※オメガバース(検索推奨)設定の為、妊娠・出産絡みの表現が頻出します。なお左記が分からなくても本文で何となく説明します
※攻の見た目が犬そのもの、犬頭部+人体、人間に犬耳のみと3パターンに変化します

理想の結婚


 ……結婚、してぇなー。
 なんて、俺が漠然とそう思い始めたのは確か二十代の後半。
 でも仕事がそれなりに忙しかったし、ズルズル時間だけ経って気が付きゃ三十代。
 危機感持って婚活始めた時には結婚適齢期の相場じゃ結構不利な年齢になってた。
 最初は色んな婚活サイトに登録して、お見合いパーティなんかにも行ってみたんだ。
 でも全然ダメだった。
 婚活サイトじゃメッセージ交換を申し込んだ最初の一歩で断られる。
 お見合いパーティなんかだと途中まではすっげぇいい雰囲気なのに最後の最後にダメになる。
 ――どっちも原因は分かってるんだ。俺のプロフィールのせい。
 俺の性別と属性――男で、オメガ。
 あ、オメガって知らねえ?
 オメガは……まあ簡単に言えば、体の性別が男だろうが女だろうが子供が産める人間ってこと。
 人口比率的には数パーセントしかいねぇから、みんなまさかお見合いパーティで出会った相手がそんな特殊な人間だなんて思ってねぇんだ。それでカミングアウトすると断られる訳。
 オメガには、3ヶ月に一度発情期があるというハンディキャップがある。
 薬で抑えられるし、その事で表立った差別は無いけれど、社会的には不利な立場だ。
 そして、オメガ性は普通の人間――ベータと結婚したとしても二分の一の確率で子供にも遺伝もする。
 まあぶっちゃけ婚活市場じゃオメガっていうのはとてつもなくマイナス条件なんだ。
 ――え。フェロモン出せば男でも女でも幾らでも寄ってくるだろうって?
 甘いな。それは性欲でひっかかってくるだけであって俺と結婚したくて寄って来る訳じゃない。
 俺はセックスの相手が欲しいんじゃねぇんだよ。
 一生を添い遂げてくれる、可愛くて優しくて、出来れば胸がおっきい、そんな女の子をずーっと探してる。
 なのになー、何でうまくいかねぇんだろう。


鳩羽はとばさん。あなた本当に結婚する気あるんですか?」
 睫毛エクステンションを盛りまくったド派手メイクの鬼瓦が目の前に迫ってくる。
 パーテーションで仕切られた狭いスペースの中で、いかにもヤリ手風のキツイ顔をした中年女性に迫られ、俺はたじたじとなっていた。
 ここは業界最大手の婚活相談情報センター『ブライダルリンク・ネットワーク』略してBLネットの相談用個室だ。
 婚活アプリも婚活サイトもお見合いパーティもダメだった俺の、たぶん最後の砦。
 このセンターの売りは婚活アドバイザーによるきめ細かな相談対応で、この目の前にいる女性――名前は確か、じゃの目道子さん――は俺専属の相談員のオネエさんだ。
 ……けど俺はこの人がちょっと苦手だった。
「あっ、ありますよお、これでも!」
 何で客の俺の方が愛想笑いしてるんだろう……。
 そんな素朴な疑問を感じながらも蛇の目さんには逆らえない。
「でも、そもそも肝心のお見合いまで進む相手があんまり……」
 言い訳を始めた俺の言葉にかぶせて、凄腕アドバイザーと評判の彼女がズズイっと顔を寄せてくる。
「あなたね! 見た目はとってもトレビアンなのよ!」
「は、はあ」
「その前髪分けて後ろに流した、いかにもサラリーマンっぽい髪型も、今風とは言えないけどとってもよく似合ってるし、清潔感があってお顔立ちも整ってらして、お肌も33歳とは思えないくらいキレイだわ。背も178センチなら十分高いし。本来なら引く手あまたのはずなのよ!」
「はあ……。お褒めにあずかりとても光栄ですう……」
 目の前に置かれたキーボード付きのタブレット端末にはデータから呼び出された俺の婚活用プロフィールが表示されている。
 スーツでビシッと決めて撮影したバストアップ写真と「ミナト」という婚活用ハンドルネーム、年収からライフスタイルに至るまでの細か〜いプロフィールがつらつらと書かれているものだ。 
「でもねえ! あなたの場合、やっぱりオメガってことと、それにお相手の方に求める条件がね……! 家事ある程度出来る方、年収税込200万円以上、というのはともかくとして……、母親と同居希望、それに、性別は絶対に女性を希望、出産はNGっていうのがねえ……」
 えっ……、そこ、ダメなの?
 まあ確かに「お袋と同居」は厳しいとは思ってたよ、俺も。
 物心ついた時から母一人子一人の上、お袋が最近病弱でどうしても一人暮らしは無理なんだ。
 それを分かってくれと言うのはかなり無理があるってのは自覚してる。
 だけど性別「女性」希望がダメって……そっ、そこは男として普通のことだろ!?
「まあお気持ちは分かります。オメガの方とは言っても最近はごく普通の男性と特に変わりなくお育ちになりますものね。急に男性を交際相手として意識しろ、出産を覚悟しろと言われても難しいですわよねえ」
「そっ、そうなんですよ。俺、初恋の相手も好きな芸能人も普通に女性ですからね!? 女の子と結婚したいんです。それで可愛い赤ちゃん生んで欲しいんです……俺が生むんじゃなくて!」
 俺は必死で蛇の目さんに力説した。
 けれど、蛇の目さんの鋭い目はあくまでも冷酷だった。
「そこがダメなんですよ……。オメガの方とね、結婚したいっていう女性も本当は沢山いらっしゃるのよ。でもそういう方は皆さん、99パーセントの方がね、お子さんは人工授精でオメガの男性に生んで頂いて、将来的に専業主夫になって自分のお仕事をサポートして貰いたい……そんな風に思ってらっしゃるわ」
 辛い現実を突き付けられ、俺はがっくりと肩を落として項垂れた。
 男と結婚しても女と結婚しても、どっちにしろ俺が生むしか無いなんて……そんなのアリか。
「じゃあ、残り1%に俺は賭けたいんです……どうにかならないんでしょうか……」
「どうにか、ねえ……。鳩羽さん、本気でご結婚されたいんなら、むしろオメガであることを武器にしないと……高い会費の無駄ですよ?」
 それは、もしかして俺に退会しろって言ってる……?
 スラックスの膝を掴みながら俺は縋るような目で最後の砦を見た。
 蛇の目さんの冷たい目がにべもない感じで俺に視線を返す。
「例えばね、この『女性』っていう希望条件を外すだけで、お相手がぐんと広がりますよ。例えば同じオメガの男性を対象にされたりとか……お相手が女性役になって下さる可能性もありますし」
 女性にしては筋張った手がカチカチとマウスを操り端末で検索を始めた。
 そ、それはちょっと……と言いたいのを俺はぐっとこらえて我慢した。
 少しでも可能性を広げてみたら実はいい出会いがあったなんてことがあるかもしれない。
 何しろこれがラストチャンスなんだから。
「そうそう、そうだわ。いっそのこと『人類』っていうご希望も外されてはいかが?」
「えっ――」
 俺は心底驚いた。
 プロフィール作成の際に「人類」っていうチェックボックスがあった時、俺は何かの冗談かと思いながらもそこにチェックを入れたのだ。
 でもまさか、いやいや……人類じゃない相手ってどんなんだよ!?
 両生類か!? 爬虫類なのか!?
「そ、そこは流石に勘弁――」
 慌てて止めようとした俺の言葉を蛇の目さんは全く聞いていなかった。
「ほらぁ、こんな方とかどうかしら? 属性アルファ、年齢28歳、年収1200万円、ご職業は……こんなお若いのに会社役員ですって。性格温厚、家事堪能、お相手の家族との同居も可。あらあ〜お写真も素敵じゃな〜い。ちょっと選択肢を広げただけでこんなハイスペックの方ともマッチング出来るんですよ」
 彼女が読み上げる余りにも魅力的な釣り書きに、俺なんかには恐れ多いと思いつつ、ついつい心を惹かれてしまう。
 端末画面に表示されたプロフィールを、俺は思わず覗き込んだ。
「……。……。あの、蛇の目さん」
「はい?」
「この人の写真……」
 表示されたバスト(?)アップ写真を眺めながら、俺は呻いた。
「どっからどう見ても、……犬……なんですけど……」
 そこにはツヤッツヤの毛並みのゴールデンレトリバーが映っていた。
「そりゃあそうですよ。だってこの方、獣人の方だから」
「じゅ、獣人……っ。は、はぁ……ていうか、BLネットさん、人間以外の方も登録してるんですね……」
「当たり前よぉ。ウチは業界最大手ですから」
「さ、流石っす……」
 ニッコリと笑う鬼瓦風の天女を前に驚きを隠せないまま、知識を総動員して頭の中を検索する。
 獣人。
 そういや、そういう種類の存在が世の中にいるというのを教科書では知ってたな。
 人間と同じ言葉を話し、同じ知能を持つ、だけどその身体は半分動物。
 街ですれ違うことはあるんだろうけど、生活圏内で出会ったことはねぇし、親しく喋ったり友人になった事もないーーなにせオメガの俺と同じくらいに珍しい上に、彼らは獣人同士で寄り集まって暮らしてるらしく、人間社会と接する時は大抵正体隠すらしいし……。
「獣人の方はねえ、元々群れでお暮らしになってる方も多いから、家庭的で、結婚したら相手のご家族も大事にされる主義の方が多いんですよ〜。そういう意味ではこの方、ほんとに鳩羽さんにオススメ!」
「へ、へえー……そうなんですか……」
 俺はマジマジとゴールデンレトリバーの写真を見た。
 ハンドルネームは「ナギサ」ちゃんだ。
 女の子らしい黒目がちな瞳で、凄く優しそうな顔してる……いや犬顔に優しそうも何もって感じかもしれねえけど……。
 まぁ改めて考えてみると、婚活のいいトコは、普通にしてたら絶対会えないようなヒトに出会えて、話が出来るって事なんだよな。
 ーーもしかしたらこの彼女も、言葉を交わしてみれば凄く気立てのいい女性なのかも知れない。
 ええい、案ずるより産むがやすしだ。一度会ってみるのもいいんじゃねぇか?
「あの、俺、この人と会ってみたいんすけど……っ」
 そう宣言した俺に、蛇の目さんの四角い顔がパアッと輝いた。
「ほんの少しのオプション料金でお引き合わせもできますよ」


 入会時に受けた説明によると、婚活相談情報センターBLネットには、大きく四つの出会いのシステムがある。
 月に一度の、システム・マッチングによる相性のいい相手の紹介。
 それから、WEBや月一回発行の会報誌上での、希望条件プロフィール検索。三つ目がセンター主催のお見合いパーティ、そして最後の手段が、婚活アドバイザーによる引き合わせだ。
 最初の二つは初めて出会うまでに相手とのメッセージ交換が必要だけど、アドバイザーさんの引き合わせはそういう面倒なのは抜きでいきなりお見合いが出来るっていうシステムになっている。
 ただし相手にとっては見も知らぬ相手に突然会えって話になるから、断られることも多々あるらしい。
 俺にも断りが返って来るんじゃないかとドキドキしたが、どうやら獣人の彼女は俺のプロフィールを見た上で、すぐオーケーの意志を出してくれたみたいだった。
 オメガでも、出産NGでもちゃんと会ってくれるなんて……連戦連敗だった俺にはそれだけで「なんてステキな女性なんだろう」と思える。俺をちゃんと人間扱いして貰えた、っていうか……いや相手は犬なんだけど。
 アドバイザーの蛇の目さんがノリノリで調整してくれて、お見合いの日取りもすぐに決まった。
 あとは会うだけだ。
 獣人の女性に会うに当たって、前夜、俺はイケペディアで獣人について改めて検索してみた。

『獣人は通常三つの形態をとることが可能。獣の形態、獣面人身の形態、人間の形態である。人間社会のフォーマルな場においては彼らは通常人間の形態を取る(その際、耳や尾等一部痕跡が残る場合もある)が、彼らが本来の自身と認識し、家庭生活においてとっているのは獣の形態である』

 成る程。だからお見合い写真のプロフィールが犬なわけね。

『獣人と人間の交配は例は少ないものの可能。特に種族の枠組みを超えて妊孕にんよう力の高いオメガは高い確率で妊娠が可能と言われている。人間同士の交配に比べ、獣人との交配は多胎児の可能性が高くなる為、妊娠中から出産後を通しNICU及び獣人科のある病院で診察を受ける事が強く推奨……』

 そっから先は目が滑って、なんだか頭に入ってこなかった。子供が出来るってことが分かってれば取り敢えず、今の段階で悩むことじゃねぇし。
 それよりも気になったのは、獣人の三つの形態のこと。
 人間にもなれる……とするとだぞ?
 この優しそうなゴールデンレトリバーのナギサちゃんも、人間の28歳の女の子の姿になれるってことだよな。もしかしたら、俺好みの巨乳ちゃんだったりして……。
 ぽやーんと、犬耳、巨乳の色っぽい美女像が頭の中に浮かび上がる。
 考えると、顔がニヤけて止まらなくなってきた。いいじゃねえか、獣人。
 きっと全然大丈夫! 俺、犬大好きだし!
 飼ったことねぇけど。


 そして待ちに待った、お見合い当日の日曜日17時ーー。
 俺は緊張でガッチガチになりながら一張羅の細身のスーツを纏い、地元から電車でBLネットワーク池袋支社に出向いた。
 ちょっとでも若く見えるように、髪型もいつもの真面目な分け流しじゃなく、ワックスで動きを出してみたりして。
 家でイソイソ準備してたら、お袋に見られてからかわれた。狭いアパート暮らしだから、プライベートってヤツがほんと皆無なんだ。
 恥ずかしかったけど、外見は完璧にしたぜ。何しろ5歳も年下なんだもんな。すげぇテンション上がるわー。
 で、支社に着いた途端、相変わらず仮面みたいな化粧の蛇の目さんが迎えてくれて、俺の見た目をまた随分と褒めてくれた。
「まああ、スーツ着られてるとかっこいいわねぇ、モデルさんが来たのかと思ったわ! 今時の若い人は顔も小さいし腰も細いし、ほんと羨ましいわぁ」なんて。自信持たせてくれようとするお世辞と分かってても悪い気がしない。
 そのままお見合い専用ブースに引っ張り込まれて、そこからしばし待機。
 どうも相手は仕事の都合で遅れてるらしい。日曜なのに大変なんだなぁ。
 そういや……相手、アルファだもんな。
 アルファってのは、オメガとかと同じ「属性」の一つなんだけど、ちょっと特殊なんだ。
 持って生まれた能力が高いというか……身体的なものは勿論、頭脳の方もずば抜けてて、その分社会的地位も高い。きっと獣人でもそれは同じで……。
 平凡な大学事務職員の俺と違って、彼女はきっと華々しい仕事してるに違いない。
 そう考えると何だか不安になって来た。
 俺なんか、相手にされんのかなって……。
 緊張と不安で胃がキリキリするくらいになってきた頃、ついに俺と蛇の目さんの居るブースの扉が二回、ノックされた。
(きっ、きた――!)
 心臓が飛び出しそうな俺の前で、木目調のパーテーションに設けられた薄い扉がスッと開く。
「お待たせして申し訳ありません」
 うっとりするような低くて艶のある声と共に、天井部分の空いたブースの壁を越すほどすっげぇ背の高い――ブランドスーツ着た犬頭が、そこに立っていた。
 ……?
 …………?
 ……えーと。
「ナギサさん……?」
 椅子に固まったまま訊ねると、金色の柔らかそうな毛の生えた顔の、優しそうな黒目がちの瞳が俺を見下ろした。
「ええ、ナギサです。本名は犬塚いぬづかなぎさと言います」
 その声はどう考えても男だ。アナウンサーみたいなカッコいい声。
 服の上からでも鍛えてるのが分かる分厚い身体にピッタリのスーツも、どう見ても男物。
(やっ。やっちまった〜〜〜!)
 プロフィール、ちゃんと見てなかった!
 名前だけで女の子だと思い込んでた……。
 全身に冷や汗が湧き、血の気が引いて気が遠くなる。
「犬塚さん、どうぞそちらにお座りになって」
 蛇の目さんが彼を丸テーブル挟んで俺の対面の席に案内した。
 脚がすげぇ長いのか、座ると目線が俺とあんまり変わらなくなって、その黒くて可愛い瞳と見つめ合うと胸がドキドキと高鳴った。
 うわァ……スーツの太い首回りに、フッサフサの金色の毛がかかってるよ……あぁっ、撫でてぇ〜……両手で首筋に抱きついてモフモフしながら、耳の付け根に顔、埋めたい……。
 なんて、ウットリしかけてハッとした。
 俺っ、完全にペットショップで子犬と目が合った人みたいになってるじゃねぇか。
 だからこの人は俺の希望の女の子じゃなかったんだってば!
「ちょっと、鳩羽さん。鳩羽さんてば!」
 隣の蛇の目さんに耳元で叫ばれ、俺は縮み上がった。
「はっ、はい!」
「はいじゃないでしょ。あなたが彼に申し込んだんだから、自己紹介! もお〜犬塚さんがあんまりステキだからってウットリしちゃって、いやぁねえ」
 いやぁねえじゃねーよ!
 ウットリもしてねえし! いや、したけどそういう意味じゃねえ!
 そもそも俺は女の子がイイって希望出してたはずなのに。
 あー、でもあの時の会話の流れは、確かに最初、女性を希望条件から外せって言われてたような……。
 悪いのは蛇の目さんじゃなくて、ちゃんと希望をはっきり伝えなかった俺だ。
 俺のミスに相手まで巻き込んじまったんだ――。
 罪悪感でドキドキしながら目の前の犬塚さんの顔を見る。
 大きな口が開いていて、ハッハッと息を切らしていた。
 ――この人、忙しい中わざわざ来てくれたんだよな……。
 今更、勘違いでしたなんて言えねぇよ。
 お見合い承諾してくれたのはきっとたまたまなんだろうけど……貴重な時間割いてくれたのに。
 どうせ俺のことなんて気に入って貰える可能性は低いとは思うけど、ここは丁重に接しつつ、適当に流して終わらせよう。
 観念した俺は、せめて相手を不快にさせないように振る舞おうと腹に決めた。
「俺、鳩羽はとばみなとと言います。初めまして。申込を受けてくださってありがとうございます」
 真っ直ぐに相手を見つめながら自己紹介すると、犬塚さんの後ろからペシペシという音が聞こえた。
 なにかと思ってこっそりテーブルの下を覗く。
 見ると、彼のスーツのジャケットの裾からはみ出てる尻尾が千切れんばかりに振られていて、椅子の背もたれがベシンベシン叩かれていた。
(かっ……可愛い〜〜っ……)
 俺の心臓がキュウウンと跳ねて、頭が真っ白になった。
 ――まずい。本当にやべぇ……。
 すげー犬、飼いたくなってきた。


 軽い自己紹介を終えると、俺たちは蛇の目さんに見送られてBLネット池袋支社の建物を出た。
 肌寒い季節になってきたせいか、外は既に日が沈み、あちこちで風情のないネオンサインが瞬いている。
 俺たちはこれから蛇の目さんオススメのお洒落なダイニングバーで食事の予定だった。
 店までの地図をスマホで出して道を確かめる。
 池袋はただでさえ色んな雑居ビルがゴチャゴチャしてるし、夜になっても人通りは激しいしで、経路案内まで出てるのにイマイチどっち行ったらいいのか分からねぇ。
 グルグルスマホを回していると、後ろから肩を優しく押された。
「あっちですよ。行きましょう」
「あ、はい……」
 顔を上げた途端に面食らった。
 さっき建物出るまで犬だった犬塚さんの顔が、綺麗に波打った金髪をウルフカットにした、凄い美青年になっていたからだ。
「い、犬塚さん!?」
「あのままだと外では目立つので」
 さらりと言って歩き出した彼の横顔をマジマジと見てしまった。
 ニャニーズとかにもそうそう居ない隙のなさすぎる黄金比率の横顔が、整い過ぎててちょっと冷たく見えるほどで、犬顔とのギャップが激しい。
 キレイなのに体格も相まって全然女っぽくはなくて、外国のポスターのグッドルッキングガイって感じ。
 よく見るとクセ毛風の髪の中に小さく犬耳が垂れているけど、遠目から見れば獣人だとは誰も思わないだろう。
 けど、群衆から頭一つ抜き出た長身にこの髪色と顔立ちは、はっきり言って普通に犬頭でいるよりも目立ちまくってる気がする。
 ドギマギしながら彼の横について歩きながら、黙っているのも気まずくて話しかけた。
「あ、あの。これから行くとこ、行ったことある店なんです?」
「いえ」
 犬塚さんは小さく首を振った。
「地図読むの上手いんですね。俺すげぇ方向音痴で」
「仕事柄、行ったことのない場所にもよく出向きますから」
「へえ……お仕事は何をされてるんですか?」
「警備会社に勤めてます。一族で経営してる小さな会社です……」
 そう言ったまま彼は黙ってしまった。
 あれっ、この人結構無口?
 ここはもっと踏み込んで色々聞くべきか?
 いや、もしかしたら話したくねぇのかもしれないしな。
 じゃあ話題を切り替えて。
「犬塚さんは婚活始めてどのくらいなんですか?」
 訊ねると、キレイな顔にちょっとだけはにかんだような表情が浮かんだ。
「まだ始めたばかりなんで……こうして会ったのも鳩羽さんが初めてなんです」
 ああっ……そうなんだ……っ。
 そんな婚活最初の見合い相手が勘違い野郎の俺なんかになっちまって、本当に申し訳無さ過ぎる。
 胸がズキズキしてすぐに言葉が出ないでいると、犬塚さんは低くていい声でそっと付け加えた。
「その……俺と逢いたいって思って貰えて、とても嬉しかったです」
 俺の心臓がまたしてもキューンと音を立てた。
 こ、……この人、イイヒトじゃねぇ……?
 もし相手が女だったら今ここで惚れてたかもしれない。
 なんか無口っぽくなってるのも初めてで緊張してるからかも……そんなとこも初々しくて凄くカワイイ。
 ああもう……ナギサちゃん。あんたは何でオスなんだよ……。
 悲しくなりながらも、俺も精一杯、感謝の気持ちを犬塚さんに伝えた。
「おっ、俺もっ、会って貰えたのメッチャ嬉しかったんですよ……! 俺の条件、婚活にはすげぇ厳しいって言われてて。活動始めて三年近くになるけど、全然ダメで……オメガなのに子供産まねぇなんて、やっぱワガママな条件ですよね……」
 エヘッと頭を掻きながら自虐すると、犬塚さんははっきりと首を振った。
「俺はオメガだからって絶対に子供を産むべきだとは思いません。個人の生き方と体の属性は無関係ですから」
「え……」
 その言葉に俺は頭殴られたようなショックを受けた。
 世の中、綺麗事でそういうこと言う人はいるぜ。
 でも自分の結婚相手候補としてのオメガに、そう言い切ってくれる人はーー。
 呆然とする俺の横でピタリと犬塚さんの足が止まった。
「着きましたよ」
 ホントだ、目の前に店の看板が出てる……話すのに夢中で全然気付いてなかった。
「あっ……は、はい……」
 慌てた俺に微笑んだ彼の顔が、余りにもキレイで優しくて……。
 何故だか俺の方が無口なヒトみたいになってしまって、黙って二人で地下への階段を降りた。


 店は半個室とカウンターがあって、俺たちは迷わず個室の方を選んだ。
 犬塚さんの外見はどっちにしても目立ち過ぎるからな。
 暗い店内は壁際にワインボトルが並び、内装の雰囲気がクラシックで良い。
 背中が壁で仕切られたソファ席に案内され、互いにテーブルを挟んで腰を下ろす。
 更にビロードのカーテンを引くと、照明が遮られ、その空間が二人っきりの親密な空気になった。
 おいおい蛇の目さん……婚活の原則!
 初対面ではもうちょいライトな店に行くのが基本だろ!? 何でいきなりこんなデートっぽい雰囲気なんだよぉ……。
 心の中の蛇の目道子に突っ込まざるを得ない。
 テーブルの上のグラスの中で光る蝋燭の炎がいい雰囲気醸し出してくれちゃって、緊張で手が震える。
 あああ男同士なのに完全にデートだこれ。どうすんだ俺……っ。
 恐る恐る対面の相手を見たら、スーツのゴールデンレトリバーが長い舌でペロペロ黒い鼻の頭を舐めていた。
(いっ……犬ううぅ……っ)
 思わずテーブルの上で頭を抱えてしまう。
 さっきまですんげぇ美形でカッコいい事言ってた気がするのに……っ、なんかもう今、普通に犬だし!!
 って……。
 だっ、だめだ、こんな事で動揺しちゃ犬塚さんに失礼だろ……!
 俺は改めて背筋を伸ばし、壁際からメニューを手に取った。
 俺の方が歳上だからな。も、もう少し大人の余裕を見せねえと……っ。
 冷静を装い、震える手でドリンクメニューを犬塚さんに渡す。
「の、飲み物どうします……」
 って言ってるそばから、シャッ!と音がして店員がカーテンをめくってやってきた。はえーよ。
「お飲み物のご注文をお伺い致します」
 急かされるみたいに言われてメニューを覗き込む。
 紙面にはオシャレっぽいカクテルやら、やたら長ったらしい名前のワインやらが並んでて、決めんのが面倒臭くなり、俺は顔を上げた。
「じゃあ、生ビールをグラスで」
 呼吸を合わせるように犬塚さんも注文を出す。
「俺も同じ物をボールで」
「かしこまりました」
 ……。
 今、この人何つった?
 店員は全く動揺してなかったけど、グラスでもジョッキでもないモノを言ったよな……?
 いや、気にしたら負けだッ……!
「料理決めましょう! お、お肉とかが良いですかね……」
 これ以上動揺しないように、さっさと食って飲んでここを出るんだ。頑張れ鳩羽湊……!
 何と戦ってるんだか分からない心境になっていると、目の前のゴールデンレトリバーがフルフルと首を振った。
「俺は好き嫌い無いので、鳩羽さんが食べたい物を注文して下さい」
 な、何だとぉ……!?
 いきなり難題が立ちはだかり、俺はメニューを前に絶体絶命の危機に陥った。
 い、犬って確か、ネギ系がダメだったよな!?
 玉ねぎとかニンニクとか……っ!
「消化器官は人間と変わりませんのでご心配なく。ビールが飲めるくらいですから」
 俺の顔面蒼白ぶりが伝わってしまったのか、犬塚さんが慌てて付け加えた。
 そう……だよな……ドッグフード探す所だった。
 気が楽になってアラカルトを適当に見繕ってる間にビールが来る。
 ……俺はグラス、相手はキンッキンに冷えたステンレスボールで。
 あーもう、これ以上何があっても俺は驚かねぇぞっ。
 取り敢えず料理の注文を出して店員には帰ってもらい、俺はグラスを差し出した。
「か、乾杯……」
 犬塚さんが両手でボールを持ち上げる。
 そしてそれをテーブルの上に置くと、伏し目がちになってピチャピチャビールを舐め始めた。
 か、可愛いぃ……泡しかすくえてねぇし。
 俺が自分のグラスに口もつけずに眺めてるのに気付いてしまったのか、彼は顔を上げた。
「あ……。行儀悪くてすみません、俺、食べ物はちゃんとナイフとフォークで食べますから……。この口だと液体は溢れるので」
「あっ、別に気にしないっす……」
 愛想笑いを浮かべて自分のグラスをあおる。
 相手は飲むのに時間かかるのでしばらく話もせずにいると、油断していた所ですっと犬顔が上がり、話題を振られた。
「あの……立ち入ったことを聞いても」
 前置きを言ってから、犬塚さんが黒目がちな可愛い瞳で俺を真っ直ぐに見た。
「どーぞ、どーぞ」
 この緊張感の中、相手から質問してもらえるのは何だって歓迎だ。
「プロフィールを読ませて頂いたんですが、お母様と二人暮らしなんですね」
「あぁ、はい。オカアサマってガラじゃないっすけど、お袋は未婚の母ってやつなんです。30過ぎた男が母親と暮らしてるなんて、ちょっと情けないですよねえ」
 理由までこの人に喋んのもどうかと思ってそんな風に言うと、犬塚さんはまたもキッパリ首を振った。
「いいえ、普通です。鳩羽さんはお母様思いなんですね」
 何なのこのヒト……泣かせようとしてんのか?
 鼻の奥がツーンとして、俺は慌てて話を振り返した。
「犬塚さんは、ご家族と暮らしてるんですか?」
「はい、恥ずかしいんですが、うちは大家族でして……弟が俺の下に5人いて。みんな一緒に暮らしていて、最近すぐ下の弟の子が生まれて、そのあとまた二番目の弟の子が生まれたので家中すごい騒ぎで……」
 な、なんじゃそりゃ!!
 テレビとかでよく見る「○○さんチは今日も大騒ぎ」みたいなヤツに出てきそうな家じゃねーか!
「い、良いなぁ〜……っ、すげぇ楽しそうですね……」
 全員犬の大家族……すげぇ遊びに行きたいな……ゴールデンレトリバーの大群にモフられたい……っ!
 トキメキが止まらなくなった瞬間、犬塚さんが遠慮がちに付け加えた。
「だから、その……俺、自分の子供は居ても居なくてもというか……鳩羽さんが赤ちゃんが出来にくい身体だったとしても、全然気にしませんから」
「っっっ! グホッ」
 口の中のビールを一瞬で全部吹きそうになり、メッチャクチャにむせた。
「だっ、大丈夫ですか!?」
 慌てて立ち上がった相手をドウドウというジェスチャーで座らせた後、真っ青になって唇を噛む。
 そうだよな、出産NGの理由……。
 犬塚さんが遠慮がちに俺の顔を覗き込んでくる。
「あの、出産NGだけどプロフィールには子供が好き、ってあって……そういうことだと思ってたんですが、違いましたか……?」
 うおぉ……「実は昨日まであんたに産ませるつもりだったんです」なんて言える訳ねえー!
「そっ、そうなんです、実は……生まれつき産めねぇ体質で……」
 大嘘もイイとこで、罪悪感でマジ死にそうだ。
 単に俺がワガママなだけなのに。
 ワガママな上にドジで、こんなイイヒトにメチャクチャ気を使わせて……。
 何だかもう自分が情けなくて涙が出てきた。
 ペーパーナプキンで目頭を押さえていると、気がつけば目の前で犬塚さんがズーンと下を向いてしまっている。
「こんな、初っ端から辛いことに触れてしまって……デリカシーがなくてすみません……」
 あぁ……っ、耳も尻尾もしおっしおの垂れっ垂れになってる。デリカシーのデの字もねぇのは俺なんだよ、ほんとにごめんっ……謝る機会はねぇだろうけどーー……。
「気にしないで下さい、本当に……っ! 犬塚さんは何も悪くないです……!」
 目に見えて落ち込んでる相手をどうにか元気にさせたくて、俺は必死になった。
「むしろ、優しいし、カッコいいし、可愛いし……っ、こんな俺の事もちゃんと人間として見てくれるし。犬塚さんと結婚する人は、きっと世界一幸せになれると思いますよ……!」
 力説している内に、テーブルにつっぷさんばかりだった犬塚さんの顔がふーっと上がり、ハッハッと息を切らし始めた。
 またお尻の方からベシベシ音が鳴ってる。
 良かった、取り敢えず元気にしたぞ。
 ……って……ン……? 俺、今思いっきりこの犬を口説いちゃったっぽく無かったか?
「……鳩羽さん……鳩羽さんこそ、こんな犬っぽい俺と会いたいって思ってくれて、今もごく普通に接してくれて……俺、凄く嬉しいです。人間の顔の時は褒めてくれる人もいますけど、素の俺を見せても引かない人間は余り居ないし……それに……」
 純粋で優しそうな黒い瞳がウルウルしながら俺を見てる……!
 え……。もしかしてあなた、結果的に俺に口説かれちゃいました……?
 やばい。この空気はマズい。適当に流すはずが、ドツボにハマり始めている。
「それに、鳩羽さんも凄く――」
 犬塚さんが言いかけた瞬間、ジャッと音を立ててカーテンが開いた。
「カルパッチョと生ハムの盛り合わせとトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼお待たせしましたー」
 妙な雰囲気を裂くように派手な化粧の女性店員がドカドカと皿を置いて行く。
 空気読まねえ店員の横槍がこんなに有難いと思ったこと、今まで生きてきてあっただろうか。
「た、食べましょう、犬塚さん……!」
 微笑みかけると、彼は初めて、ワン!と可愛い声で一声鳴いた。
 それがもうキュンキュンするほど愛おしくて、申し訳なくて、俺はもうヤケになってビールを飲み干すしか無かった……。
 ーーで、その後どうなったかっていうと。
 そんなこんなで、なし崩しに始まった見合いは中々終わりに出来なくてさ。
 二人で食って飲んでぎこちなく話すうちに、酔っ払ってきた俺はコレが何の会合だったのかもだんだん忘れてしまって。
 酒が入って少しずつ饒舌になる犬塚さんと話してる内に、甥っ子姪っ子のカワイイ写真をスマホで見せてもらったり……たまたま店に流れてた音楽で、好きな洋楽がすげー被ってる事が発覚したりなんかもして、会話もだんだんと盛り上がり始めてしまい……気が付いたらダイニングバーを出て、俺たちはノリノリでカラオケにまで行っていた。
 隣同士に座ったりはしないものの、ホントの個室に二人きりになってるし。
 俺は相手のあまりの美声に、アレもコレもと馴れ馴れしくリクエストをしまくって……。
 暗い照明の下、低い艶っぽい声で歌ってる犬塚さんがまた、顔、犬なのにかっこいいのなんので……正直ちょっとだけ、ドキドキした……。


「ーー犬塚さんホント、ゾクゾクするほど歌上手いっすね……なんか汗出るわー……また次も歌っていいっすよ」
 12時回りそうな深夜ーーカラオケでも飲んじまってまだ酔っ払ってるせいか、部屋の中が熱い。
 俺はネクタイも外してシャツのボタンを開き、すっかりくつろぎモードになっていた。
 目の前のソファに折り目正しく座った犬塚さんが照れて首を傾げてる。
 相手もネクタイ緩めてて、シャツの間からモフッと出てる金色の毛に目を奪われた。
 カンワイイな、あそこにスリスリしたいな……。偶然のフリして触れねぇかな。
 つーか、そろそろ帰らなくちゃなんねーのに可愛くて離れがたい……。
「でも、もう鳩羽さんの方は終電じゃないですか?」
 ーー見とれてたらそんな風に言われてギャッとなった。
 そうだ、俺の方が電車早いのに、酔ってんのと楽しすぎたのとですっかり忘れてた。
「は、走りましょう! いや、犬塚さんはゆっくりでも……」
「ううん、送っていきます」
 立ち上がり、大慌てて荷物を纏める。
 会計してカラオケ屋を出て、脱いだジャケット抱えたまま駅までの人混みの間を縫うように並んで駅に走った。
 そんな急いだのは夜中まで遊び呆けてた学生の時以来で、何だか楽しくなってしまう。
 やっと駅に辿り着いた所で、思わず顔見合わせて、ゲラゲラ二人で笑ってしまった。
 こんな笑ったのも久々で、新鮮だ。
「あ、鳩羽さん、連絡先を。メッセージラインやってますか」
 いつのまにかまた綺麗な青年の顔になっていた犬塚さんに促されて、俺は自然と頷いた。
「ああ、そうか。うん」
 ーー混んだ構内を足早に歩きながらスマホ出して、メッセージアプリのIDを交換する。
 その後は、終電早い俺を犬塚さんが改札前まで送ってくれて。
 まるで友達みたいに別れを惜しみながら、俺は彼とバイバイしたわけで……。
 で……。
 …………。
 ――って、畜生〜〜っ、俺っ、何、普通に仲良くなってんだよ!?
 全っ然、適当に流せてねえじゃん!?
 少なくとも俺から、今日ので貴方と合わないコトが分かりました、次回はもうありません、なんて言える空気じゃねえ……っ!


 ーー微妙に混んでる終電の中、メッセージアプリの犬塚さんの可愛い子犬のアイコンを眺めながら、俺は電車のドア横にもたれてボーッとしてた。
 別れるまで身体がフワフワするみたいな感覚で楽しかった分、一人になって冷静になった途端、どうしたら良いのか分からなくなる。
 きっと彼が女の子だったら、俺は絶対に結婚意識してた。そのくらい心地良くて楽しかった、まるで10年来の友達と会ったみてぇに。
 地下鉄丸ノ内線の改札の前で、俺の姿が地下に入って見えなくなるまで手を振ってくれた犬塚さん。
 ウットリするくらい綺麗な人間の顔で、まだ酒が残ってるのか、白い頬を紅潮させた屈託のない笑顔で、「また会いましょうね!」って。
 誰かと、そんな風に別れたの……何年振りだろ。
 そう思ったら涙が溢れ出そうだった。
 俺……ずっと寂しかったんだろうか。
 元々友達とかも少ねぇしな……。
 なんつーか、オメガだからだとは思いたくねぇけど、相手が友人て目で見てくれねぇ事が多くて……。
 前の彼女とは就職してすぐに別れたし、誰かと二人ではしゃいだのなんて久々でさ。
 今まで生きてて、尊大な態度のアルファには幾らでも会ったことがあるけど、彼は誠実だった。
 何で婚活なんかで会っちまったんだろ。
 俺、犬塚さんと友達になりたかったよ。
 こういう場で出会った人間はどんなにイイ人でも、今後の選択肢はイチかゼロなんだもんな。
 お断りしてもう二度と会わないか、それとも真剣なお付き合いに向かって仮交際を始めるか。
 俺たちはトモダチを探してるんじゃない。人生の伴侶を、探してるんだから……。
 BLネットの決まりで、今日会ってみた結果は、それぞれが蛇の目さんに伝えることになってる。
 多分、俺のカンでは……犬塚さんの答えはYESだと思う。
 そして俺の答えは……。
 嘘ついたこととか、犬塚さんのキレイな笑顔とか、子犬がいっぱい走り回ってるあったかい家庭像とかが、頭の中でグルグルする。
 辛くなってスマホの画面を閉じようとした時、通話アプリのメッセージがパッと表示された。
『今日は本当に有難うございました。初対面とは思えないくらい、凄く楽しくて、今は少し寂しいです』
 思わず、あぁっと呻きが漏れた。
 固まったまま眺めていると、そのメッセージの下に尻尾振ってる子犬のスタンプが表示される。
 そして、続けざまにもう一つ、『次は、いつ会えますか』。
 もう、笑うしかなかった。
 お見合いの結果待ちもすっとばしてこの言葉。
 犬塚さん……これっきりだなんて一ミリも思ってねぇ。
 そんで俺も、勘違いがキッカケとは言え、一旦男とか女とかそういうこと抜きにすれば、もう一度あの人と会ってみたいのが本音で。
 会ってみたい……そんな気持ちだけでいいんだろうか。
 凄く迷う。
 男をそういう意味で好きになれないと思って生きて来た俺が、こんな半端な状態でこれ以上踏み込んでいいのか。
 もう一度スマホ画面に目を落として唇を噛む。
 いや、結論なんて多分もうとっくに出てんだ。
 俺、この画面に「ごめんなさい」なんて打てねぇ。
 ……次会った時はちゃんと本当の事を話して、嘘ついたことを謝らなきゃダメかな?
 でも……。
 「何で嘘ついたんだ」って訊かれたらどうすんだ……?
 ――「本当は女が良かったからあんなこと書いてたけど、勘違いであんたに会ってしまって、本当のことが言いづらいから嘘つきました」って……?
 じゃあ、今の俺の状況の説明は?
「始まりは勘違いだけど、今はあんたに好意を持っていて、自分が産んでもいいと思ってます」って言うのか?
 ダメだダメだ。俺、そこまではまだ振り切れてねぇもん。
 うーん。アレだな、こうなったら覚悟ついた時か、どっちかがやっぱ無理ってなって仮交際終了する時にゴメンするしかねぇのかも。
 だいたい俺、3年間婚活負け続けの男だし、何度か会ってる内に相手から切られる可能性だって大いにあるもんな。
 犬塚さんはいい男だから、今後も申込いっぱい来る訳で、俺なんかどうせすぐにワンオブゼムになる。……仮交際は複数同時並行オッケーってルールだから。
 謝るのはフラれた時でいいか……。その時には相手にとって俺なんてもう、どうでもいい人間だろうし。
 グルグル悩んだ結果決断し、ものすごく言葉に迷いながらも、俺は返信を打ち始めた。

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