかな。チンポも吸われてんだろ」
「……っ」
 ブルブルと首を振る。
 クッと喉を鳴らして笑う音が聞こえ、小さな風を肌に感じた。
(動いた……?)
 警戒していると、亀頭の丸みにヌルリと何かが触れ、ヒッと小さな悲鳴が漏れる。
「それなら、貞操を守ったお前の息子にはご褒美だ……」
 スベスベしたものが根元から巻きついてきて、尾が螺旋状にペニスに絡みついたのが分かった。
 愛撫の為というよりもしっかりと固定するようなその動きに恐ろしくなる。
「い、嫌だ……離してくれ、あ」
 何か硬いものが鈴口に当たるのを感じ、全身に震えが走った。
 尾の先だけを入れられたことはあるが、それとは違う――硬く先端の尖った金属のような感触。
 恐ろしいのに逃げることもできず、ズブズブとそれが自分の中に埋まってゆく。
「ひっ……これ、何だ……っ、痛、い……!」
「何だと思う……」
 嗜虐的な色の滲む声で問われた。
「か、たい……針……?」
「ギレスのオッさんが俺にくれたもんだ。お前によく似合ってるぜ……」
 入り込んだそれが何なのかが思い当たり震撼した。
 オスカーの金髪を飾っていた、宝石付きの髪飾り――その、髪に隠れていた部分を挿入されている。
「抜いてくれ……深くて怖い……っ」
 涙ながらに訴えるが、長く細いそれが尿道の中を進んでいく痛熱い感覚は止まってくれない。
 ついには宝石の固定された底部まで埋め込まれ、クチュクチュとゆっくり入れたり出したりされるのが分かった。
 ピンは身体の奥の一番気持ちのいい場所の寸前まで届き、グッと押されると内臓が浮くような快感が下腹を襲う。
「あんん……っ! やめ、っやだあっ、……!!」
 徐々に陰茎から尾が解かれ、代わりに熱く濡れた舌肉が亀頭の括れや裏筋を上下に這った。
 カインが跪き、性器を凝視しながらナカと外とに愛撫を加えている事を知って、堪らない羞恥と深い悦びが湧く。
「嫌なら、やめてやろうか……? お前のチンポはスケベ汁ダラダラ垂らして悦んでるけどな……」
 舌の根の方でわざとビチャビチャと音を立てて舐められ、同時に穴の中にピンを大きく出し入れされて、絶頂寸前の快楽を味わいながら泣きじゃくる。
「ぁぁあ……っ、それ、ちんぽの中だめ……っ、あぁーっ、感じる……っ、カインっ、もっと……もっといっぱい舐めて……っ」
 どちらがどちらの音なのか分からない程に水音が高まり、身も世もなくよがり狂っていく。双玉を一つずつ激しくしゃぶられながら尿道を犯され、もう腰を振って淫らにねだることしか考えられない。
 袋を強めに吸われ転がされると射精感が迫り上がるのに、ピンで尿道口を塞がれて達することを許されず、腹の奥がよじれるような絶頂の寸前を味わい続ける。
 理性はすぐにねじ切れて、レオンは泣きながら訴えた。
「っ、イキたい……、せいえきっ、出したい、出させてくれ……っ、これっ、とって……!」
「折角のご褒美だろ……まだ飾っておけよ……」
 ペニスの根元に強く口付けられながら、パクパクと金属を食む鈴口を掻き回される。
「んハアあ……!! かき混ぜたらっ、ア――……!」
 気を失いそうなほどの性感と共に射精を伴わない絶頂が始まってしまい、レオンは叫びながら苦し紛れにカインの唇や頬に何度もペニスを擦り付けた。
 挿入されていないのにドライオーガズムを味わってしまったせいで、濡れそぼったまま放置されている後孔が一層切なくヒクついて止まらない。
「カイン……っ、カイン……太いのが欲しい……、早くっ、中に欲しいぃ……っ」
 イッている最中に既に足元から離れてしまい、どこにいるのか分からない相手に懇願する。
「……俺の質問がまだ終わってねえのに、もうオネダリか……?」
 汗ばんだ尻の間を分けるように、凶悪な程の硬さを持った熱いものがゴリッと押し付けられた。
 触れただけでそれが何か一瞬で分かり、淫蕩な呻きが漏れる。
「ぁあ……っ、それ欲しい……はあ……っ」
「相変わらず凄えトロトロのケツだな……」
 濡れそぼった場所を確かめるように大きな亀頭がヌルヌルと狭間を擦り上げている。
「ここはしっかり守ったんだろうな……?」
「……っ、指、しか……」
「……」
 静かな怒気が背中にビリビリと伝わった。
「へーえ……指まで入れられやがって、よく最後までされんのを我慢できたな……そりゃあ褒めてやらなきゃならねえだろうなあ?」
 ビクッと体が震え、恐ろしくて堪らない。なのに、後孔をズリズリと擦られるとそんな事すらどうでもよくなり、入れて貰い中を愛される想像ばかりが頭に浮かぶ。
「そんなに欲しいか?……」
 直截な問いに、何度も首を縦に振る。
 すると、カインの手がレオンの視界を塞いでいる長い布地を解き始めた。
「……っ?」
 何故彼が今更目隠しを取ろうとしているのか訝しみ、嫌な予感が胸に湧く。
 ハラリと絹の感触が鎖骨の上に落ち、狭い地下室の光景が目に入った。
 壁際に両手を繋がれて倒れている長身の青年――その金色の瞳が、ぼんやりと視線は定まらないものの、こちらを見つめている。
 ひゅっと息を呑み、衝撃と激しい羞恥に襲われてレオンは呻いた。
「あ、ぁっ……う、そ……っ、い、いやだ……!」
「いや? 欲しいって言うからせっかくやろうと思ったのに、……ありがた迷惑だったか……?」
 レオンとは違い、他人に痴態を見られることなど何とも思っていない男が耳朶を甘噛みする。
 呑み込んでしまいそうにフチの捲れていた後孔からねっとりと体液を引いてペニスが離れ、太腿に擦り付けられた。
「なあ、どうする……? レオン……」
「あ、俺、は……あ、あ」
 ガクガクと体が震え、うまく呂律が回らない。
 吸収の進んだカインの体液が血管を回り始めていて、発情期の獣のような制御の効かない欲望が喉を突きあげる。
 ――ダメだ。ヴィクトルに見られながらするなんて絶対に。
 ――でも欲しい、今すぐに中を擦られて、見られながらでもいいからイって楽になりたい。
 心と体を引き裂かれているうちにカインの尾がペニスに回り、尿道に刺さった美しい大ぶりのエメラルドのピンを器用に掴んだ。
 最後の理性の壁を前に口をつぐむレオンに答えを迫るように、純金製の長いヘアピンがチュクチュクと音を立ててそこを責め立てる。
「ひぁン……!!」
 堪らず、喘ぐような淫らな悲鳴と共に、許しを請う。
「入れてくれ……俺のいやらしい穴にっ、入れて……っ」
 カインが満足げに吐息をつき、尻肉を広げるように両手で掴まれる。
 レオンもまた背後へ腰を突き出すと、期待に濡れそぼった肉壺に怒張が一気に押し入って来た。
 同時に尻尾でピンが抜かれ、鈴口にじわあっと熱がせり上がり始める。
「んはあっ……っ!? あっ、今抜いたらっ、出るう……!! んあぁっ、ちんぽ凄い硬い……はぁっ、……イッく……あ……あッ、見ないでくれ……っ、こんな、あ――っ!!」
 ペニスの先端からダラダラと白い粘液がとめどなく溢れ出す。
 ヴィクトルの瞳に、尻を貫かれた途端に精を吹き上げる自分を見られている。
 それなのに、まるでカインと二人きりで愛し合う時のような痴態を晒すのを止められない。
「はふっ、んあっ、はぁ……っ」
「……ふっ、凄え締まるな……部下にセックス見られんのがっ、そんなにイイのかよ……っ」
 微笑を含みながらカインが囁く。
 根元までずっぷりと怒張が埋め込まれると、彼はわざと結合部を見せつけるようにレオンの片膝を高く持ち上げた。
 そこに引っかかっていたショースと緩い靴が床に落ちる。
 首筋に纏わりつく長い絹布が取られて膝裏に結ばれ、腕を戒めている鎖に括り付けられた。
 ずっぷりと雄を飲み込んだ穴をヴィクトルに見せつけるような形で上げた脚を固定され、もう何をどう隠す事も出来ない。
 カインが腰を激しく打ち付け始めると、皮膚の弾ける音が立ち、グチョグチョに濡れた穴が愛しげに彼に絡みついた。
 ヴィクトルの瞳には、久々の逢瀬で嬉しそうにカインを食む、恥ずかしい襞の動きまでが映ってしまっているのに。
「ほら、お前は乳首いじられながら突かれるのが良いんだよな……っ!」
 大きく挿入を繰り返しながらぷっくりと張り出した突起を両方ともに強く爪を立てて摘まれ、涎が溢れるほど高い喘ぎが漏れる。
 普段は焦らすくせに、今日に限って一番いい所を性急に責められ、はしたない言葉を止められない。
「んン……っ、イイ……っ、それっ、凄い好き……っ、またっ、イクッ……我慢できない……っ」
 カインの筋肉質な下腹が打ち付けられるたびにとろけるような甘美な快楽が生まれ、あっという間に上り詰めてゆく。
「ン……ッ!くぅ……っ!!」
 ガクガクと身体を痙攣させながら深い絶頂が始まる。
 同時に射精を促すように内側でペニスを抱き締めようとすると、その瞬間にズルリと怒張を抜かれた。
「んっ、あっ……! 何で……っや、あァ……!」
 開いたままの後孔を激しく痙攣させながら、悲痛な声が喉から漏れる。
 カインが美しい衣装を翻して姿勢を落とし、足元に落ちていた傭兵の幅広のナイフを拾った。
 その刃がカインの手に握られ、レオンの鉄の手枷を繋いでいる鎖の継ぎ目を強く打つ。
「あっ……」
 縛られていた布も拠り所を失い、片脚と、とっくに感覚を失っていた両腕が天井の滑車から解放される。
 勢いよく前のめりに落ちた身体が、どさりとカインの両腕に受け止められた。
「……あぁ……っ」
 二人の体がもつれあって床に倒れる。
 ジワっと痺れ始めた両腕を辛うじて恋人の首筋に巻き付け、レオンは懐かしい匂いのする髪と巻角に頬擦りした。
「カイン……! カイン……っ」
「何懐いてんだよ。さあ、今度はお前が動け……」
 今までと打って変わった優しい声音で耳元に囁かれ、レオンは甘く吐息をついた。
 何か大事な事を忘れているような気がする。
 けれどもう、意識が朦朧として思い出す事ができない。
 神の血が脳を侵し、ヘイゼルの瞳にはもう恋人の姿しか映らなくなっていた。
「ン……っ」
 彼の体の上に跨ったまま無言で腰をずらすと、太く硬いペニスにめくれた後孔のフチが触れる。
「ん、ァ……」
 少しずつ腰を落としてカリの張った長いペニスを呑み込み、今度こそ自分の肉のうねりの中に恋人を捕まえ、抱き締めた。
「ァ……っカイ、ン……っ、嬉しい……、すき……愛してるっ……俺がいるのにっ、結婚なんかしないでくれ……っ」
 その言葉に、カインが初めて戸惑うような表情を見せた。
 レオンの中で一際ペニスが震え、限界を訴える。
「バカ、何言って……ったく、頭イッてるからって暴走しやがって……もう出すぞ……っ」
「ン、……ナカにいっぱい出して……っ、はァっ、あッ……気持ちい……キスしたい……っ」
 夢中になって自ら淫らに腰を振り立て、微笑みながら口付けを求める。
 レオンは望み通りに深い接吻を受けると、舌を激しく絡ませながら後孔をきつく収縮させ、腹の中で溢れる熱液を受け止めた。



 神の血に侵され、ぼんやりとしていたレオンの意識がようやくハッキリしてきたのは朝方になってからだった。
 ふと気付いて足元を見下ろすと、いつのまにか自分は庭に捨ててきた旅装束に着替えている。
 立っている場所も、暗い地下室ではなく焼け焦げた大広間の隅だった。
「……!?」
 目の前では、婚礼のような白い衣装のオスカーが誰かと話している。
 その美しい金髪と破れた装飾の肩布をぼんやりと見ていると、カラスのくちばしのようなマスクを付けた黒衣の男が二人、その傍に立っているのに気付いた。
 彼らのベルトと工具だらけの服に記憶が蘇る。
「マルファスと、ハルファス……?」
 驚いて思わず声を上げた。
 途端、レオンの発した言葉に振り返った貴公子がそばへとやって来る。
 彼の背後でマルファス達は廊下へと去って行き、広間は二人きりになった。
「やっと正気に戻ったか。お前、私を離さないと言って大変だったのだぞ」
 ニッコリと微笑まれて頭が混乱する。
(え……俺は……傭兵に捕まって……それから……?)
 しばらく何も思い出せなかったが、徐々に自分の痴態とヴィクトルの事を思い出し、レオンの表情から血の気が失せた。
「あ……ぁ……っ、ヴィクトル……っ!?」
 探すように辺りを見回すレオンを、オスカーが不機嫌な声音で制する。
「あの男は怪我をしているのでマルファス達に頼んである。彼らなら人間に干渉する神の力があるからな。それから、逃げた傭兵とこの惨事の後始末も……借りは作りたくなかったが仕方がない。私達は王都へ戻るぞ」
 絶句していると、大広間にふらふらと小柄な人影が入って来た。
 異様な風体に一瞬誰かと驚く。
 切り揃えた髪がボサボサになり、服も汚れきってすっかり老け込んだ男――ギレスだった。
「……あれえ……何故、私はここにいるのだあ……? そなた達は、何者だ……何故、ここにいる……?」
 呆けたようになってウロウロする彼に、オスカーが華やかに微笑んだ。
「閣下はもう何も心配なさる必要はありませんよ。これからあなたの屋敷から使いのものが来ますから、座って少しお休みになればいい」
 クッションの焦げた豪華な椅子が指さされ、ギレスは素直にストンとそこへ座った。
 だがその表情に力は無く、とても正気とは思えない。改めて恐ろしくなり、レオンは視線を逸らした。
「さあ、行くぞ」
 オスカーが言い放って廊下の方へ出て行く。
「ヴィクトルは……」
「あいつらが連れて帰るだろう」
「だろうって、お前」
 眉を顰めて声を上げたが、無視された。
 金髪の後ろ姿が拗ねたようにどんどん遠ざかって行く。
 色々と言いたい事や聞きたいことがあったが、レオンは黙ってその背中を追いかける他無かった。


 ギレスの屋敷の厩から葦毛の馬を一頭調達し、二人は王都へと向かう街道をゆっくりと戻り始めた。
 二人で旅をするのは久々だ。
 だが相手は、馬に乗ってしまうと殆ど何も話さなくなった。
 レオンも、昨夜彼にされた仕打ちやヴィクトルのことを考えると、とても口を聞く気になれなかった。力になってくれた友人をどれ程傷付けたか分からない。そう思うと憂鬱になり、恋人を取り返したというのに、王都に帰る足も鈍った。
 静かに馬を進めている内に太陽が高く昇り、草原に明るい日差しが照り付け始める。
 辺りは春先の気候というよりも、蒸し暑い程の陽気になっていた。
 先を行くオスカーが急に馬の手綱を引き、止まってレオンの方を振り向く。
「いつまで拗ねているつもりだ」
 責めるような口調でそんな風に言われ、レオンは力なく首を振った。
「拗ねていない……。疲れているのと、落ち込んでいるんだ……」
「……」
 オスカーはその言葉を聞き、視線で街道脇に生える大きなトチの木を示した。
「では、あの下で少し休もう」
 誘われるままに手綱を引いて馬を跨ぎ、地面に降りる。
 旅の疲労と苦悩で今にも倒れてしまいそうだったので、提案は有難かった。
 新緑の作る木陰の下へ歩き、オスカーと共に腰を下ろす。
 涼しい風に暫くぼんやりと目を閉じていたが、大事なことを思い出し、レオンは唇を開いた。
「オスカー、すまない……お前の正体をヴィクトルに話してしまった……」
 小さなため息と共に、オスカーがレオンの肩をそっと抱き寄せた。
「知ってる。あの男と少し話したからな」
 その言葉に、頬が紅く火照った。
 あんな場面を見られておきながら、普通にそんな会話ができる相手が信じられない。
「ほ、ほかに一体何を話したんだ……っ」
「それは内緒だ。……が、面と向かって、あんな事をしてはお前が可哀想だと言われたな」
 その言葉に居た堪れなくなり、レオンは膝頭の間に顔を伏せた。
 死ぬほど恥ずかしい事には変わりないが、彼が怒っておらず、それどころか同情的であることが救いだ。
「マルファス達に記憶を消させようかとも思ったが、まあ、害はなさそうだったからそのままにしておいた」
「……っ! 消せるものなら、何故消してくれないんだ……っ」
 抗議すると、オスカーは頑なに首を振った。
「消したらあの男はまたお前に手を出す」
 その態度に閉口する。
 やはり自分はヴィクトルに見せ付けるためにあの場で犯されたのだとはっきり分かり、やるせない気持ちで膝を抱えた手に力が入った。
 俯いたまま呻くような声でせめてもの抗議を漏らす。
「お前は、時々酷すぎる……。今は、俺にだって立場ってものがある。部下にあんな姿を見られるなんて最悪だ……それに、彼は俺を助けてくれたのに」
「お前が易々とあの男に身体を触らせたのが悪い」
 冷ややかにそう言われると、それ以上言い返すことも出来ない。
「それは悪かった……。これからはちゃんと、気をつけるから……」
「そうするがいい」
 言葉ではそっけなく言われたが、逞しい両腕が伸びてきてレオンの身体が強く抱きしめられた。
 身体を反転させて移動し、相手の膝を跨ぐようにして身体を預ける。
 心地の良い体温に安心し、心にわだかまっていたものがほんの少しずつ溶けてゆくのが分かった。
「……。私が本当に結婚するかと思ったのか?」
 優しく問われ、肩に額を付けたまま頷いた。
「そうする他ないと、お前が思ったのかと……」
「王都でギレスが私を疑った時あの場に居たのは、ギレスとあの傭兵頭だけだ。彼らを王都から離した後、どこか人目の無い場所で昨日のように始末するつもりだった」
「――俺を一緒に連れていってくれれば良かったのに」
 ペリドットの瞳を覗き込むと、彼は首を振った。
「ずっと、政治的な事にはお前を巻き込みたく無いと思っていた。私の世界は綺麗事だけでは済まない……お前の手を汚すのは避けたかったし、何も心配させたくなかった」
「俺はそれでは嫌だ。お前が戦うなら一緒に戦いたい。大体、俺に再び剣を持たせたのはお前なのに」
 オスカーがふっと瞳を細める。
「そうだったな。お前が騒ぎを起こして貴族どもを追い出し、傭兵を殺してくれた事は、結果的には助かった。ギレスはあの後貴族どもと連れ立って東部へ帰るつもりで、そうなれば昨日のような機会は東部に行くまで無かっただろう……」
 レオンは驚いて目を見開いた。
「俺がした事は全てお前にはありがた迷惑だったのかと思っていた」
「そんな事はない。だが、あの男を連れてきた事だけは未だに許していないからな」
「……っ。お前の方がいつまでも拗ねてるじゃないか」
 レオンはあきれ、そしてふっと思い出して言葉を繋いだ。
「そういえば俺だって、お前が縁談のことを黙っていた事に傷付いたんだ。あの場で初めて聞いたものだから、随分余計な心配をする羽目になったんだぞ。きちんとどうするつもりなのか話していてくれれば……」
「……そうだな。それについては私も反省した」
 レオンは吃驚して一瞬固まった。
 貴公子の姿をしているとはいえ、恋人の口からそんな殊勝な言葉を聞いたことが無い。
「オスカー……?」
 体を離し、顔を見つめようとした途端、目の前の男の顔立ちが妖艶なカインのそれになっていることに気付いた。
 柔らかな銀髪が手に触れ、赤い宝石のような瞳に見入る。
 木漏れ日の映る彼の青白い相貌が近付き、前髪を分けるように額に口付けられた。
「おかしな心配すんな。……俺の伴侶は生涯お前だけだ」
「……!」
 思いがけない声明にレオンが言葉を失っていると、カインが自分の頭に片手を伸ばし、左の巻角の尖った先をパキンと音を立てて折り取った。
「お前にやる」
 言われるがままに、手の平を出して硬い角先を受け取る。
「――俺の元いた世界では結婚はこうして誓う。角が折れている奴は既婚ってことだ……下らねえ習慣だと思ってたが……」
 彼は照れたように呟き、前髪をぐしゃりと掴みながら視線を逸らした。
 その横顔を見つめながら、手の平に貰ったものをしっかりと握り込む。
 ひんやりとして滑らかな感触を指で何度も確かめている内に、胸の底が熱くなり、ぎゅっと何かがこみ上げてきた。
「……っ、どうしよう……俺はっ、何も渡せるものがない……」
 首を傾げて微笑むと、涙が頬に零れた。
 長い指先がその雫を撫で取り、いつにない真剣な瞳に間近でじっと見つめられる。
「俺は別に何もいらねえよ。……ずっと傍に居ろ、死ぬ時まで」
 真摯な言葉に深く頷き、レオンはカインの首筋に腕を回して強く抱擁した。



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