神々の祭日


 無事にオスカーとレオンが王都に辿り着き、都市の門番をしている神殿兵に顔を見せると、彼らは飛び上がって驚き、神殿へと知らせに行った。
 ギレスの別荘が狼藉者に襲撃されたという噂が既に広がっており、共に居たオスカーもまた賊に攫われて行方が知れず、生死が分からないと伝わっていたからだ。
 王城まで続く広い通りに葦毛の馬に乗った貴公子が姿をあらわすと、道の両側があっという間に集まった人々で埋め尽くされた。
 少しずつ馬の脚を城へ向かって進んでいると、皆が無事を祝うと共に、口々にオスカーに声を掛けてゆく。
「あなた様は、貧しい私達家族に土地と麦を与えてくださった。伯爵様はこの王都の宝です。ご無事で帰ってきてくださった事を神に感謝いたします……!」
「法王様と伯爵様がお医者様を王都に招いてくださったお陰で、母の命は助かりました。どうか一言御礼を……」
 群衆の中に揉みくちゃにされながら、レオンはカインがベアリットと共に今までどれ程彼らの為に力を尽くしていたのかを知った。
 人々の彼を見る目は、文字通り神の姿を見る時のそれに近い。
 ポケットの中に布に包んでしまい込んだカインの角先を無意識に握りしめながら、ふと恐ろしくなった。
 カインはこの国にずっと、永遠に必要とされるべき神だったのに、自分がそれを奪ってしまったのではないかと――。
 彼がこの先自分だけを伴侶とするということは、人間と交わって子孫を残すこともなく有限の命を全うするという事だ。
 ――それが本当に、許されることなのだろうか……。


 レオンが複雑な気持ちで王都での生活に戻ってから、数日後にはマルファス達と共にヴィクトルも王都に着いた。
 頭の怪我は綺麗に治っていて、彼は翌日から青い軍服に着替え、すぐに王都の警備と訓練に参加し始めた。
 顔を合わせるのは辛かったが、謝らない訳にはいかない。
 直ぐにレオンは機会を見て、彼を静かな王都の裏庭に個人的に呼び出した。
「ヴィクトル、その……」
 城の壁を背に重い口を開いた途端、目元の黒子の印象的な美しい瞳が細まり、先回りするように相手から声を掛けられた。
「あんた、謝るつもりで俺を呼んだんだろ」
 共通語でズバリと言い当てられ、一瞬言葉を失う。
「っ……。うん」
 バツが悪くなり俯くと、いきなりがしっと肩を掴まれ、レオンはビクッと身体を硬直させて動揺した。
「……あのなー。謝るとかそういうレベルのもんじゃねえぞあれは」
 じっと睨まれて恥ずかしさに瞳が潤みそうになり、視線を伏せる。
「けど、百年前からあんなのに目を付けられてんのは同情する。あんたどう見ても正気じゃ無かったし」
 そう言われてしまうと有難い反面、何とも言葉が出てこなかった。
「悪かった……あんな物を見せた上にお前を置いていくなんて上官失格だと思われても仕方がない」
「いや、そういう問題じゃねえし。っつか、神様のやる事とは思えねえよ。――何でこの国の神がエルカーズ人以外には悪魔だと呼ばれてんのか俺にも良ーく分かったぜ。……アンタの腰使いのエロさも悪魔的だったけどな」
 サラリと恥ずかしい指摘を受け、顔から火が出そうになる。
「申し訳ないが、出来れば忘れてくれ……っ、俺もよく覚えてないんだ」
 泣きそうになりながらそう言うと、キッパリと首を振られた。
「忘れられたら苦労しねーよ。しばらく毎晩夢に出たぜ、あんたが嬉しそうに男に乗っかって股おっぴろげて、可愛い声でアンアンよがって中出しをねだ」
「そっ! それ以上言ったら殺す……!」
 レオンが耳まで真っ赤になりながら剣の柄に手を掛けて睨むと、ヴィクトルは呆れたように口を噤んだ。
「総長のそう言う所、ほんと好きですよ……」
 エルカーズ語でたしなめられ、ハッとして剣をおさめる。
 ヴィクトルはレオンの肩から手を離し、街の方を親指で差した。
「さあ、行きましょうよ。あんたの伯爵様はどうやらこれから祭を始めるらしいから、俺たちも忙しくなりそうだし」
「まつり?」
 レオンは首を傾げた。
「知らないんですか? あの双子が旅すがら朝から晩までしつこく俺にイーリアン・パイプの演奏を聴かせてくるから、いい加減にしろと怒鳴ったら、春祭の為に練習してるんだと」
 双子が口を聞いたと言うことは、彼らは一緒に居る間に随分仲良くなったらしい。
 妙に感心しながらも、レオンは頷いた。
「それは知らなかったが、だとしたら王都への人の往来が益々増えるな。きちんと日程を聞いて、兵をしっかり配備しよう」
 話しながら肩を並べて歩き始める内に、二人の間の空気はすっかり王都でのいつもの様子に戻り、レオンは内心ほっと肩を撫で下ろした。
 勿論、ヴィクトルが気遣ってくれているのが大きいことには違いない。
「……ヴィクトル、有難う」
 思わず礼を言うと、彼はまた悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「お礼言うくらいなら飼い猫の給料上げてくださいよ、総長」
「それは出来ない」
 庭の表側に出てからもそんな応酬をしていると、切石を運んでいる王城修復の作業員達とすれ違い、声をかけられた。
「おや、総長さん。部下と一緒にサボりかい?」
「――そ、そういう訳では」
「あぁ、連れションしてたんだよ。この庭でそんな事できんのも王様の居ねえ今だけだろ!?」
 ヴィクトルが冗談で明るく返してくれ、彼らは「違いねえ」と一斉に笑い出した。
 主のいない城の庭に、今だけの賑やかさが広がる。
 レオンははにかみながらヴィクトルと微笑み合い、肩を並べて神殿の屯所へと戻っていった。


 ――春祭りが行われることになったのは、それから半月後のことだった。
 王都での祭の復活は優に百年ぶりの事だ。
 その全容を覚えているのは既にカインとマルファス達神だけで、彼らが指揮を執り、祭の段取りを神官や街の商人達に説明し協力を取り付けた。
 前夜から旅芸人や楽師たちが大勢呼ばれ、広場にはエールや葡萄酒の樽が並び、豚の丸焼きや腸詰の串焼きを売る屋台が設営されて、既に大変な賑やかさだった。
 やがて太陽が沈むと、神殿の前では天まで届くような大きな炎が焚き上げられ、神を招く儀式の準備が始まった。
 百年以上前にはこの炎と共に、神殿の魔法陣で神々を一夜だけ呼び出したという。
 人と神がどちらも仮面を被り、親しく手を取り交わって火を囲み踊るのだ。
 今は表向き召喚の術は失われたことになっている為、儀式では神官が作り物の角と尾を付け、神に扮して踊りに加わる事になっていた。
 夜が訪れた後、街に点々と灯る炎を窓の外に眺めながら、レオンは王城の寝室で一人着替えていた。
 顔の上半分を覆う白い仮面をかぶり、柔らかなシャツの上にフードのついた毛織の肩がけを身につける。
「用意は出来たか。早くしねえと儀式が始まっちまうぜ」
 背後で扉を開く音がして、振り向くとそこには既に用意を終えた恋人が立っていた。
 身体を足元まで覆う黒いローブを身に着け、縁に白い羽根をあしらった紫の仮面で美貌の上半分を隠しているのは、オスカーではなくカインだ。
「――今夜は俺の姿のままお前と外を歩けるし、一緒に踊れるな」
 華やかな仮面の奥のルビーの瞳が細まる。
 レオンは嬉しさを隠しきれずにはにかみ、ゆっくりと彼のそばに寄った。
「お前もその格好ならまあ、部下にも気づかれねえだろう。約1名を除いてな」
 カインがローブの中から美しいエメラルドのブローチを取り出し、レオンの胸元に飾る。
 それを以前何処かで見たことがあるような気がしたが、思い出せなかった。
「さあ、カワイイ俺のお姫様。デートに行こうぜ?」
 黒い手袋をはめた手を差し出され、おずおずとそれに触れる。
「流石に男同士で手を繋ぐのは変な目で見られないか……?」
 戸惑ったが、強引に指を絡めて握られた。
「神のやることに文句を言う奴はいねえよ」
 目元を赤くしながら頷くと、強く引かれて廊下に連れ出されてゆく。
「マルファス達は?」
「もうとっくに神殿だ。お前がノンビリ支度してたもんだから俺まで遅刻じゃねえか。ほら、走るぞ」
 頷き、手を繋いだまま長い絨毯の敷かれた王城の回廊を走った。
 階段を駆け下り、ローブを翻しながら庭を駆け抜けて、息を上げながら仮面の奥の横顔を愛しさを込めて見つめる。
 街に向けて開いた鉄の門を抜けると、すぐ足元の神殿で既に大きな炎が上がっているのが見えた。
 街の人々がそれを囲み、今か今かと彼らの神を待っている。
 カインはそれを一瞥すると、一瞬丘を下る足を立ち止まらせた。
「……? どうしたんだ、カイン……」
 走ったせいだけではなく息の上がっている唇に、カインが仮面越しにそっと口付けてきた。
「ん……」
 柔らかく表面が押し付けられ、すぐに離れて行く。
「行こう」
 また手を強く引かれて、レオンは頷いて靴先で地面を蹴った。


 神殿まで下りると二人はいっとき離れ離れになった。
 呼び出された神としてカインが儀式の中心を務めるためだ。
 レオンは神殿の前に集まった群衆の中に紛れ、彼らの熱気の中で時を待った。
 農夫も、商人も、職人も、その奥方も子供達も、色取り取りの仮面を被ってはいるが、誰も彼もが笑顔で、幸福に輝いている事が分かる。
 やがて柱の並び立つ向こうで神殿の扉口が左右に開かれ、奥から美しい銀髪の神が姿を現した。
 その両脇に、跳ねた黒髪から銀色の角を生やした双子の神が跪き控えている。
 主神は片側の折れた巻角を持ち、白い蛇のような尾を垂らした姿で、そのかんばせは仮面を被っていても神々しさが滲み出ている。
 その手が黒く長いローブを足元に脱ぎ捨てると、銀の刺繍を贅沢にあしらった豪奢な黒い礼服が現れた。
 わあっと一瞬歓声が起き、すぐに静かになる。
 カインはそれを待っていたように、腰まである髪を揺らして堂々と歩き、神殿の前の階段の端に立った。
 カインが皆を見渡し、紅い唇を開く。
「さあ――エルカーズの民よ。私は今、お前達に呼び出され、再びこの世界に降り立った」
 艶のある声が、張っている訳でもないのに不思議なほど朗々と響き渡る。
「お前達が私たち神の助力を得ると言うのなら、まずはお前達自身が、その資格を持つことを私たち神に見せるがいい」
 紅い瞳が仮面の奥から群衆の一人一人を射抜く。
「――争わず、奪わず、誇り高く自制せよ。愛し、慈しみ、弱きを助け、分け与えよ。この国を黄金の麦で満たすため、己のすべきことを忘れるな」
 皆がその言葉に頭を垂れ、シンとなる。
「――だが今夜から明日の太陽が沈むまでは、飲み、歌い、踊り明かすが良い。神と共に、その心を喜びで満たせ!」
 再び大きな歓声が上がり、同時にマルファスとハルファスがその場に座ったまま黒いローブの中からイーリアン・パイプを取り出し、息の合った演奏を始めた。
 神殿の階段の下で他の楽師達も一斉に合奏を始め、華やかで軽快な旋律があたりを包む。
 人々は炎を囲んで自然に手をつなぎ、幾重もの大きな輪に繋がった。
 その輪の中に、猫の仮面を被ったヴィクトルらしき青年や、その取り巻きの兵士達や、顔見知りの娼婦らしき女や、楽しそうな農夫の兄弟を見かけた。
 神の姿をした神官も幾人か混じっているが、もしかしたらカインの呼んだ本物の神なのかもしれない。
 見知らぬ人間と手を繋ぎ、見よう見まねで夢中になって音楽に身体を任せる。
 人々と繋がる温かい高揚に満たされながら、胸の内に昏い後悔が生まれた。
 ――カインは、素晴らしい神だ。
 エルカーズをまとめ、この北部の人々に幸せをもたらした。王城の修復を助力したマルファスとハルファスのように、ずっとずっと彼らに必要とされるべき神だった。
 ――それなのに、異国人の自分が彼の命を有限にしてしまった。
 自分のせいで……。
 いたたまれなくなってしまい、レオンは炎を廻り続ける人の輪の中を抜け出した。
 白い仮面を外し、群衆の中を縫うようにして、柱と柱の隙間から神殿の中へと密かに入って行く。
 開け放した扉から中に入ると、聞こえる音楽が微かになり、静かな落ち着きがレオンの体を包んだ。
 蝋燭の炎に照らされた奥深い身廊を歩き、祭壇の前まで足を進めると、その足下の床にはかつて自分がカインを呼び出す為に描いた、大きな魔法陣が残っている。
 跪き、その黒々とした筋を指で辿った。
 どうにかして、カインの命を元に戻す方法は無いのだろうか。
 神殿にある沢山の書物を調べれば、そこに何かが書いてあるかもしれない。
 マルファスとハルファスに訊けば何かを知っているだろうか?……
 複雑な思いを抱えて俯いていると、
「――こんな所にいたのか」
 不意に後ろから声を掛けられた。
 紫の仮面を外した素顔のカインがそこに立って微笑み、手を差し伸べている。
「ほら、踊ろうぜ」
 どうやら、この場で二人で踊ろうと言っているらしい。
 否応なく立ち上がり、彼の手を取りながら戸惑いを口にした。
「おれは二人で踊るようなダンスは習ったことがない……」
「エスコートしてやるから」
 指を繋ぎ、一方の手では背中を抱かれ、魔法陣の上をゆっくりと踊り始める。
「カイン……。訊いてもいいか」
 彼の腕に身体を委ねながら、レオンは尋ねた。
「お前、後悔していないか……? 俺と限られた命を生きることを……」
 すると恋人はその美しい相貌に微笑みを浮かべ、レオンの腰をガクンと仰け反るほど強く抱き寄せた。
「限られた命だからこそ、オレは今が楽しいと思う。昔は人間なんかに興味なかったが、お前を好きになって俺も変わったのかもしれねえなあ――」
 振り回されるようにして一瞬離れ、また彼の腕の中へと引き戻される。
 くるくると床の上を音に乗せて舞いながら、カインは愉快そうに声を張った。
「この短い生でできる限りの事をして、俺たちは色々な物を残してやろう。麦畑も、建物も、祭も、色んなもんを――それが、俺とお前の生きてた証になるんじゃねえか?」
 片目を瞑り、最後に逞しい礼装の腕がレオンの背中を強く抱き締める。
「カイン……!」
 涙が滲み出てくるのを止められずに彼にしっかりとしがみつき、最初に出会った時と変わらないその温もりを確かめた。
 柔らかなともし火の照らす厳かな神殿で息をひそめて唇を求めると、恋人もまた長い睫毛を伏せてそれに応じる。
「愛してる……」
「愛してるぜ、レオン……」

 扉の外では煌びやかな祭の夜が夢のように更けていく。
 ――愛し愛される神と深い口付けを交わし、騎士は溢れる幸福に目蓋を閉じた。


end